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日蓮大聖人・池田大作

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スペイン内戦の嵐を越えて ブリカル バルセロナ大学総長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

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2  教育とは点火、教師の胸に炎はあるか
 カタロニアの人々には命をかけて伝えるべき文化があった。文化を生んだ大地への熱愛があった。
 そのなかから創造の天才たち──ピカソが、ミロが、ダリが、ガウディが育った。狭いナショナリズムでなく、世界に開かれた人間性が開花した。
 「教育とは点火すること」である。教師に真理への燃え上がる炎があれば、学生の探究心にも火がつく。教師に文化と美への情熱があれば、学生の創造力も燃え上がる。
 教師の胸に、報酬も名誉も特権も、一切がなくとも、これだけは教えたいという何かがあるかどうかである。学生の胸に、どうしても、これを知りたい、学びたいという渇仰があるかどうかである。
 火花が散るような人間と人間のつながりのなかからこそ、時代を先どりする創造的人間は生まれる。断片的な知識を頭に詰めこむだけでは、人格なき機械のような専門人を生産するだけであろう。そうした魂なきエリート教育の恐ろしさは今、社会の混乱が雄弁に警告しているのではないだろうか。
 内戦後、カタロニアの人々は自分たちの言葉、カタロニア語さえ公的に使うことを禁じられた。「しゃべるな」ということは、「人間として認めない」ということである。
 長い長い冬であった。
 ピレネーの山越えから四十年後(七七年)。亡命政府の首長、七十八歳のホセ・タラデージヤス氏が帰ってきた。バルセロナの町は歓呼とカタロニアの旗であふれた。氏は承認されたカタロニア臨時政府の大統領に就任した。
 ブリカル総長は、総長職の前、同政府の事務局長であった。総長は自由の春をかみしめた。
 国際義勇軍に加わったイギリスの若き詩人ジョン・コーンフォードは内戦での死の前に書いた。
  おお、手遅れにならぬうちに分かってくれ、
  戦わずして自由が守られたことはないことを。
     (『武器を理解せよ 傷を理解せよ』小野協一訳、未来社)
 日本では、自由を脅かすものは、あるいは特定の独裁者ではなく、既成の状況になし崩しに追随していく指導者層の卑怯さかもしれない。だからこそ、状況に動かされるのではなく、状況をつくり出していく「気骨ある人間」の育成が必要なのである。
 ブリカル総長は、ヨーロッパ大学評議会の副会長。総長は言われた。「評議会で私たちは確認しました。『今日の大学は、未来の国家の縮図である。そこに未来の社会が映し出されている』と──。
 今、日本の大学はどうであろうか。創造力の火は燃えているか。民衆への愛情は燃えているか。
 (一九九五年六月四日 「聖教新聞」掲載)

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