Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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平和学の父 ノルウェーのガルトゥング博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

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2  恐れられた「市民のモラル・パワー」
 博士は、行動の人でもある。
 信念のため「兵役拒否」をし、半年問、入獄されたこともある。
 訪問国は、「百二十カ国を超えたところで数えるのをやめました」。
 冷戦時代には、社会主義国に行くだけで批判された。私にも経験がある。しかし「対話」しなければ何も変わらない。「対峙」しているだけでは臆病である。博士は勇敢だった。
 博士が六八年、東ドイツで講演したときである。チェコへの軍事介入を批判するや、会場の後ろのドアが開いて、屈強な黒服の男二人が現れ、博士の両手両足をつかんで演壇から引き離した。博士はマイクにしがみついたが、たちまち黒い車に押しこまれて空港へ連行され、国外退去になったという。
 その東ドイツが約二十年後、崩壊した。その理由について語っておられたことが忘れられない。(九〇年十月)
 「あたえられた情報だけを見ていたのでは、わかりません。政治家の発言を、そのまま報道することが多いからです。もっと市民レベルの情報が必要です。
 じつは東ドイツの指導者たちが何を一番、恐れていたか。彼らは西側の指導者たちをではなく、むしろ、女性を中心とする自国内の少数の平和主義者たちを恐れていたのです。
 モラル・パワー(道徳・精神の力)が低下していた彼らにとって、信念のためには、みずからを投げ出す覚悟のある人々が怖かったのです。それは彼らでさえ、こうした平和運動のほうが正しいと、心の中では知っていたからです。
 このように『市民のモラル・パワー』を権力が恐れている国に、もし創価学会のような平和団体があったならば、きっと恐れられ、目をつけられていたことでしょう」
 深まりゆく秋の京都。丹精された日本庭園を、ともに見つめながら、私は博士の洞察力に感銘した。博士は、日本社会の現状を百も承知のうえで、こう言われたのである。
 博士は、平和の探究からガンジーの非暴力闘争の研究に進まれ、ガンジーの「私は仏教徒かもしれない」との一言に導かれて仏教の探究に入られた。
 そして「世界のあらゆる思想のなかで真に『平和』を説き明かしているのは、仏教以外にない」と結論されるにいたった。
 「思想と英知の体系としての仏教は、地球的諸問題を解決するのに必要な知恵と思考のパターンを備えている。仏教は世界の政治文化を変革できる思想であり、本来『変革の宗教』であった。
 しかし、多くの仏教徒は、そのことを自覚して行動していない。創価学会だけが、思想と行動を結びつけた、きわめて刺激的な例外である」
 博士は、私と創価学会に注目された理由をこう語られている。
 博士は初め、多くの日本人から、学会の悪口を聞いたという。しかし博士は、真の学者であった。「私は自分の目で確かめます」
 こうして博士と私は出会い、対話を重ねるごとに、「仏教と平和は表裏一体」という認識を深めあった。
 対談集も発刊した。タイトルは『平和への選択』(本全集第104巻収録)と決めた。
 「平和は受動的にあたえられるものではなく、意志的に『選択』するもの」だからである。
 平和社会、人権社会、健康社会。その目標へ向かって、絶えず賢明な選択を重ねていかねばならない。
 民衆が政治を監視し、あらゆる分野の指導者を動かしながら、社会の体質を健康へ、健康へと変革しなければならない。
 私は博士に申し上げた。
 「結局、平和への王道は、民衆が強く賢明になる以外にありません。私はこの一点にかけています
 博士は、わが意を得たりとばかりに、にっこりと、うなずかれた。
 揺れる豊かな銀髪が、「平和の人」の知性と優しさに、とてもよく似合っていた。
 (一九九四年十月三十日 「聖教新聞」掲載)

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