Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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公民権運動の母 ローザ・パークス女史

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
3  じつは、お会いする前、女史の周辺の人々は、日本の政治家の″差別発言等″から日本人に不信感をもっていたと言われていた。当然であろう。
 また女史の名声を利用しようという動きも絶えず、何ごとも慎重であられた。
 そんな心配は、実際にアメリカ創価大学を訪問されてから吹き飛んでしまったようだ。
 〽ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは必ず勝利する)‥‥。
 歌声の中を女史が到着。お会いするや、ぱっと通いあうものがあった。
 私も戦ってきた人間である。言わず語らずに、女史の信念と涙と希望が、わが胸の琴をかき鳴らした。
 女史も「会ってすぐに、これほどまでに親しみを覚え、『友人だ』と実感できる人には会ったことがありません」と心境を告げてくださった。
 「ぜひ日本へ」という申し出も喜んで受けられた。国外は近隣の国へしか行かれていない女史が翌九四年、遠路、来日されたことに驚いた人も多かったようだ。
 八王子の創価大学で、創価女子短大生の合唱に涙を流されていた女史。
 かつてアメリカで見た一人の被爆した若い日本女性を思い出されたのだという。
 「彼女もコーラスが好きでした‥‥」。同じ日本人の乙女らの歌に、彼女を思って涙が止まらなくなった──。どこまでも優しい女史であった。いつも「心」を大切にされる女史であった。
 母は強し。民衆は強し。女史の強さを育てたのも、お母さんであったことを私は思い出す。
 「母は私に自尊心を教えてくれました。『人間は苦しみに甘んじなければならない──そんな法律はないんだよ!』と」
 戦い続けて今、女史は八十歳を超えられた。世界の「人権の母」として、いついつまでも、お達者でと祈らずにおられない。
 (一九九四年九月十八日「聖教新聞」掲載)

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