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日蓮大聖人・池田大作

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小説「人間革命」9-10巻 (池田大作全集第148巻)

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7  この年も、八月三日から七日までの五日間、夏季講習会が総本山で開催された。三日目の五日午後、運営本部が置かれている理境坊で、戸田を中心とする首脳幹部による最高会議が開催され、今後の方針が検討された。
 席上、課題となっていた新支部の創設についても協議され、当初、予定されていた十七支部のうち一支部の結成が延期された。結局、十六の新支部が誕生することになり、新支部長の任命と、新支部旗の授与は、八月二十六日午後、東京・両国の国際スタジアムで行われることになった。
 この最高会議での最大の議題は、今後の学会の、実際的な運営に関する慎重な検討であった。学会行事の中心は座談会とし、それも、組座談会を主力として、たとえ三人、五人でも、組長の発意で、適宜に開いても差し支えないということになった。戸田城聖が、出獄後の再建期に、自ら実践した方式に則ったわけである。
 これまでは、折伏の実践のない会合が、いたずらに多すぎた。支部長会、地区部長会、班長会、組長会などの会合を極力整理し、草創のはつらつたる息吹を、もう一度、組織の先端から呼び起こそうとしたのである。
 このような変革は、すべて、このたびの戦いの教訓から、反省と展望のうえに立って、立案されたものということができる。
 戸田は、草創の再建期にあっては、毎晩のように座談会に出席した。それも、三人、五人の少人数の座談会から始まったのである。現在の首脳幹部は、そのころ、戸田に同行して、それらの座談会で折伏を学び、指導のなんたるかを、つぶさに会得した。思い出しても、生き生きとした、楽しい会合であった。
 具体的実践ほど、人を成長させるものはない。形式を打破した閤達自在な小会合ほど、生命と生命の触れ合う親しさが軸となって、そこに固い団結も、同志愛も、学会精神の脈動も生まれる。信心という姿なきものの実在は、はつらつと心の通う座談会にこそ、忽然と現れるのである。
 幾多の会合の忙しさに紛れて、いつしか座談会を軽視しがちな幹部の動向を、戸田は厳しく戒め、座談会が形式主義に陥る弊害を除去しようとした。その背景には、座談会を組座談会まで拡大した山本伸一の、大阪闘争があったことは言うまでもない。
 八月二十六日午後一時、両国の国際スタジアムで、全国新支部結成大会が行われた。各地に誕生した十六の支部の、新しい支部長の手に、新しい支部旗が授与されたのだ。
 北から名をあげれば、旭川、札幌、小樽、函館、秋田、新潟、大宮、浜松、名古屋、京都、船場、梅田、松島、岡山、高知、福岡の新十六支部である。そして各支部に、支部長、婦人部長、男子部隊長、女子部隊長が、それぞれ住命をみた。これまでの十六支部は、倍増して三十二支部となり、男子部隊と女子部隊も、それぞれ三十二部隊の陣容に飛躍した。
 さらに、理事も新たに誕生し、理事室は、小西理事長以下六人となった。また、関西に総支部制が敷かれ、初代総支部長に春木征一郎が就任した。
 これらの組織変革は、創価学会始まって以来の飛躍である。集った全国の幹部たちは、新時代の到来であると、いやでも考えざるを得なかった。
 戸田城聖は、林立する新支部旗を前にして、社会が、創価学会という団体を、やっと注目し始めた、と語りだした。
 「七月八日の選挙が終わって、その次の朝、朝と申しましでも夜中の二時に、私は、ひしひしと身に感じるものがありました。そして、一首の歌をつくりました。
 『いやまして 険しき山に かかりけり 広布の旅に 心してゆけ』
 これが、私の心であります。
 案の定、選挙が終わって以来、初めて日本の社会がびっくりして、清く公平な学会が、悪口を言われたり、攻撃されたり、あるいは間違った報道が始まり、あらゆる状態が、われわれ創価学会のうえに降りかかってまいりました。あの選挙の時に、私が同志の応援のために、全国を歩いて感じたことが、それなんです」
 それから戸田は、現代の社会においては、宗教という宗教が死んでいると説き、日蓮大聖人の仏法のみが、生きた宗教である、と次のように語った。
 「わが創価学会によって、″宗教は生きている。生きている宗教がある″ということを教えられているのであります。今日、文化人、あるいは、その他の人びとも驚いた。いや驚いている」
 このたびの選挙が、それを教え、「日本の潮」として、識者が初めて気がついたところであると述べ、こう訴えたのである。
 「今の科学者にもせよ、政治家にもせよ、いかようにして、世界を平和にしようかと考えているのであります。しかし、政治の次元だけでも、科学の次元だけでも、本当の幸福は、絶対にできるものではない。人間は、誰人も、生老病死という根本の命題を避けることはできない。その生命の実相を直視し、解決している真実の宗教が不可欠になってくる。その宗教が、生命の大哲理を説いている、日蓮大聖人の仏法なのであります」
 戸田は、最後に力を込めて言った。
 「大聖人の仏法の力で、宗教そのものの力のうえに立っての、もろもろの活動によって、真実の地上の楽土をつくらんと願うものですが、皆さんも同じ心になって、民衆救済のために、広く人類社会のために、立っていただきたいと、お願いするものであります」
 数日おいて、八月三十一日夕刻、豊島公会堂で八月度の本部幹部会があった。
 席上、小西理事長からは、総本山に大講堂を建設し、供養することについての話があった。「大講の建立寄進」は、「五十万世帯達成」「参議院へ有能にして高潔な人材の推薦」とともに掲げられた、この年の三大目標の一つであり、戸田が発願したものであった。
 「御供養は、どこまでも、信心の表れでなければなりません。どこまでも、信心を根本に、楽しんでできるような御供養を、お願いしたいと思います」
 小西は、御供養が、この年の十一月から翌年の十月まで、一年間かけて行われることを述べて、その趣旨を徹底した。
 最後に、戸田城聖は、九月からの新方針である組座談会の実施について、その根本精神を懇切に語った。座談会についての、学会草創期からの伝統と実践に基づく確信とが、みなぎっていた。
 「来月から、と言っても明日からですが、組座談会を中心にすると言ったら、みんな、とんでもないことが始まるみたいに慌てている。それというのも、今の幹部、地区部長にしても、二代目という人が多い。会長が二代目だからしょうがないとしても、人のつくった地盤で地区部長になり、そのイスに、でんと座っている人が多い。自分一人で地区を育ててきた人は少ない。だから、組座談会というと、とんでもないことが始まったみたいに思うんです。
 私は、牧口会長以来、小さな座談会ばかりやってきた。行くというと、二人か、三人しかいない。今日は集まりがよいという時でも、二十人ぐらいのものです。そのなかに、たいてい、信心に反対の人がいる。そういう座談会が本当の座談会です」
 戸田は、現在の座談会が、形式に流れ、組長、組員の信心の育成の場となっていないばかりか、親しさの全く失われた会合になってしまったことを痛撃した。
 「釈尊は、『法華経を持つものあれば、立って仏が来たように迎えをせよ』と言われている。
 いったい、三人だって同志がおったら、喜んで話し合って、帰って来なければならない。たった一人でもよい。一人でも、その一人の人に、本当の妙法蓮華経を説く。たった一人でも、自分が心から話し合い、二人で感激し合って帰ってくる。たった一人の人でも、聞いてくれる人がいる。この一人が大事なんです。
 私たちは、最初、座談会をやった時は、一人か二人、あるいは三人のために、遠いとこまで出かけたものです。その草創期の精神を忘れずに、組の方々を真面目に育ててもらいたい。そうすれば、あなた方の地区に組長が百人いたら、二百や四百世帯の折伏は楽にできるはずです。それを、組長教育もしないで、班長を集めて、ふんぞり返って威張りくさっている」
 まことに、地区部長や支部長には、耳の痛い話であった。
 戸田は、組織に巣くう官僚性というものが、どんなに人材を殺してしまうか、痛烈な批判を下してから、次のように結んだ。
 「あなた方も、幹部になった以上は、もう腹を決めて、本当の仏道修行を、組座談会でしてください。そうして、本当に苦労した地区部長、本当に磨き上げた幹部の一人ひとりになってください。そして、この世の人生を、悔いなく、信念の人として、飾ってください。、お褒めくださるのは御本尊様です。幹部たちに″褒められたい″なんて考える必要はありません。
 人に″褒められよう″なんて思って生きているのは愚かです。私たちは、御本尊様に褒められるようになろうじゃないか。また、人にいくら悪く言われても、いくら叱られでも、御本尊様に叱られないように、しようではありませんか。これが、真の日蓮門下であり、信仰の極理です」
 戸田は、ささやかな組座談会を、組織の隅々で、真面目に実践することによって、草創期からの学会精神を体得させようとした。地道なところの活動――仏道修行にこそ、真実の人間革命があり、広宣流布があることを、語りかけたかったのである。華やかな活動のみが、広宣流布に連なるとは限らないということを、戒めとしたかった。
 そして、会員の一人ひとりの信心を、ことごとく奮い立たせようと、この夜、いつにない情熱を傾けて力説したのである。
 さわやかな疲労が、帰途に就くタクシーの中で、彼を襲った。
 組織の飛躍的拡大による、三十二支部の新陣容で、全国的な新展開の布石を完了し、その陣容を効果的に全回転させるために、今また、最先端に組座談会一本という新方針を発表したのである。
 すべては、刻々と開かれていく広宣流布の、新しい展望に対応するためであった。
 戸田城聖は、″これで準備は、万全を期して、ひとまず終わった″と思った。学会精神の衰弱と、形式に堕す組織の官僚性とに、彼自ら、真正面から挑戦したのである。
 (第十巻終了)

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