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日蓮大聖人・池田大作

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世界的物理学者 ログノフ モスクワ大学総長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  「科学は宗教の一部分」
 私が博士に二冊目の対談集『科学と宗教』(九四年刊)を提案したのも、このテーマが、二十一世紀へ、避けてては通れない根本課題であったからだ。
 じつは、旧ソ連当時から、博士の令嬢ログノワさんは信仰をもたれていた。党と国家の中枢におられた博士は、幹部である友人から″忠告″されたそうである。「何とかしろよ。著名な唯物論の指導者の一家の娘が信仰しているなんて、まずいじゃないか」
 博士は言われていた。
 「娘の気持ちが今になって、わかります。共産国家がエベレスト山のように崩れないと思われた時代から、なぜ信仰していたのか。生命という不可思議な心の次元の世界は、唯物主義、科学万能主義では、はかりしれない。微妙な、もっと別の観点から見なければわからないでしょう」
 九三年六月の創価大学での講演では、さらに突っ込んで論じられた。
 「地球は今、環境汚染をはじめ人間生命が脅かされています。ゆえに『人間』を蘇生させる宗教の力が必要です」
 「宗教は人間の精神世界をリードするものであり、その精神世界のなかに創造力があります。科学の発展は、この創造力によっています。したがって、科学は宗教を構成する一部分ともいえるでしょう」
 私との語らいでは「科学と宗教の対話を阻んだのは、宗教の本質を都合のよいようにねじ曲げた聖職者たちでした」「仏教は科学と矛盾しないと思います」「慈悲という言葉も、かつてロシアでは古くさく思われていましたが、今こそ慈悲が社会に必要です」と。
 博士の率直さと勇気を思うとき、私はドストエアスキーの言葉を想起する。「心から真理を追求しようと思い立ったものは誰でも、それだけですでにおそろしく強いのである」(「作家の日記(2)」小沼文彦訳、『ドストエアスキー全集』13所収、筑摩書房)
 私利私欲も、政治的計算も博士には無縁である。
 「ただ真理を極限まで見きわめたい」──少年のころからの情熱を、今も赤々と燃やしておられる。
 昨年夏、一人息子のオレグさんが急逝された血液ガンであった。モスクワ大学の優秀な物理学者で、レーザーの専門家であられた。
 病気と聞いて、私は「できることは、すべてさせていただきたい」と申し出たが、ガンの進行は速く、その直後に亡くなられた。私は心より追善し、長文の弔電を送った。
 博士は、「息子の死にあって、『生と死』の問題を真剣に考えました。これから、息子の分まで精いっぱい生きていくつもりです」と──。
 大河のごとく、一切を雄々しく受け入れ、なおも前進しようとされている。かつて対談で言われた言葉のとおりに。
 「人生は停滞を許さないのです。われわれが欲するかどうかにかかわらず、人生は絶えず新しい課題を提起しますし、まったく予期しない事態の前に立たせます。
 ロシアの詩人アレクサンドル・プロークの言葉は驚くほど正しいと思います。
 『人生は、すべてが戦い。やすらぎは夢に現れるのみ』と」
 二十年前の初訪ソの折、私は「宗教者がなぜ宗教否定の国へ行くのか」と言われて、答えた。
 「そこに人間がいるからです」
 そこで出会った、かけがえのない「人間」──そのお一人が、偉大にして寄なるわが友人ログノフ博士なのである。
 (一九九四年十二月十一日 「聖教新聞」掲載)

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