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日蓮大聖人・池田大作

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第32回「SGIの日」記念提言 「生命の変革 地球平和への道標」

2007.1.26 提言・講演・論文 (池田大作全集第150巻)

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1  核廃絶へ決然たる行動を!!
 第32回の「SGIの日」を迎え、我々が直面している人類史的諸課題のいくつかについて、所感の一端を述べてみたいと思います。
 さて今年は、恩師の戸田城聖創価学会第2代会長が、核兵器を“絶対悪”と位置付けた歴史的な「原水爆禁止宣言」を世に問うてから、ちょうど50年の節目を迎えます。
 思えば半世紀前の9月初旬、残暑の気配も濃厚な横浜・三ツ沢の陸上競技場において、澄み渡った青空の下、各地から集った5万の青年たちを前に、恩師は「遺訓すべき第一のもの」として、この宣言を後世に託したのであります。
 衰弱しつつあった身にもかかわらず、巨人“アトラス”のように、満腔の気迫をこめた力強い声の響きは、昨日のことのように耳朶に焼き付いております。
 それは、時とともに、今後はいっそうのこと輝きを増していくにちがいない。まさにモニュメンタル(記念碑的)な宣言といってよく、ここにその主要部分を引用しておきたいと思います。
 「――核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。
 なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
 もとより恩師は、常々「死刑は絶対によくない」と述べておりました。その死刑廃止論者の恩師が、なぜ「死刑」と糾弾したのか――それは、生命の尊厳という最極の価値を根こそぎにし、生存の権利を脅かす輩への、仏法者としての心底からの怒りの表出でありました。
 「魔もの」「サタン」「怪物」の奥にひそむ魔性の「爪」をもぎとらんとの断固たる決意、闘争宣言が「死刑」という激しい言葉となってほとばしり出ているのであります。
 強大な破壊力、殺傷力ゆえに、種としての人類の存続、地球文明の命運にさえもとどめを刺しかねないこの黙示録的兵器の本質を、イデオロギーや社会体制を超えた人間の生命次元、その深みから浮き彫りにした洞察は、その2年前に発表された、有名な「ラッセル・アインシュタイン宣言」の一節と、通底するものであるといってよい。
 「私たちは、人類として、人類にむかって訴える――あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ、と」(『核の傘に覆われた世界』久野収編、平凡社)
 仏法者である戸田会長が、なぜ原水爆禁止なのか、それがなぜ、将来を背負う青年たちへの“第一の遺訓”なのか、正直いって、弘教ひとすじに走り続けていた当時の若い人たちにとって、新鮮な驚きと同時に、唐突な感もあったと思います。
 “宗教的使命”といっても、単独で存立するものではなく、広く“社会的・人間的使命”により補完されて初めて完結する、「立正安国」という日蓮仏法の深義までは、なかなか思い及ばなかったようであります。
 逆にいえば、そこにこの「宣言」の意義、先見性があるのであり、核兵器が今なお人類の生存を脅かし続けている現状からみれば、なぜ恩師があの時期、あのような布石を打たれたのかということの重みが、ひしひしと実感できるのであります。
2  保有国の軍縮努力が急務
 以来、我々(創価学会・SGI)は、「原水爆禁止宣言」の精神にのっとり、地道な活動を展開してきました。1974年には、恩師の遺訓を継いだ青年たちが、原水爆禁止1000万署名を達成。その署名簿は、翌75年、私の手で国連に提出いたしました。
 また、「核兵器――現代世界の脅威」展(国連広報局、広島・長崎市と共催)を、82年の国連本部を手始めに開催し、96年に内容を一新して開催された「核兵器――人類への脅威」展と合わせて、旧ソ連、中国などの社会主義国を含む世界24カ国39都市で開催。見学者は、つごう170万人を超え、展示を通じて核兵器の恐ろしさ、残虐さをアピールしてきたのをはじめ、各種各様のイベント開催に取り組み、平和とくに核軍縮・廃絶への国際世論の形成に向け、尽力してきました。
 さらに、創価学会ならではの試みと高く評価された反戦出版の企画も、青年部の「戦争を知らない世代へ」(全80巻)、婦人部の「平和への願いをこめて」(全20巻=昨年、DVDも完成)など、時を追って風化せざるをえない貴重な戦争体験を、手記や証言の形で後世に残すことができました。
 私自身も、毎年の「SGIの日」記念提言をはじめ、各界のさまざまな識者との会見の折、あるいは、対談集(たとえば、L・ポーリング博士との『「生命の世紀」への探求』、M・ゴルバチョフ元ソ連大統領との『二十世紀の精神の教訓』、J・ロートブラット博士との『地球平和への探究』)の発刊などを通じて、核兵器廃絶、反戦、平和の文化建設への道を模索し、語り合ってきました。
 人類史上、かつてない大殺戮時代となってしまった20世紀との決別は、世界の民衆に共通する心からの願望であるにちがいないと信じたからであります。その確信は、もとより今でも変わりませんし、世界の心ある人々の共有する精神の地下水脈であるといってよい。
3  北朝鮮とイランの核開発が問題化
 とはいえ、核をめぐる状況は、予断を許しません。それどころか、眉をひそめたくなるような憂慮すべき危機的状況にあるといっても過言ではない。
 昨年の北朝鮮による核実験の強行は、一衣帯水の国だけに、ミサイル問題と合わせ、日本をはじめ周辺諸国に深刻な脅威をもたらしました。しかも、国連決議に見られるように、世界中から非難を浴びながらも、北朝鮮はその計画を捨てようとせず、頓挫していた6カ国協議も年明けて幾筋かの光明がみられるものの、決して楽観は許されません。
 イランをめぐる核疑惑にしても、長年、紛争が続いてきた地域だけに、どのような核拡散の連鎖反応を呼び起こしていくか、予測の限りではありません。
 多くの人々が憂慮しているように、核兵器が核の闇市場を通してテロリストの手に渡るなどしてしまえば、想像を絶する、戦慄すべき事態を招いてしまうこと、火を見るよりも明らかです。残念ながら、世界中に2万7000もの核弾頭を抱え、そうした危機的状況に直面しているのが、21世紀初頭の現実です。
 もっとも、北朝鮮やイランに核兵器開発の自制を求めることは当然のこととして、それを一方的に難ずるだけではバランスを欠きます。現在の核状況を招き寄せた一半の責任は核保有国にあり、核保有の現状を容認したままでは、いくら不拡散を言っても保有国のエゴイズムではないかという言い分に反駁することは、なかなか困難でしょう。
 そのためにもNPT(核拡散防止条約)やCTBT(包括的核実験禁止条約)などに、保有国は率先して、積極的に取り組まなければならない。NPTには、保有国が核軍縮を誠実に推進するよう謳われているにもかかわらず、進行は一向にはかばかしくなく、むしろ形骸化さえ憂慮されている。
 周知のようにNPTは、5年ごとに再検討会議を行っていますが、2005年にニューヨークで開かれた会議は、核保有国と非保有国との対立で機能麻痺に陥ってしまっている状況で、私と対談集を発刊したロートブラット博士などは「現在の危機は、三十五年のNPTの歴史で、最悪のものです」(『地球平和への探究』、潮出版社)と慨嘆し、とりわけ保有国の誠意ある取り組みをうながしていました。
4  「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した人々の唯一の生存者(当時)であり、人生のすべてをかけて核軍縮に挺身してきた方の警鐘だけに深く耳を傾けるべきでしょう。そうでなければ、国際世論に逆らってでも強引に核開発を推し進め、その既成事実の上に存在感を誇示しようなどという隙を与えてしまう。保有国の誠実な姿勢、努力に裏打ちされて初めて、核軍縮への流れが形成されるのだということを、決しておろそかにしてはならない。
 ともすれば、核拡散へと向かいかねない流れを、どう軍縮の方向へと向けていくか――その“転轍機”(線路の分岐点で車両を2方向に進行させる装置)は、やはり、人類の将来を見据えた発想の転換でしょう。
 かつて、アインシュタインは「解放された原子力は、われわれの思考様式を除いて、一切のものを変えました」(O・ネーサン/H・ノーデン編『アインシュタイン平和書簡2』金子敏男訳、みすず書房)と警告しました。その発言を精神的巨人特有の預言者的言辞であり、現実的対応にはなじまないとする論調が昔も今もありますが、私はそうは思いません。
 その意味で、1月4日付の「ウォールストリート・ジャーナル」紙に、「核兵器のない世界へ」とのタイトルで掲載された、ジョージ・シュルツ、ウィリアム・ペリー、ヘンリー・キッシンジャー、サム・ナンの各氏の共同執筆による論説記事に記された次のメッセージは、きわめて注目すべきものでしょう。
 「いま現存する核兵器は、甚大な脅威をもたらすと同時に、歴史的なチャンスを提示してくれている。世界が次なる段階へ進むよう、牽引役としてのアメリカの指導力が求められている。いうなれば、核兵器への依存を地球規模で克服しようという確かな合意を形成して、危険性を孕んでいる勢力への核拡散を防ぎ、ついには核の脅威を終焉させるための重要なステップとしていくべきなのだ」
 アインシュタイン的発想は、いわゆる“現実主義者”といわれる人にも決して無視できなくなっているのではないでしょうか。そうでないと、たとえば人間の不信感、猜疑心と恐怖感のみに依拠した“抑止論”の泥沼から、容易に抜け出せなくなってしまう。たしかに核軍縮は、M・ヴェーバーのいう「情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業」(『職業としての政治』脇圭平訳、岩波書店)でしょうが、そうした忍耐強い努力を続けていく“バネ”となるものこそ、発想の転換であると思います。
 その意味からも、日本人の唯一の被爆国としての反核への信念は、軽々に捨て去ってはならない。北朝鮮の核実験を機に、核論議の解禁をうながす声もありますが、私はそこに“抑止論”に踏み込みかねない、ある種の危うさが感じられてならない。
 たしかに、北朝鮮の核問題(拉致問題も含めて)は、悩ましい問題であります。“対話と圧力”といっても“対話”路線だけでは二進も三進もいかないような難題に直面せざるをえないような事態は、個人的にも国家的にもつきものです。
 そうしたアポリア(難問)、ジレンマにどう立ち向かい乗り越えていくかで、人間の真価が、平和への信念がどれほど強固なものであるかが、問われます。アインシュタインをはじめ、良心的な科学者がそうであったように、その過程で悩みに悩み、苦しみに苦しみ、ぎりぎりの選択を勝ち取っていく労作業なくして、核廃絶への道筋は見いだせないにちがいない。
5  ソフト・パワーを最大限に生かす道
 私は、一昨年のこの提言で“人間主義の行動準則”ともいうべきものを、次のように提起しておきました。
 「全ては変化――、相互依存(縁起)し合っており、調和や全一性はもとよりのこと、矛盾や対立といえども、結びつきの一つの現れである。故に、矛盾、対立の内なる制覇に発する、悪との戦いは、大きな結びつきに到るまでの避けられぬ、避けてはならぬ荊棘(試練=事態の紛糾しているさま)である」と。
 文中「結びつき」という言葉がリフレインしています。つまり人間は、人種、民族、国境を超えて、人類の一員であるという一点で結びついており、絶対に忘失されてはならない前提である。とはいえ、矛盾や対立がしばしば生じるのも事実で、放置しておけば、悪を増長させ、予期せぬカタストロフィー(破滅)を招きかねない。「悪との戦いは、大きな結びつきに到るまでの避けられぬ、避けてはならぬ荊棘」なのであります。
 これ以上の核拡散を何としても阻止するという課題も、世界平和にとって「避けられぬ、避けてはならぬ」課題であり、手をこまぬいていれば、核拡散の歯止めがきかなくなってしまう。
 その際、一番のポイントは、「矛盾、対立の内なる制覇」による人類意識に立った悪との戦いであるという点です。これが、私の申し上げる“転轍機”に当たります。この“転轍機”がしっかりと機能してこそ“対話と圧力”の時に応じ、機を逃さぬ、効果的なブレーキのかけ方が可能になってくる。人類意識という「結びつき」が強ければ強いほど“圧力”というハード・パワーを最小限に抑え、“対話”というソフト・パワーを最大限に活用していく方途が開けていくと思います。残念ながら、イラク戦争の場合など、このウエートの置き方が、まったく逆になってしまいました。
 “アメリカの良心”といわれ、私と対談集を発刊したノーマン・カズンズ氏は「単にアメリカだけでなく、世界の大部分における教育の大きな失敗は、教育が人々に人類意識ではなくて、部族意識を持たせてしまったことである」(『人間の選択』松田銑訳、角川書店)と嘆じていました。
 昨年11月、東京でお会いしたIAEA(国際原子力機関)のエルバラダイ事務局長も、「私ども人類が、どれほど、さまざまなことを共有しているか。(中略)人種、民族、宗教、そして肌の色を超え、『人間の一体感』を理解できれば、平和は実現できる」と、力強く語っておられました。
 また、ロートブラット博士も、私との対談で「ラッセル・アインシュタイン宣言」を想起しながら、「私たちは、『地球規模の安全保障』に必要な方法と『人類への忠誠心』を、身につけることができるであろうか」(前掲『地球平和への探究』)と問いかけつつ、自らはその確信と透徹した楽観主義によって、「未完の回答」を残して逝かれました。
 「人類意識」「人間の一体感」「人類への忠誠心」――こうした“転轍機”が正常に機能していさえすれば、「荊棘」がどんなに悩ましく、手に負えないように思える場合でも、投げ出したり、あわてて力による対抗手段にとびつくなど、短絡的思考のとりこになるはずがない。ヴェーバーのいう理想的政治家のように、能う限りの手段を駆使して、対話による説得と合意の形成に努力するにちがいないのです。
6  残虐な兵器使用の奥底にあるもの
 その「人類意識」「人間の一体感」を分断させ、人々の心に不信感や猜疑心をしのびこませることによって、互いに反目し相争うように仕向けるのが、「魔もの」「サタン」「怪物」であり、その奥に隠された「爪」なのであります。
 一瞬にして無慮幾百万あるいは幾千万の犠牲者を出しかねない核兵器の使用者など、さしずめ、その魔性に取り憑かれ、生命の尊厳性などまったく眼中になくなった最悪の症例といってよい。
 その「爪」すなわち生命の魔性を生み出す根源悪は、仏法的にいえば、貪、瞋、癡の三毒=注1=ともいえますが、その魔性が他者に向けられる例が、修羅界の生命と捉えることができます。
 周知のように仏法では、人間の生命を、境涯の低い方から高い方へと、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏界の十の範疇に立て分けます。
 そのうち、下から4番目が修羅界で、仏典に「念々に常に彼れに勝れんことを欲し、人に下るに耐えず、他を軽んじて己を珍む」(天台大師「摩訶止観」)とあるように、常に自分と相手を比較し、他より勝ろうとする“勝他”しか念頭になく、心が曲がっているため、物事を正しく見られない。何かにつけ諍い、角突き合わせる生命状態を指す。この種の生命が幅をきかすところから流血の惨事が引き起こされます。いわゆる“修羅闘諍の巷”の現出であります。
 また仏典には、修羅の醜怪な姿を「修羅は身長八万四千由旬・四大海の水も膝にすぎず」(日寛上人「三重秘伝抄」)と。「八万四千」「由旬」とは、いずれも古代インドの数や距離の数え方で、諸説ありますが、要するに数え切れないほど膨大、巨大なことの形容です。比喩的にいうならば、人間が修羅界の生命に占拠され、思い上がってしまうと、四大海の水も膝にしか達しないほど増長し、肥大化していってしまうというのであります。
7  「他者」不在の様相深まる社会
 その著しい増長ぶり、思い上がりから見れば、「他者」(それが人間であれ、文物であれ、自然であれ)の存在はそれに反比例するように、相対的に限りなく矮小化され、影が薄くなっていくことは必然であります。
 心が曲がっているために物事の正しい姿、価値を判断できず、すべては己のエゴを満たすための手段であり、道具にすぎない。手段、道具ならば、時と場合によってはそれらを殺傷し、毀損しても、彼はさしたる痛痒を感じないにちがいない。核兵器に限らず、ベトナム戦争の頃のナパーム弾や昨今の劣化ウラン弾、クラスター爆弾のような残虐な兵器を使う人、使わせる人の心事も、これと似たようなものではないか。それがもたらすであろう地獄絵図などは完全に視界から消し去り、サタンの「爪」をむき出しにした彼にとって、人命など塵芥同様の存在でしかないでしょう。
 こうした“修羅”の跳梁は、人間の尊厳にかけても拒否しなければならない。広島への原爆投下のニュースを知った時、アインシュタインが「ああ、なんということか」と悲痛な叫びをもらしたことは有名ですし、ロートブラット博士も「私の心をその時、占めていたものは、『絶望』でした」(前掲『地球平和への探究』)と。軍人はもとより、決して少なくない科学者が、新型兵器の“成功”の高揚感に沸き立っていた頃、真の大科学者の良心は、このような心底からのうめき声を上げていた。それは、恩師の生命次元からの告発と、強く響き合っているはずであります。
8  仏法に説かれる十界本有の生命観
 もとより、修羅界の生命は、本来人間誰しもの生命に具わっているものです。先に十界に触れましたが、修羅界をはじめ十界が本来、ありのままの位置におさまっている姿を「十界本有」=注2=と説く。申すまでもなく、仏典には「瞋恚しんには善悪に通ずる者なり」とあるように、正しい怒りは、「本有の修羅」であり、悪との戦いには欠かせません。そのような修羅ならよいのですが、警戒すべきは、たとえば修羅界が、十界本有の位置から分離したかのように、我が物顔で幅をきかし出す時です。こうなると、修羅は調和と秩序を乱す無法者と化し、魔性の「爪」を露わにしてくるのであります。
 したがって、サタンの「爪」をもぎとる我々の戦いとは、一言にしていえば、十界を割って分断させようと、己が分際も弁えずに暴れまくっているこの無法者を、本有の秩序、調和の世界へと引き戻し、正しく位置付け、再構成する地道な労作業なのであります。ここに「爪」をもぎとることの本義がある。後述しますが、この辺にまでスポットを当てないと、現代の科学技術文明、資本主義社会の構造――ある意味では、核兵器のような鬼子を生み出してしまう必然性を内蔵している独特の構造を前にして、「爪」をもぎとる作業も、なかなか至難なように思えてならない。
 したがって、平和・文化活動だけでなく、いかに迂遠に見えようとも、我々が日常営々と積み重ねている生命変革による人間革命運動は、「爪」をもぎとるという次元で、核軍縮・廃絶という人類史的テーマと地続きになっているのだということを、片時も忘れてはならないと思います。
 さて、ここで、近代文明の今日的特徴について、若干触れてみたい。
 修羅界という無法者は、人間に本来具わっており、いつの時代でも、隙あらば跳梁跋扈のチャンスを狙っている。事実、人間社会から、大小争いごとの絶えた試しはありません。しかし、科学技術文明と資本主義がかくも高度に発達した現代社会は、特有の“時代相”を有しており、十界の生命それぞれも、独特のニュアンスを帯びて発現してくるようです。
9  先に、修羅が増長していくのに反比例して、「他者」が矮小化されていくと申し上げました。それに対し、現代社会(とくに先進国)においては、「他者」の希薄化もしくは不在化という様相を呈してくるのではないかと思われます。
 近代経済学の創始者であり、優れた文明批評的センスの持ち主でもあったJ・M・ケインズに、「わが孫たちの経済的可能性」という小冊子があります。
 1930年に講演原稿として発表されたもので、当時世界を覆っていた経済不況の最中、二つの悲観論――事態の悪化を防ぐには暴力革命しかないという悲観論と、事態は自分たちの意図を超えたものだからあえて人為的対応をすべきではないという無力感からくる悲観論――を駁したもので、政府による適切な介入と調整によって、失業の克服と経済成長は可能であり、「重大な戦争と顕著な人口の増加がないものと仮定すれば、経済問題は、一〇〇年以内に解決されるか、あるいは少なくとも解決のめどがつくであろう」(『ケインズ全集第9巻』所収、宮崎義一訳、東洋経済新報社)と予見しております。
 戦争や人口増は、ケインズの予測の限りではなかったかもしれないが、少なくとも先進国に関しては、彼の予測はおおむね妥当していると思います。彼によれば、人間のニーズには、生きていく上で欠かせぬ「絶対的」なニーズと、「仲間たちの上に立ち、優越感を与えられる場合にかぎって感じるという意味での相対的」なニーズの二つがある。前者は自ずと限界があるが、後者は、その本質上限界はない。それに取り憑かれた人間は、常に他人と自分を比較しながら欲望を肥大化させ、追い続けて「飽くことを知らぬ」と。まさしく、“勝他”という修羅の属性と重なります。
 「絶対的」なニーズの確保は必要である。とくに、貧困問題を抱える発展途上国では最大かつ喫緊の課題です。
 だが先進国の示していることは、それだけでは十分ではない。人間は「衣食足りて」必ずしも「礼節を知る」とは限らない。長い間、「衣食」を求めて懸命に努力してきた人々は、そこでの習慣や道徳に慣れ親しんでしまっており、「衣食足りた」あとへの対応に戸惑わざるを得ない。「心情のない享楽人」(M・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚久雄訳、岩波書店)の横行も目立ってくる。額に汗して働くことが、いいのか悪いのか――。
10  資本主義社会で広がる「貨幣愛」
 そうした戸惑い、不安につけこむように顔を覗かせてくるのが、人間社会とりわけ資本主義社会にとって宿命的存在である「貨幣」であります。「絶対的」なニーズにおける貨幣は、日々の糧を得るための手段であるが、「相対的」なニーズにあってはそうではない。貨幣は「財産」、大きくいえば「資本」として自己目的化し、絶えざる自己増殖を宿命づけられてくる。
 その自己増殖運動に巻き込まれた人間にとって、「――人生の享受と現実のための手段としての貨幣愛と区別された――財産としての貨幣愛は、ありのままの存在として、多少いまいましい病的なものとして、(中略)半ば犯罪的で半ば病理的な性癖の一つとして、見られるようになるだろう」(前掲『ケインズ全集第9巻』)と、ケインズは予想しております。
 こうした人間が貨幣愛に取り憑かれた状態を、他方ではマルクスが「物神崇拝」=注3=として精緻な分析を加えたことはよく知られています。時移りて、ケインズがいうところの「孫たち」の時代の今日、貨幣愛という金銭的価値の専横ぶりはどうか。あらゆる社会的価値、生活価値を従えて、傍若無人に振る舞っていることは、誰の目にも明らかでしょう。
 名だたる大企業に続発する不祥事、保険金詐欺、昨今の官製談合、青少年にまで悪影響を及ぼしているマネー・ゲームの風潮など、すべてとは言わないまでも、そのほとんどが、カネにまつわるものです。仏法で説く修羅界あるいはそれに隣接する餓鬼界(激しい欲望にとらわれた状態にあること)の生命が、ここでも「身長八万四千由旬」にまで増長してしまっている。その猖獗をきわめる様は、ケインズの「半ば犯罪的で半ば病理的な性癖」という、ややオーバー気味の発言さえ、控え目に見えてしまう。
 「常に彼れに勝れんことを欲し、人に下るに耐えず」という修羅界の住人は、“足るを知る”安住の地点など縁なき衆生であり、足場を欠く人間は、不安をまぎらわせるために、追い立てられるように貨幣愛を求め続けて飽くことを知らぬ。価値観の多様化が言われるなか、実は金銭的価値への一元化が進み、社会的価値や生活価値はいたるところで浸潤され、秩序感覚の奥深い次元で、一種の根腐れ現象が進行しているのではないか。
 “時代相”としてのモラル・ハザード(道徳の崩壊)が、折あるごとに指摘されるゆえんであります。昨年、「品格」という言葉に流行語大賞が与えられたのも、品格なき醜悪な時代相への反証、リアクションとはいえないでしょうか。
 とはいえ、貨幣愛を警戒するといっても、人間の交換関係の媒体としての貨幣を、社会から放逐することの不可能は、歴史が教えています。無理矢理に抑え込もうとすると、手痛いしっぺ返しにあう。20世紀の社会主義の実験が、おしなべて失敗に終わったことは、記憶に新しいところです。
 また、金銭的価値を、位階秩序の下位に(日本の江戸時代の“士農工商”のように)位置付けていた、近代以前の共同体的社会へ回帰することも、“自由”という近代的価値をこれほど知った以上、とうてい不可能なことです。
 であるならば、我々としては、資本主義というシステムと上手に付き合い、手なずけていく以外にない。「貨幣」や「資本」を“物神”と崇めたりせず、それらをコントロールしていく力を、個人的にも社会的にも蓄えていかねばならない。比喩的にいうならば、修羅界、餓鬼界を十界本有の構造の中に正しく位置付けていくように、人間生活の諸々の価値の位階秩序の中に、金銭的、経済的価値を、あるべき位置に据え直していく必要があります。
 昨年の提言で、モンテーニュの「私が猫と戯れているとき、ひょっとすると猫のほうが、私を相手に遊んでいるのでは」(『エセー(三)』原二郎訳、岩波書店)との言葉に触れましたが、「貨幣」や「資本」を使っているようで、かえって使われているのは人間ではないのか――こうした問い返しこそ急務でしょう。そこに「人間力」回復の道も開かれるはずです。核の飽和状況を目の前にしたアメリカのケネディ大統領の、「人間がつくりだしたものである以上、人間がそれを解決できないはずがない」(「平和の戦略」、1963年6月10日、アメリカン大学卒業式)との訴えを、政治家特有のレトリックと受け取ってはならないと思います。
11  四つの秩序の混同が招く社会の乱れ
 その点、私が注目したのは、昨秋、「聖教新聞」の書評欄にも取り上げられた、フランスの気鋭の哲学者アンドレ・コント=スポンヴィル氏の『資本主義に徳はあるか』(小須田健/コリーヌ・カンタン訳、紀伊國屋書店)との問いかけであります。
 標題はもちろん反語で、資本主義は所詮道徳とは無縁であって、そこに有徳を求めるのは、木に縁りて魚を求めるようなものだ、と。突き放したような言い方ですが、中身は傾聴に値します。
 スポンヴィル氏は、人間社会を四つないし五つの秩序に区別する。第1は「経済―技術―科学的秩序」で、その駆動力は「可能なものと不可能なもの」という対立軸である。第2は「法―政治的秩序」で、「合法と違法」という対立軸、第3は「道徳の秩序」で「善と悪、義務と禁止」という対立軸、第4は「愛の秩序」で、対立軸は「喜びと悲しみ」となる――と分析する。信仰を持つなら、その上に「聖なる秩序」が想定されようが、さしあたり自分には無縁である、と。
 もとよりそれらは「区別」であって「分離」ではなく、それぞれ互いに重なり合っており、我々は四つの秩序を同時に生きている。それらがどう関係し合い、秩序づけられるかが重要であって、そこを混同するところから社会秩序の乱れが生じてくる。
 たとえばマルクスは、明らかに第1と第3の秩序を混同し、経済を道徳化しようとした。その結果、「一九世紀における麗しのマルクス主義的ユートピアから、二〇世紀におけるだれもが知っている全体主義の恐ろしさへの移行」を招いてしまった。
 同じように、資本主義を道徳化しようとしても筋違いであって、資本の暴走を抑制する力は「外」(別の秩序)から加えられなければならない。資本主義そのものは、“対立軸”に駆り立てられ「可能」なものを求めて、どこまでも利潤を追い続けることを本領とする。貨幣価値の前では、雇用の確保や福利厚生などの生活価値は、二義的な意味しかもたない。
 のみならず、この「経済―技術―科学的秩序」に魅入られた核テクノロジストは、「可能」とあらば、悪魔的兵器の破壊力、殺傷力の強化に専心し、それがもたらすであろう惨状への想像力など持ち合わせていない。
 バイオ・テクノロジストは、「可能」とあらば、人間の条件を根底から突き崩すクローン人間など、生殖系列遺伝子操作にまで手を染めることに、何の逡巡も覚えないであろう。
 経済人、科学者がすべてそうだというのではない。四つの秩序を同時に生きているのだから、そんなことはありえないし、事実、経済界や科学界にも、良心的な人々は数多く存在します。しかし「可能―不可能」を対立軸にしていく限り、「人間」を置き去りにそこまでいってしまう必然性を内蔵しており、現にそれが杞憂ではない兆候が、いたるところに顔を覗かせている現実を、誰もが認めざるを得ないでしょう。
 「八万四千由旬」にまで増長、肥大化したエゴの世界では「他者」は限りなく希薄化、不在化していく。人と人との間に生きるのが人間であるとすれば「他者」がいなければ、「自己」もいない。つまり、徹頭徹尾「人間」が不在なのであります。そうした社会の息苦しさから逃れて、カルト宗教などに救いを求める若者たちに、おしなべて離人症的傾向が見られるといういくつかの調査結果も、当然のことかもしれません。
12  現代文明が直面する構造的危機
 現代文明は、まさにこうした危機的状況に直面しているのであり、「経済―技術―科学的秩序」は、それを引き起こした張本人である「専門知識をそなえ技術を有した卑劣漢」の横行を、「内」から抑えていく力を持っていない。「外」から、主として第2の「法―政治的秩序」の側から規制していく以外にない。だが、第2の秩序も、法に触れさえしなければ……というずる賢い「合法的な卑劣漢」を制圧していく力を有せず、この場合も「外」から、主として第3の「道徳の秩序」の側から規制していくしかない。そして、この第3の秩序も、口舌のみの偽善者、独善家、つまり「道徳的な卑劣漢」の存在をどうしても許容してしまう体質がある。やはり、とはいっても道徳は「外」からの規制には本質的になじまないから、「それを補完し、いわばうえからあける役割をはたすもの」として、第4の「愛の秩序」が要請される。しかし、同じ徳目をうながすにしても「道徳の秩序」が、外発的な義務付けに傾きがちなのに対し、「愛の秩序」は、あくまで内発的な喜び、充足感であることが決定的に異なる。
 こうしたプロセスをたどってみると、たとえば、ガンジーの「宗教は政治と全く無関係であるという人は宗教の何たるかを知らない」(『抵抗するな・屈服するな』K・クリパラーニー編/古賀勝郎訳、朝日新聞社)との言も、深く首肯できます。
 以上が、私のコメントをはさんだ『資本主義に徳はあるか』の要旨ですが、たしかに金融主導のグローバル資本主義の現状が、「可能なものと不可能なもの」(儲かるか、儲からないか)という、ニュートラルで無機質な対立軸を駆動力としているという冷厳かつ身も蓋もない事実の分析など、首肯させられる点が多い。
13  とりわけ説得性が感じられたのは、第1にそうした立て分けが、私どもの人間主義的アプローチ(取り組み)に際し、きわめて有効であろう、ということです。
 一例をあげれば、先に“人間主義の行動準則”に触れましたが、そこで強調した「結びつき」による人類意識の高揚は、明らかにスポンヴィル氏のいうところの第3、第4の秩序に発するものです。
 しかし、それが現実の「荊棘」である悪との戦いの場で、そのまま通用するかといえば、なかなか難しい。「専門知識をそなえ技術を有した卑劣漢」を抑え込むには、対話や説得によるよりも、「法―政治的秩序」の側からの規制の方が、はるかに(少なくとも短いスパンで見れば)有効性をもつことは認めざるを得ません。
 かつて“核状況における人間の生き方”をめぐるシンポジウム(『日本の生き方と平和問題』所収、岩波書店)で、核状況における「人間の問題というのは、倫理的問題ばかりでなく、政策決定者の合理性の問題だと思う」(加藤周一氏)、「個人の良心、個人の自覚もさることながら、現代ではやはり国家としての政策の転換を求めていく方向において倫理の問題をどう結びつけるかということが、差し迫った課題」(豊田利幸氏)等、識者の発言がなされてきたゆえんです。人類意識という普遍的徳目は、第1の秩序への直接介入よりも、第2の秩序を下支えするものとして機能する時、最も本領、有効性を発揮するからです。
 第2に、私が注目したのは、人間らしい秩序を形成していく過程で、著者が「一人の人間」にスポットを当て、その人間重視のスタンスが決して揺らぐことがない点です。
 著者は、第1の秩序から第4の秩序への流れを、「優越の上昇的序列」としていますが、「上昇の方向へと進んでいく力をもつのは個々人だけ」と述べ、上昇を担うパイオニア(開道者)としての役割を、あげて「一人の人間」に期待しています。「一人の人間」の覚醒なくして「優越の上昇的序列」はありえず、その上昇過程を通じて、「人間」は次第に重みを増していく。薄かった“影”が濃くなっていく。その過程とは、「経済―技術―科学的秩序」の「人間」不在から、徐々に「人間」を復権、顕在化させゆく過程にほかなりません。
14  パーソナルな宗教に託された期待
 一人一人の人間の資質の向上なくして社会の変革もなければ、よりよい秩序もありえない。それは当たり前のように見えても、C・ユングが「個人の徳性における微々たる一歩の前進だけが、真に達成されうることのすべてであるのに、それを体現するかわりに、全体主義のデーモンを喚び出してしまう」(『現在と未来』松代洋一編訳、平凡社)と警告しているように、組織への依存、集団への埋没は、人類があまりにもしばしば陥ってきた落とし穴なのであります。
 そして、全体主義の系譜が示しているように、「人間」不在が高ずれば高ずるほど、人々はデーモンやサタンの「爪」の餌食になりやすい。科学技術が高度に発達した情報化社会、大衆化社会など、悪魔に魅入られた煽動家たちの暗躍する格好の場ではないでしょうか。
 「微々たる一歩」とは、決して微々たるものではない。ユングの言うように、それを欠けばいかなる変革の試みも砂上の楼閣と化すという意味で、あらゆる運動の原点であり、“画竜点睛”であります。それはまた、私どもの永遠の課題である「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」とも、深く回路を通じているのであります。
 かつて、日本哲学界の重鎮であった故・田中美知太郎氏は、“パーソナルな宗教への期待”として、パーソナルな宗教である高等宗教も、巨大化してくるにつけ、社会宗教的なものへと逆転する可能性を指摘しつつ、創価学会の運動をこう評価しておられました。
 「『人間革命』の著者池田大作氏が高等宗教としての仏教の立場でそのパーソナルな面を更に新しく前進させる試みをされていると聞いているが、その成功を祈りたい」(「聖教新聞」1977年5月1日付)と。
 パーソナル(個人的)な「一人の人間」に徹底してスポットを当て続けること――ここに、私どもの運動の原点があります。アルファ(出発点)でありオメガ(究極)であります。そこから、いささかたりとも軸足をずらさなかったからこそ、創価学会・SGIは、今日のような発展をすることができたのであります。また、今後いかなる時代がこようとも、この根本軌道から外れるようなことがあってはならない。それは「一人を手本として」と言明された宗祖日蓮大聖人の精神からも違背してしまうからであります。
 こう見てくれば、「経済―技術―科学的秩序」の力学が、空前の勢いで席巻するなか、「優越の上昇的序列」という人間回復、人間復興への道を喘ぎ登ろうとしている人々にとって、何が必要なのか、その文明論的課題に私どもの運動がどう呼応し、貢献していけるのか、自ずから明らかとなってくるでしょう。「奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」との恩師の「宣言」は、そうした今日的課題までも照射していたと、私は信じてやみません。今後とも、その誇りと確信をもって、わが道を、平和への王道を邁進していきたいと思います。
15  続いて、修羅の生命にみられる“勝他”の精神が生み出す現代の諸問題を乗り越えるための具体的方策について、やや踏み込んで提案しておきたい。
 核関連技術の闇市場の実態が明らかになる中で、核テロに対する懸念が高まりをみせているのに加え、北朝鮮とイランの核開発問題が国際社会の焦点となっています。
 こうした中、IAEA(国際原子力機関)のエルバラダイ事務局長は「新たな対策を取らなければ極めて短期間に20〜30カ国が核兵器製造能力を手に入れてしまう」(昨年10月、ウィーンでの核問題に関するシンポジウム)と、潜在的な核保有国が増える可能性について警告を発しました。このまま歯止めがかからなければ、NPT(核拡散防止条約)の弱体化に拍車がかかり、核をめぐる混迷がさらに深まる恐れもあります。
 そこで私が提起したいのは、国際社会が共通の目標を見いだし、ともに責務を果たす体制を整えることです。
 とはいっても、まったく新しい枠組みが必要となるわけではありません。189カ国が加盟する世界で最も普遍的な軍備管理条約であるNPTをあくまでベースにしつつ、その定める義務を新たな概念に基づいて再構成していくことを呼びかけたいのです。
 NPTの前文には、「核戦争が全人類に惨害をもたらすものであり、したがって、このような戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払い、及び人民の安全を保障するための措置をとることが必要」と謳われています。
 この精神を踏まえ、核保有の有無にかかわらず、すべての国が等しく推進すべき課題として強調したいのは、「核兵器に依存しない安全保障」を確立し、化学兵器や生物兵器の禁止条約と同じように、最終的には核兵器の禁止条約を成立させることです。
 新たな“共通の目標”に照らせば、保有国が取り組むべき核軍縮も、非保有国の協力が欠かせない核不拡散体制の強化も、「核兵器に依存しない安全保障」へ向けての“共通の責務”と位置付けることができましょう。
16  核問題を討議する「世界サミット」を
 その意味で示唆深いのが、ハンス・ブリクス氏(IAEA前事務局長)が委員長を務める大量破壊兵器委員会(通称、ブリクス委員会)=注4=が、昨年6月に発表した「恐怖の兵器」と題する報告書です。そこでは、こう強調されています。
 「どこか一国が核兵器を保有している限り、他の国家も保有したがるものだ。核兵器がある限り、意図的であるにせよ、偶発的であるにせよ、いつか使用される危険性がつきまとう。そして、いったん核兵器が使用されてしまったら、それは破滅を意味する」「大量破壊兵器委員会は、『ある国家の保有する核兵器は脅威ではないが、別の国家が保有すると世界にとって致命的な危険がある』という考え方を受け入れない」と。
 不信や恐怖に依拠した抑止論的思考を拒否する――との立場は、核兵器の使用を絶対悪と断じた戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」を貫く思想と相通じています。
 もちろん、北朝鮮やイランの核開発問題には個別的かつ早急に対処すべきことは当然だとしても、同様の問題が今後生じないようにするためには、国際社会全体の意識を変えていく必要がある。その意味から私は、「核兵器に依存しない安全保障」を地球的規模で実現するスタートラインとなる討議の場――たとえば「世界サミット」や「国連特別総会」を早期に開催すべきであると訴えたい。
 そこではまず、NPTの三つの柱である「核軍縮」「核不拡散」「原子力の平和利用」について、それぞれ国際的な枠組みを強化し、各国が“共通の責務”を果たすことを誓約する宣言を採択していく。その上で、宣言に則り、NPTの前文に謳われた「核兵器の製造を停止し、貯蔵されたすべての核兵器を廃棄し、並びに諸国の軍備から核兵器及びその運搬手段を除去する」という最終目標、すなわち“核兵器の廃絶と非合法化”に向けて、真剣な努力を重ねる転換点にすべきであると思います。
 続いて、「核兵器に依存しない安全保障」への移行を確実にするためのプランを、何点か提起しておきたい。
 一つ目は、核軍縮への明確な道筋をつけることです。
 現在、アメリカとロシアの間では双方の戦略核弾頭を2012年末までに1700から2200個程度にまで削減させる「モスクワ条約(戦略攻撃兵器削減条約)」が調印されていますが、廃棄までは義務付けられていません。
 そこで次なる段階として、両国が戦略核弾頭を数百個程度にまで削減し、完全廃棄へ向かう新たな条約を締結し、核軍縮の流れを先導するよう、私は強く訴えたい。
 その上で、核軍縮の履行を定めたNPT第6条に従い、すべての保有国を対象にした「核軍縮条約」の成立を目指すべきだと思います。
 すでに米ロの間では昨年9月から、2009年末に「START1(第1次戦略兵器削減条約)」が失効した後の査察検証問題についての議論が始まっています。
 またイギリスでは、核兵器システムが2020年代半ばに寿命を迎えることを踏まえ、その更新問題が昨年焦点となりましたが、他の保有国を含めて、核兵器の更新や新規開発の方向に進むのではなく、軍縮へと積極的に踏み出すべきだと思うのです。
 加えて、「核軍縮条約」の交渉を調整し、発効後は履行の確保に努める機関として、査察機能を有する「国際核軍縮機構」を国連に創設することを提案しておきたい。
 その土台づくりとなる取り組みは、核軍縮を求める国々とNGO(非政府組織)の間で2年前からスタートしています。「第6条フォーラム」=注5=と呼ばれるもので、NPT第6条の核軍縮義務の履行を図るための交渉について議論し、核兵器のない世界に要求される法的、政治的、技術的要素を検討することが目指されています。
17  「世界の民衆の行動の10年」の制定を!
 こうした動きを後押ししていく意味でも、私は昨年の国連提言で提唱した、「核廃絶へ向けての世界の民衆の行動の10年」の制定を重ねて呼びかけたい。とくに、広島、長崎への原爆投下という惨劇を味わった唯一の被爆国である日本は、核軍縮、そして核廃絶を求める国際社会の先頭に立って、同10年の制定を強く呼びかけ、時代の流れを変えるリーダーシップを発揮してほしいと念じるものです。
 この点、先のブリクス委員会の報告書でも、「大量破壊兵器は、政府や国際機関だけの課題ではない。研究者、NGO、市民社会、企業、メディア、そして一般の人々も主体者として取り組むべき課題」であるとし、「その解決のための貢献は、すべての人々に求められている」と強調しております。
 私は、その主役こそ「青年」であると思います。
 SGI(創価学会インタナショナル)としても、国連諸機関や他のNGOと連携しながら「軍縮教育」を推進するとともに、青年の熱と力で“核廃絶を求める民衆のネットワーク”をさらに大きく、力強く広げていきたい。
 また、私の創立した戸田記念国際平和研究所では、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」50周年を記念して、今年9月にサンフランシスコで「核廃絶への挑戦」をテーマにした国際会議を開催する予定となっています。会議の成果を報告書にまとめ、国連や各国政府などに配布し、「核兵器に依存しない安全保障」への議論を喚起していきたいと念願するものです。
18  「宇宙の非軍事化」へ規制を強化
 第2に言及したいのは、核不拡散体制を強化するための方策です。
 そのためにはまず、CTBT(包括的核実験禁止条約)の早期発効が望まれます。
 残念ながら96年に採択されたCTBTは、アメリカなどの発効要件国の批准が得られないため、10年以上にわたり未発効のままです。このため、CTBTの現実性を悲観する声もありますが、一方でCTBTの精神がある種の抑止力となって、核実験の自粛を実現させてきた面も否めません。
 事実、安保理常任理事国の5核保有国すべてが核爆発実験のモラトリアム(一時停止)を宣言しているのに加え、インドとパキスタンも同様の宣言を発表しています。その結果、98年以降、昨年10月に北朝鮮が実施するまでの8年間、核爆発実験は一度も行われなかったのです。
 仮に発効が当面難しいとしても、批准国が一定数に達した段階で暫定発効の形をとるなど、CTBTの本格稼働への道を模索することが大切ではないでしょうか。
 法制度の面からもう一つ提起したいのは、NPTの柱である「原子力の平和利用」を核兵器開発へ転用させない枠組みの強化です。
 昨年9月、IAEAの年次総会に合わせてウィーンで特別会合が開かれ、原発用の核燃料供給を保証するための多国間協力のあり方が討議されました。IAEAでは今後、制度の青写真作りに着手し、理事会での採択を目指すことになっていますが、各国が利害を超えて、“核開発能力の拡散防止”のために最も効果的な制度の確立に向け、合意できるよう強く念願するものです。
19  国連の支援を通じ「非核地帯」を拡大
 またこれと併せて、サミット(主要国首脳会議)などの場を通じて、保有国による「核兵器の先制不使用」と、非保有国への核兵器の使用や威嚇を行わない「消極的安全保障」の制度化について討議することを強く求めたい。
 核保有を望む国をこれ以上出さないためには、核の保有を望む発想や国際環境を変えることが重要であり、とくに「消極的安全保障」の制度化は、非核地帯の実効性を確保する上でも大きな意味を持っているからです。
 昨年9月、カザフスタン、タジキスタン、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンの5カ国が「中央アジア非核地帯条約」に調印しました。域内での核兵器の開発や生産や所持などを禁じるもので、南極条約を含め中南米、南太平洋、東南アジア、アフリカに続く、世界で6番目の非核地帯条約となるものです。
 注目すべきは、条約が国連による支援を得て成立したことです。この実績を踏まえ、今後、当事国だけでは難航しがちな条約交渉を、国連が他の地域においてもサポートしていくことが望まれます。
 何より大切なのは、核保有を“外交カード”にするような風潮を許さない国際社会の意思を明確にしながら、「核兵器に依存しない安全保障」のあり方をともに模索し、構築していく努力であります。
 いったん核開発を進めたり、核兵器を保有した国であっても、その状況が必ずしも半永久的に固定化するわけではないことは、これまでの歴史が証明しています。
 実際、カナダのように「マンハッタン計画」に参加しながらあえて非核の道を選んだ国もあれば、ブラジルやアルゼンチンのように核開発計画を取りやめたり、南アフリカのように核兵器を廃棄した上で非保有国の仲間入りをした国もあります。
 また、旧ソ連の崩壊で一時的に核兵器を継承しながら、アメリカとロシアを含む関係国による安全の保証と経済支援を得て、最終的に核放棄にいたったウクライナの例は、北朝鮮の核開発問題に臨む上でのモデルケースともなるといわれています。
 いずれにせよ私は、懸案となっている北朝鮮とイランの核開発問題を根本的に解決するには、対話を通じた地域全体の非核化、つまり、最終的には「北東アジアの非核化」と「中東の非核化」を実現する以外に道はないと思います。そうでなければ、いったんは核兵器開発を放棄したとしても、国際環境の変化や政策の転換で核開発が再開されてしまう危険性をなくすことはできないからです。
20  宇宙の平和利用についての原則を定めたものに「宇宙条約」があります。
 しかし同条約では、月など天体の軍事利用は一切禁止されているものの、その他の宇宙空間における制限は明確化されておらず、軍事技術の発展を見据えた規制範囲の拡大と強化を望む声が年々高まっています。
 今年は「宇宙条約」発効40周年でもあり、見直しを含めた議論を本格的に開始する絶好の機会といえましょう。
 先のブリクス委員会の報告書でも検討すべき課題として、宇宙における兵器の配備の禁止や、宇宙条約の普遍的遵守、同条約のスコープ(適用範囲)の拡大、宇宙兵器の実験禁止などのテーマを取り上げています。
 そこで私は、国連事務総長が主導する形で、「宇宙の非軍事化に関する賢人会議」を発足させ、具体的な対策を取りまとめながら、この問題に対する国際世論の喚起に努めていってはどうかと提案したいと思います。
 最後に軍縮に関わる問題として触れておきたいのは、各地の紛争や内戦で実際に使用され、多くの人命を奪い、“事実上の大量破壊兵器”ともいうべき存在となっている通常兵器の国際移転の規制についてです。
 今、世界には約6億4000万もの小型武器と軽兵器が存在し、毎日800万個以上の武器が製造されているといわれます。これらの武器の拡散が、各地で人権侵害や紛争の激化を助長しており、一日あたり1000人以上の人々が命を落としているのです。
 この規制を呼びかける「コントロール・アームズ」=注6=のキャンペーンが、NGOの呼びかけで2003年10月に始まり、各国政府の支持を広げる中、ついに先月の国連総会で、「武器貿易条約」の形成に向けての議論を開始するための決議が採択されました。「武器貿易条約」は、武器の不正使用につながるような国際移転を禁止するもので、小型武器だけでなく重兵器も含めた通常兵器全般の移転を規制することを目的にしたものです。
 決議の結果、(1)国連事務総長が「武器貿易条約」に関する各国の見解を求め、今年中に国連総会に報告書を提出する、(2)そして2008年に、政府間の専門家グループを設置し、さらに議論を深めて総会に詳細な報告書を提出する、という2段階のプロセスを経て条約制定を目指すことが決まりました。
 私も13年前から「不戦の制度化」の一環として武器輸出を規制する国際的な枠組みの強化を繰り返し訴えてきたところであり、その早期締結を強く望むものです。
 同条約が成立すれば、「対人地雷全面禁止条約」に続き、NGOが主導的役割を果たした軍縮条約が実現することになります。軍縮に関する他の分野での交渉の進展にも、必ずや大きな影響を及ぼすに違いありません。
21  軍国主義との対峙の中で信念を貫く
 以上、核兵器を中心に軍縮の問題に関して、論じさせていただきました。
 続いて、21世紀の世界を展望し、長らく対立や緊張が続いてきたアジアに焦点を当て、今後の地域協力の目指すべき方向性などについて述べたいと思います。
 そこで本題に入る前に、創価学会及びSGIの源流にさかのぼって、私どもがこれまでアジア太平洋地域の平和と発展のために行動してきた歴史について、この場を借りて総括的に振り返っておきたい。
 そもそも、私どもの平和行動は日蓮大聖人の仏法を貫く「人間主義」の理念に基づくものですが、創価学会の平和運動の思想的淵源は、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」、さらに今から100年も前に牧口初代会長が著した『人生地理学』にまでさかのぼります。
 同書の核心は、アジアをはじめ世界の国々が、他国の犠牲の上に自国の繁栄を求める“弱肉強食的な生存競争”から脱し、積極的な国際協調を通じた他国を益しつつ自国も益する“人道的競争”への転換にありました。
 20世紀初頭(1903年)、帝国主義や植民地主義が跋扈する時代にあって、牧口会長は「われわれは生命を世界に懸け、世界を我家となし、万国をわれわれの活動区域となしつつあることを知る」(『牧口常三郎全集』第一巻、第三文明社。現代表記に改めた)として、互いを傷つけ合うのではなく、ともに高め合う関係を築かねばならないと強調したのです。
 また日本についても、“太平洋通り”に軒をつらねる一国と位置付け、韓・朝鮮半島や中国へ向けて政治的軍事的な膨張を強める政策に警鐘を鳴らしました。
 その後、牧口会長が“自他ともの幸福”を追求する人道的競争の時代を教育の力で実現させる意義も込め、弟子の戸田第2代会長とともに心血を注ぎ、完成させた大著が『創価教育学体系』です。
 創価学会は、この師弟の精神の結晶ともいうべき書の発刊(1930年11月18日)をもって、創立の日を迎えたのであります。
 当然のことながら、こうした「国家」よりも「人間」「人類」に軸足を置く行き方は、当時の軍国主義と真っ向から対峙するもので、次第に当局による弾圧も激しさを増すようになりました。そしてついに1943年7月、二人は治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕され、投獄されたのです。しかし最後まで屈することなく、信念の旗を掲げ続けました。
 高齢であった牧口会長は翌44年11月18日に獄中で亡くなり、戸田第2代会長は45年7月3日に出獄するまでの2年に及ぶ獄中生活のために健康を著しく害しました。
 戦後、私が戸田会長を師と定め、創価学会に入会したのも、苛烈な獄中生活を強いられながらも軍国主義と最後まで戦い抜いた人物だったからにほかなりません。
 私自身、戦争で2度も家を失い、4人の兄たちは戦争にかり出され、長兄がビルマ(現ミャンマー)で戦死しました。
 その長兄が一時帰国していた時、「戦争は美談なんかじゃないぞ。日本軍は傲慢だ。あれでは中国の人びとがかわいそうだ」と語った言葉は今も耳朶から離れません。
 こうした戦時中の体験と、戸田会長に師事したことが、私の平和行動にとってのかけがえのない原点となりました。
 戸田第2代会長は戦後、師である牧口初代会長の遺志を胸に、創価学会の再建に全力を注ぐ一方で、アジアの平和と民衆の幸福を強く願い、その道を開くことが日本の青年たちの使命であると訴えていました。
 「世界の列強国も、弱小国も、共に平和を望みながら、絶えず戦争の脅威におびやかされているではないか」との青年への烈々たる訴えは、先の「原水爆禁止宣言」や、驚くほど時代を先取りした「地球民族主義」の理念へと結実しました。
 戸田会長は残念ながら、生涯を通じて海外に行く機会を得ることはありませんでした。しかし、私にこう遺言されました。“この海の向こうには大陸が広がっている。世界は広い。苦悩にあえぐ民衆がいる。戦火におびえる子どもたちもいる。だから君が、世界へ行くんだ。私に代わって!”と。
 師の逝去から2年後の1960年、第3代会長に就任した私は、すぐさま世界平和に向けての行動を起こし、10月2日、亡き師の写真を上着の内ポケットに納め、北南米訪問に出発しました。
 その第一歩としてハワイを選んだのは、真珠湾攻撃の悲劇の舞台となった場所で、歴史の教訓を胸に刻み、世界不戦の潮流を高めゆく決意を留めるためでした。
 そして、国連誕生の地であるサンフランシスコなど各都市を回り、ニューヨークでは国連本部を視察しながら、国連を軸にした世界平和の構想を温めたのであります。
22  アジアの平和願い提言を相次ぎ発表
 翌61年には、香港、セイロン(現スリランカ)、インド、ビルマ(現ミャンマー)、タイ、カンボジアを訪問し、戦争で犠牲となった方々の冥福を各地で祈念しつつ、アジアの平和への思索を深めました。
 釈尊が悟りを開いたとされるインドのブッダガヤに立ち寄った際には、“戦争のない世界を築くには、東洋をはじめ世界の思想・哲学を多角的に研究する機関が必要となる”との思いを強め、62年に「文明間の対話」と「宗教間の対話」を進めるための機関として東洋哲学研究所を設立しました。
 また63年に誕生した民主音楽協会も、タイ訪問の折に設立構想を明らかにしたものです。平和の礎は民衆同士の相互理解にあり、そのためには芸術や文化の交流が大きな意味を持つとの確信からでした。
 このアジア各国の訪問を通じて実感したのは、東西冷戦による対立構造がアジアにも暗い影を落としていることでした。ほどなくして65年2月、アメリカ軍の大規模な北爆によって、ベトナム戦争が全土に拡大しました。
 それは、私がライフワークとしてきた小説『人間革命』の執筆を、復帰前の沖縄の地で開始した2カ月後のことでした。
 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」
 小説の冒頭で警鐘を鳴らした戦争の悲劇が、アジアの地で再び繰り返されてしまったことに強い憤りを禁じ得ませんでした。
 戦闘が激しさを増し、アメリカと中国との直接対決の事態さえ懸念されるほど緊張が高まる中、一日も早く戦争を終わらせるべきであるとの思いで、66年11月に即時停戦と関係国による平和会議の開催を呼びかける提言を行ったのに続き、67年8月には北爆の停止を改めて強く訴えたのであります。
 そしてまた、中国の国際的な孤立状態を解消することが、アジアの安定のみならず、世界の平和にとっても絶対に欠かせないとの信念に基づいて、68年9月8日に「日中国交正常化提言」を行いました。
 中国敵視の風潮は当時の日本で根強く、激しい非難の嵐にさらされました。
 しかし私には、世界の2割近くの人口を抱える中国に、国連の議席も認めず、隣国である日本が外交関係を断絶した状態を続けるのは明らかに異常であるとの信念がありました。加えて私の胸には、「中国が、これからの世界史に重要な役割を果たすだろう。日本と中国の友好が、最も大事になる」との恩師の言葉が響いていたのです。
23  中国、ソ連、米国の緊張緩和に尽力
 1970年代に入ってからは、分断化が進む世界に友情の橋を懸けるべく、各国の指導者や識者との対話を本格的に開始しました。
 70年にヨーロッパ統合運動の先駆者であったクーデンホーフ・カレルギー伯と、のべ十数時間、太平洋文明への展望などについて語り合ったのに続き、20世紀最高峰の歴史家であるトインビー博士と、世界統合化への道など多岐にわたるテーマをめぐって2年越しの対談(72年と73年)を行いました。
 その際、トインビー博士は、私に遺言を託すかのように、こう言われました。
 「人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話をさらに広げていってください」と。
 以来、今日まで、人類の未来のために行動しておられる世界の識者の方々と宗教や民族や文化の違いを超えて対話を広げ、43点の対談集を発刊してきたのであります。
 さらに73年1月には、ニクソン大統領宛に、ベトナム戦争の終結を呼びかける書簡を、キッシンジャー氏(当時、大統領特別補佐官)を通じて届けました。
 また同年、重ねて大統領宛に、アメリカの果たすべき役割についてまとめた提言を送りました。そこで私は、建国以来育まれてきた輝かしい精神遺産に敬意を表しつつ、“アメリカがその良き特質を生かし、平和と人権と共存のリーダーシップを発揮しなければ、世界は本当の意味で変わることはない”とのメッセージを込めたのです。
 私が後年、アメリカに平和研究機関のボストン21世紀センターを創立(93年9月)し、アメリカ創価大学を開学(2001年5月)した理由の一つも、そうした年来の信念に由来するものでした。
 74年から75年にかけては、中国、ソ連、アメリカを相次いで訪問し、各国首脳との直接対話に臨み、民間人の立場から緊張緩和への道を模索しました。米ソ対立に加え、国境を接する中ソが対立するという、世界を三分化しかねない危機が深まっていたからです。
 74年5月に初訪中した折、北京の人々がつくった防空壕を見学し、中国の人々がソ連に脅威を感じている様子を目の当たりにした私は、同年9月に初訪ソし、コスイギン首相に、こう切り出しました。「中国はソ連の出方を気にしています。ソ連は中国を攻めるつもりがあるのですか」と。するとコスイギン首相は、「ソ連は中国を攻撃するつもりも、孤立化させるつもりもありません」と断言されました。
 同年12月、このメッセージを携え、再び訪中した私は、周恩来総理とお会いし、日中両国がともに手を取り、世界の平和と繁栄のために行動することの重要性について語り合いました。
 そこで周総理から「中国は、決して超大国にはなりません」との言葉を聞き、先のコスイギン首相の言葉とあわせて、中ソの和解が遠からず実現することを確信しました。事実、歴史はそう動いたのであります。
24  翌月(75年1月)にはアメリカに向かい、小雪が舞うワシントンで国務長官のキッシンジャー氏との会見に臨みました。席上、周総理が日中平和友好条約の締結を望んでいることを伝えると、「賛成です。やったほうがいい」と述べられました。
 同じ日、ワシントンでお会いした大平正芳元首相(当時、大蔵大臣)に、キッシンジャー氏の言葉を伝え、条約締結の必要性を訴えると、大平氏は「友好条約は、必ずやります」と答えられました。その3年後(78年8月)、日中平和友好条約は締結されたのであります。
 また第3次訪中の折(75年4月)には、北京でトウ小平副総理と会見するとともに、亡命中のシアヌーク殿下とお会いし、カンボジアの和平をめぐって語り合いました。
 SGIは、私自身のこうした対話を通じた平和建設の挑戦のまっただ中で、75年1月26日、第2次世界大戦の激戦地であったグアムで発足しました。51カ国・地域の代表が集い、“民衆による一大平和勢力”の構築を目指して出発したその日以来、民衆の連帯は今や190カ国・地域まで広がっております。
 このSGI発足に相前後する形で、私は教育交流、とくに次代のリーダーを育成する大学間の交流の推進に力を注ぎ始めました。各国訪問の際、時間の許す限り、大学などの教育機関に足を運び、意見交換を行ったり、生徒や学生と懇談のひとときを過ごしながら、教育交流の道を開いてきたのであります。
 それは、牧口・戸田両会長の構想を受け継ぎ、68年に創価学園を、71年には創価大学を開学し、世界の教育者と手を携え、平和のための学府をつくりあげたいとの、創立者としての一念に基づくものでもありました。
 初訪中を直前に控えた74年4月、アメリカのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で初の大学講演を行ったのに続き、翌75年5月にはモスクワ大学で「東西文化交流の新しい道」をテーマに講演しました。
 「民族、体制、イデオロギーの壁を超えて、文化の全領域にわたる民衆という底流からの交わり、つまり人間と人間との心をつなぐ『精神のシルクロード』が、今ほど要請されている時代はない」
 そこで述べた言葉は今も変わることなく、私の平和行動の信念となっています。
 その際、モスクワ大学から授与された名誉博士号以来、今日まで、世界の大学・学術機関から授与された名誉学術称号は202を数えるまでにいたりました。
 このことは私自身というよりも、SGI総体への栄誉であり、各国の英知の殿堂である大学が、平和と人間主義を希求する心で一つに結ぶことができることの証左でもあります。僭越ではありますが、私が開いたこの道が、モスクワ大学で呼びかけた、人間と人間との心をつなぐ「精神のシルクロード」を形成する一助となればと願うものです。
25  各国首脳と信頼深める対話に全力
 そして80年代からは、各国のリーダーや識者との対話にさらに全力で臨んできました。
 とくにアジアの永続的な平和の構築を目指して、中国の江沢民主席や胡錦濤主席、韓国の李寿成元首相や申鉉ファク元首相をはじめ、フィリピン(アキノ大統領、ラモス大統領)、インドネシア(ワヒド前大統領)、マレーシア(アズラン・シャー国王、マハティール首相)、シンガポール(ナザン大統領、リー・クアンユー首相)など、戦前に日本が軍国主義の爪跡を残し、現在も複雑な対日感情を抱えている国々の首脳と、真摯に過去の歴史を見つめ、希望の未来を展望する語らいを続けてきました。
 そして、タイ(プーミポン国王、アナン元首相)、モンゴル(バガバンディ大統領、エンフバヤル大統領)、ネパール(ビレンドラ国王)、インド(ナラヤナン大統領、ベンカタラマン大統領、ラジブ・ガンジー首相、グジュラール首相)など、他のアジア諸国のリーダーの方々との対話を通し、信頼と友誼を深めてきたのであります。
 加えて、83年にスタートした毎年の「SGIの日」記念提言を通し、国連強化や地球的問題群の解決のための提案を行ってきました。その中で、とくにアジア太平洋地域の平和に焦点を当てた提案を重ねてきました。
 このうち、韓・朝鮮半島の平和と安定を願いつつ行った「南北首脳会談の早期開催」「韓国と北朝鮮の相互不可侵・不戦の誓約の合意」「北朝鮮の核開発問題を解決するための多国間会議の開催」の諸提案は、多くの課題を抱えながらも時代の進展の中で実現をみてきました。
 また近年では、「アジアにおける共通の歴史認識の土台をつくる共同研究の推進」や、「国交正常化時の精神に立ち返り、日中関係の改善を図ること」を提言の中で呼びかけつつ、アジア各国の首脳や識者との対話を通じて、その実現に向けての環境を整える努力を重ねてきたのであります。
 なかでも昨年10月、日中首脳会談に続き、日韓首脳会談が行われ、ここ数年、政治的な緊張状態が続いていた日中関係と日韓関係が改善へ向けて動き始めたのは、誠に喜ばしいことでありました。
 加えて、このほど、アジアから二人目となる国連事務総長として、韓国の潘基文氏(前外交通商相)が新たに就任されました。
 ご活躍を心からお祈りするとともに、潘事務総長のリーダーシップのもと、国連を中心とした世界平和の建設が力強く前進することを念願するものであります。
 また本年は、日本と韓国にとって意義深い「朝鮮通信使400周年」に当たります。このほど両国は、それぞれの都市間で青少年を相互派遣し交流拡大を図る「日韓相互通信使」事業(仮称)を展開することで合意しました。現在、日中間で実施されている青少年交流とともに、日中韓の若い世代の友情が深まることを期待するものです。
 さて、日中首脳会談で合意された「日中共同プレス発表」は、実に8年ぶりの共同文書で、今後の両国関係の原則となる重要な項目が盛り込まれましたが、とくに私が着目したのは次の一文でした。
 「アジア及び世界の平和、安定及び発展に対して共に建設的な貢献を行うことが、新たな時代において両国及び両国関係に与えられた厳粛な責任であるとの認識で一致した」
 なぜならこの精神こそ、私が30年以上も前(74年12月)、周恩来総理とお会いした折に、深く一致した日中の未来ビジョンにほかならなかったからです。
 今年は「日中国交正常化」35周年の佳節でもあり、この流れを後戻りさせることなく、各分野での協力と交流を着実に進め、東アジアにおける平和と共存の要となる盤石な信頼関係を築くべき段階を迎えております。
 そこで私は、北京オリンピックが開催される明2008年から10年間を「21世紀の日中友好構築の10年」として、1年ごとに重点テーマを定め、両国のさらなる関係強化を図っていくことを提案したいと思います。
26  「外交官交流プログラム」の拡大を
 先の共同プレス発表には、2007年の取り組みとして「日中文化・スポーツ交流年を通じ、両国民、特に青少年の交流を飛躍的に展開し、両国民の間の友好的な感情を増進する」との項目に加えて、「エネルギー、環境保護、金融、情報通信技術、知的財産権保護等の分野を重点として、互恵協力を強化する」と謳われています。
 そこで「日中文化・スポーツ交流年」に続く形で、たとえば「日中エネルギー協力年」、「日中環境保護協力年」というように、毎年、各分野における協力を広げていってはどうでしょうか。
 また友好構築の10年での取り組みとして、「日中外交官交流プログラム」を実施することを検討してみてはどうかと思います。
 ヨーロッパでは戦後、フランスとドイツが2度にわたる世界大戦の恩讐を超えて、EU(欧州連合)の統合プロセスを進める原動力となってきました。
 両国には外交官を相手国の外務省に相互派遣する制度が定着しており、不要な疑心暗鬼を取り除くなど、外交関係の緊密化に効果を発揮してきたといわれています。
 日本でもこれまで、アメリカやフランスやドイツなどとの外交官交流プログラムが実施されてきました。今後は、中国や韓国などアジア諸国とも相互交流の輪を広げながら、「東アジア共同体」構築への環境づくりを整えていくべきではないでしょうか。
 次に、中国と並ぶ21世紀の躍進国であるインドについて、一言触れておきたい。
 昨年7月、ロシアで行われたサミットの最終日に、新興5カ国(中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカ)を加える形での拡大会合が行われました。
 そこで改めて、G8(主要8カ国)首脳が取りまとめたエネルギー安全保障など三つの特別文書の内容について、新興国の首脳に報告し、その意見を聞く機会が設けられたように、こうした新興国の声を踏まえることなく、サミットの方向性を打ち出すことが難しい時代に入りつつあるといえます。
 このうちインドと日本の関係についても先月、大きな進展がみられました。インドのシン首相が来日し、首脳会談が行われ、「日印戦略的グローバル・パートナーシップ」に向けた共同声明が発表されたのです。
 私は、この動きを歓迎するとともに、日印文化協定締結50周年を記念する今年の「日印交流年」の大成功を念願するものです。
 そして、適切な時期を選んで、アメリカ創価大学が中心となり、日本、アメリカ、中国、インドの4カ国の学識者を招き、「21世紀におけるグローバル・パートナーシップの深化と拡大」をテーマに国際会議等を開いてはどうかと提案しておきたい。
 アメリカ創価大学に所属する「環太平洋平和文化研究センター」には、設立以来、アジア太平洋地域の平和的発展のための政策研究を活動の柱としてきた実績もあり、これまでの研究の蓄積を生かしつつ、有意義な議論が行われることを期待するものです。
27  “不戦の潮流”を民衆の手で!
 最後に、「東アジア共同体」の構築に向けて、二つの提案をしておきたい。
 第1は、「東アジア環境開発機構」の創設であります。
 2005年12月のマレーシアでの初開催に続いて、今年1月にフィリピンで第2回の「東アジアサミット」が開催されました。
 このサミットと、これに先立ち行われた「ASEAN(東南アジア諸国連合)+3(日中韓)」の首脳会議を通じて、地域間対話による信頼醸成と関係強化が進みつつあります。
 しかし課題も山積し、東アジアにおける共同体の建設のような地域統合の実現には、まだまだ遠い道のりを要することも事実です。
 そこで私は、まず特定の分野でパイロットモデルとなる協力体制を構築することが、将来の地域共同体の姿を浮かび上がらせ、地域の国々のモチベーション(動機)を維持する上でも欠かせないのではないかと考えます。
 具体的には、緊急を要する課題である環境・エネルギー分野に特化した地域機関の設置が望ましいのではないでしょうか。
 2002年以来、毎年の「ASEAN+3環境大臣会合」の開催等を通じて、本格的な地域協力を要請する声は高まっています。酸性雨など各分野でこれまで形成されてきた地域的取り組みを「東アジア環境開発機構」の下に一元化し、総合的かつ効果的な対策の推進を目指すことが肝要だと思うのです。
28  将来の共同体建設担う人材の育成を
29  第2は、「東アジア平和大学院」の設置です。
 ヨーロッパにあって、各分野で統合の牽引力となって活躍している人々を育てる中心拠点となってきたのが、戦後まもなく創設された「欧州大学院大学」でした。
 そこでは半世紀以上にわたり、国家の狭い枠を超えてEUを担う“欧州人”を育てる教育が続けられてきました。東アジアにおいても、将来の共同体建設を見据えて、今の時期から人材づくりのための教育機関を設置しておくべきではないでしょうか。
 そして開設の暁には、カリキュラムを地域的な内容に限定するのではなく、日本に本部がある国連大学などとも連携しながら、国連を軸にしたグローバル・ガバナンス(地球社会の運営)を実現させるための方途について探究していくべきだと考えます。
 以上、日中関係などを中心に、アジアに永続的な平和を確立していくための提案を行わせていただきました。
 アジアに限らず、21世紀の地球平和を展望する時、常に念頭に置くべきは、不戦の潮流を生み出す“目覚めた民衆の連帯”をいかに築き上げていくかという点であります。
 昨年8月、私は国連のアンワルル・チョウドリ事務次長とお会いしました。席上、事務次長が語った「民衆が立ち上がってこそ、この世界を、よりよき人間の世界へと変革していける」との言葉は、私の年来の信念と深く共鳴するものでした。
 SGIが世界190カ国・地域で広げている「人間主義」の運動の眼目は、民衆自身の力で、地球上から悲惨の二字をなくし、すべての人々の平和と幸福を勝ち取ることにあるからです。
 今後も、その誇りと確信を胸に、世界の志を同じくする人々とスクラムを組みながら、21世紀の世界に「平和の文化」を広げ、対話による相互理解で人間の尊厳をともに輝かせていく「対話の文明」の建設に向け、挑戦を重ねていく所存であります。
30  語句の解説
 注1 三毒
 仏法で説かれる三つの煩悩のこと。貪は「度を越えた、激しい欲望」を、瞋は「激しい怒りや憎しみ」を、癡は「生命の法理に暗いこと」を指す。仏法では、こうした生命の濁りが、人間に苦しみや不幸をもたらすだけでなく、経済の混乱、戦乱の頻発、疫病の流行など社会への災いを生む原因ともなると説いている。
 注2 十界本有
 悟りの境界である仏界と、凡夫の九種類の迷いの境界である九界が元来、ともに具わっていると説いた仏法の深義。法華経では、十界のそれぞれが固定的で別々の世界に存在するのではなく、本来、一個の生命に具わるものであることを明らかにし、地獄の苦しみの生命や、修羅にみる勝他の生命なども自ら統御し、変革できるとの法理を示した。
 注3 物神崇拝
 商品・貨幣・資本といった「物」を、あたかも固有の神秘力をもつものであるかのように崇拝すること。マルクスの『資本論』の記述に由来した言葉で、「物」がひとり歩きを始め、逆に「人間」を支配するようにみえる転倒的現象を指す。商品経済においては避けることのできない現象とされている。
 注4 大量破壊兵器委員会
 ダナパラ国連事務次長(当時)の提案を受け、スウェーデン政府が支援し、2003年12月にブリクス委員長の下、結成された独立委員会。アメリカのペリー元国防長官をはじめ、世界の軍縮・不拡散問題の専門家14人で構成される。昨年3月まで10回にわたって会議を行い、昨年6月、成果を報告書「恐怖の兵器」にまとめ発表した。
 注5 第6条フォーラム
 NPT再検討会議の決裂という事態を受け、国際NGO「中堅国家構想」のダグラス・ロウチ議長が、核廃絶への道を探る試みとして2005年8月に提唱した構想。第1回のフォーラムは同年10月、28カ国の政府代表が参加して国連本部で開催。昨年9月にはカナダで第3回のフォーラムが行われた。
 注6 コントロール・アームズ
 オックスファム・インターナショナル、アムネスティ・インターナショナル、国際小型武器行動ネットワークを中心に進められてきた通常兵器の国際移転の規制を求める運動。世界150カ国以上の100万人を超える人々の賛同を得る中、日本を含む116カ国が決議を共同提案。先月、国連総会において圧倒的多数で決議が採択された。

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