Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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民主チリのパイオニア エイルウィン大統領

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  民主主義とは「生き方」
 民主主義は何より「文化」と「生き方」の問題である。人間への敬意、たがいに思いやる心。それらが失われ、人権を踏みにじるウソへの怒りが衰弱するとき、民主社会は土台から崩れていく。
 「本当のこと」を言って何が悪いのか! 人々は怒りを歌に託した。
  牢屋でも憲兵でも連れてきてよ
  だって真実の光に照らして
  あたしは話しているんだから
 (ビオレッタ・パラ『人生よありがとう』水野るり子訳、『インディアス群書』8、現代企画室)
 この歌をつくったビオレッタ・パラの心意気を民衆は愛した。
 彼女に続いた「新しい歌」の担い手ビクトル・ハラの歌も繰り返し歌われた。そのビクトル・ハラも、クーデターで銃殺された。しかし、人々は歌うことだけはやめなかった。
  民衆の希望を押しつぶすやつらは倒れるだろう
  汗も流さず民衆のパンを食べたやつらは倒れるだろう
  畑に昇る太陽のように
  民衆は立ち上がるだろう
 そして太陽のように民衆が立ち上がる日がやってきた。
 八八年二月。長期独裁に反対する勢力が「ノーのための大連合」を発足させた。十数の政党が「ノー」の一点で握手した。その中心にエイルウイン氏がいた。
 ともかく心をあわせよう。バラバラの光を結びあわせ、「大きな光」で未来を照らすのだと。
 圧迫の包囲網のなか、アイデアをとらした手守つくりのキャンペーンが、全国を揺るがした。そして十月の国民投票で、歴史的な「ノーの勝利」が実現したのである。
 翌八九年十二月には、十九年ぶりの大統領選挙で、民主勢力の統一候補エイルウイン氏が圧勝。長い長い夜が明けた。
 「自由!」。喜びの人波が細長いチリの全土に躍り出た。旗が揺れた。クラクションが鳴った。宴は、いつ果てるともなく、「第九」の歓喜の歌の合唱がアンデスにこだました。
3  モネダ宮殿(大統領府)を表敬訪問した。「和解の大統領」エイルウィン大統領が、トレードマークのあの笑顔で待っていてくださり、再会を喜びあった。就任から三年のそのときも、支持率八〇パーセントという人気である。
 大統領が見つめておられたのは未来だった。環太平洋時代に顔を向け、日本とチリの文化交流をと熱をこめて語られた。「太平洋の隣人」同士が、もっと近づき、もっと知りあう努力が必要です、と。
 その言葉どおり、翌年(九四年)にはみずから来日され、創価大学でも講演してくださった。
 退任された後もなお行動を続けておられる。「私は言いたくありません。『とれで終わりだ。さて書斎にこもって自伝でも書こう』とは。今日まで信じてきた信念を掲げて、さらに戦い続けたいのです」と。
 発刊予定の私との対談集のタイトルは『太平洋の旭日』である。
 六〇年、チリ大地震の波動は太平洋を渡り、日本にまでも達した。地球の狭さを実感した体験であった。
 今度は、チリから民主の波動を日本は得たい。チリの人々がみずからの手で昇らせた「人権の旭日」を、日本でも昇らせたい。「もう二度とウソは許さない!」との崇高な怒りを学びたい。
 大統領は言われた。「ウソは暴力にいたる控室です。『真実が君臨する』ことが民主社会の基本なのです」と。
 忘れ得ぬ金色のアンデス。あの威容のごとく、日本に「ウソは許さない」との不動の規範がそびえ、君臨する日を私は夢見る。
 (一九九五年一月十五日 「聖教新聞」掲載)

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