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日蓮大聖人・池田大作

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アジアの国際的知識人 王賡武(おうこうぶ) 香港大学学長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

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2  指導者の「史眼」が未来を方向つける
 王学長も言われていた。
 「偉大な指導者とは、人々に『ビジョン(展望)』を示せる人です。そのためには『歴史』に目を向けなくてはなりません。(中略)だからこそ、本当の歴史学者は、偉大な指導者にも読んでもらえるような『正確な歴史』を書くよう努めているのです」(九二年十二月二十七日付「聖教新聞」)
 正確な歴史──この一言に含蓄があった。
 「史観」とは、結局は「人間観」である。そこに「社会観」「生命観」等も全部、ふくまれる。
 学長は若き日に、トインビー博士の『歴史の研究』に啓発を受けたという。
 「挑戦と応戦」の理論をはじめ、歴史の一部でなく、その全体を展望する英知に感銘したと言われていた。
 私とトインビー博士との対談の内容も、くわしく知っておられた。
 学長は、若き日から、″秀才中の秀才″である。
 マラヤ大学(後にシンガポール大学)で歴史・経済・英文学の学位を取得されたのは十九歳のとき。その後、ロンドン大学で哲学博士となり、母校で教鞭を執られた。
 三十三歳の若さで、マラヤ大学の文学部長に就任されている。その後、長くオーストラリア国立大学で極東史を教え、八六年、アジア最高の伝統校の一つ、香港大学の学長に就任された。文字どおり、アジアを代表する国際的知識人であられる。
 私は聞いてみた。
 「どうすれば学長のように頭が良くなるのでしょうか。何人かのお母さん方から、『頭脳革命』の秘訣を、ぜひ、うかがってほしいと『切実な依頼』があったのですが」
 「こんなむずかしい質問はありません」と学長は破顔されたが、「良き教師」について、こう語ってくださった。
 「教育者は、柔軟でなければなりません。人間は一人一人、千差万別だからです」
 「家庭教育は大切です。子どもを啓発し、つねに希望をあたえるような家庭が望まれます」
 「しかし、すべての家庭がそうでない以上、教師は、教育的に恵まれていない家庭の子どもをこそ大切にすべきです。その子が引け目を感じたり、ハンディ(不利な条件)に苦しまないようにするのが、教師の仕事です」
 温かい慈愛のお心であった。学長は、多くの公職で多忙ななかを、時間を見つけては学生とふれあっておられるという。
 お父さまも教育者であられた。
 「私が父から学んだ重要なこと──それは『教育とは、人間の心を開くものである』ということです。したがって、教育には国境はありません。どこまでもオープンです。教育は、人類のすべての人々に平等に貢献できるのであり、貢献すべきなのです」
 学長の言葉に熱がこもった。
 学長の磨き抜かれた「史眼」には、国境なき世界の「未来図」が、ありありと映っているようだった。
 そして、未来を見つめれば見つめるほど、「百年の計」として、人間教育に力を注がざるをえない。
 学長とは何度も、お会いしたが、中国革命の父・孫文のことも繰り返し話題にのぼった。孫文は、香港大学医学部の前身である香港西医書院の卒業生なのである。
 孫文の自伝によれば、すでに入学のとき、清朝を倒して民国を創建する決意を固めており、在学中も革命の同志を広げることに余念がなかったという。
 孫文もまた、「史眼」で「未来」を見つめていた。
 「世界の時流は、神権から君権へ、君権から民権へと流れて、こんにち、民権に流れつき、これにはどんな方法でもさからえない」(『三民主義』、伊地智善継・山口一郎監修『孫文選集』1所収、社会思想社)
 彼は、このビジョンに向かって突進した。そして「中華民国成立」で結ばれる自伝を、こう名づけることができた。
 『志有れば竟に成る』と。
 私は信ずる。世紀の潮流は「ヒューマニズム(人間主義)の拡大」へと進んでいることを。紆余曲折はあれ、その流れを、だれびとも止めることはできない。止めさせてもならない。
 ゆえに、「ヒューマニズム」を積極的に拡大する人こそ、必ずや、歴史の勝者となろう。
 一時の利害にとらわれて、その大いなる流れを押し戻そうとする人間は、歴史によって厳しく裁かれよう。
 香港──東洋と西洋が出あう町。世界市民の息吹あふれる都市。「人間」のエネルギーが渦巻く活気の都。
 偉大なる使命をもつ香港と香港大学が繁栄を続ける限り、歴史は決して、あと戻りしないにちがいない。
 (一九九四年十一月十三日 「聖教新聞」掲載)

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