Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

永遠の行動者 アーマンド・ハマー博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  「人物は会ってみないとわからない」
 創価大学では米ソ首脳会談の秘話として、レーガン大統領に会うようゴルバチョフ書記長を説得した模様を学生に講演してくださった。「どうして彼(レーガン氏)の人物を自分で判断しないのですか。‥‥そうすることによって何か損することでもあるのですか」と。
 首脳会談は、私もかねてから繰り返し訴えてきた。流れをつくるには、ともかくトップ同士が会うことである。下からの積み重ね方式では、らちがあかない。最高責任者同士が同じテーブルにつき、個人的に親しくなるのが先決で、気心を知り、対話の回路が開ければ、いくらでも打開策は見えてこよう。「人物は直接、会わなければわからない」。月並みなようだが、これが私の体験からの結論である。
 長い間、ビジネスという戦場で鍛え上げられた博士の現実主義も、まったく同じ答えを出したようだ。「大事なのは、体面ではない。結果を出すことだ。そのためには、まず会うことだ」
 人が「不可能だ」と言うと、博士はいつも言ったという。「不可能だなんて言わず、どうすれば可能になるかを教えてくれ」「私は不可能なことをやることに慣れているんだ」
 博士の波澗万丈の生涯を見れば、その言葉が誇張でないことがわかる。医学部に入学した途端、父親が殺人罪の嫌疑で入獄。ソ連で事業に成功したものの、スターリン時代に国外追放。たいへんな苦労でリビアに石油事業の基地をつくれば、革命政府ができて撤退。陰謀や妨害は日常茶飯事であった。
 しかも「行動者」には毀誉褒貶がつきものである。米ソ協調に動けばアメリカの一部からは共産主義者と非難され、一方、社会主義を飯の種にする資本家とも批判された。民間人が余計なことをと、″専門家″からも圧迫があったようだ。叩かれ、叩かれ、博士はそれらを全部乗り越えて「結果」を出してこられた。
 創価大学の講演で博士は「今世紀の大半は、戦争というカミソリの刃の先で暮らしてきた」とし、起こりつつある変化を「人間主義への回帰」と表現された。そして、新時代の指導者は「これまで無視されてきた人間的価値」に敏感な男女でなければならないと青年に期待を語られたのである。
 大学のグラウンドから、成田空港の自家用飛行機へ、博士はヘリコプターに乗り込まれた。銀色の機体が初夏の陽光を反射しながら、上空を旋回する。私は大学の最上階から、手を大きく振って見送った。飛び去っていく機体が見えなくなるまで──。それが最後になった。思えば、出会いからちょうど七年後の同じ六月であった。半年後、博士の計報が世界を駆けた。
 講演の結論が私どもへの遺言になってしまった。
 「九十二年の生涯を振り返って、私が、しみじみ思うことがあります。それは『初志を貫き通すならば、一人の人間が状況を変えることができる』ということです」
 どうだ、見よ、私は勝ったぞ!──博士の高らかな勝利宣言のように私には聞こえた。
 (一九九四年五月二十九日「週刊読売」掲載)

1
2