Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ドイツの哲人政治家 ヴァイツゼッカー大統領

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  私が初めてベルリンを訪ねたのは、忽然と壁ができて二カ月もたたないころであった(六一年十月)。その日、ベルリンは霧雨にぬれていた。生々しい銃弾の痕。手向けられた痛ましい花束。
 母と子を、兄と妹、恋人同士を引きす、幸福の胸を引き裂いた壁──ヴアイツゼツカー氏はこう呼んだ。「『人間性を拒否する政治』が石と化したものです」
 プランデンプルク門にたたずんで私は思った。ラインの大河をも人間はせきとめられるかも知れない。しかし、幸福になろうという人間の本然の叫びをせきとめることは絶対にできない。民衆を操り人形のように見下す権力の倣慢は、必ず歴史によって厳しく裁かれるにちがいない、と。
 いつしか雨は上がり、町の塔を深紅の夕陽が荘厳に染めた。「こんな美しい夕焼けの日には」──ひとりのベルリン市民が教えてくれた。「私たちはとう言うのです。『天使が空から降りてきた』と」
 天の使いは地上の分断を、どう見ただろうか。夕焼けには西も東もなかった。
3  人間を分断する「内なる壁」
 八九年はフランス革命二百周年でもあった。記念の七月十四日の当日、私は革命の狼煙しを上げた「バスチーユ牢獄襲撃」について、その精神的効果にふれて講演した。当時、牢獄には七人の囚人しかおらず、襲撃は実際的意義よりも、旧体制への民衆の恐怖心を破った意義に注目すべきである。バスチーユという牢固とした権威の壁を破ったとき、人々はじつは、「変革は不可能」と思いこんできた「心の壁」を破ったのだ、と。
 ベルリンの壁が勝れたのは、その四カ月後であった。その陰にも、当時「夢物語」でしかなかった自由をあきらめない無名の英雄がたくさんいた。その一人は、「現実的であれ」という警告に、激高して拳を握りしめて言ったという。「不可能を夢見て、なにが悪い!」
 ナチス体制に続いての共産主義体制。六十年もの抑圧ののちに勝ち取った自由であった。「私はもう恐れない」。人々は「閉ざされた心」の壁を破り、「閉ざされた社会」は崩壊した。それは人間性とか希望、連帯といった言葉を冷笑をもって遇している物質主義の社会への新鮮な警鐘でもあった。
 ヴァイツゼッカー大統領は「われわれ西ドイツ人は自由を贈られて手にいれました。東ドイツの人々は自由をみずから勝ち取ったのです。その生き方を尊敬すべきです。この尊敬の念こそがわれわれを賢明な未来へ導いてくれると信じます」と。この言葉は、そのまま日本に当てはまるであろう。日本人もみずからの手で「自由」を勝ち取った経験がない。
 本当の自由主義者ならば、人間の自由のために戦った人をだれよりも尊敬し、感謝するであろう。その重荷をともに担おうとするであろう。負けたのは東の体制であっても、そこに住む人々ではない。反対に、抑圧に耐え、裏切られた理想に苦しみ、それでもなお自由を求める人間として生き続けた、その人々こそ偉大ではないだろうか。
 そうした東の民衆を尊敬できず、貧富の差だけで軽んじる、その倣慢のほうが、よほど唯物主義的であり、個人の内面を見ない全体主義にも通じるのではないだろうか。そこには、冷戦という分断を支えた「閉ざされた精神」があろう。日本人の心には、人を分断し差別する「内なる壁」が、いまだに建っているのではないか。
 会見では、統一の事業と教育、政治と哲学、市民の進取の力、国連の課題と、テーマは尽きなかったが、大統領の最後の質問はこうであった。
 「われわれ人間は、物質的繁栄だけではなく、人間自身のことに、そして人間の連帯、共存に関心をもたねばなりません。そこで日本ではこの問題について、現状はどうなっているのでしょうか?」
 鋭い声が耳朶に残った。
 (一九九四年五月二十二日 「週刊読売」掲載)

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