Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第31回「SGIの日」記念提言 「新民衆の時代へ平和の大道」

2006.1.26 提言・講演・論文 (池田大作全集第150巻)

前後
1  あす26日の第31回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、池田SGI会長は「新民衆の時代へ平和の大道」と題する提言を発表した。提言ではまず、自然災害やテロなど、リスク社会化する世界の状況に触れつつ、現代文明の行き着く先として、人間が生きる背景を失い、欲望に突き動かされる「裸形の個人」に堕してしまう危険性を指摘。その打開のためには、「人間主義」の復権が欠かせないとして、フランスの思想家モンテーニュの思想や大乗仏教の知見を通し、三つの実践規範──(1)漸進主義的アプローチ(2)武器としての「対話」(3)機軸としての「人格」を提示している。その上で、平和と共生の地球社会を建設するための具体的な手立てを展望。まず国連については、新たに設置される「人権理事会」や「平和構築委員会」の意義に言及しながら、「人間の尊厳」を柱とした国連改革の重要性を強調。続いて地球環境問題を取り上げ、温暖化防止対策と「持続可能な開発のための教育の10年」において、日本が積極的な役割を果たすよう訴えている。また、東アジアにおける"不戦の共同体"を築くために、地域間協力を進める「東アジア評議会」の創設とともに、日中関係の早期回復を提唱。最後に、軍縮教育の推進を通し、民衆レベルでの「平和の文化」の拡大を呼びかけている。
2  人類を脅かすさまざまな危機
 戦後60年という歴史の節目を迎えた昨年は、人々の日常生活を一瞬にして危機に陥れる脅威が、さまざまな形で顕在化した年でもありました。
 何といっても、国際社会に大きな衝撃を与えたのは、相次ぐ自然災害です。
 2004年12月に起こったインドネシアのスマトラ沖地震・津波の傷跡が癒えぬ中、7月にはインドで洪水の被害が拡大し、8月にハリケーン「カトリーナ」がアメリカ南部を襲い、甚大な被害が出ました。
 また、西アフリカ地域でイナゴの大発生と干ばつによる食糧危機が続いているほか、10月にはパキスタン北部での地震で7万3000人が犠牲となり、約300万人が家を失いました。
 とくにアメリカで、冠水被害のために都市機能が麻痺し、多くの市民が劣悪な状況に置かれたことは、自然災害に対する脆弱性は先進国といえども大きな課題であることを、改めて浮き彫りにしたといえましょう。
 自然災害に加えて、世界に暗い影を落としているのは、各地で多くの市民を巻き込んだテロが続発していることです。
 昨年7月、ロンドンで地下鉄やバスの乗客らが犠牲となる同時爆破事件が起きました。G8サミット(主要国首脳会議)の開催で厳戒態勢にあった最中のことだっただけに、国際社会に強い衝撃を与えました。
 その後も、エジプト、インドネシアのバリ島、イラクなどで一般市民が犠牲となる事件が続いており、そうした無差別的な暴力の傾向はますます強まっています。
 このほか、人種や民族などの違いに対する不寛容が引き起こす紛争や犯罪、また移民の増加に伴う社会での軋礫が深刻化しています。
 2003年以来、アフリカのスーダン西部ダルフール地方で発生した、アラブ系民兵組織によるアフリカ系住民への襲撃で数万人規模の人々が殺害され、約190万人の国内避難民が発生しました。国連の調査団が"最悪の人道危機"と呼ぶ状況は、残念ながら、今なお解決されないままとなっています。
 また90年代頃からアメリカで大きな問題となっていた「ヘイトクライム《憎悪による犯罪》」は、2001年9月の「同時多発テロ事件」以降、広がりをみせ、とくにイスラム教徒への暴力や差別が増加していると言われます。
 一方、移民の問題に関連したケースとして、昨年10月から11月にかけてフランス全土に暴動が広がり、夜間外出禁止令が出されるほどの社会的な問題となりました。
 このほか、急速に進むグローバル化に伴い、危険度が増している問題として、感染症などの疫病問題が挙げられます。
 このうち、アフリカなどで深刻化している、「HIV(ヒト免疫不全ウイルス)/エイズ(後天性免疫不全症候群)」については、これまでの死者は2500万人以上、エイズで親を亡くした孤児の数も1500万人にのぼっており、世界で現在、4000万人もの人々がHIVに感染しています。
 また、「新型インフルエンザ」の流行も懸念されており、ウイルスが猛威を振るい始めれば、かつてのスペイン風邪に匹敵する被害をもたらすと警告されています。
3  「自由な個人」と「裸形の個人」
 以上、主だったもののいくつかを列挙してきましたが、いずれもすぐれて今日的なグローバル・イシュー(問題点)として、どれひとつ我々が"対岸の火事"視できるものはありません。
 しかもそれらは、地球温暖化やテロの温床ともなる貧困が示しているように、グローバリゼーションの「正」の側面とされている経済・金融面での世界化、IT(情報技術)革命によるネット社会の地球規模の広がりと、構造的に一体化している面もあり、両々相まって、我々に抜き差しならぬ対応を迫っております。
 まさに文明論的、人類史的課題といってよく、環境運動の標語が"グローバルに考え、ローカルに行動する"と促しているように、性急に事を運ぼうとすると、地球文明への道のりの長遠さに、ややもすると意気阻喪に襲われかねない。現代の世界に瀰漫している、新たな世紀の始まりにはふさわしからぬ、あてどなき漂流感、得体の知れぬ不安感の背景には、そうした諸事情が横たわっているように思うのであります。
 こうした事態、閉塞状況に正しく向き合うには、「大状況」から「小状況」へと、目を転じてみるにしくはない。どんな大きな問題でも、身近な生活実感の中に位置付け、捉え直すことによって、本質が明確になり、また持続的な実りある対応になってくると思うからです。
 私は昨秋、「聖教新聞」の書評欄に『人間の終焉』(ビル・マッキベン著、山下篤子訳、河出書房新社)という一冊が紹介されているのを目にしました。
 副題に"テクノロジーは、もう十分だ!"とあるように、生殖系列遺伝子の操作=注1=にまで手を染め出した最新のテクノロジーは、人間が人間であることの根底を脅かしており、放置すれば「人間の終焉」さえ招いてしまう、と警鐘を鳴らしているものです。
 その中で、著者は、産業革命以来の近代文明の歩みを振り返り、「重要なのはこれらの変化がすべて同じ方向に進んできたことだ。個人の自由と引きかえに背景を手放したという方向である」とし、その終着点が目前に迫った今、「いまや私たちは──ここが議論の核心なのだが──個人としてさえ消滅してしまう瀬戸際にいる」と警告しています。
 近代文明は、「自由な個人」の獲得めざして、人間をあらゆる束縛、しがらみから解き放つことに専心してきた。その結果、富や便益など得たものは大きいが、失ったものは更に大きい。家族、地域・職域共同体、宗教などの組織、団体、国家、そして自然……それらとの絆、しがらみという「背景」を失った「自由な個人」とは、いかなる実態を有するのか。
 それは擬制でしかなく、いきつくところは、(マッキベン氏は、この言葉は使っていませんが)、欲望をむき出しにした「裸形の個人」にすぎないのではないでしょうか。
 ドイツの気鋭の社会学者ウルリッヒ・ベック氏は、現代世界は予測不可能なリスクに覆われているとして、グローバル時代を「リスク社会」と分析したことで知られていますが(『世界リスク社会論』島村賢一訳、平凡社)、その彼の立場が、一方で「個人化論」によって補完されていることは、問題が奈辺にあるかを示しているといえましょう。
4  近年の事件にみられる特徴
 問題は「個人」にある──その辺をきちんと踏まえていかないと、「大状況」の閉塞感に風穴を開けていくことはできないと思います。
 昨今、我々の周囲の「小状況」から、"信じられない出来事""訳の分からない事件"といった予測不可能な事態を嘆く声が、しばしば聞かれます。従来の常識の射程では捉えきれない、異常な事件に遭遇した時、人々はこの嘆声を発する。
 人と人との間で成り立つのが人間であるとすれば、「裸形の個人」に「間」は存在しません。「間」がないから、彼には「他者」が存在しない。「他者」との「間」のとり方で可能となる、欲望のコントロールもきかなくなる。
 日本中を震憾させた神戸市の「少年A」事件以来の少年(少女)犯罪を分析した柳田邦男氏は、独特の抑制のきいた口調で、こう述べています。
 「真の原因を現時点で突き止めるのは困難だが、究極の原因に極めて近いところにあると思える問題は、凶悪事件を起こした少年(少女)のほとんどが、他者の傷みを思ってもみない完壁なまでの自己中心の精神構造になっているということだ」と(『壊れる日本人』新潮社)。
 「小状況」に漂う得体の知れぬ不安感、不気味さの多くは、こうしたところに帰因するのではないでしょうか。
 そこには、犯罪の今日的特徴というべきものが浮き彫りにされているようです。その特徴を際立たせるために対照的な一例を挙げてみれば、たとえばドストエフスキーは、自ら4年にわたるシベリア流刑での獄中体験を、秀逸なルポルタージュ『死の家の記録』(『ドストエフスキー全集第4巻』小沼文彦訳、筑摩書房)で活写しております。
 彼が力説しているのは、犯罪や罪人への流刑地の住民の同情や共感性であります。確かに犯罪は悪であるが、たとえ許されざる罪であっても、人間として同じ立場にあれば、そうせざるを得なかったかもしれないという、そこはかとなき同情、共感性、「訳の分からぬ」ではなく、「訳の分かる」といった身につまされるような感触──そうした心情ゆえに、住民は犯罪を「不幸」と呼び、囚人を「不幸な人間」と呼んでいる様子を生き生きと描き出しております。塀や鉄条網に隔てられていても、心と心のコミュニケーションは十分通い合っていた。
 ところが、少年犯罪を"氷山の一角"とする現代社会の病理が浮かび上がらせているものは、こうしたコミュニケーションが、ほとんど欠落していることではないでしょうか。
 昨今、テレビの画面で、悪事を犯しておきながら、ひたすら自己弁護につとめ、追いつめられると頭を下げるといった、大人たちの醜い、弛緩した表情のどこに、共感性を感じることができるでしょうか。"他者の痛み"への不感症というか、名状し難いやりきれなさ、もどかしさに襲われた人も多かったにちがいない。
 「裸形の個人」につきまとう不安、不安定さであります。そこに、「裸形の個人」なるものが、人間の正常かつ健全なあり方と、いかにかけ離れたものであるかの何よりの証左があるとはいえないでしょうか。「自然は真空を嫌う」といわれるように、人間が人間であろうとする限り、いつまでもそんな状態に耐えられるはずがない。
 時代の動向に敏感なアンテナを張り続けている識者、たとえば堺屋太一氏が、血縁、地縁、職縁などの社会を形成してきた絆が、なべてゆらぎを余儀なくされている中で、「好縁社会」を展望しているのも(『東大講義録』講談社)、あるいは山崎正和氏が、グローバル世界の「呼べど答えぬ無限空間」の中に立ちつくす個人に「社交する人間」への脱皮を促しているのも(『社交する人間』中央公論新社)、指摘するまでもなく、人間は何らかの「間柄」「関係」の中でしか生きられないからに他ならないでしょう。
5  創価学会を貫く「確信」と「核心」
 とはいえ、「好縁社会」「社交する人間」といっても、そこに能動的に参画していくのは、あくまで個人であります。
 個々人に、そうした人間関係の中にすすんで加わり、一員になっていこうとする意志、意欲がなければ、社会そのものが成り立ちません。そこで、「自由な個人」を「裸形の個人」に堕さしむるのではなく、意志的で能動的な「強靱な個人」へと鍛え上げていく"足場""支点"が緊要となってくると思うのであります。
 文明が「個人としてさえ消滅」してしまいかねない、行き着くところまで来てしまった現在、そこにスポットを当てていく以外に、闇を突き破っていく方途はないのではないでしょうか。そこから、民衆の活力を引き出していく以外に、新たな文明の地平を切り開いていくことはできないのではないでしょうか。
 30年以上も前のことに与なりますが、かつて私が「新民衆」の時代を遠望したのも、そうした信念に基づいたものでした。
 私どもの推進しゆく仏教運動、仏教を基調にした人間主義運動は、何よりも、そうした「強靱な個人」を鍛え上げるという時代の要請に応えるものでなくてはならない。
 そこで思い起こすのは、在日経験の長いベルギー出身の宗教学者ヤン・スィンゲドー氏(南山大学名誉教授)が、創価学会について語っていた興味深い感想です(「聖教新聞」1984年3月11日付)。
 スィンゲドー氏は、20年余りに及ぶ日本社会、日本宗教の見聞を通して、創価学会の特徴は、従来の日本人の信仰と違って、信仰の「確信」があり、人間の内面的価値に気づかせる宗教の「核心(コア)」が脈打っているところにある、とします。そして、この二つの「カクシン」=「確信」「核心」が人格のバックボーンを形成しゆくところに、世界平和に貢献しゆく人材の輩出を見いだしておられるのです。
 「日本は『和』の国であるといわれておりますが、その『和』は日本の和だけにとどまっていてはならないと思います。池田名誉会長や学会のメンバーが尽くされている『和』は世界を対象にした平和の『和』であって、これは日本の宗教界にあって大きな変化を示す運動だと思います」と。まことに鋭く、私どもの運動の本質を見てくださっているといってよい。
 かつて福沢諭吉は、おしなべて権力の僕であり続けた日本の宗教(とくに江戸時代の仏教)的な伝統を嘆き、「日本国中既に宗教なしというも可なり」(『文明論之概略』岩波文庫)と断じていました。スィンゲドー氏は、日蓮仏法を基盤にはっきりと自己主張をしていく私どものあり方に、そうした日本の伝統を突き破る可能性を感じておられたのかもしれません。
 時代は急速に進んでおります。グローバル時代を担うにふさわしい「強靱な個人」を鍛え上げることこそ、今、宗教の第一義的な役割なのであります。
6  宗教戦争と対峙したモラリスト
 さて私は、ここ数年、仏教を基調にした人間主義の枠組みについて、何回か角度を変えて考察してきました。
 そこで今回は、今までの論調を踏まえ、肉付けするための"ケーススタディー"として、ある一人の人物──仏教的伝統とは無縁でありながら、仏教とくに法華経から日蓮仏法にいたる大乗仏教の人間主義の系譜に、驚くほど親近する思索と行動を残していると私が考える、フランスのモラリズムの源流、16世紀のミシェル・ド・モンテーニュにスポットを当ててみたい。
 主著『エセー』は、冒頭、「まことに人間というものは驚くほど空な、変わりやすい、不定な存在である。人間について恒常斉一な判断を立てることはむずかしい」との、事象の相対性、可変性を基調にする仏教の無常観とも響き合うような感慨に始まり、ここでは立ち入りませんが、そのオリエンタル(東洋的)なトーンは一貫しています(以下、『世界古典文学全集第37巻』と『世界古典文学全集第38巻』原二郎訳、筑摩書房)。
 しかし彼は、のちの欧米諸国の仏教理解にまま見られるような、無常迅速の世を嫌って出家・山間にこもる生き方をよしとしたのでは全くありません。確かに城館での執筆活動が一番性に合うともらしてはいるものの、高等法院の法官、ポルドー市長、国王の側近など公務にいそしみ、あるいは、このんで庶民の語らいの輪に入るなどして、モラリストらしく、俗塵にまみえることを少しも厭いませんでした。
 その59年の生涯のほとんどが、ヨーロッパ史上最も凄惨をきわめた宗教戦争=注2=の渦中であったことを考えれば、『エセー』の文々句々は、文字通り、"如蓮華在水"の輝きと重みをもっています。先に「小状況」を通して「大状況」にアプローチすることの肝要に触れましたが、まさにモンテーニュの営為がそれであり、グローバル時代に対応するための人間主義、世界市民のエートス(道徳的気風)を考える際、彼ほどの適任者はいないでしょう。
7  身近な「日常」を思想の出発点に
 『エセー』には、こうあります。
 「人々は自分から脱け出し、人間から逃げたがる。ばかげたことだ。天使に身を変えようとして動物になる。高く舞い上がるかわりにぶっ倒れる。あの超越的な思想というやつは、近づくことのできない高い場所のように私を恐れさせる」
 「自分」や「人間」という身近な「小状況」である日常性を避けてはならぬ、避けたらどこかでしっぺ返しは免れない、というのであります。
 仏典に「一人を手本として一切衆生平等」とありますが、モンテーニュの普遍的精神も、「自分」や「人間」という生身の「一人」に徹することで開けた展望に他なりません。
 モンテーニュの普遍的視座は、当時猛威をふるっていた旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)との差異、対立をはじめ、「宗教」の名の下での差別を、「人間」の名の下に超えていきます。
 「われわれの品行をマホメット教徒や異教徒のそれとくらべてみられるがよい。常にわれわれのほうが彼らに劣っているから」「キリスト教徒の敵意ぐらい激しいものはどこにもない」「われわれの宗教は悪徳を根絶させるために作られたのに、かえって悪徳をはぐくみ、養い、かき立てている」彼は一応、カトリック教徒を自認したものの、宗派性とは無縁でした。宗教の名の下に人間を貶める輩に対しては、万事に慎重かつ温厚であったこの人が、誰かまわず容赦なく断罪していきます。
 「信仰の自由」という言葉さえなかった(「自由」や「人権」が表舞台に登場する「人権宣言」は200年後です)時代に、『エセー』に「信仰の自由について」の一章が挿入されていることからも、その勇気のほどが知れます。
 モンテーニュの普遍主義の広がりは、人種や民族の差異のハードルをも、事もなげに越えていきます。彼にとって、ほとんどの人が疑いさえもたなかった「文明」「野蛮」といった植民地主義のイデオロギーなど、くだらぬ絵空事でしかなかった。
 ブラジル原住民の印象を記す言葉は、大胆かつ公平にして、温かなものです。「理性の法則から見て彼らを野蛮であるということはできても、われわれにくらべて野蛮であるということはできない。われわれのほうこそあらゆる野蛮さにおいて彼らを越えている」と。
 モンテーニュは、現代にいたるまで多くの人々を呪縛し続けている人種、民族間の差別や偏見とは、最も遠いところに位置していました。ゆえに、"世界市民"ソクラテスへの有名な鑚仰が生まれる。
 「ソクラテスは、おまえはどこの人かとたずねられて、『アテナイの人だ』と答えずに、『世界の人だ』と答えました。彼は普通以上に充実した広い思想の持主でしたから、全世界を自分の町と考え、自分の知人や、交際や、愛情を全人類に向かって拡げていたのです」
 また、モンテーニュの普遍的視野にとって、身分の差異、相異など眼中にありません。二つほど証言を挙げておきます。
 「百姓と王様、貴族と賎民、役人と平民、金持と貧乏人、をくらべると、たちまち、非常な差が現われて来る。だが、実際には、言ってみれば、彼らのズボンが違うだけである」
 「私も当節、大学の学長などよりも賢く仕合せな多くの職人や百姓たちに会ったが、どちらかというと、こういう人たちにあやかりたいと思う」
 こうして彼は、封建制度の下での身分制度を痛快に笑いとばしているのですが、だからといって無政府主義のようなラディカリズムにも与せず、自身がその一員(公人)であった貴族社会を否定するわけでもありません。たぐいまれなリベラルで寛容の人でありながら、筋金入りの保守主義者であることに少しも矛盾を感じなかった。ここにモンテーニュの思想のユニークさがあります。
 仏典には、「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」とあります。モンテーニュにも同趣旨の発言がありますが、思うに、こうした現実への対応こそが、流血の惨事を避けつつ、物事を漸進的に進めていく最良の方法だったのかもしれません。
8  すべての生命に開かれた「感性」
 更にユニークな点は、普遍的世界を透視する彼の眼差しが、人間同士だけでなく、自然界、動物や植物などをも射貫いていることです。「レーモン・スボンの弁護」という最も長大な章を起こすにあたって、彼はこう述べます。
 「本当に私は、われわれ人間の思い上りを大いに値引きし、人間が他の動物の上にもつといわれるあの想像上の支配権を辞退したくなる」「そこには、生命と感情をもつ動物だけでなく、樹木や植物に対しても、われわれを結びつけるある種の敬意と、人類全般の義務が示されている」と。
 人間と自然との間に、位階秩序の線引きをする伝統的な考え方とは明らかに異質で、むしろ「一切衆生悉有仏性」「草木成仏」=注3=など仏教の法理に通底しており、こうした考えが時代精神にまで薫発されれば、環境破壊などからの脱却の道も見えてくるはずです。
 モンテーニュの懐疑を特徴づける面白い個所があります。「私が猫と戯れているとき、ひょっとすると猫のほうが、私を相手に遊んでいるのではないだろうか」というのです。軽妙かつユーモアに富んだ寸言ですが、こうした相対感覚、生命感覚は、人間とペットとのあり方などにも含蓄の深い示唆を投げかけているようです。
 以上、モンテーニュを"ケーススタディー"として、人間主義の中身である「世界市民のエートス」ともいうべきものを論じてきました。
 同時にこの人間主義は、すぐれて実践規範であるという側面を併せ持っていることに留意したい。私が感嘆するのは、その点でも、400年以上前のこの文人が、"ケーススタディー"として格好の材料を提供してくれている、ということです。
 13年前の1月、アメリカのクレアモント・マッケナ大学での講演で、私は、仏法を基調にした人間主義の行動のあり方、実践規範として、①漸進主義的アプローチ②武器としての「対話」③機軸としての「人格」、の3点を訴えました。それらを吟味してみると、モンテーニュの歩みが、驚くほどその三つの規範にかなっているかが、判然としてきます。
 第一に、最も強調されるべきものとして、漸進主義的アプローチがあります。
 『エセー』を一読して、誰もが強く印象づけられるのは、習慣というものの持つ力、役割が、ことさらに力説されていることではないでしょうか。
 「私の考えでは、習慣のなさないもの、もしくはなし得ないものは一つもないと思うのである。聞くところによるとピンダロスは習慣を世界の女王、世界の女皇と呼んだそうだが、いかにももっともである」「習慣はわれわれの生活に好きなように形を与える。習慣はこのことでは何でもできる。まさに、われわれの性質を好きなように変えるキルケの酒(ギリシャ神話にでてくる、飲んだ者の姿を豚に変えてしまう魔法の酒)である」等々、いささか言葉がすぎるのではないかと思えるほどです。
 しかし、ここに「小状況」からのアプローチに徹するモンテーニュの真骨頂があります。
 なぜなら「小状況」は、千差万別一つとして同じものはない。時に正反対の場合もあり、その地域特有の伝統的習慣に染め上げられている。そこに住む人々も、白紙の人間ではなく、「生まれたときに飲む乳と共に習慣を飲み」こんでおり、「われわれの出生にははじめから習慣のあとについて歩むという条件がついている」と。つまり、「自由な個人」など存在しないのであって、人間は容易にゼロ、白紙に戻せるものではなく、「何らかの方法で人間を矯正し、改造することはできても、その習性となった襞を元に戻すことは、すべてを破壊しないでは不可能に近い」。
9  急進主義の陥穽
 まして、それらが集積し、はるかに輻輳を極める国家のような「大状況」にあっては、経験則を踏まえた漸進的かつ部分的手当ては可能であっても、「人間の想像で作り上げた政治形態」に合わせて壊したり作ったりできるものでは決してない。それは人間の思い上がりである。
 「これほど大きな全体を鋳直し、これほど大きな建物の土台を変えようというのは、汚れを除こうとして絵そのものまでも消してしまう人々、個々の欠点を直そうとして全体の混乱をひき起こし、病気を治そうとして病人を殺してしまう人々、《改革するよりは破壊することを望む人》のすることである」と。
 これは、宗教改革をめぐる抗争の地獄図絵を通して、モンテーニュが骨身に染みていた教訓でした。ゆえに彼は、『エセー』で200年後の「人権宣言」の理念さえ先取りしていながら、現実の改革に対しては、懐疑派らしい不信の念を隠そうとはしませんでした。先に私が、「リベラルで寛容の人でありながら、筋金入りの保守主義者」とした所以であります。
 「私は改革がどんな仮面をつけていようとこれを忌み嫌う」というモンテーニュの警告が肯綮に当たっていたか、あるいは"羮に懲りて膾を吹く"たぐいの杞憂であったか──その後のフランス革命やロシア革命の全面評価は、歴史家の手に委ねた方がよいかもしれない。
 しかし、このことだけは言えると思います。すなわち、急進主義的な近代革命の推進者たちは、人間や社会の"可塑性"(かそせい=作り直しの可能性)ということに、あまりにも楽観的でありすぎ、その思い上がりが、急進的に事を急ぐあまり、テロや拷問、殺戮などの暴力を正当化し、鮮血淋漓たる傷跡を残してしまった、と。その死屍累々は、少なくとも"可塑性"という一点に関しては、モンテーニュの懐疑的洞察の方が、よほど正しかったということの何よりの証左ではないでしょうか。
 そこで、公務に携わった経験に照らし、「政治に関する徳」について語っている個所に触れてみたい。漸進主義的アプローチの精妙なデッサンであると、思うからであります。
 「いろんな襞と角度と屈折のある、混りものの、技巧をこらした徳であって、まっすぐな、純粋な、不変な、清浄潔白な徳ではない」「群集の中を行く者は、脇に寄ったり、肘をせばめたり、退いたり、進んだりしなければならない。いや、出会うものによっては本道からもそれなければならない。自分に従うよりはむしろ他人に従って生きなければならない。自分の考えよりも他人の考えに従って、時機に従って、人々に従って、事柄に従って、生きなければならない」
 一見、婉曲で、持って回った言い方に見えますが、本来、政治は技術であります。押したり引いたり、利害を調整し、異見の折り合いをつけ、妥協や折衷を日常のこととするものであり、高望みをしてはならない──。熟読するほどに「正当な歩み方というものは冷静で、重厚で、抑制された歩み方であって、放肆で無軌道な歩み方」ではないと自負する、「公人」モンテーニュの苦労と忍耐がしのばれる味わい深い一節であります。現今の日本が直面する、山積する諸課題を論ずるに際しても、大いに参考になるのではないでしょうか。
10  精神を鍛錬する最も良い方法
 そうした漸進主義のあり方が、第二に、最重要の手段、武器としての「対話」に行き着くであろうことは論を待ちません。対話がいかに枢要な位置をしめていたかは、次の言葉に尽くされています。
 「精神を鍛錬するもっとも有効で自然な方法は、私の考えでは、話し合うことであると思う。話し合うということは人生の他のどの行為よりも楽しいものだと思う」
 「話し合う方法について」と題する章節には、対話を進めるに際しての心得、心構えが、微に入り細をうがって述べられていますが、ここでは、二つの点に留意しておきたい。
 一つは、モンテーニュが、貴族であるにもかかわらず、上流であろうと下層であろうと「ズボンが違うだけ」と言い放ち、「よい論理学者であるよりはよい馬丁でありたい」と、むしろ下層民衆との語らいの中にこそ、対話の"真実"、人間の"品位"を見いだしていった、まことの人間主義者であった、ということであります。
 「私は、数階建ての精神を、緊張することも弛緩することもでき、運命にどこへ連れてゆかれても気分よくしていることができ、隣人と建物や狩猟や訴訟について歓談することができ、大工や庭師とも快くおしゃべりのできる精神を誉めたたえる。自分のお供のもっとも低い身分の者ともなれ親しみ、いっしょに話に花を咲かすことのできる人々を羨しいと思う」
 悠々として闊達自在であり、こういう「人間」に徹したキャラクターにして初めて、「小状況」からの漸進的アプローチが、可能となるにちがいない。
 ソクラテスを「師の中の師」とこよなく尊敬するのも、「ソクラテスは精神を自然に平凡に動かしている」と感嘆しているように、この"人類最初の教師"が、人を選ばず、所を選ばず、哲学の専門用語など何一つ使わず、"民衆の海""言葉の海"の中を自在に泳ぎながら、英知をつむぎ出しているからに他なりません。
 二つには、モンテーニュが、対話に際しても、「原因と結果を握って、自分の手で自分の仕事を導いているとうぬぼれる者」を斥け、人間の思い上がりを排し、自己の思慮分別を超えた力、運命の力といったものに、正しく向き合っていたということです。
 「私は物事を思案しようとするときは、その内容の輪郭を素描し、それを最初に現われた姿で軽く考察して、肝心要のところは天に任せるのを常とした」
 宗教のジャンルでいえば、"祈り"に通ずるところであります。この謙虚な姿勢を忘失すれば、言葉への過信は、何かの壁にぶつかった時、容易に不信へと転じていってしまいます。そこから、問答無用の暴力へは、"一歩"を余すのみであります。力による革命は言うに及ばす、我々の日常の「小状況」でも、しばしば体験するところではないでしょうか。
 モンテーニュの言う「うぬぼれる者」とは、決して他人事ではない。欲望のおもむくまま、生殖系列遺伝子の技術を生まれてくる子どもの操作に用いることなどは、人間の思い上がりの最たるもの、醜悪なる破局でしかありません。
11  「自分自身」を徹して問い抜く
 第三に、機軸としての「人格」という点でも、モンテーニュは、尊い範を示していると思います。
 冒頭に触れたように、『エセー』は、随所に東洋的無常観ともいうべき世界認識を散りばめています。しかし、だからといって情緒的な無常観──とくに日本でしばしば解されがちな無常観(感)に色濃くにじみ出ている「天」や「大自然」といった自分を超えた大いなる存在へ没入し合一するところに救いを見いだす態のものとは似て非なる、日常性の節々に脈打つある種の生活感覚なのであります。
 『エセー』3巻107章のほとんどは、そうした庶民の生活感覚に即した処世訓めいたタイトルが付されており、そこに、平凡な生活者であることを無上の誇りとした、モラリストの真骨頂がありました。
 「読者よ、──私自身が私の書物の題材なのだ」という切り口上めいた言葉に始まるこの大著には、「人間は誰でも自分の中に人間の性状の完全な形をそなえている」「私は、あらゆる点で自己の主人でありたい」「私は私の扱う材料(モンテーニュ自身)の王である」「私は私自身をはらわたまで見て研究しているし、私自身に属するものをよく知っている」等々と、己を含め恒常なるものは何もないと達観しながら、叙述のスタイルに始まって、執拗に自分自身にこだわり続けます。
 「われわれの偉大な光輝ある傑作は、立派に生きることである。それ以外のすべては、統治することも、富を蓄えることも、建物を建てることも、せいぜい付随的、副次的なものにすぎない」と、機軸としての「人格」を希求し続けています。
 そうしたこだわり、希求を、徹底して突き詰めたところに開かれゆく境位は何か、あるいは、こだわり、希求し続ける執念を支え続けたものは何か──。『エセー』の最終章は、こう結ばれています。
 「自分の存在を正しく享受することを知ることは、ほとんど神に近い絶対の完成である。われわれは自分の境遇を享受することを知らないために、他人の境遇を求め、自分の内部の状態を知らないために、われわれの外へ出ようとする。だが、竹馬に乗っても何にもならない。なぜなら、竹馬に乗っても所詮は自分の足で歩かなければならないし、世界でもっとも高い玉座に昇っても、やはり自分の尻の上に坐っているからである」
 あの有名な「ク・セ・ジュ」(私は何を知っているか)をモットーに、ソクラテスの衣鉢を継いで、"汝自身"を問い続けた真正の懐疑派、相対主義者の行き着いた先が、この、一種絶対性の境位なのであります。徹底して疑うことによって、独断や狂信を根こそぎにし、欺瞞性を切り裂いてきた人の、ここが"足場"であり、信念の"機軸"でした。
12  "人間のための宗教"の復権を
 "足場"や"機軸"がしっかりしているからこそ、宗教戦争、植民地収奪、身分制度などで人間の尊厳を冒す悪に対しては、容赦なき指弾のつぶてを投げ続けることができた。また、その絶対性の境位が、相対に相対をつき合わせ、懐疑に懐疑を重ねたところに浮上する内発的な境位であったがゆえに、相対主義を絶対化してしまうという(多くのマルクス主義者がはまりこんだ)落とし穴を免れることができた。
 かつて文学者の中野重治が、夏目漱石と魯迅を読み比べ、同じような「人間的に非常に深い感動」を受けるが、魯迅の場合、「それが、人間的な感動というところに止まらない。すすんで悪と戦おうというところへくる。悪をにくむというところへくる。いくさにこちらが勝たぬまでも、政治的には相手に烙印しずにはいられない、烙印しずにはおかぬぞというところへくる」と述べていたのを想起します(『中野重治評論集』林淑美編、平凡社ライブラリー)。
 気質の相異こそあれ、魯迅もモンテーニュ同様、卓越したモラリストでした。中野重治が漱石に感じていた限界めいたものは、おそらくは日本的な無常観(感)に通じていると思います。またスィンゲドー氏が日本的な「和」に限界を感じ、創価学会の平和運動、人間主義運動に、世界平和の「和」への可能性を見いだしておられたのも、粘り強い対話、悪と戦う気概、それを支える人格といったモラリスト的要因を感じ取ってのことではないでしょうか。
 その「人格」形成のためにこそ、宗教はある。モンテーニュが力説してやまなかったのも、そうした"人間のための宗教"なのであります。
 そして本来、仏教は、「みずからを洲とし、みずからを依りどころとして、他人を依りどころとしてはならぬ。法を洲とし、法を依りどころとして、他を依りどころとしてはならぬ」(増谷文雄『仏教百話』ちくま文庫)と、"自帰依""法帰依"による人格の絶対的完成(成仏)を、すべての機軸としているのであります。
 それが民衆の人格の"確信""核心"となり、ひいては世界市民の形成へと通じていくであろうことを、私は念じてやみません。
13  市民社会と総会を結ぶ「対話」の促進を
 続いて、目覚めた「民衆」が主役となって、平和と共生の地球社会を建設するための具体的な方途について論じたい。
 その中心軸となるべき存在は、何といっても国連でありましょう。
 テロや紛争、貧困や環境破壊、飢餓や疫病など、国境を超えて人々の生活と安全を脅かす脅威が広がる中、新時代に対応した国連の改革・強化が望まれています。
 創設60周年を迎えた昨年は、さまざまな形で改革論議が高まり、3月にはアナン事務総長が、『より大きな自由を求めて』と題する報告書を発表しました。
 これは、「貧困からの自由(開発)」「恐怖からの自由(安全保障)」「尊厳をもって生きる自由(人権)」という三つの角度から、国連の使命と改革の方向性を、包括的に打ち出したものです。
 報告書では、これらが密接な関係にあることを、次のように強調しています。
 「開発なしに、人類の安全保障はない。安全保障がなければ開発も不可能である。また、人権が尊重されなければ、開発も安全保障もありえない」
 実に重要な視点だと思います。
 私もこれまで、国連改革を展望するにあたっては、「人間」という言葉を冠する三つのテーマ――すなわち、「人間開発」「人間の安全保障」「人権」を柱に据えることが欠かせないと、訴えてきました。なぜなら国連の根本使命は、"われら人民は"で始まる憲章が象徴するように、世界のすべての民衆のために尽くし、地球上から悲惨の二字をなくすことにあるからです。
 このアナン事務総長の報告書などをもとに、討議が重ねられた結果、9月に行われた国連総会の特別首脳会合で、国連改革のための「成果文書」が採択されました。
 しかし、意見調整が難航したために、核軍縮と不拡散の分野のように言及部分がすべて削除されたり、大枠での合意のみに終わった項目が少なくなかったことは、誠に残念でした。
 また、大きな焦点となっていた安全保障理事会の改革も、「早期の改革を支持」との表現は盛り込まれたものの、理事国の拡大などの具体案については、結果的に見送られました。
 私は、グローバルな視点に立って"責任のより幅広い共有"を目指していくという安保理改革の方向性自体は支持するものであり、国連の基盤強化のために、どのような形で改革を進めればよいのか、今後も意見の集約を図っていくことが必要でしょう。
 この基盤強化に関連して、国連の予算の安定的な確保も重要な課題となっており、加盟国からの分担金のほかに、私がかつて提案した「国連民衆ファンド」のような資金確保の手段なども、前向きに検討すべきだと思います。
14  「特別首脳会合」での改革の成果
 これらの課題を残しながらも、成果文書で、人権委員会に代わる「人権理事会」の設置や、「平和構築委員会」の創設、人道危機に対応するための「中央緊急回転基金」の改善などの改革案が合意をみたことは、一定の前進と評価できます。
 "政府間組織"という制約上、意欲的な改革や新しい挑戦を始めようとしても、各国の国益という厚い壁が立ちはだかってしまうのは、悲しむべき現実です。
 しかし悲観しているだけでは、前に進むことはできません。大切なのは、合意した内容を実行段階へと移し、脅威にさらされている人々の苦しみを取り除く体制を一日も早く確立することではないでしょうか。
 そこで今回、合意をみた改革案の中で、とくに「人権理事会」と「平和構築委員会」について、一言、言及しておきたい。
 第一は、「人権理事会」の設置です。
 これまで人権委員会は、各国の人権問題をはじめ、世界共通の課題をテーマごとに取り上げ、改善に向けた討議と研究を続けるとともに、決議の採択を通し、改善策の提案や、改善を求めるための人権侵害の事実公表といった活動を行ってきました。
 しかしその一方で、人権問題によっては、特定の政府を糾弾することに終始して問題の硬直化を招いたり、各国の外交関係を反映する形で人権問題の扱いが過度に政治化してしまう傾向もみられただけに、信頼性の回復が急務となっていました。
 「人権理事会」は今後の検討を経て、年内の設置が目指されていますが、私は、「人権理事会」が担う役割や体制について、いくつか提案をしておきたい。
 一つ目は、理事会の通常会期の議題の一つとして「人権教育と広報」の項目を設け、人権侵害が起こる土壌を改善するための予防策の検討に力を入れていくことです。
 個々の人権侵害の違法性を討議し、犠牲者を救済する措置を模索することは、当然、人権委員会から継続すべき重要な任務であることはいうまでもありません。
 しかし、人権侵害を予防したり、再発を防ぐためには、そうした侵害を生み出す社会の土壌を粘り強く変えていく努力が求められましょう。
 折しも昨年から、国連の「人権教育のための世界プログラム」がスタートしており、「人権理事会」が議題項目の一つとして人権教育による意識啓発を取り上げ、この問題に継続的に取り組む中で、世界プログラムの実施をフォローアップしていくことも期待できるのではないでしょうか。
 二つ目は、NGO(非政府組織)をはじめとする市民社会の代表に、「人権理事会」への参加の機会を確保することです。
 これまで国連の人権運動は、多くのNGOなどの積極的な関与によって、実質的に支えられてきたといっても過言ではありません。また人権委員会では、経済社会理事会の機能委員会という位置付けであったことから、経済社会理事会との協議資格を基準に、NGOの関わり方が制度化されていました。
 全体会での発言や、さまざまな協議会において、政府や国連の関係者とNGOとの協議が活発に行われてきたこの制度は、新しい「人権理事会」においても、継続されるべきであり、より効果的な形で維持されることを、私は強く望みます。
 三つ目は、人権問題に関する専門家で構成される諮問機関を「人権理事会」の下に設置することを提案したい。
 具体的には、人権委員会の下で活動を行ってきた人権小委員会を継続させるか、または同様の機能をもった組織を設ける形になるかとは思いますが、「人権理事会」の討議を支えるシンクタンク(調査研究機関)としての機能に加えて、市民社会からの視点を反映させる役割を担っていくべきでしょう。
 またこの諮問機関で、これまで人権小委員会の下で発展してきた小委員会の特別報告者や、先住民や少数者などの特定人権問題に関する作業部会といった制度を、今後も引き継いでいくべきではないでしょうか。
15  紛争が再燃する"悪循環"を断つ
 第二は、「平和構築委員会」の創設です。
 これは、紛争後の平和構築から復興にいたるまで、一貫した国際支援を進めるために総合的な立場から助言や提案を行う機関で、昨年末の国連総会と安保理での決議を経て正式に発足が決まったものです。
 2年前の提言で私が提案していた「平和復興理事会」と同様の機能を担う機関であり、大いに歓迎するものです。
 国連によれば、ようやく和平を実現した国や地域の約半数が、5年以内に再び紛争状態に逆戻りしているといいます。まずは、この悪循環を断ち切っていくことに、「平和構築委員会」の使命はあるでしょう。
 発足にあたり、国連では「平和構築委員会」が担う役割について、種々規定していますが、私は、とくに以下の3項目の具体化に全力を挙げてほしいと思います。
 ①活動内容を決めるにあたっては、対立する政府やグループの中心者だけでなく、地域に暮らす人々の声に耳を傾け、その不安や脅威を取り除く対応を優先させること。
 ②平和構築のプロセスは長い年月を必要とするものであり、国際的な支援を継続的に確保する上でも、NGOとの協議の場を設け、連携を深めていくこと。
 ③紛争を乗り越え、平和構築に取り組んだ国の人々が、その経験を生かし、紛争の後遺症で苦しむ他の国の人々のために貢献できる道を開いていくこと。
 平和構築や復興再建というと、ともすれば、国民選挙の実施や新しい政府づくり、憲法の制定といった"国家の再建"という外面的な要素ばかりに目が向けられがちです。
 しかし、そこに暮らす「民衆」の視点に立たない限り、悲劇の流転は止まないことは、20世紀の歴史が証明してきたところです。
 その教訓を踏まえた上で、国連を中心に、民衆一人ひとりの"生活の再建""幸福の復興"を目指し、国際協力の輪を広げていくことに、「平和構築委員会」が果たすべき責務はあるのではないでしょうか。
16  "人類の議会"を活性化する道を
 この民衆の視点に立った国連改革という面で、私が提案したいのは総会の強化です。世界の平和と安全に関する分野では、安保理が主要な役割を負うものの、すべての加盟国が参加し、グローバルな脅威への対策を論じ合う「普遍的な対話のフォーラム」は、国連総会をおいて他にありません。この"人類の議会"を活性化していくことが、国連全体の強化につながっていくはずです。
 アナン事務総長の報告書でも、総会の改革に関して、「その時々のもっとも本質的な問題を集中的に審議するとともに、市民社会と全面的かつ組織的に協力するためのメカニズムを確立すべきである」との方向性が打ち出されていました。
 残念ながら特別首脳会合では、その具体的手立てについて合意されませんでしたが、今後もこうした方向性が国連総会の改革の要となることは間違いありません。
 そこで私は、とくに「市民社会との協働関係」の確立という観点から、総会の議長や各委員会の代表とNGOとの協議の場を積極的に設けていくべきであると提案したい。
 昨年6月には、国連の史上初の試みとして、総会主催で、市民社会との公聴会が2日間にわたって行われ、世界各地から集まったNGOの代表や専門家が、幅広く意見を表明する場となりました。
 先の成果文書でも、"公聴会のような、市民社会の代表らと加盟国との対話を歓迎する"と謳われるなど、きわめて画期的なものだったと評価できます。
 一方、NGOの側でも、「ミレニアム+5NGOネットワーク」を立ち上げ、市民社会からの声を取りまとめたり、国連側との窓口としての機能を果たすなど、意欲的な挑戦がスタートしています。
 こうした「民衆と国連をつなぐ対話の場」を定着させていくことは、加盟国と民衆(市民社会)という二本足に支えられた国連をつくりあげる基盤となるはずです。
 SGI(創価学会インタナショナル)としても発足以来、仏法の「人間主義」の理念に基づき、国連支援の活動を続けてきました。昨年6月には、SGIの代表が、宗教・倫理関連の国連登録NGOからなる「国連宗教NGO委員会」の議長に就任するなど、より多角的な役割を担うようにもなっています。
 また、私が創立した戸田記念国際平和研究所では、創立10周年を記念して、国連の改革・強化のための国際会議を、2月にアメリカのロサンゼルスで開催します。
 そこでは、「人間の安全保障とグローバル・ガバナンス(地球社会の運営)」や「文明間の対話」など、これまでの研究プロジェクトの成果を踏まえながら、"民衆の民衆による民衆のための国連"を構築するための方途を討議する予定です。
17  アフリカやアジアで広がる危機
 続いて、今、世界が直面する課題の一つである「地球環境問題」について論じておきたい。昨年2月、私は、「京都議定書」の発効にあわせて来日された、ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイ博士とお会いしました。
 今や、世界平和を展望する上で、地球環境問題は避けて通れない課題となっています。博士自身も、こう述べておられました。
 「私とともに、環境の分野で活動してきた何百万という人々がいます。今回の受賞を通して、『平和のために環境が重要である』『平和を守るためには環境を守らなければならない』という、強いメッセージを送ることができたと思います」と。
 マータイ博士は、母国ケニアを襲う砂漠化と戦うために、「グリーンベルト運動」を立ち上げ、多くの女性らとともに、アフリカで30年間にわたり、3000万本の植林運動を進めてきたことで知られます。
 現在、砂漠化は、アフリカやアジアの乾燥地帯などを中心に深刻化し、地球温暖化の影響で今後も更に拡大する可能性が高いと言われています。
 これは、国連などが進める「ミレニアム生態系アセスメント」=注4=の結果、明らかになったもので、このまま地球温暖化が進んで砂漠化が深刻化した場合、発展途上国を中心に20億人近くの生活が脅かされると予測されています。
 こうした中、国連では今年を「砂漠と砂漠化に関する国際年」に定めました。
 国際年を通じて、砂漠化を防止する国際協力が進むことが期待されますが、同時に私は、砂漠化を拡大させる要因ともなっている地球温暖化の分野でも、抜本的な対策を講じていく必要があると訴えたい。
18  「京都議定書」後の温暖化対策
 地球温暖化は、「酸性雨対策」や「オゾン層保護」に続いて、国際的な枠組みづくりが進んできた分野です。
 ようやく昨年、「京都議定書」が発効し、先進国が2012年までの温室効果ガスの平均排出量を1990年比で少なくとも5%削減することが義務づけられました。
 しかしこれだけでは、対策としては不十分で、温暖化を抑えるには、排出量を現在の半分以下まで減らす必要があると言われています。
 今後の焦点は、「京都議定書」から離脱したアメリカと、温室効果ガスの排出量が増加している中国やインドなど途上国の参加をどう図っていくかにあり、この問題は、昨年7月のG8サミット(主要国首脳会議)でも議題となりました。
 また12月にカナダで行われた気候変動枠組み条約第11回締約国会議と、「京都議定書」第1回締約国会議の結果、同条約の下に「作業部会」を設け、2013年以降の取り組みについての対話を今後2年間で行うことなどが決まりました。
 討議内容に拘束力はないとの留保付きながらも、アメリカや途上国も参加する、すべての国に開かれた対話の場が設けられたことで、一時は崩壊さえ懸念された条約の危機は回避されました。
 そこで私は、ホスト国として「京都議定書」の成立に力を注いだ日本が、環境問題に熱心な国々と連携しながら、温暖化防止の第二段階の枠組みづくりに向けて、リーダーシップを発揮すべきであると訴えたい。
 京都議定書では、すべての締約国に、エネルギー効率を上げることと、森林などを育て、二酸化炭素の吸収を進めることを義務づける一方、温室効果ガスの削減目標の達成を円滑に図るために、京都メカニズム=注5=と呼ばれる仕組みと、森林の吸収量の増大を排出量の削減に算入する方法を認めています。
 日本は自国の取り組みに全力を注ぐことはもとより、各国における森林保全や植林)活動、再生可能エネルギーの導入について、率先して支援していくべきではないでしょうか。
 この点、締約国会議で途上国の側から提示されたプラン──先進国が途上国に投資して温室効果ガス削減事業を行う「クリーン開発メカニズム」の対象に、森林保全を進める事業を加える案は、注目に値します。
 私は4年前の提言で、「再生可能エネルギー促進条約しの締結とともに、「地球緑化基金」の設置を呼びかけました。
 世界の温室効果ガス排出の増加分のうち、1割から2割は森林の減少が原因とされているだけに、森林保全のグローバルな協力体制を築くことは急務となっています。
 私は、こうした途上国の要望を踏まえた制度を前向きに整備していく中で、途上国の側にも、温室効果ガスの排出量を削減させる枠組みへの参加を求めていくことが重要であると思うのです。
 この温暖化防止とあわせて、私が、日本の強いリーダーシップを期待するのは、環境教育の分野です。昨年から、国連の定める「持続可能な開発のための教育の10年」がスタートしました。これは、私どもSGIが他のNGOとともに呼びかけ、2002年に南アフリカで行われた「環境開発サミット」で、NGOの提言を受けた日本政府が提案したもので、その後、国連総会での採択を経て実現した取り組みです。
 昨年10月には、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が「国際実施計画」を取りまとめ、「持続可能な開発の原則、価値観、実践を、教育と学習のあらゆる側面に組み込むこと」で、人々に行動の変化を促し、より持続可能な未来を創造することが、教育の10年の目標に掲げられました。
 また、持続可能な開発についての意識を高めるために、国ごとの実施計画の策定や、計画推進のための組織づくりも呼びかけられています。
 日本は、教育の10年の提案国として、「環境教育のモデル国」を目指し、砂漠化など環境悪化が進むアフリカやアジアの国々に、この分野での協力や支援を行っていくべきではないか。
 私は、かねてより、21世紀の日本の進むべき道は「環境立国」「人道立国」にあると主張してきました。環境分野で貢献を果たすことは、地球環境の悪化で苦しむ人々を人道的な立場から救っていくことにもなるはずです。
 SGIでも、教育の10年の提唱団体として、世界各地で環境展「変革の種子─―地球憲章と人間の可能性」の開催に力を入れるほか、SGIが制作協力した環境映画「静かなる革命」の上映等を支援していきたいと思います。
19  首脳間の対話がアジアで定着へ
 次に、「不戦の世界」を展望するために、今なお冷戦時代の対立や緊張の構造が色濃く残るアジア地域に焦点を当てて、平和構築の方途を探っていきたい。
 先月、マレーシアで、ASEAN(東南アジア諸国連合)加盟の10力国に、日本、中国、韓国、インド、オーストラリア、ニュージーランドを加えた16力国が参加して、東アジアサミットが初めて行われました。
 その最大の成果は何といっても、「東アジア共同体」の創設に向けて、首脳間対話の定着化が図られたことでしょう。
 直前に行われた、ASEAN+3(日中韓)の首脳会議では「クアラルンプール宣言」が採択され、①「東アジア共同体」形成へ政治的勢いを提供するため、ASEAN+3首脳会議を毎年、ASEAN首脳会議に引き続き開催する②「東アジア共同体」形成の将来の方向性を示すための、「東アジア協力に関する第二の共同声明」を2007年に作成するための努力を開始する、などの項目が盛り込まれました。
 また東アジアサミットでも、参加国が「東アジア共同体」の形成に重要な役割を果たすとともに、サミットを今後も定期開催していくことが決まりました。
 長年、アジアの平和と友好の促進を願い、行動してきた一人として、私は、今回の合意を大いに歓迎するものです。
 今後、関係国が国益の対立などを乗り越えながら、"不戦の共同体"づくりのために腰を据えて取り組んでいくことを強く念願します。
 その礎となるものは、サミット開催までのプロセスを通じて、すでに形成されつつあります。
 東アジアサミットの参加条件として、「東南アジア友好協力条約」への加盟が求められましたが、その結果、中国、日本、韓国、インド、ニュージーランド、オーストラリアが相次いで署名し、域内での「紛争の平和的手段による解決」と「武力による威嚇又は武力の行使の放棄」等の原則に同意する国が広がったからです。
 いずれも国連憲章で規定されている原則ですが、この原則を地域的にも重ねて堅持していく中で、各国が平和的な協力関係を構築していけば、たとえ時間はかかったとしても、東アジアに「不戦の制度化」への道を開くことは不可能ではないはずです。
 そこで、具体的にその歩みを進めるためには、「首脳間対話の定期開催」と、「地域間協力を具体的に進めるための事務局の設置」が欠かせないと思います。
 首脳間対話については、すでにASEAN+3の首脳会議と、東アジアサミットの定期開催が合意をみました。
 事務局の設置については、「東アジア協力に関する第二の共同声明」の内容を討議する場を母体にしながら、たとえば「東アジア評議会」のような機関の設置を目指していってはどうか。これまでASEANの中で、実務的な活動を担ってきた常任委員会と中央事務局を核にして、これを発展的に改編していく形も考えられましょう。
 この「東アジア評議会」を通じて、今、懸案となっている、①新型インフルエンザ対策など保健衛生分野での連携、②スマトラ沖の地震・津波を教訓とした防災・復興協力の推進、③環境破壊や汚染拡大の防止など、国境を超えた"共通の脅威"に地域全体で立ち向かう体制を整えるべきだと考えます。
 こうした「共同作業」が、必ずや「信頼醸成」の素地となり、「共同体の基盤強化」につながっていくに違いありません。地域間協力の活動と、首脳間対話による政治的リーダーシップが連動していけば、「東アジア共同体」も、現実の形を帯びてくるのではないでしょうか。
20  共生のエートスが精神的基盤に
 ヨーロッパでは現在、EU(欧州連合)の憲法への各国の批准などを通し、更なる地域統合の深化に向けての挑戦が続けられています。
 EUの前身であるEEC(欧州経済共同体)の発足から来年で50年を迎えますが、半世紀にわたる「地域間対話」と「地域間協力」の積み重ねを経て、今やヨーロッパに"不戦の共同体"の堅固な基盤が築かれました。
 東アジアにおいても、冷戦以来の対立や緊張といった"負の遺産"を清算し、各国が手を携えて共同体づくりへの一歩を踏み出すべきではないでしょうか。
 そして、50年、100年という長いスパン(期間)で時代を大きく見据えながら、「東アジア共同体」の建設を──そしてやがては、ユゴーが夢みた「ヨーロッパ合衆国」のような、それぞれの国が特質や個性を失うことなく、より高い結合の中で輝きを増していく「アジア合衆国」をも展望していく気概で、共存共栄への舵取りをすべきと思います。
 もちろん、このようにヨーロッパで共同体づくりが進んだ背景には、キリスト教文明という共通の精神基盤があったことは看過してはならないでしょう。では、東アジアにおいて、それに値するものは果たして何か。
 岡倉天心流の"アジアは一つ"は絵に描いた餅ですが、私はかつて(1992年10月)、中国社会科学院での講演で、こう述べたことがあります。
 東アジアには、多様な民族がそれぞれの伝統や文化を育んできており、簡単にひとくくりにできるような性格のものではないが、あえて言うならば、「共生のエートス(気風)」というものが流れ通っているのではないか、と。
 つまり、比較的穏やかな風土にあって、対立よりも調和、分裂よりも結合、"われ"よりも"われわれ"を基調に、人間同士が共存していこうとする心的傾向です。そこには、西欧文明における「個人主義」の重視とは異なり、他者と親密に交わる中に本来の自己があるとする人間観が流れています。
 過去のいきさつもあって、一朝一夕にはいきませんが、結合や連合のためには、スムーズな意思の疎通、価値観の共有、理念的基盤がない恒久化はなかなか難しい。であればこそ、私はアジアの平和を展望して、人間同士の交わりを深める民衆レベルでの交流に全力を注いできたのです。
21  周恩来総理との忘れ得ぬ出会い
 しかし、共同体づくりのカギを握るはずの日中韓の3国関係、なかんずく日中関係は、近年、政治レベルで大きく冷え込んでおり、その打開が急務となっています。
 "壁にぶつかった時は原点に帰れ"という言葉がありますが、日中関係、が現在の袋小路から抜け出すためには、国交正常化時の精神を再確認することから出発すべきではないでしょうか。
 思えば、私が日中国交正常化の提言を行った当時(1968年)は、"文化大革命"の衝撃もあって、日本人が中国の人々とつき合うことすらはばかられるような雰囲気の時代で、さまざまな非難もありました。
 しかし私には、日中が友好関係を築くことなくして、アジアの平和も世界の平和もないとの固い信念がありました。
 その後、私が提言で呼びかけた日中首脳会談が1972年に実現し、共同声明で国交正常化の道が開かれたのです。
 私が中日友好協会の招聘を受け、初訪中したのは、74年5月のことでした。
 半年後の12月に再訪中した折には、療養中の周恩来総理が医師団の反対を押し切って、私と会談してくださいました。
 周総理との話は多岐にわたりましたが、その根底にあったのは、"21世紀のアジアと世界をどうするのか"との一点でした。
 「今後、われわれは、世々代々にわたる友好を築かねばなりません」
 「20世紀の最後の25年間は、世界にとって最も大事な時期です。すべての国が平等な立場で助け合わなければなりません」
 残念ながら周総理は1年余後に逝去されましたが、私はこの時の周総理の言葉を胸に、今日まで、日中両国の万代の友好を築くため、民衆レベルでの「教育」と「文化」の交流に全力で取り組んできました。
 政治と経済を「船」にたとえるなら、その船を運ぶ「海」は民衆と民衆のつながりであり、時に船が難破しかけたとしても、海がある限り、往来は続いていく──私の行動は、この信念に裏打ちされたものなのです。
 「日韓友情年」であった昨年、私は、韓国の国立済州(チェジュ)大学の趙文富(チョームンブ)前総長との2冊目の対談集を上梓しました。
 そして現在、中国を代表する歴史学者である、華中師範大学の章開沅教授との対談を進めております。
 先月、来日された章教授は、100年ほど前に、孫文の革命運動を日本人が協力し支持した史実に触れながら、こう述べられていました。
 「私たちは、歴史を尊重するとともに、歴史を乗り越えていかねばならないのです。2000年を超える中日関係の歴史は、友好交流が主流でした。一衣帯水の両大国は、和をもってすれば、共に栄え、争えば、共に傷つく。正常で安定した友好協力関係を打ち立てていくことは、中日両国の幸福であり、アジアの幸福であり、世界の幸福なのです」と。
 まったく同感であります。これまでの日本外交は、アメリカとの協力関係を最優先してきましたが、その方針は大枠として堅持しながらも、もう一つの大きな外交の軸足を、アジアに築くべきではないでしょうか。
 こうした中、日本と中国との間で今後、毎年、双方合わせて2000人以上の高校生の相互招待を行い、交流を進めることで合意したことは、誠に意義が大きい。
 かねてから、過去の歴史の教訓を互いに正視しつつ、未来志向で「青年の教育交流」を力強く進めていくことを呼びかけてきただけに、大いに歓迎するものです。
 日本が、中国、そして韓国と手を取り合い、直面する課題を解決するために助け合いながら、ともに「東アジア共同体」建設への牽引力となっていく。そして、崩れない「世々代々の友好」を築いていくことに、21世紀の日本の針路はあると、私は強く訴えたい。
22  北朝鮮の核開発問題の解決を
 現在、この日中韓が共同で取り組んでいる課題の一つが、北朝鮮の核開発問題です。2003年8月に「6力国協議」の枠組みがスタート以来、これまで5回にわたって、各国の首席代表による協議が断続的に行われてきました。
 その結果、昨年7月から9月まで休会をはさんで行われた第4回協議では、北朝鮮の核問題解決に向けた初の共同声明が採択されました。
 そこでは、北朝鮮が「すべての核兵器および既存の核計画の放棄」と「NPT(核拡散防止条約)とIAEA(国際原子力機関)の保障措置への早期復帰」を約束する一方で、アメリカが朝鮮半島で核兵器を持たず、北朝鮮を核兵器や通常兵器で攻撃、侵略する意図を有しないことなどが確認されています。
 この共同声明で、ようやく6力国は、問題解決のための共通のスタートラインに立つことができました。しかし、そこからの一歩が、なかなか踏み出せない状況にあります。
 肝心の核放棄までの具体的な手順やスケジュールは何ら決定しておらず、その検証体制についても今後の大きな課題として残されています。また協議自体も、昨年11月以来、さしたる前進もないまま、休会状態が続いているのです。
 イランの核開発問題が、国際社会の大きな焦点となる中、こうした状況を放置したままでいることの影響は計り知れないものがあります。
 そこで私は、協議を第二段階へと進めるために、一度、国連やIAEAの代表を招いた上で、6力国の首脳が集まり、問題解決を困難にしている障害を取り除くための対話の場を設けてはどうかと提案したい。
 首脳間で合意を得ることができれば、後戻りを許さない重みが生まれてきます。そして、その合意を受ける形で、テーマ別に「作業部会」を設け、核放棄までの具体的な手順や検証体制などに関し、一つ一つ期限を決め、討議を進める中で、問題解決のゴールも見えてくるはずです。
 こうした地域間協議による問題解決の枠組み──軍事力などの「ハードパワー」によることなく、対話と信頼醸成に基づく「ソフトパワー」による解決が軌道に乗っていけば、東アジアの安定のみならず、他の地域における大量破壊兵器の拡散を防止する道も大きく開けてくるのではないでしょうか。
 この点、先の共同声明の中に「6カ国は、北東アジアにおける安全保障面の協力を促進するための方策について探求する」との一文が盛り込まれた意義は大きい。
 私も常々、「6力国協議」を定着化させる中で、北東アジアの平和のための"建設的な対話のフォーラム"へと発展させていくことが望ましいと主張してきました。
 日本と北朝鮮の間で懸案となっている拉致被害者の問題や、国交正常化交渉についても、そうした地域の緊張緩和とともに進展していくことを、強く願ってやみません。
23  核軍縮の前進へ国際世論を喚起
 最後に、対立や衝突といった「戦争の文化」から、協調と共存に基づく「平和の文化」への時代転換を図るために、社会の土壌を変えていく方途として、「軍縮教育」の重要性を強調しておきたい。
 広島・長崎への原爆投下から60年を迎えた昨年は、遺憾なことに、核軍縮で大きな前進を図るチャンスを2度も失いました。
 5月のNPT再検討会議が何の成果も得られず閉会したことと、9月の国連総会の特別首脳会合の成果文書で核兵器に関する言及が見送られたことです。
 再検討会議では、取り組むべき最優先の課題として「核軍縮」をあげる意見と「不拡散」をあげる意見が激しく対立したために、実質的な審議が進まず、合意文書どころか議長声明さえも取りまとめられないという事態に陥りました。
 残念ながら、その後も意見対立は解消されず、特別首脳会合の成果文書も、核軍縮と不拡散に関する記述を、すべて削除する形で採択される結果となったのです。
 この2度にわたる失望は、IAEAのエルバラダイ事務局長が指摘する核兵器をめぐる三つの動向──「核の闇市場の発覚」「核兵器に使用可能な核分裂物質の生産技術を獲得しようと決意している国の増加」「テロリストによる大量破壊兵器獲得の明確な願望」──とあわせて、国際社会に暗澹たる影を落としています。
 この核兵器をめぐる状況に象徴されるように、今、世界で軍縮問題を取り巻く状況は、重大な局面に立たされています。
 各国の政治的意思の欠如によるものといえますが、もう一面では、国際世論の高まりの欠如でもあるといえましょう。
 早急に、NPT体制を立て直すなど、国際的な法制度の整備が急務ですが、と同時に、民衆の側から軍縮を求める声を強めていくことが欠かせません。具体的には、平和教育や軍縮教育を通し、民衆一人ひとりの意識変革を進めることが求められます。
 国連においても近年、そうした認識が高まり、2002年には専門家グループがまとめた報告書「軍縮・不拡散教育に関する国連の研究」が総会で採択されました。
24  人類益に立った世界市民を輩出
 私は、軍縮教育の本格的な推進を図るためには、発想の転換と、取り組みの再構築が急務であると考えます。
 軍縮への国際世論を高めるためには、専門家や平和運動に携わる人々だけでなく、あらゆる人々の参加が必要です。ゆえに軍縮教育の推進にあたっては、軍縮を最終目標に掲げるのではなく、人々が"自分自身の問題"として捉えることができるよう、「平和」に対するイメージの転換が求められます。
 単に、戦争のない状態が、平和なのではありません。すべての人々が尊厳を脅かされることなく、それぞれの可能性を最大に発揮し、幸福な生活を築くことができる社会こそが、真に平和な社会と呼べるはずです。
 そこで私は、具体的な取り組みとして、昨年、折り返し地点を迎えた「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力のための国際の10年」=注6=の中に、その中核的要素として軍縮教育を定着させ、市民社会に裾野を広げた活動を展開していくべきであると訴えたい。
 その際、すべてのべースになるのは、「国家主権」から「人間主権」への座標軸の転換であり、「人類益」と「地球益」に立脚した世界市民を育成し、その連帯を広げゆく"草の根レベル"での教育運動です。
 その意味で、軍縮に関する情報や知識を広げること自体が目標なのではなく、人々の意識と行動を「平和の文化」に根ざしたものに変えていくことに、最大の眼目を置くべきでしょう。
 一人ひとりの「心の変革」が、周りの人々の心の変革を促し、それが社会へと広がっていく中で、平和へのうねりを生みだし、国際世論を力強くリードしていく──。こうした"民衆パワー"が軍縮努力を加速させ、「平和の文化」を大きく開花させていくことは間違いありません。
 SGIでも、「世界の子どもたちのための平和の文化の建設」展などの展示を通じた意識啓発に取り組んできたほか、昨年はアメリカのニューヨークとロサンゼルスに、「平和の文化」情報センターを開設しました。
 また明年に戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」発表50周年を迎えることを踏まえ、民衆レベルでの軍縮教育の推進に力を入れながら、「戦争の文化」から「平和の文化」への時代転換の波を起こしていきたい。
25  ロートブラット博士の強い信念
 昨年、惜しくも亡くなられたパグウォッシュ会議名誉会長のロートブラット博士が述べておられた言葉が忘れられません。
 それは博士が、私と、「戦争のない世界」と「核兵器のない世界」を開くための対話を重ねる中で、語られたものでした。
 「池に小石を投げれば波紋が広がります。その波紋は小さく小さくなっていきます。しかし、完全に消えることはありません。どんな人にも、この波紋を生み出す力があると思います。私たち一人ひとりにものごとを変える力があり、それがNGOのような形で連帯すれば、間違いなく外部に影響を与える力も増すでしょう。連帯して世界を変えていこう──それは時間がかかるかもしれませんが、長い目で見れば、最後には民衆が勝利します」
 私どもSGIが、仏法の人間主義を根本に世界190力国・地域で広げてきた「平和」「文化」「教育」の運動は、こうしたロートブラット博士が限りない期待を寄せていたような、"目覚めた民衆の連帯"が、すべての原動力となっています。
 今後も、志を同じくする世界の人々と手を携えながら、まずは2010年までの5年間を、「平和と共生の地球社会」の基盤づくりの重要な挑戦の時であると捉え、勇気と希望の大前進をしていきたいと思います。
26  語句の解説
 注4 【ミレニアム生態系アセスメント】
 国連の主導で2001年6月から4年間、95力国1300人以上の専門家が参加し、実施されたプロジェクト。昨年3月に発表された総合報告書では、人類が過去50年間、かつてないほど急速に生態系を変えてきたことを指摘。このままの状態が続けば、生態系の働きが更に急速に低下すると警告している。
 注5 【京都メカニズム】
 「京都議定書」に盛り込まれた、温室効果ガスの削減目標の達成を円滑に進めるためのメカニズムの総称。先進国が共同で温暖化対策事業を行う「共同実施」のほかに、先進国が技術や資金を提供し、途上国の温暖化対策事業を支援する「クリーン開発メカニズム」、先進国間で排出割当量の一部を取引する「排出量取引」の、三つの制度がある。
 注6 【「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力のための国際の10年」】
 ユネスコ(国連教育科学文化機関)が提唱し、国連が定めた「平和の文化のための国際年」(2000年)を引き継ぎ、2001年から2010年まで、「平和の文化」を追求する動きを世界で高めるとともに、子どもたちに平和の教育と行動を促していく取り組み。

1
1