Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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実力主義の砦・英国グラスゴー大学 マンロー博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  スコットランドは雨が多い。その分、雨上がりの虹はすばらしいという。人々は黙って「虹の国」と自称する。博士は、そのハイランド(高地)地方で生まれた。
 博士が愛する国民詩人ロバート・バーンズの望郷の詩はあまりにも有名である。
  わが心 ハイランドにあり わが心 ここにあらず
  わが心 ハイランドにあり 鹿を追いつつ
  勇者の生まれし 誉れの国よ
  われ いずとにさまようとも
  永久に愛す ハイランドの丘を
 山と湖の国で、幼い博士は母方の祖父母と暮らした。北方のシェトランドの島は、明治・大正時代、日本の遠洋航海の基地であった。おばあさんは、島に来る日本人とも親しかったという。
 「夢をもて」「世界に目を向けよ」。そう教えてくれたのは恩師だった。
 博士は当初、実業界入りを考えていた。しかし恩師のシェパーソン博士との出会いが人生を変えた。アフリカ研究──実体験に基づいた講義に魅了された。二十四歳で、独立直後のケニアへ。
 留学先の米ウイスコンシン大学でも、カーティン教授(後の米国歴史学会会長)、ヤン・バンシナ教授に師事した。
 「ここまで研究をやってこられたのは、よき師に巡りあえたからだと思います。どんな世界でも、道を究めるには、師弟の関係しかありません」
3  「実質」を愛する気風
 ──儀式が終わった。パイプオルガンの調べのなかを職杖に先導されて、ゆっくりと退場した。
 一四五一年に創立されたグラスゴー大学は、世界を変えた産業革命の電源である。日本の近代化の恩人でもあった。明治の黎明期、工部大学校(東京大学の前身)をつくったへンリー・ダイアーをはじめ、ここから多くの教師たちが来た。
 ここから「実学」の手ごたえを学び、ここから「実験」の喜びを知った。ここから「エンジニアへの尊敬」の思想がもたらされた。
 職人──ものを作る人を尊敬する社会は健全である。華やかな虚像が、もてはやされる国は危うい。
 位でもない、権威でもない、風評でもない。自分の目で見る。自分の頭で考える。自分の手でつくり、自分の汗を流す。この質実なスコットランドの魂が、「世界の大英帝国」へ扉を開けたのである。
 産業革命の礎となった蒸気機関の発明者ワットも一職人であった。もしもアダム・スミス(古典経済学の父)が彼をグラスゴー大学に雇い庇護しなかったならば──ワットの努力も実力も開花できなかったにちがいない。
 偏見を越え、立場を超えて、よいものはよいと認め、応援しようという開かれた心。これが、グラスゴーの宝であった。マンロー博士の魂でもある。
 たしかに、この心があるならば、どんなにか社会は豊かに活気づくことだろう。どんなに風通しがよくなり、はつらつと沸きたつだろう。今の日本の閉塞感も、根はこのあたりにあるのではないだろうか。
 詩人バーンズが、貴族の少年と道を歩いていた。出会った農民に詩人は丁重に話をした。少年が「あんな人と」と非難した。詩人は反論した。
 「彼は高位の人ではないが、正直な真の人格者だ。君やぼくのような者が十人、束になっても、あの人の値うちにはかなわないんだよ!」
 バーンズは「有徳の民衆」をたたえた。「華美の病毒」を訴えた。そして、愛する民衆よ立ち上がれ、圧政者をしめ出す「火の壁」を打ち立てよ、と叫んだ。
  敵を一人倒すごとに 圧政者は滅ぶのだ!
  我らの一撃ごとに 自由は生まれるのだ!
            (スコットランドの国歌から)
 この熱き血潮が、マンロー博士にも脈打っておられる。
4  儀式の日、北国の風は強く、慣れない旅人には肌寒かった。そのとき、「風邪をひかれませんように。私のガウンを着せましょうか」と笑顔で言われたマンロー博士であった。その心が、何より私を温めてくれた。
 グラスゴーに降り立ったあの日、地元の人が「こんな季節に、こんな晴天はかつてありません」と驚いた。雲一つない空の青をはるかに映して、詩の湖ローモンド湖も、まばゆいばかりに輝いていた。
 陽光あふれる奇跡の風景。虚飾なき心の人々。そして博士との友情。私にとってスコットランドは永遠に「光の国」である。
 (一九九五年三月二十六日 「聖教新聞」掲載)

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