Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第19巻  

小説「新・人間革命」あらすじ

前後
2  【凱歌】
  3月、伸一はアメリカ・ブラジル・ペルー歴訪へ旅立った。
  だが、ブラジルの入国ビザが下りず、渡伯を中止して中米パナマを初訪問する。ここにも多くのメンバーがいたのだ。政府高官や大学総長らとの語らいに続き、ラカス大統領を表敬。伸一にとって、国家元首との最初の会見となった。
  続くペルーは8年ぶりの訪問。前回は警察等の厳しい目が学会に注がれていたが、今や同志は社会に信頼を広げ、状況は大きく変わっていた。伸一は、ペルー会館の開所式や、炎天下での記念撮影会に相次ぎ出席。メンバーの功労をたたえるとともに、全力で激励にあたった。
  その彼に、首都リマ市は「特別名誉市民」称号を授与。文化祭にも市長ら多数の来賓が出席し、社会貢献の同志の凱歌が轟いた。
  伸一は過労で体調を崩すが、病を押して南米最古のサンマルコス大学を訪問。教育の未来を語り合った総長と伸一は、深い友情を結んでいく。
3  【陽光】
  ペルーを発った伸一は、メキシコ経由でアメリカへ戻った。
  4月1日、彼はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)を訪れ、「21世紀への提言」と題して記念講演を行う。仏法の生命観を通し、「21世紀を生命の世紀に」と訴えて大好評を博した。これは、伸一が海外の大学等で行った最初の講演となった。
  海外初となる恩師の17回忌法要が終わると、舞台はサンディエゴ市へ。伸一への市や郡からの顕彰に続き、市中パレードや全米総会など盛大なコンベンション(大会)が行われ、友の歓喜が弾けた。
  訪問中、伸一は自ら陽光となって、出会った人、陰の人を励まし続けた。帰国の途次には、病床から復帰した草創の友のために、予定を変更してハワイに立ち寄る。
4  【宝塔】
  4月半ばに帰国した伸一は、長野や北陸など各地へ走った。
  そのころ、青年部の反戦出版委員会のメンバーが、戦争体験の証言集の編集作業に没頭していた。これは、伸一が、恩師の「原水爆禁止宣言」の精神の継承を青年部に託したことに応え、取り組んできたものだった。
  出版の先陣を切ったのは沖縄青年部であった。凄惨な体験ゆえに沈黙する人々にも、誠意を尽くして取材を重ねた。そしてこの年の6月、「戦争を知らない世代へ」の第1弾として、『打ち砕かれしうるま島』が発刊された。
  続いて広島・長崎の青年部も、原爆の惨劇を世界に叫ぶ証言集を出版。やがて1985年(昭和60年)には、47都道府県を網羅した反戦出版全80巻が完結する。戦争の悲惨を伝え、平和と生命の尊厳を訴える出版は、各界に大きな共感を広げた。
  1974(昭和49)年5月、伸一は視覚障がい者のグループ「自在会」の集いへ。幾多の労苦を越えてきた友を、全精魂を注いで激励。“皆が尊厳無比なる宝塔として自身を輝かせよ”と心から祈るのであった。

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