Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

人間のための経済 ガルプレイス博士とペッチェイ博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  「経済の達人」は平和を求める
 このときの話題は「平和」であった。経済学者としての令名があまりに高いためか、博士の平和運動家としての活躍は、日本では、なじみが薄いようだ。だが日本は博士の「平和への旅」にとって忘れ得ぬ地なのである。
 「戦争による破壊に人々は苦しんでいました。その惨状を見て私は、二度と戦争を繰り返さないために、少なくとも私の人生の一部をささげようと決めたのです」。戦後、アメリカ軍の戦略爆撃調査団の団長として来日された。その経験を述懐しての言葉である。
 私がハーバード大学で二度目の講演をしたとき、コメンテーター(講評者)を務めてくださったが、そのさいも、仏教の「対話する精神」に「平和」の魂を感じる、と語られていた。仏法者である私への配慮というには、あまりに率直な言葉であった。
 「ハーバードに、この人あり」と敬愛される博士である。講評に感謝を表するため演壇に近づくと、壇上に立った身長二メートル四センチの博士は、まさに見上げるような高さである。ユーモアをこめて、博士と私の身長差をジェスチャーで指し示すと、博士は照れくさそうに、両手で「ノー、ノー」。その飾らない振る舞いに、そうそうたる教授陣で埋まった場内も、爆笑につつまれたことが思い出される。
 反戦・軍縮の行動には、想像以上の苦闘があったにちがいない。あるとき、小説を贈ってくださった。テーマは、″いかなる善意の平和運動も、それが実際的な力を持てば持つほど、政治・経済・言論など「複合した戦争勢力」の妨害と策謀が襲いかかってくる″であった。「世界情勢の『真実』を浮き彫りにすべく、私は、この小説を書きました」。たしかに「真実」であろう。それが、博士をふくめたすべての「平和の闘士」の宿命であるからだ。
3  ともあれ経済ほど、現実の社会の変動と密接に結びついている分野もあるまい。だからこそ真の経済人は、現実社会の未来を真摯に考え、行動せずにいられないのかもしれない。実業人でも、ノーベル、カーネギーはじめ社会貢献の事業に晩年をささげた人物は多い。「人類生存へのシンク・タンク」ローマ・クラブを創設したぺッチェイ博士も、経済界から平和運動の道に入られた方であった。
 戦後、ぺッチェイ博士はフィアット社の役員として、後にはイタリア最大の電機産業オリベッティ社の社長として活躍された。「産業の復興こそ戦争に苦しんだ民衆を救う道と信じだが、やがて博士は、自分が売った自動車が、自分の建てた工場が、一面で深刻な公害をも、もたらしているという現実に苦しむ。還暦を迎えてのち、博士が選んだ「第二の人生」は、「人類生存への道を探求する団体」(ローマ・クラブ)の設立であった。
 実戦の中で鍛えられてきた人だけに、「まず行動」の人であった。あるときなど、ローマから私の滞在先のフイレンツェまで、わざわざど自身で車を運転して訪ねてくださったのには驚いた。
 博士の考えの核心にある「人間性革命(ヒューマニスティック・レボリューシヨン)」と、仏法思想にもとづく「人間革命(ヒューマン・レポリュシヨン)」の概念の共通点を語りあったが、「一個人にとって人間革命には、どれほどの期間がいるか」「集団の場合は、どうか」など、博士の問いは、まさに矢継ぎ早であった。
 お会いするたび、時間は一刻たりとも無駄にできないという、実業人ならではの真剣さ、厳しさが、ひしひしと伝わってきた。
 ガルプレイス博士といい、ペッチェイ博士といい、学究と実業人という違いこそあれ、「経済の達人」は、「平和の行動者」としても第一級の足跡を残されている。世界が今後の日本に求めているのは、そうした人物ではないか──私は、そんな感慨を抱いている。
 (一九九四年三月十三日 「週刊読売」掲載)

1
2