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日蓮大聖人・池田大作

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永遠のペンの戦士 巴金(ぱきん) 中国作家協会主席

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  京都での文化講演会(聖教新聞社主催)では、こう叫ばれた。
 「私が作品を書いたのは生活のためではなく、有名になるためでもありませんでした」「私は敵と戦うために文章を書いたのです」「敵は何か。あらゆる古い伝統観念、社会の進歩と人間性の伸長を妨げる一切の不合理の制度、愛を打ち砕くすべてのもの、これらが私の最大の敵」
 「筆によってわが心に火をつけ、わが体を焼きつくし、灰となったとき、私の愛と憎しみは、この世に消えることなく残されるでしょう」(八〇年四月十一日)
3  お上に従って、立派な文学はできない
 一九〇四年生まれという高齢のうえに、けがや病気が続き、握ったボールペンが数キロもの重さに感じたこともあるという。それでも、一日に二百字、三百字ずつであっても、戦士は書き続けた。
 氏には、吐き出さなければならない「心の火」があった。「魂の血債(借り)」を清算しなければならなかった。
 政治と文学についてうかがったのは、静岡での出会いから数週間後、上海での私の宿舎であった。
 「文学は政治から離れることはできません。しかし、政治は絶対に文学のかわりにはなり得ない。文学は、人の魂を築き上げるものだからです」
 政治に無関心を決めとむ文学もある。しかし、それでは結局、権力の悪を撃つ力をも萎えさせてしまうのではないか。文学が民衆の生活に愛情をもって関わるかぎり、政治を監視せざるを得まい。
 その意味で、氏の文学観は「文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」という中国の伝統に根ざしていよう。ここでは、文学は遊戯ではない。一文、一字のために権力に殺されるかもしれぬ覚悟が要求されているのである。
 「歴史上の立派な文学で、お上の意向に従って書かれたものは、一つもありません。価値ある文学かどうか、決めるのはつねに民衆なのです」
 氏にとって、書くことは「ただ真実を述べる」ことであり、「うそと戦う」ことである。
4  「青年は人類の希望」です──じつは、この言葉は、氏が殉難者ヴァンゼッティから受け取ったものであった。無実の罪で逮捕された、このアメリカの無政府主義者に、巴金青年は留学中のパリから手紙を出した。その返事の一句であった。
 信念ゆえに投獄された勇者が、死刑を前に、異国の青年に渡したパトンであった。
 次の世代だけは、もう、こんな愚かなことはやめてくれ。真実が勝つ時代をつくってくれ──紅涙したたる「希望」だったのだ。
 氏の上海の自宅をうかがったのは一九八四年(昭和五十九年)の六月。お部屋には日本文学全集など日本の書物も多かった。
 「若い作家たちが、どんどん成長し、進歩している。追いつけないほどです。若い作家たちに私は遅れてしまいますよ」。後輩の成長を喜びながら、自身もなお前に進もうとされていた。永遠の青年の声であった。
 お体を心配して早めに辞去したが、どうしてもと見送りに立ってくださる。ステッキをつき、令嬢の李小林りしょうりんさんに支えられて玄関を出、中庭をずっと歩いてくださった。途中、何度も「もう、ことまでで結構ですから」と申し上げたが、とうとう門を越え、石段を降りた道路まで送ってくださった。
 車窓から私が手を振ると、お孫さんも入れたど一家で、いつまでも笑顔で手を振ってくださった光景は、私の宝ものである。
 私も生死を超えてきた。会えば、言わず語らずに通じあうものがあった。
 私は氏のご長寿を願いながら、氏と同じように、今、青年に光を見る。また友が皆、生涯青年であってほしいと祈る。
 永遠の戦士は、あるとき、こうも語っておられた。
 「青年は、自分で、戦って、戦って、戦い抜いて、勝ちとったものを自分のものとすべきです。それこそが青年です!」
 (一九九五年七月二日 「聖教新聞」掲載)

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