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日蓮大聖人・池田大作

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世界的数学者 蘇歩青 復旦大学名誉学長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
4  仙台での出会いから六十年。八十一歳で亡くなった夫人に、博士は一着の服を着せてあげた。それは七年前に、やっと新調した二着のうちの一着であった。夫人は袖も通していなかった。今こそ「使命を果たした」夫人の晴れ姿であった。
 博士の一日は今も、夫人への呼びかけから始まる。遺影の前に立って目を閉じ、夫人と無言の語らいをされるという。思い出だけでなく、今のこと、これからのこと。博士には夫人の声が聞こえるのだろうか。
 戦前の上海で、通信社の支局長をされていた松本重治氏は、「東亜の一大悲劇たる日中戦争が惹き起された最大の原因」は「当時の日本人の多くが、中国人の気持を理解し得なかたことにある」とされ、″遺言″として叫ばれた。
 「日本人は、隣国人の気持をもっとよく理解して欲しい」(『上海時代 ジャーナリストの回想』中央公論社)と。
 蘇博士は、創価大学の名誉博士になられたとき、言われた。
 「人生は人類にどれだけ貢献したかで決まります。無為徒食ではいけない。その意味で、私は創価という名前が好きです。そこには人類のために価値を創造しようという心がこめられているからです」
 ご夫妻の人生こそ、価値創造の一生であられた。運命をも変えられた。日本の侵略で日中が引き裂かれるなか、日本と中国が必ず仲良くできるのだという証明をしてくださった。気持ちがひとつに通いあう人間の絆の強さ、美しさを象徴として示してくださったのである。
 理想夫婦──その芳しき名は、日中の歴史に永遠に薫っていくにちがいない。
 (一九九五年六月十一日 「聖教新聞」掲載)

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