Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

アルゼンチン軍政への抵抗 デリッチ コルドバ大学総長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
3  「五月広場」の母たちの戦い
 七六年から八三年までの軍政の初期、「汚い戦争」と呼ばれた恐怖政治が続いた。反政府活動者はもちろん、何の関係もない人々まで、テロリストを処罰するという名目で連行された。軍人たちが突然、家に乱入し、銃を突きつけて、連れていく。警察は呼んでも来ない。秘密の収容所で拷問、虐殺。飛行機から生きたまま落とされた人もいる。
 学割定期券の発行を要求しただけで虐殺された男女高校生もいた。「行方不明者」は二万人とも三万人ともいわれた。
 ブエノスアイレスの「五月広場」──市の心臓部である。ここに民政後も毎週、白いスカーフを頭に巻いた中年の女性たちが数百人集まり、行進した。軍に連行されたまま「行方不明」の息子を、娘を、夫を「生きて返せ」! せめて消息を明らかにするよう政府に訴えるために。スカーフには青い糸で子どもたちの名前を刺繍し、首から写真を下げていた。豪雨の日も寒風の日も、「五月広場」の母たちは抗議のために歩き続けた。
 私も、この広場を車中から見た(九三年二月)。痛ましかった。
 軍政下、権力者は彼女たちを″狂った女ども″と、あざ笑った。どちらが狂っていたのか。
 そして日本のある経済関係者は「軍政のほうが治安がよくなり、経済も上向いて、日本は債務を返してもらえる」と放言したという。どこまで「人間」から遠ざかれば気がつくのだろうか。
 「軍政下の七年間は本当に長かった。民主政権になったとき、前は口を閉ざしていた人も、いろいろと言いわけしました。責めるつもりも、自分が英雄気どりするつもりもありません。しかし、彼らの人生に満足があったかどうか。幸い、私には満足がありました。私は貫きました。だから私は幸福です」
 アルフォンシン大統領のもとで民主化は進んだ。私も来日した大統領と語りあい、「民衆の凱歌」を祝福した。(八六年七月)
 デリッチ博士は、すぐに国立ブエノスアイレス大学の総長に選ばれ、大学の再建に当たられた。在任中、私に招へい状も送ってくださった。
 二年後、教育副大臣となり、国全体の教育の民主化に努力した。かつて教職を追放された博士は、政治が教育を左右する悪が骨身に徹していた。「政治家が教育者を尊敬する社会」を築きたい。教育こそ国の基幹ではないか──と。
 そして八九年から二期六年間、コルドバ大学の名総長として活躍された。博士の念願は、母と子を切り離し、立場や信条で人類を分断するような悲しい時代は、もう絶対にいやだということであった。
 そして、人間を結びつけるには、内なる人間性を触発する「新たな人間主義」を広げるしかない、と。
 私への名誉博士号の授与式はコルドバにおうかがいする日程の都合がつかず、ブエノスアイレス市郊外で行われた。総長は旅先のイタリアのボローニャから、わざわざ駆けつけてくださった。
 南半球の真夏の光が、会場に集う青年たちを、まばゆいばかりに照らしていた。この青年たちに、先輩の世代は何を残すべきか。
 博士は、子どもさんから問われたという。「お父さん、どうして、あのとき、戦う道を選んだの?」「それはね、そうすることが正しかったからだよ」──。
 正義。子どもに残すこれ以上の財産はないであろう。日本へのある中国人留学生の言葉は重い。
 「日本はいつも利害だけに左右されているように見えます。日本の指導者には根本的に『正義』という観念が欠落しているのではないでしょうか」
 正義ゆえに後悔せず──「幸福の条件」は、そのまま「人間の条件」である。
 そして「人間の条件」がそのまま、日本の「国際化の条件」であり、「二十一世紀の条件」なのではないだろうか。
 世界が、歴史が、日本にこう呼びかけているようである。
 「物から、人間を救い出せ」
 「嘘から、人間を救い出せ」
 (一九九五年七月九日 「聖教新聞」掲載)

1
3