Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

あとがき  

小説「人間革命」11-12巻 (池田大作全集第149巻)

前後
3  思えば、私は、『人間革命』の執筆を通して、日々、恩師との対話を続けてきた。ここに一九五七年(昭和三十二年)八月から先生の逝去までを収めた、この第十二巻の執筆にあたっては、先生の在りし日を偲び、幾たび胸を熱くしたことであろうか。
 当時、先生は、日ごとに衰弱の度を深めるなかで、死力を振り絞るようにして、最後の広宣流布の戦いを展開されていた。それは、自らの死期を悟った先生の、限りある命の時間との壮絶な闘争であった。そのなかで九月八日には、横浜の三ツ沢の競技場で、あの歴史的な「原水爆禁止宣言」を「遺訓の第一」として発表された。
 そして、十一月、先生は疲弊した体で広島の指導に赴こうとされて倒れた。その前日、広島行きをお止めする私を、先生は厳しく叱咤された。「仏のお使いとして、一度、決めたことがやめられるか。俺は、死んでも行くぞ」――その烈々たる闘魂の叫びは、今なお私の耳にこだましている。
 先生は不屈の一念で病魔をも、はねのけられた。奇跡的に健康を回復し、翌年三月、一カ月にわたる大講堂落慶の記念の総登山の指揮を執られた。その間に「3・16」の記念の式典に臨み、私をはじめとする青年たちに、広宣流布の後事の一切を託され、ほどなく逝去されたのである。
 総登山の期間中、先生は、常に私を傍らに置き、最後の最後まで、全生命を注いで訓練してくださった。毎日毎日が黄金の輝きに満ちていた。先生の一言ひとことは、すべてが遺言であり、未来を照らす永遠の指標であった。
 いわば、第十二巻に綴った先生の軌跡は、恩師の生涯のなかで「流通分」ともいうべき意味をもち、万代にわたる数々の栄光の指針に彩られている。
 当初、私は、先生の逝去をもって、『人間革命』全十二巻を終了するつもりであった。しかし、それではあまりにも悲しい。また、先生のご精神は、広宣流布の大河となって、永遠に流れ通わねばならぬことを考えると、どうしても未来への希望の曙光を点じて終わりたかった。「新・黎明」の章を加え、山本伸一の第三代会長就任をもって終了とさせていただいた。そのために第十二巻は原稿の枚数も増え、各巻より長くなってしまったことをお許し願いたい。
 戸田先生は五十八歳で世を去られたが、もしご存命ならば、今年、九十三歳を迎えられたことになる。病弱であった弟子の私は、既に思師の逝去の年齢を超えた。先生がご自分の命を分け与えてくださったように思えてならない。その私のなすべきことは、恩師に代わって、「世界の平和」と「人類の幸福」のために戦い、生き抜き、この世の使命を果たしゆくことと思っている。それが、弟子としての報恩の道であり、先生が開き示された人間革命の道であるからだ。
 創価桜の大道を行く私の胸のなかに、先生は今も生き続けている。とともに、同志の心のなかにも、先生が永遠に生き続けることを念じてやまない。
 最後に、連載第一回から挿絵を担当してくださった三芳悌吉画伯、また、装画の故川端龍子画伯、東山魁夷画伯をはじめ、これまでご尽力いただいた関係者の皆様方に衷心より感謝の意を表し、「あとがき」とさせていただく。
                       著者
   一九九三年二月十一日
     恩師の生誕の日に
       ブラジル・リオデジャネイロにて

1
3