Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

チェコのビロード革命の中心者 ハベル大統領

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  一九八九年秋。チェコのプラハ。いたるところで歌声が聞こえた。
 その二十一年前、「人間の顔をした社会主義」を求めた「プラハの春」は、ソ連軍に武力で鎮圧された。以来、活動を禁止され、苦しみながら肉体労働をしてきた芸術家たちが、今、立ち上がった。
 「歌う革命」が始まった。
 一人の歌姫が舞台に上がった。六八年当時、もっとも人気があった歌手。群衆は熱狂した。しかし彼女は胸がいっぱいで、声が出ない。
 ある少女が近づいた花束を渡した「失われた年の数だけ」の花だった。
 「ありがとう」。かすれた声で、やっとそう言うと、彼女は静かに歌い始めた。
 これからは自由に歌うのだ。もう二度と沈黙はしない──。
 その十年前の七九年夏。一人の劇作家がチェコの刑務所の門をくぐった。四十二歳。のちのハベル大統領である。
 逮捕は三回目だった。当局につねに監視され、家宅捜索され、自宅に監禁された。工場で強制労働もさせられた。全作品は公開を禁止された。
 氏はいつも、剃万と歯ブラシと歯磨きチューブを持ち歩いていた。いつ逮捕されてもいいようにである。
 氏が権力に狙われた理由は、ただ一つ。「真実を言いすぎる」からであった。ウソで固めた体制に対して、だれもが恐怖から沈黙していたとき、氏は、口でぺンで「王様は裸だ」と真実を暴き続けた。
 九二年四月、来日したハベル大統領はスピーチされた。その主張は、抑圧の中で叫んだこと同じであった。
 「政治の世界を極めて人間的に、また精神的に変えなければなりません」
 「政治家は自身の政治的運命よりも、世界の運命を、より深く実感するべきではないかと私は思っております」
 「権力を保持し続けるための様々な派閥の利益や圧力のせめぎあいの接点に身をさらすよりも、むしろ詩人たちのように、唯一の、しかも他のなにものにもかえがたい自身の『良心の声』に、もっと耳を貸すべきではないでしょうか」(一九九二年四月二十四日付「朝日新聞」)
 この叫びゆえに氏は投獄され、この叫びゆえに氏は歴史を動かし、市民の圧倒的支持で「素人の大統領」に就任したといえる。
 スピーチの翌日、迎賓館で、お会いした私は言った。
 「スピーチに全面的に賛同します。民衆の幸福を考えず、保身や金銭にとらわれる『プロの政治家』よりも、市民の心を忘れない『アマチュアの政治家』のほうが、どれほどいいか、どれほど清新か──」
 大統領にお会いすることは、アメリカの経済学者ガルプレイス博士のすすめでもあった。
 大統領は、はにかんだような、ナイーブな微笑みを浮かべておられた。そして終始、言葉を選ぶかのように、ていねいに語られた。「本当に、ありがとうございます。このスピーチは、人間に対する愛や思いやり、ヒューマニズムといった、自分の思想を土台にして書き上げたものです。『知識人が地球と世界のために何をなすべきか』について話したつもりです」
 ──今、社会で、人間への「愛」や「思いやり」は無視されているではないか。
 とくに、自分を「玄人」と自負している政治家たちは、そんな言葉を軽蔑し、腹の中で、あざ笑っているではないか。精神の守り手・知識人こそ、そんな権力と戦うべきなのだ。ウソの言論、ウソの政治と戦うべきなのだ。
 ここから氏は「反政治的政治」を説く。
 「それは『下から』の政治である。機械の政治ではなく人間の政治、テーゼ(=綱領)からではなく人間の心から成長してくる政治である」(『反政治のすすめ』飯島周・監訳、恒文社)
2  「人間の顔」をした革命
 獄中生活は四年におよんだ。自由に書くことも読むことも許されなかった。ブリキの錆を落として溶接する仕事、厚い金属板を焼き切る仕事、洗濯場での敷布洗い、酷寒の中の電気工事。
 自国では迫害と中傷が襲ったが、外国からは数々の文学賞を受けていた。この″囚人″にカナダとフランスの大学は名誉博士号を贈った。
 当局も無視できなくなった。外国の批判も怖いが、黙って釈放もしたくない。そこで「恩赦を請願すれば許してやろう」──どうしても氏に頭を下げさせたかったのである。氏は拒否した。
 「誇りを捨てるくらいなら、生きていないほうがいい」
 氏は「希望の力」を信じていた。
 「希望とは、きっとうまくいくだろうという楽観ではありません。結果がどうであろうと、正しいことはあくまで正しいのだという不動の信念こそ、希望なのです」
 一見、どんなに無力に見えようと、一人の人間が全人格をかけて真実を叫び続ければ、ウソを言い続ける何千人の声よりも強いのだ。
 これを信じるのが氏の「希望」であった。
 そして一人の血も流さなかった「静かな革命」──八九年の「ビロード革命」が、氏の正しさを証明した。
 心から心へ。一波から万波へ。まさにソフト・パワーの威力であった。
 私は思い出す。「プラハの春」の四年前(六四年十月)、この美しき「百塔の都」で会った一人の青年を。
 ちょうど東京オリンピック開幕のときであった。肌寒い朝のプラハを歩いた。道行く人々の顔は、表情が少なく、どこか仮面をつけているように見えた。
 街角に、オリンピックのポスターが張られていた。近づくと、一人の長身の青年がやってきた。
 白面のなかの瞳が淋しげであった。私はポケットにあったオリンピック記念のコインを贈呈した。
 「いくらか?」「いや、君へのプレゼントだよ」
 青年は信じられないという表情だった。やがて、私のささやかな友情が通じたとき、青年の顔がみるみる変わった。仮面の下から、少年のような無垢な笑顔が輝き出たのである。私は驚いた。
 人間としての自然な愛情に、こんなにも飢えていたのだろうか──。
 「フラハの春」が「人間の顔」を要求したのは当然であった。押し寄せるソ連兵に人々は言った。
 「あなたのお母さんは、息子のあなたが、武器をもたない人たちを殺したことを知っているの?」
 あのとき、「人間の顔」は否定されたが、希望を捨てぬ人たちがいた。その希望にのみ「人間の顔」があった。その象徴として、ハベル大統領がいた。
3  「右か左かではなく、ウソか真実か」
 大統領は、青年へのアドバイスを求める私に語った。
 「まず『人間と人間が尊敬しあうこと』です。第二に『人類を愛すること』です。第三に、人間同士が、この共通の世界の中で『平和』と『調和』を大切にすることではないでしょうか」
 一語一語、かみしめるような口調であった。とても日本の政治家からは聞けそうにない言葉だと思った。
 この人間主義を愚直に、誠実に実践しようとして、氏は投獄されたのである。
 八九年の東欧革命を、多くの人は、東の社会主義に対する西の資本主義の勝利と受けとめた。
 しかし、その本質は、人々の生き方の革命であった。人権抑圧の社会に、「もう我慢しない」と立ち上がった人々の「魂から恐れをしめ出した」革命であった。
 氏は「社会主義か、資本主義か」と論ずること自体、前世紀の臭いがすると言う。今、問題は正か不正か、真実かウソか、人間か非人間かである、と。全地球的に「意識革命」が必要なのだ、と。
 その意味で、私たちは問いかけるべきではないだろうか。
 繁栄する日本などの資本主義国が、はたして思いやりのある「人間の顔」をしているのかどうかを。
 チェコの人々と比べて、今、いかなる崇高な「希望」を胸に抱いているのか、と。
 (一九九四年九月二十五日 「聖教新聞」掲載)

1
1