Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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二十世紀最大の歴史家 アーノルド・トインビー博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  人類を救うのは「高等宗教のルネサンス」
 応接間の隣の書斎には、マントルピースの上に、小さな顔写真立てが二十枚ほど立てかけられていた。第一次世界大戦で戦死したオックスフォード大学時代の友人たちである。博士にとって消えることのない「人生の痛切な悲しみ」であった。「余生は、さずかりもの」という思いが深くあられたようだ。生き残った者のつとめとして、その後の人生を「悲劇を繰り返さぬために」ささげられた。
 そして探求の果てに、人類を破滅から救うのは、人間自身の変革すなわち「自己中心性の克服」と「愛の実践」であり、そのためには「高等宗教のルネサンス」以外にないと結論されたのである。
 「人間の幸福は『豚の幸福』であってはならない」と。
 そして博士みずから、人類の命運にかかわり続けることによって「人間愛の実践」を行い、「自己中心性の克服」の模範を示された。メッセージを専門家だけでなく、より多くの人に伝えようとも努力された。その結果、広く民衆に支持されたことを、「これは著者と作品が低級な証拠である」とまで中傷されながら──。
3  「今、博士がもっともなさりたいことは何でしょうか」
 「私たちが今、この部屋でしているようなことです。つまり、ことでの私たちの対話が意味するものは、人類全体を一つの大家族として結束させようという努力です」
 補聴器をつけ、心臓に病をかかえながら、毎日、朝から夕方まで、渾身の気迫で長時間の対談を続けられた。何としても遺言を残しておくのだ、との強い強い一念に私は打たれた。対談の出版についても一旦は辞退したのだが、博士の「ぜひ後世に残してもらいたい」との強い意向には逆らえなかった。
 お別れした翌年、病床につかれ、その翌秋、八十六歳で逝かれた。
 今、対談集『二十一世紀への対話』は二十言語を超える出版となっている(=外国語版書名『生への選択』。本全集第3巻収録。二〇〇一年十一月現在、二十四言語で出版)。訪れた国で、思いがけない人から読後感を聞かせていただき、驚くことも多い。
 博士の最晩年の思想が世界の人々に伝わっていくことは、博士の真情を知る一人として、こよなくうれしい。
 「私のモットーは、ラテン語で『ラポレムス』すなわち『さあ、仕事を続けよう』です。西暦二一一年、南国生まれのローマ皇帝セヴェルスは、厳寒のイングランド北部へ遠征中、病に倒れました。しかし死期を悟りながらも彼は、なお仕事を続けようとしました。まさに死なんとするその日も、人々に指針をあたえるという指導者の責任を果たそうとしたのです。その日、彼が自軍にあたえた言葉がこれです」
 死をも超えて前へ、そして前へ──短い有限の人生を″永遠の実在″に結びつけようという、博士の生の鼓動が、そこにあった。
 私は思う。社会の指導者が、少しでもよい、いっときでもよい、自分の死後に真剣に思いをめぐらし、そこから「今、何をなすべきか」を考えたならば、その日から、世界はどんなにかすばらしく変わるであろうか。
 「さあ、仕事を続けよう!」。私の耳には今も、あの日の博士の声が聞こえる。
 (一九九四年五月八日・十五日 「週刊読売」掲載)

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