Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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世紀の名ヴァイオリニスト ユーディー・メニューイン氏

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

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2  「昼は町を掃除し、夜は四重奏を」
 氏は「昼間、町を掃除する人々が、夜には四重奏を演奏する。それが私たちのめざす世界です」と。大衆に音楽を──私が三十余年前(六三年)、民主音楽協会(民音)を創立したのも、文化によって民衆の心の大地をうるおしたかったからである。また美への共通の感動で世界を結びたかったからである。
 芸術は「命令」できない。心が心に呼びかけるだけである。その意味で権力と対極にある。
 「最後のタンゴ王」と言われるアルゼンチンのプグリエーセ氏とお会いしたが、氏も同じ考えであった。「庶民の思いを抑圧する者とは敢然と戦うのが文化にかかわる人間の役目です」
 芸術は人を傷つけない。芸術は悩み多き人生を慰め、希望を贈る。芸術と一体になった一流の芸術家も、いばらない。人に楽しみをあたえる。いばる心、人を見下す頼り。それは文化と一番遠い心であろう。
 五一年(昭和二十六年)。メニューイン氏の初来日は、日本人にとって久方ぶりの本格的なヨーロッパ音楽だった。小林秀雄氏は「私はふるへたり涙が出たりした」「あゝ、何んという音だ。私は、どんなに渇えていたかをはっきり知った」(『小林秀雄全集』8、新潮社)と書いた。
 会見の同席者の一人が、そのコンサートを聴いた思い出を紹介した。「初任給が四千円の時代に入場料が千五百円でした」。すると「それでは、これをどうぞ」メニューイン氏の指先に手品のように千円札が現れていた。いたずらっぽく微笑んだ氏の顔には、「柔らかな心」で一生を戦い抜いた高貴さが、美しいメロディーのように浮かんでいた。
 (一九九四年四月三日 「週刊読売」掲載)

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