Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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南米新時代のリーダー ガビリア コロンビア大統領

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
3  「政治とは不可能を可能にする芸術」
 大統領は、病死された父君にかわって、早くから一家の責任を担われた。
 大統領に就かれたのも、大統領候補であった上院議員が凶弾に倒れ、急逮、その後継者に指名された結果であった。
 私も、若き日から、重い責任を背負ってきた人間である。国家の若き柱としての苦衷を察した。
 あるインタビューに、大統領はこう答えられている。
 「私はひじようにつらいのです。暴力や不正や麻薬といった問題に多くの時間と労力を使うこと。なぜなら、それらに必要な時間も財政も、本来、大統領たる者の最重要課題である弱い人たち、なかんずく子どもたちに回せるはずだからです。
 この国の大統領が、社会における弱い立場の人々に、もっと時間をかけられるよう、いっの日か、暴力の問題を解決したいのです」
 大統領の熱い心情は、聡明な大統領夫人も共有しておられた。
 「子どもたちは、国家の最優先課題です」と言われて、五歳から二十五歳までの貧しい青少年による音楽活動を推進された。
 夫人は「現在、全国から三千人が参加し、十七のオーケストラ、六十三の音楽グループ、二十二の合唱団を擁するまでに発展しています」と紹介してくださった。
 楽器など手にしたこともなく、自分を磨くあらゆるチャンスを奪われた若き人たち。彼らが大統領府で見事に演奏をする光景は、感動的であったという。
 夫人と初めてお会いしたときも(九二年五月)、文化の力を強調しておられたことが印象的であった。
 「文化は人間を開発し、人間を向上させるものです。文化の力によって暴力を阻止できるのです」
 「日本美術の名宝」展は、幸い、好評であった。夫人が同展の名誉総裁として全力を注いでくださった。
 コロンビアの建国以来、初めてという本格的な日本美術展である。
 それまで日本のイメージは、「テクノロジー(技術)とカラテ(空手)の国」といったものであり、世界のどこにあるのか正確に知らない市民も多かったという。
 「桜の国の心」に初めて出あった。その喜びから「蘭の国」の人々は、「ぜひ二回目の日本美術展を」と求められ、九四年には「日本の美と心」展が実現した。
 私はうれしかった。太平洋が結ぶ「隣国」が、やっと心を通わせ始めたのだ。
 心が通わずして、何ができよう。心をわからずして、何がわかろう。
 九四年二月、ガビリア大統領夫妻は、創価大学を訪問してくださった。大統領の講演は若人の胸を打った。
 「私は、政治とは″不可能を可能にする芸術″であると強く確信しております」
 「不可能に思えることに命をかけて戦う理想主義者の存在しない世界とは、いったい、どのような世界でありましょうか」
 大統領は、私の行動についても、「冷戦の終結以前から、そのころ不可能に見えた平和に挑戦してきた」と、共感を示してくださった。
 そして「平和を実現することは可能である」「貧困を根絶することは可能である」と堂々と叫ばれたのである。
 開発途上国に対し、冷戦時代は「戦争を続けるための援助」が不足することは決してなかった。しかし今は、「民主主義を守り、貧困を軽減するための国際援助」は巧妙に避けられている──大統領の指摘は、切実な現実である。
 「人類は、世界に存在する貧しい人たちを忘れてはなりません。忘れることを決して許すことはできません」
 命を的にして、民衆の苦悩と戦う若き指導者。
 貧困も暴力も、全人類の課題である。人ごとではない。同じ今このときに、同じ地球に住む人々が苦しんでいるのである。
 その意味で、大統領ご夫妻は、人類を代表して、コロンビアの地で悪戦苦闘されていると言えよう。感謝し、敬意を払い、ともに戦うべきではないだろうか。世界市民であるならば。
 日本が自国の一時の利害のみを考えて、「精神の最貧困」と軽蔑されることを私は憂う。
 ガピリア大統領は、大統領の任期を終え、OAS(米州機構)の事務総長に就任された。
 南米新時代のリーダーに期待は大きい。
 かつて駐日コロンビア大使であったドゥケ博士が、私に言われた。
 「世界の最大の課題は、指導者の不在です。指導者とは希望を創造する人のことです。『道』もなく『光』もない世界にあって、人々に進むべき『道』と『光』をあたえる人のことです」
 道は行動で開くしかない。光はみずからを燃やすしかない。
 ひとたび友情を結んだ私は生涯、「勇敢なるコロンビア人」として、かの国の繁栄へ尽くすつもりである。
 (一九九四年十一月二十七日 「聖教新聞」掲載)

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