Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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信念の人 サッチャー英国首相

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

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2  「何とかなる」は私の流儀ではない
 女史との再会は二年後であった。(九一年六月)
 「人生は六十五歳から始まります。私は未来のために働きます」との首相辞任のさいの有名なスピーチから七カ月。その言葉どおり、新オフィスでの女史は意気軒高であった。
 「私の樹は、どうなっていますか?」。開口一番、前回約束した植樹について聞かれた。私どものイギリスの文化拠点タプロー・コートに首相の樹が順調にそだっている。そう伝えると、快活な少女のように、にっこりされた。
 植樹といえば、女史は「政治とは、われわれの子孫のために木を植える作業です」とも言われた。
 現代は、一時の人気とりで動く無責任な指導者が多すぎる。そうではなく、どんな烈風があろうと、今、勝利の苗を植える。そのビジョンと実行力が「歴史」をつくるのである。
 「何とかなるというのは、私の流儀ではありません」と言われたこともある。使命感の人であった。熱い心の人であった。ゆえに人の何倍も充実して生きた。
 「女性は、ものごとを長期的に見ます。自分の子どもたちが成長して入っていく世界に関心を持っているからです」とも。
 この″母の心″を、最初の語らいでは、こう語っておられた。
 「私の母は、とても働き者でした豊かな家ではありませんでしたが、子どもたちのため、人々のために働き、つくしていました。その姿を通して『他の人のために自分の人生をささげる人』の模範を示してくれたのです」
 女史も模範を示された。女性の偉大な能力を証明された。大きく開かれたこの扉を通って、無数の女性が生き生きと続くことを私は願う。
 そのためにも、女史を育て支えた多くの英国紳士の公平さ、心の寛さに、日本の男性は学ぶべきではないだろうか。
 (一九九五年三月五日 「聖教新聞」掲載)

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