Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第13巻  

小説「新・人間革命」あらすじ

前後
2  【北斗】
  1968年(昭和43年)9月、伸一は、北海道の旭川へ、そして日本最北端の地・稚内へ飛んだ。
  この稚内で、伸一は、「自信をもて」と呼びかけ、「稚内が日本最初の広宣流布を成し遂げてもらいたい」等と、最大の期待を寄せた。それは、厳しい条件で戦う学会員が、偉大な広布の勝利の実証を示せば、全同志の希望になるからであった。
  彼は、北海道よ、北斗七星のごとく、広布の永遠なる希望の指標たれと祈ったのである。
 この9月の本部幹部会で、学会の縮図である座談会の充実を呼びかけた伸一は、自ら先頭に立って、最前線の座談会に飛び込む。その波動は全国に広がり、運営にあたる幹部をはじめ、皆の決意と意識が一新。民衆の蘇生の広場である「座談会革命」が進んでいった。
3  【光城】
  1968年(昭和43年)11月、伸一は2度目となる、奄美の訪問を実現。
  奄美では、この数年前から、広布の進展を妨害する魔の働きが激しくなっていった。ことに、ある村では、躍進する公明党への危機感から、その支援団体である学会への敵視が強まり、村をあげての学会員への村八分が行われるに至った。迫害はエスカレートし、御本尊の没収や仕事上の圧迫、学会撲滅を訴えるデモにまで発展した。
  この試練を、奄美の同志は歯を食いしばって耐えた。いな、御書通りの苦難であり、“変毒為薬を”との伸一の指導を受けて、決然と戦っていったのである。
  伸一は、5年ぶりの奄美で、その尊き同志たちを抱きかかえるように励まし、奄美を日本の広宣流布の理想郷にと呼びかけるのであった。
  今、奄美は、広布の先駆を切る希望の「光城」として、地域広布の勝利の旗がひるがえっている。
4  【楽土】
  1969年(同44年)の新年、伸一は、全同志に詩「建設の譜」を贈った。
  1972年(同47年)の正本堂建設に符節を合わせ、自身の胸中に不滅の信心を築き上げるとともに、万代にわたる広宣流布の堅固な基盤を完成させることを訴えた。
  2月15日、伸一は、沖縄の天地に立った。米軍基地に苦しむ沖縄に楽土を建設するために、各人が自らの宿命転換を図り、国土の宿命転換をも成し遂げようと訴える伸一。
  その彼の指導のごとく、駐留米軍のアメリカ人の学会員の面倒をみるメンバーや、わが子を不慮の事故で亡くしたメンバーの、宿命転換のドラマがつづられていく。
  そして、伸一と名護・国頭の同志との劇的な出会いなどの魂の交流が、沖縄に楽土建設への不屈の闘志を燃え上がらせていった。

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