Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカの良心 ノーマン・カズンズ博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  希望は「人生の秘密兵器」
 「くじけてはいけません」。希望を必要とする人を、そのままにしておけないのが、カズンズという方であった。なぜだったのか。
 氏の行動の原点には、少年時代の闘病体験があったと思う。
 十歳で肺結核になり療養所に送られた。一九二〇年代。まだ結核が死病とされたころだ。少年は多くの命が奪われていくのを見た。
 そのうちに、一つの不思議に気づいた。病状は同じ程度でも「自分はきっと治る」という希望をもっている楽観主義者のほうが、実際に治る率が高いという事実を発見したのだ。少年は将来を夢みることに決めた。
 ただ普通に暮らし、仕事をもち、家庭をつくる。そんな自分を想像するのにも「希望の力」を奮い起こさなければできない境遇がある。広島とポーランドの女性たちがそうだった。少年もそうだったのだ。
 「生命の不安にさらされたことのない人は、希望の大切さに気がつかないのです」
 この「希望の力」を極限まで追求することが氏の人生になった。少年は、一つどころか、たくさんの夢をみた。
 「十年単位の人生プランを考えていました。最初の十年間は音楽に、次の十年は科学・医学に、さらに物書き、ジャーナリストに、最後の十年を哲学に、と。
 しかし『サタデー・レヴュー』誌に長くかかわることになり、三十五年のジャーナリスト生活を送ることになってしまった。そのあと医学に移りました。(UCLA〈カリフォルニア大学ロサンゼルス校〉医学部教授)
 まだ二つの分野が残されていますが、だいたい計画どおりに進んでいると思います」
 細分化が進む現代社会にあって、ルネサンスの巨人たちのごとく「全体人間」を志向する人が、ここにいた。博士のスケールの大きさは、一個の人間の可能性を信じきる「希望カの大きさ」に比例していたといえよう。その力を知った人は、もはや自分で自分に枠をはめることは、できなくなるのである。
 一念の力。心身相関の科学的研究へ、博士は大きな波を起こした。つねに最先端の人であった。
 博士によると、人間には神経系や免疫系、循環系などのほかに、二つの重要なシステムがある。治癒系と信念系である。
 「治癒系」は病気と闘うとき、身体の総力を動員する機能をもつ。これと共同して働くのが、精神の「信念系」である。
 信念系における希望、生への意欲、安心感、愛情、使命感、楽観などの肯定的な精神活動が、治癒系を活性化し、「人体という薬局」を活発に働かせる。私の恩師(戸田城聖第二代会長)も「人体は一大製薬工場だ」と話していた。
 博士は言う。「希望こそ私の秘密兵器」と。
 五十歳で膠原病に襲われたときも勝った。六十五歳で心筋梗塞に倒れたときも勝った。医師の「回復は不可能」との宣告を聞いた瞬間、体中に「さあ、やるぞ」という猛烈なエネルギーがわき立ってきて、思わず笑みを浮かべたという。
 「人間の脳が、考えや希望や心構えを化学物質に変える力ほど驚嘆に値するものはありません。すべては信念から始まります」
 私は恩師の「科学が進むほど仏法は証明されていく」との言葉の正しさを確認する思いだった。
 あなたが「もう、だめだ」と思ったら、そのとたん、「もう、だめだ」という脳の命令にしたがって心身全体がその方向に動き始める。逆も同じである。
 その意味で、人生には二つの生き方しかない。「やらなかったから、できなかった」ことを証明するか、それとも「やれば、できる」ことを証明するかである。
 脳には莫大な余力がある。だれもが一個の天才なのだ。
 私の人生のテーマも「一人の人間が、平和のために、どこまでできるのかを証明する」ことにある。
3  博士の訃報が届いたのは、私との対談集『世界市民の対話』(毎日新聞社。本全集第14巻収録)の序文を届けてくださった約十日後であった。
 七十五歳──寿命を延ばしに延ばされた宝の一生であった。
 その一生が、私たちに呼びかける。「あきらめるな」「自分は無力だと思うな」「『それは夢物語だ』と決めつけてはいけない」「あたえられた生命を使いきるのだ」。生命開花の黄金の世紀へ──博士は二十世紀を駆け抜けた二十一世紀人だったのかもしれない。
 (一九九五年七月二十三日 「聖教新聞」掲載)

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