Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

チェコのビロード革命の中心者 ハベル大統領

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  「人間の顔」をした革命
 獄中生活は四年におよんだ。自由に書くことも読むことも許されなかった。ブリキの錆を落として溶接する仕事、厚い金属板を焼き切る仕事、洗濯場での敷布洗い、酷寒の中の電気工事。
 自国では迫害と中傷が襲ったが、外国からは数々の文学賞を受けていた。この″囚人″にカナダとフランスの大学は名誉博士号を贈った。
 当局も無視できなくなった。外国の批判も怖いが、黙って釈放もしたくない。そこで「恩赦を請願すれば許してやろう」──どうしても氏に頭を下げさせたかったのである。氏は拒否した。
 「誇りを捨てるくらいなら、生きていないほうがいい」
 氏は「希望の力」を信じていた。
 「希望とは、きっとうまくいくだろうという楽観ではありません。結果がどうであろうと、正しいことはあくまで正しいのだという不動の信念こそ、希望なのです」
 一見、どんなに無力に見えようと、一人の人間が全人格をかけて真実を叫び続ければ、ウソを言い続ける何千人の声よりも強いのだ。
 これを信じるのが氏の「希望」であった。
 そして一人の血も流さなかった「静かな革命」──八九年の「ビロード革命」が、氏の正しさを証明した。
 心から心へ。一波から万波へ。まさにソフト・パワーの威力であった。
 私は思い出す。「プラハの春」の四年前(六四年十月)、この美しき「百塔の都」で会った一人の青年を。
 ちょうど東京オリンピック開幕のときであった。肌寒い朝のプラハを歩いた。道行く人々の顔は、表情が少なく、どこか仮面をつけているように見えた。
 街角に、オリンピックのポスターが張られていた。近づくと、一人の長身の青年がやってきた。
 白面のなかの瞳が淋しげであった。私はポケットにあったオリンピック記念のコインを贈呈した。
 「いくらか?」「いや、君へのプレゼントだよ」
 青年は信じられないという表情だった。やがて、私のささやかな友情が通じたとき、青年の顔がみるみる変わった。仮面の下から、少年のような無垢な笑顔が輝き出たのである。私は驚いた。
 人間としての自然な愛情に、こんなにも飢えていたのだろうか──。
 「フラハの春」が「人間の顔」を要求したのは当然であった。押し寄せるソ連兵に人々は言った。
 「あなたのお母さんは、息子のあなたが、武器をもたない人たちを殺したことを知っているの?」
 あのとき、「人間の顔」は否定されたが、希望を捨てぬ人たちがいた。その希望にのみ「人間の顔」があった。その象徴として、ハベル大統領がいた。
3  「右か左かではなく、ウソか真実か」
 大統領は、青年へのアドバイスを求める私に語った。
 「まず『人間と人間が尊敬しあうこと』です。第二に『人類を愛すること』です。第三に、人間同士が、この共通の世界の中で『平和』と『調和』を大切にすることではないでしょうか」
 一語一語、かみしめるような口調であった。とても日本の政治家からは聞けそうにない言葉だと思った。
 この人間主義を愚直に、誠実に実践しようとして、氏は投獄されたのである。
 八九年の東欧革命を、多くの人は、東の社会主義に対する西の資本主義の勝利と受けとめた。
 しかし、その本質は、人々の生き方の革命であった。人権抑圧の社会に、「もう我慢しない」と立ち上がった人々の「魂から恐れをしめ出した」革命であった。
 氏は「社会主義か、資本主義か」と論ずること自体、前世紀の臭いがすると言う。今、問題は正か不正か、真実かウソか、人間か非人間かである、と。全地球的に「意識革命」が必要なのだ、と。
 その意味で、私たちは問いかけるべきではないだろうか。
 繁栄する日本などの資本主義国が、はたして思いやりのある「人間の顔」をしているのかどうかを。
 チェコの人々と比べて、今、いかなる崇高な「希望」を胸に抱いているのか、と。
 (一九九四年九月二十五日 「聖教新聞」掲載)

1
2