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日蓮大聖人・池田大作

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ドイツの哲人政治家 ヴァイツゼッカー大統領

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  「今や、『考えない』政治家ばかりになってしまいました。『イメージ』だけに左右される傾向が次第に強まっています」
 フランス政界の重鎮ボエール氏(当時、上院議長)が、あるとき、こう嘆かれていた。
 「社会の変化が激しすぎて、政治家は本質的な問題を考える余裕がなくなっています。多くの政策案はあっても、もっとも根本的な課題への思索や探究はなおざりになっているのです」。その結果、「『政治家』という言葉は、もともとの高貴な意味を失い、悪しき響きをもつようになってしまいました」と。
 「哲人政治家」というプラトン以来の理想は、いよいよ遠くなっているのだろうか。そうしたなか、世界的な尊敬を集めているのが、統一ドイツの初代大統領ヴアイツゼッカー氏である。ドイツの敗戦四十周年の記念講演(一九八五年五月八日)は、「過去に目を閉ざす者は、結局のところ、現在にも盲目となる」の言葉とともにあまりにも有名になった。
 八二年、氏が西ベルリン市長のときに招待状をいただいたが、訪問できたのは九一年の六月であった。八九年十一月の劇的な「ベルリンの壁開放」後、一年足らずのうちの急速な統一で、ドイツは多くの課題に直面していた。
 ポンの大統領府はライン川の雄大な流れに面する。樹齢を重ねた木立が、建造百三十年の白亜の建物と調和していた。
 銀髪の大統領は、謹厳な教師のような淡々とした、温かい声で語りあってくださった。
 私はたずねた。「多くの人は言います。″西(旧西ドイツ)は優れ、東(旧東ドイツ)劣っている。問題は東にある。東は西に学ばねばならない″と。しかし、むしろ私がお聞きしたいのは、東のほうが西よりも優れている点は何かということです」
 冷戦の終結は、たんに西が勝って東が負けたということなのだろうか。資本主義の勝利をうたい、東欧や旧ソ連を侮蔑的に見る風潮に、私は同調できなかった。また″敗れた″体制の国民は、イコール人間としても敗北者なのか。それらの国々の貧しさばかりが強調されるなかで、経済中心の見方では真実に届かないと私は信じていた。人間を見る基準は人間性以外にないからだ。
 大統領の考えも同じであった。
 「大切なのは、たがいに尊敬しあって、見つめあうことです。相手を見下すことは許されません」「旧東ドイツの人々にも、これまで歩んできた人生があります。あたかも、そうした人生が一切なかったかのように、相手を見下すことは許されません」「旧東ドイツの人々は専制的政治のもとにあったために、連帯する力が強い。そうした連帯は西において必要としているものです。また東ドイツ時代に開かれた文化、精神文化の財産は、決してこの間の西の文化に劣るものではありません」
 かつて「どこに住みたいか」と聞かれ、「分断されないベルリン」と答えた大統領である。今、苦心されているのは、壁の開放後も残る″心の壁″をどう打ち破るかであった。
2  私が初めてベルリンを訪ねたのは、忽然と壁ができて二カ月もたたないころであった(六一年十月)。その日、ベルリンは霧雨にぬれていた。生々しい銃弾の痕。手向けられた痛ましい花束。
 母と子を、兄と妹、恋人同士を引きす、幸福の胸を引き裂いた壁──ヴアイツゼツカー氏はこう呼んだ。「『人間性を拒否する政治』が石と化したものです」
 プランデンプルク門にたたずんで私は思った。ラインの大河をも人間はせきとめられるかも知れない。しかし、幸福になろうという人間の本然の叫びをせきとめることは絶対にできない。民衆を操り人形のように見下す権力の倣慢は、必ず歴史によって厳しく裁かれるにちがいない、と。
 いつしか雨は上がり、町の塔を深紅の夕陽が荘厳に染めた。「こんな美しい夕焼けの日には」──ひとりのベルリン市民が教えてくれた。「私たちはとう言うのです。『天使が空から降りてきた』と」
 天の使いは地上の分断を、どう見ただろうか。夕焼けには西も東もなかった。
3  人間を分断する「内なる壁」
 八九年はフランス革命二百周年でもあった。記念の七月十四日の当日、私は革命の狼煙しを上げた「バスチーユ牢獄襲撃」について、その精神的効果にふれて講演した。当時、牢獄には七人の囚人しかおらず、襲撃は実際的意義よりも、旧体制への民衆の恐怖心を破った意義に注目すべきである。バスチーユという牢固とした権威の壁を破ったとき、人々はじつは、「変革は不可能」と思いこんできた「心の壁」を破ったのだ、と。
 ベルリンの壁が勝れたのは、その四カ月後であった。その陰にも、当時「夢物語」でしかなかった自由をあきらめない無名の英雄がたくさんいた。その一人は、「現実的であれ」という警告に、激高して拳を握りしめて言ったという。「不可能を夢見て、なにが悪い!」
 ナチス体制に続いての共産主義体制。六十年もの抑圧ののちに勝ち取った自由であった。「私はもう恐れない」。人々は「閉ざされた心」の壁を破り、「閉ざされた社会」は崩壊した。それは人間性とか希望、連帯といった言葉を冷笑をもって遇している物質主義の社会への新鮮な警鐘でもあった。
 ヴァイツゼッカー大統領は「われわれ西ドイツ人は自由を贈られて手にいれました。東ドイツの人々は自由をみずから勝ち取ったのです。その生き方を尊敬すべきです。この尊敬の念こそがわれわれを賢明な未来へ導いてくれると信じます」と。この言葉は、そのまま日本に当てはまるであろう。日本人もみずからの手で「自由」を勝ち取った経験がない。
 本当の自由主義者ならば、人間の自由のために戦った人をだれよりも尊敬し、感謝するであろう。その重荷をともに担おうとするであろう。負けたのは東の体制であっても、そこに住む人々ではない。反対に、抑圧に耐え、裏切られた理想に苦しみ、それでもなお自由を求める人間として生き続けた、その人々こそ偉大ではないだろうか。
 そうした東の民衆を尊敬できず、貧富の差だけで軽んじる、その倣慢のほうが、よほど唯物主義的であり、個人の内面を見ない全体主義にも通じるのではないだろうか。そこには、冷戦という分断を支えた「閉ざされた精神」があろう。日本人の心には、人を分断し差別する「内なる壁」が、いまだに建っているのではないか。
 会見では、統一の事業と教育、政治と哲学、市民の進取の力、国連の課題と、テーマは尽きなかったが、大統領の最後の質問はこうであった。
 「われわれ人間は、物質的繁栄だけではなく、人間自身のことに、そして人間の連帯、共存に関心をもたねばなりません。そこで日本ではこの問題について、現状はどうなっているのでしょうか?」
 鋭い声が耳朶に残った。
 (一九九四年五月二十二日 「週刊読売」掲載)

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