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日蓮大聖人・池田大作

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第29巻  

小説「新・人間革命」あらすじ

前後
1  【常楽】
 1978年(昭和53年)10月10日、山本伸一は、ハーバード大学名誉教授のジョン・K・ガルブレイス博士と会談。読書論や指導者論、また、互いのモットーなどについて、心通う率直な語らいのなかで、友情の絆が結ばれていく。対談を終えた伸一は大阪へ。翌11日、城東区の総会に出席し、熱原法難700年の意義をとどめ、現代における殉教の精神について指導する。
  同月21日、東京・板橋文化会館で行われた本部幹部会で彼は、学会歌の制作に込めた同志への真情を語ったあと、自ら作詞した新婦人部歌「母の曲」、茨城の歌「凱歌の人生」を発表する。その後も、埼玉には「広布の旗」、世田谷には「地涌の旗」、新潟には「雪山の道」、栃木には「誓いの友」と、次々に県・区歌を作詞して贈る。
  一方、宗門では、学会批判を慎むようにとの宗務院の通達は守られず、学会への中傷が続いていた。その背景には、宗門を利用し学会を操ろうとの野心に狂った弁護士・山脇友政の暗躍があった。横暴な宗門僧の言動に苦しめられる同志に、伸一は、間断のない励ましを続けながら、指導部には、生涯、広宣流布への闘魂を燃やし続け、常楽我浄の大勝利の人生を飾ってほしいとの思いを託し、「永遠の青春」を作詞。さらに、山梨には「文化と薫れ」を、大阪・泉州文化会館を初訪問した折には、車中で「泉州の歌」を完成させ、贈った。
2  【力走】
  11月18日、創価学会創立48周年を記念する本部幹部会が、東京・荒川文化会館で開催された。
  席上、伸一は、「七つの鐘」が翌1979年に鳴り終わることを述べ、80年から2000年までは5年単位で、前進の節を刻んでいく未来展望を語る。
  「11・18」を記念して発表した提言では、環境問題や「地方の時代と創価学会の役割」にも言及。「最も光の当たらない人びとのなかに、率先して入り、対話していくことが、私ども幹部に課せられた、当面、最大の課題」と記し、自らその範を示すかのように、これまで、あまり訪問できなかった地域へ行き、同志と会おうと行動を開始する。
  21、22日は神奈川の戸塚文化会館へ。30日には、大阪・交野の創価女子学園で、松下幸之助と4時間近く会談したあと、三重に向かう。翌12月1日、名張市を初訪問し、失明の危機を乗り越えた壮年本部長やその家族、地元の同志を激励。三重での諸行事を終えるや、大阪に戻り、さらに6年半ぶりの高知指導へ。四国の西部南端に位置する土佐清水市の高知研修道場も初訪問し、高知の全同志を激励したいと、力走を続ける。
  年の瀬も押し詰まった12月26日から28日も、栃木・群馬へ。〝今、戦わずして、いつ戦うのだ! 時は今だ! この一瞬こそが、黄金の時だ〟——伸一は、自身に言い聞かせるのであった。
3  【清新】
  1979年(昭和54年)、「人材育成の年」が明けた。「七つの鐘」の総仕上げとなる年の清新の出発にあたり、伸一は、1月9日には宮城県仙台市の東北平和会館で同志を激励。最も寒い季節に行かなければ、寒冷の地で暮らす人々の苦労も気持ちもわからないと、東北指導に赴いたのである。
  11日には、岩手県の水沢へ。翌日には、水沢文化会館の開館を記念する自由勤行会を開催し、「皆が〝地域の柱〟に!」と訴える。
  東日本大震災(2011年3月11日)で、地域の人々のために勇んで献身する学会員のなかには、この水沢文化会館での自由勤行会で伸一との出会いを結んだ人たちが少なくなかった。
  1月13日には、青森へ。青森文化会館では、10年前の約束を忘れず訪ねてきた、下北のかつての中等部員たちを歓迎。〝自分の立てた誓いを果たす。そこに人生の勝利を決する道がある〟と励ます。幹部会や懇談会の合間には、成人式を迎えたメンバーや役員の青年らと記念撮影。さらに小雪の舞うなか、会館周辺をまわり、路上で何人もの学会員を励ます。
  東京に戻った彼は、オックスフォード大学のウィルソン教授(宗教社会学者)と、宗教が担うべき使命などについて語り合う。
  伸一は、戸田城聖が東洋広布を託した九州からインドに出発しようと、九州研修道場を訪問。2月1日に行われた九州記念幹部会では、インド訪問団の壮途を祝して、タゴールが作詞・作曲したインド国歌「ジャナ・ガナ・マナ」(インドの朝)が合唱団によって披露される。
4  【源流】
  2月3日、鹿児島空港を発った伸一は、5年ぶりに香港を訪問。九竜会館を初訪問し、香港広布18周年を祝う記念勤行会に出席するなど、短い滞在時間を惜しむように、励ましに徹した。
  一行は、6日午前0時過ぎ、インド・デリーの空港に到着。深夜にもかかわらず招聘元のインド文化関係評議会(ICCR)の事務局次長やデリー市の市長ら多数が出迎えてくれた。その日の午後には、デリー大学で行われた図書贈呈式に出席。翌7日以降、デサイ首相やバジパイ外相等、要人との会見が続く。過密なスケジュールの合間を縫ってインドの同志との懇談会が行われた。全インドから集った約40人のメンバーに、伸一は、「ガンジス川の流れも、一滴の水から始まる。同じように皆さんは、インド広布の大河をつくる、源流の一滴、一滴となる方々です」と指導。〝ガンジスの一滴に〟——それは、インドの同志の合言葉となった。
  9日に図書贈呈式を行ったジャワハルラル・ネルー大学では、後にインド大統領となるナラヤナン副総長と友誼を結ぶ。2月11日、恩師・戸田先生の生誕の日にニューデリーからパトナに移動した伸一は、夕刻、ガンジス川のほとりに立ち、東洋広布を念願した恩師を偲ぶ。カルカッタ(後のコルカタ)では、タゴールの精神を継承するラビンドラ・バラティ大学に図書を贈呈し、創価大学との交流の道を開く。帰国後も伸一は、インド広布の悠久なる大河の流れを開こうと祈り、励ましを重ねていく。
  21世紀に入ると、仏教発祥の国に躍動する地涌の菩薩は15万人を超える。その世界広布新時代の〝源流〟が、躍動のしぶきをあげて走り始めたのである。

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