Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第37回国際アジア・北アフリカ研究会議… 平和の世紀と法華経

2004.8.18 提言・講演・論文 (池田大作全集第150巻)

前後
5  現代における菩薩道の展開
 『法華経』では、人類社会に「平和の文化」を創出しゆく人々の行動を、多彩な菩薩群として記述している。その中で、特に非暴力の「対話」によって平和社会の創出を目指したモデルとして思い浮かぶのは、常不軽菩薩品に描かれている常不軽菩薩である。
 彼は、増上慢の比丘が勢力を振るい、社会状況が混迷を極める時代に、自分が出会うすべての人に対して、「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」(法華経557㌻)と唱えて礼拝した、という。これに対し人々は、その行動を罵り、中には石を投げ、杖で叩く者もいた。しかし、彼は非暴力に徹して、礼拝行を続けたのである。
 日蓮は「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と述べ、不軽菩薩の実践こそ法華経の修行の核心であるとしている。
 これは不軽菩薩の実践が、人間として最も尊い行為であることを示している。すべての人間の尊厳性に最大の信頼と尊敬を寄せ、自他ともに人間としての最高の生き方を目指しゆくことが、釈尊が出現した目的であったというのである。
 不軽菩薩が示す、このような非暴力の「対話」の実践こそ、憎悪と暴力による”報復の連鎖”を断ち切り、「戦争の世紀」から「平和の世紀」へと転換する、菩薩道の一つのあり方であろう。
 不軽菩薩は、釈尊の過去世の修行として説かれたものであるが、一方、地涌の菩薩は未来に『法華経』の精神を広めゆく菩薩群として登場する。『法華経』では地涌の菩薩は、大宇宙の本源なる「久遠の大生命」そのものから出現した無数の菩薩群として描かれている。地涌の菩薩は、「生命尊厳」の哲理を抱いて「末法」という五濁悪世に出現するというのである。
 また『法華経』には、文殊菩薩(智慧)、普賢菩薩(学問)、弥勒菩薩(慈悲)、薬王菩薩(医学)、妙音菩薩(芸術)、観世音菩薩(衆生の声を聞く)達が、それぞれの特質を発揮して、民衆を救済することが説かれている。これらの菩薩群の登場は、現代人にいかなる行動を呼びかけているのであろうか。
 『法華経』に説かれる菩薩道は、「生命尊厳」の思想を中核に、非暴力・慈悲の「対話Lを武器として、それぞれの特質、特徴を生かしつつ「平和の文化」の創出に向かう民衆群を指し示しているといってよい。
 SGI(創価学会インタナショナル)は、このような『法華経』の精神にのっとった民衆運動を志している。
 創価学会の戸田城聖第二代会長は、『法華経』に説かれる「生命尊厳」の根本思想に基づき、非暴力・慈悲の精神を表すために、世界が冷戦の真っただ中にあった一九五七年に、「原水爆禁止宣言」を行った。すべての核兵器の破棄を、全世界と後継の青年に呼びかけたのである。
 私もまた、二〇〇一年九月十一日の同時多発テロに関して、『法華経』の「生命尊厳」の立場から、無差別テロへの反対を表明した。その上で、すべての人々の「善性」を開発するための「文明間の対話」「宗教間の対話」を呼びかけた。
 「対話」には、不信や憎悪で分断された心の壁を打ち破る力がある。恒久平和の社会を築くためには、国際的なテロ防止の制度づくりや、国連を中心とした経済格差の縮小への取り組み、国際法の整備も不可欠であるが、それらの努力を効力あるものとする基礎は、「対話」による「人間精神」の変革であると、私は思う。
 たとえ時間がかかったとしても、万人に具わる「善性」を信じ、そこに呼びかけ、働きかけていく「対話」という地道な精神的営為を、あらゆるレベルで重層的に進めていくことが肝要である。
 SGIは、恒久平和を築きゆくために「生命尊厳」の思想を根本に、国連のNGO(非政府組織)としての活動を展開している。
 文化の次元では、芸術、文化の交流を進め、異文化の相互理解に努めている。また、芸術の分野での「文明間の対話」「宗教間の対話」を推し進め、それぞれの文明、宗教の独自性を理解しあうとともに、相互に尊重しながら、「平和の文化」の創出に向けての努力を続けている。
 恒久平和の建設、平和の文化を創出しゆく主体は、民衆であり、世界市民である。人類意識に目覚め、非暴力・対話に徹し、それぞれの特質を発揮しながら、人間の「善性」を触発し、自他ともの幸福を目指す『法華経』に示される多彩な菩薩群は、まさに今日における世界市民をさしているのではないだろうか。
 創価学会の牧口常三郎初代会長は、百年前の一九〇三年に著した『人生地理学』(『牧口常三郎全集』l・2所収)の中で、「世界市民意識」の涵養と”自他ともの幸福”を目指す「人道的競争」の時代を開くことを訴えた。弱肉強食の対立的競争から、共存共栄の協調的競争への転換を促し、「自他ともの幸福」を実現する地球社会、地球文明の建設を呼びかけたのである。
 私は、このような牧口会長の思想を受け継ぎ、世界市民輩出のために、日本とアメリカに大学を建設し、また世界の各地に学園を創立し、世界市民教育に全力を尽くしている。世界市民には、「人類意識」の養成のためにも平和教育、環境教育、人権教育が必要であり、また語学教育も不可欠である。
 『法華経』において活躍する地涌の菩薩や不軽菩薩、その他の菩薩達の働きが、現代の世界市民として陸続と現実の社会に躍り出でいくときに、「平和の世紀」がその雄姿を現すことを、私は確信してやまない。
 その「世界市民」の平和建設の活躍を期待して、本稿を閉じたい。
 (モスクワで発表、「東洋学術研究」掲載)

1
5