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日蓮大聖人・池田大作

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日中国交正常化提言 日中友好の未来を託す〈第11回学生部総会〉

1968.9.8 提言・講演・論文 (池田大作全集第150巻)

前後
2  中国政府を正式に認めること
 それでは、そのために必要なことは何か。その一つは、中国政府の存在を正式に認めること。第二は、国連における正当な席を用意し、国際的な討議の場に登場してもらうこと。第三には、広く経済的、文化的な交流を推進することである。
 現在、かたくななまでに閉ざされた中国に対して、それを開かせる最も有力な鍵を握っているのは、歴史的な伝統、地理的な位置、民族的な親近性からいっても、我が日本をおいては絶対にないのである。ところが、現在の日本は中国が最も嫌っているアメリカの核のカサに入り、中国政府を承認もしなければ、国交を回復しようともしない。あまつさえ、わずかの貿易ルートすら、年々減少している状態である。
 かつて、恩師戸田前会長の詠まれた歌に「アジアの民にひかりをぞ送らん」との一句がある。私どもの提唱する日本の進路は、あくまでも中道主義であり、右でもなければ左でもない。日本がアジアの一国である以上、アジアの民衆の幸福を最も重視し、最も優先させることは当然の道理であり、また義務であると思う。
 日中両国の間には、いまだに、あの戦争の傷跡は消えていない。しかし、戦後すでに二十三年、今日ここに集まった諸君たちのほとんどは、あの戦争には直接関係のない世代である。中国の青少年も、やはり戦争とは無関係であろう。そういう両国の前途を担う未来の諸君たちにまで、かつての戦争の傷を重荷として残すようなことがあっては、断じてならない。
 やがて諸君たちが、社会の中核となったときには、日本の青年も、中国の青年も、ともに手を取り合い、明るい世界の建設に、笑みを交わしながら働いていけるようでなくてはならない。この日本、中国を軸として、アジアのあらゆる民衆が互いに助け合い、守り合っていくようになったときこそ、今日アジアを覆う戦争の残虐と貧困の暗雲が吹き払われ、希望と幸せの陽光が、燦々と降り注ぐ時代である、と私はいいたいのである。
 私は、決して共産主義の礼賛者ではない。また、善良な日本の多くの人々が、中国の出方を心配し、警戒している心理も、よく感じ、知っているつもりである。ただ国際社会の動向のうえから、アジアはもとより、世界の平和のためには、いかなる国とも仲良くしていかなくてはならない、ということを訴えたいのである。
 核時代の今日、人類を破滅から救うか否かは、この国境を越えた友情を確立できるか否かにかかっているといっても過言ではない。ここで中国問題をあえて論ずるのも、この一点に私の発想があったためであることを、知っていただきたいのである。
 見方が甘い、研究が足りないといわれるかもしれない。しかし、この中国問題の解決なくして、真に戦後は終わったとはいえない。
3  早急に日中首脳会談を
 まず第一に、日中国交の正常化について話しておきたい。これについては、一九五二年(昭和二十七年)に台湾の国民政府との間に日華条約が結ぼれており、我が日本政府は、これによって、すでに日中講和問題は解決されている、という立場をとっている。だが、これは大陸・中国の七億一千万民衆をまるで存在しないかのごとく無視した観念論にすぎない。
 およそ国交の正常化とは、相互の国民同士が互いに理解しあい交流しあって相互の利益を増進し、ひいては世界平和の推進に貢献することができて、初めて意義をもつものである。したがって、日中国交についても、その対象の実体は、中国七億一千万の民衆にあるわけである。それを無視して、単なる条約上の”大義名分”にこだわり、いかに筋を通したと称しても、それはナンセンスであるといわざるをえない。
 現に、周思来をはじめ、中国の首脳は、一貫して中国と日本との戦争関係は、まだ終結をみていないとの見解をとっている。このままの状態では、いくら日本が戦争は終結したといっても、円満な国交関係が実現するわけがない。
 したがって、何としてでも、日本政府は北京の政府と話し合うべきであると思うのである。
 しかも、その国交正常化のためには、それに付随して解決されなければならない問題がたくさんある。第二次大戦中、日本が中国に与えた損害に対する賠償問題、また、主として満州における在外資産の請求権の問題等々である。これらは、いずれも複雑で困難な問題であり、日中両国の相互理解と深い信頼、また、何よりも、平和への共通の願望なくしては解決できない問題である。
 こうした日中間の解決については、これまでの小手先の外交や、細かい問題を解決して最後に国交回復にもっていくという、いわゆる帰納法的な行き方では、いくら努力しても失敗するであろう。私は、むしろ、まず初めから両国の首相、最高責任者が話し合って、基本的な平和への共通の意思を確認し、大局観、基本線から固めていく。そしてそれから細かい問題に及んでいく。この演繹的な方法でいくことが、問題解決の直道であると、主張しておきたいのである。
 日中両国の首脳が粘り強く何回も何回も前向きの交渉を繰り返していくならば、いかに困難のようであっても、必ずや解決の光明が見いだせることは間違いない。
4  歴史的・文化的にも深いつながり
 日本は古代の国家統一のころ以来、否、厳密にいえば、それよりはるか以前から、一貫して中国文明の影響をうけつつ、生々発展を続けてきた。我が国の仏教も中国から伝えられたものであり、私どもが勤行のときに読む経文も漢文で書かれている。政治哲学や道徳などは、中国の儒教をそのまま取り入れている。今ではすっかり日本化してしまったさまざまな風俗習慣も、もとをただせば、中国に起源をもっているものが多い。
 民族性の点からいっても、奈良朝時代、かなりの中国人が帰化してきたといわれている。有名な伝教大師もそうした帰化人の子孫だと伝えられている。たとえば、当時の日本の中心地であった京都の太秦うずまさは、当時の中国帰化人氏族の居住地であった。そうした面影を偲ばせる地名は、各地にたくさん残っている。このような歴史的な関係、民族性や風俗の相似からいっても、日中友好は自然の流れである。
 したがって、今のように、日本が中国に背を向け、東洋民衆の苦悩に対して、手をこまぬいていることこそ、何にもまして不自然であり、不合理であるといわざるをえない。
 あるフランスの評論家は「アメリカの極東政策を修正させる鍵をもっているのは日本である。その日本が国際情勢を緩和するという役割を果たすためには、中国との関係をすみやかに正常化し、独自の政策をもつべきである」という意味のことを述べていた。この意見には私も全面的に賛成である。
 日中国交の正常化は、単に日本のためのみならず、世界の客観情勢が要請する日本の使命である、と私はいいたい。
5  中国の国連参加へ強い努力を
 次に中国の国連参加問題について意見を述べたい。これは、一般には代表権問題といわれるように、国連における中国の名札のある席に、北京の政府と台湾の政府とどちらの代表がすわるかという問題である。常識的には、大陸の中華人民共和国と中華民国と、新たに席を設けて、両方が並んですわれば、それでよしとする意見もあるが、それではどちらも承知しない。いずれも「自分が全中国の代表である」というのである。
 ともあれ、大勢としては、世界の世論は、北京政府支持の方向へ次第にかたむいていくであろう。現に先進諸国による国家承認も少しずつ増えており、国際通の人々は「おそらく、四、五年で国連における中国代表権は、北京に帰するだろう」と予想している。
 日本も独立国である以上、独自の信念をもち、自主的な外交政策を進めていくのは当然の権利である。まして、過去二千年の中国との深い関係に思いをいたし、現在の国際社会における日本の位置を自覚し、さらに未来のアジアと世界平和の理想を考えるならば、いつまでも、このままの姿であってよいわけがない。
 時代は刻々と動いている。未来に焦点を合わせて活躍していくのは、青年の特権である。また、青年たちをそうさせていくのが、為政者、そして、指導者の責任ではないだろうか。
 一九六八年(昭和四十三年)秋、また第二十三回の国連総会が開かれるが、日本はこれまでのように、アメリカの重要事項指定方式に加担するのでなく、北京の国連での代表権を積極的に推進すべきである。
 およそ、地球全人口の四分の一を占める中国が、実質的に国連から排斥されているこの現状は、誰人が考えても国連の重要な欠陥といわねばならない。これを解決することこそ真実の国連中心主義であり、世界平和への偉大な寄与であると思う。
6  日中貿易拡大への構想
 次に日中貿易の問題について構想を述べてみたい。
 貿易全体として、中国が社会主義国全体と取り引きした額と、資本主義国と取り引きした額との比率を出してみると、かつて一九五〇年代は、ソ連一辺倒で、約七割が、いわゆる共産圏内で占められていたのが、十年後の六〇年代に入ってからは、逆に資本主義国との取り引きが約七割になっている現状である。
 フランスのロベール・ギラン記者は、やはり、対中国貿易で最も有利な立場にあるのは日本であろう、と述べている。日本自体としても、その地理的条件からいって、遠い将来の発展のため、豊か在資源をもつとともに巨大なマーケットでもある中国と、密接な関係を結ぶことが相互にとって最も有利であり、必要であるといいたい。しかも、それは単なる経済的利益のみならず、アジアの繁栄、ひいては世界平和への偉大な貢献に直結するものであることを、私は強調しておきたいのである。
7  アジアの繁栄と世界平和のために
 また、すでに述べたように、世界の平和にとって最も不安定で、深刻な危機をはらんでいるのが、悲しくもアジア地域である。そのアジアの不安定の根本的な原因は、アジアの貧困であり、自由圏のアジアと共産圏のアジアとの隔絶と、不信と、対立にあるということも明瞭な事実である。このアジアの貧困を根底から癒すためには、日本が、アジアの半分に背を向けてきたこれまでの姿勢を改め、積極的にアジアの繁栄のために尽くしていくことが、どうしても必要である。また、日本が率先して中国との友好関係を樹立することは、アジアのなかにある東西の対立を緩和し、やがては、見事に解消するに至ることも、必ずやできる、と私は訴えたいのである。
 たしかに、現状はさまざまの不安定な要素をはらんでいる。目前の利益、日本一国の高度成長のみを考えるならば、現在の外交路線が安全であるように見えるかもしれない。だが、このままでは、ますます戦争の危機を深め、やがて日本の繁栄も夢となってしまうことも十分考えられる。それを、私は心より心配するのである。
 現在、日本は、自由圏で第二位の国民総生産に達し、かつてない繁栄を誇っている。しかしこれは、低所得の国民大衆と、アジア民衆の貧困のうえに立った砂上の楼閣にすぎない。あるフランスの経済学者は、日本の繁栄を「魂のない繁栄」と呼び、ある社会学者にいたっては「豊かだが、去勢された国民である」とさえ評しているのである。国家、民族は、国際社会のなかで、かつてのように利益のみを追求する集団であってはならない。広く国際的視野に立って、平和のため、繁栄のため、文化の発展・進歩のために、進んで貢献していってこそ、新しい世紀の価値ある民族といえるのである。
 私は、今こそ日本は、この世界的な視野に立って、アジアの繁栄と世界の平和のため、その最も重要な要として、中国との国交正常化、国連参加、貿易促進に、全力を傾注していくべきであることを、重ねて訴えるものである。
 なお、私のとの中国観に対しては、もちろん種々の議論があるだろう。あとは一切、賢明な諸君の判断に任せる。ただ、私の信念として、今後の世界を考えるにあたって、どうしても日本が、そして諸君ら青年たちが経なければならない問題として、あえて申し述べたわけであり、これを一つの参考としていただければ、望外な喜びなのである。
 また、このように日中の友好を提唱すると、往々にして”左寄り”であるかのように曲解される。しかし、これこそ、全く浅薄な見方であるといわざるをえない。なぜならば、我々が仏法という立場にあって、人間性を根幹に、世界民族主義の次元に立って、世界平和と日本の安泰を願っていくことは当然である。そして、その本質を捉えていくならば、右でもなければ、左でもないことは、明瞭に理解できると思う。現象面だけを見て、右とか左とか、性急な論断をすることは大きい誤りである。所詮、右、左といっても、その思考の基点は何かということが大事である。それを無視して論議しても無意味である。この基点こそ色心不二の大哲理であり、それをしっかりと踏まえた行き方が、中道主義ではないだろうか。
 (東京・両国の日大講堂、要旨)

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