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日蓮大聖人・池田大作

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普通人の政治 カールソン スウェーデン首相

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  首相は地方の小都市ポロースの生まれ。お父さんは倉庫業、お母さんは繊維産業で働かれていた。
 十二歳のとき、お父さんが亡くなった。
 「大きなショックでした。幼いころ受けたその衝撃は、生涯、心から消えないでしょう」
 お母さんの手で育てられ、苦学して、ルンド大学へ。当時は、教育福祉も完成されておらず、大変な苦労であった。その体験が、「だれもが平等にチャンスをもてる社会」への夢に青年を駆り立てたのかもしれない。
 四年分の単位を二年で取得する猛勉強の一方で、政治活動のリーダーとして活躍された。そして「第二の父」であるエルランデル首相に見いだされたのである。
 エルランデル首相は、戦後の多難な時期、二十三年もの間、首相を務め、「福祉国家スウェーデン」を建設した。この「スウェーデンの父」を師父としたのである。
 偉大な師に出えた人は幸福である。
 東京で再会したとき(九一年三月)、カールソン首相は、師の教えの一つとして「政治家は、他の人、また他の政党に対して何かを要求するとき、自分がそれをできないようなことを、決して強いてはいけない」を挙げられた。
 簡明であって含蓄の深い言葉である。人格と責任感がにじみ出ている。これ一つ守っただけで、政界はどれほど健全になることか。
3  ガラス張りの政治
 スウェーデンが、高福祉の「生活大国」となるまでには、無数の試行錯誤があった。
 今世紀の初めまでは貧しい農業国で、三百五十万の人口のうち百万人がアメリカに移住したほどである。それが今、反対に、移民の殺到する国となった。
 「富をかせぐときは資本主義で競争を」「富を分けるときは社会主義で平等に」──旺盛な実験精神で、人類ず弼の「第三の社会」にチャレンジしたスウェーデン。東欧諸国が民主化したあと、めざすモデルとして、多くがスウェーデンを挙げたことは記憶に新しい。「生活大国」は、何度も危機におちいりながら、そのたびに英知をかたむけて改良を重ねてきた。
 たえざる改革を可能にしたのは「ガラス張りの政治」である。高福祉のための高税にしても、市民の納得に支えられなければ不可能である。
 そのために政府は、現状をありのままに市民に説明し、政策案を示して議論してもらう。「ウソ」がない。裏表がない。情報公開も徹底している。
 政治は「特別の人」の特別の仕事ではなく、よりよき社会のために、「普通の市民」が参加する普通の仕事である──とういう認識のもと、教育現場でも、現実政治を監視させ、そのときどきの政策をめぐって議論することも多いという。
 最近では、研究者を集め、「権力が正当に配分されているか否か」「不公正はないか」を、政界、経済界、官界をはじめ社会のあらゆる分野で点検している。(岡沢憲芙『スウェーデンを検証する』早稲田大学出版部を参照)
 「権力が権力自身をチェックする」|との厳しい自律の伝統が、世界島る民主社会をつくったのである。
 カールソン首相の清廉な日常を貫くのも、成熟した自律の精神であろう。権力の魔性に幻惑されない。何ごとも「それがはたして人間の幸福に役に立つのか」を検証する。
 この人間主義が、スウェーデンの平和政策の土台でもある。ナポレオン時代を最後に百八十年間、戦争をしていないお国柄である。
 パルメ首相、カールソン首相の平和行動もめざましい。つねに「小国」の立場から「大国」の横暴を批判してきた。それは「市民」の立場からの「権力」への批判と響きあっている。
 広島・長崎市とSGI(創価学会インタナショナル)が共催した″核の脅威展″(主催=国連広報局)がストックホルムで開かれたさい(八四年九月)、当時、副首相のカールソン氏が出席し、核抑止論を批判された。
 「ヒロシマ・ナガサキを思い起こせば、わかるはずです。われわれの安全は『核兵器に守られている』のではなく、『核兵器に脅かされている』ことが」と。
 ″専門家″の権威にだまされてはならない。なんと言われでも、普通人としての健全な良識を貫く。その勇気が民衆自身を守るのである。
4  「私たち人類は、人類の手で変革できない不確かな運命に支配されるべきではありません。未来は、私たち自身が決定すべきものです」
 この首相の言葉をめぐって語りあったストックホルムのひととき。
 あれから五年──九四年秋、組閣されたカールソン新内閣は、十六人町閣僚のうち十人が女性である。人類の先端に立って、つねに挑戦を続ける「フロンティア国家」に学ぶべきことは、あまりにも多いのではないだろうか。
 (一九九四年十二月二十五日 「聖教新聞」掲載)

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