Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

険路  

小説「人間革命」9-10巻 (池田大作全集第148巻)

前後
13  公示の日である六月十二日の朝、山本伸一は、春木征一郎の家族全員と、出陣の勤行をした。祈りを込めた勤行が終わると、伸一は、征一郎をはじめとする家族と対座した。厳しい表情であった。
 「いよいよ、今日は公示です。ご主人だけの出陣と思つてはいけません。あなた方一家の、本当の出陣となるんです。征ちゃんも、今日まで懸命に信心を貫いてきたが、今までの人生の、一つの決算にあたる出陣です。今日の出陣は、今後の春木一家のすべてを決定する出陣であることを、忘れないでください。これから二十七日間、一家をあげて、御本尊様に心を込めて、祈りに祈らなくてはなりません」
 出陣は、まず一家の信心を固めることから始まった。この日から、山本伸一は、御本尊への祈りに、新たな一つの祈念を加えた。
 それは、大阪のいかなる人であれ、このたびの戦列に加わって、味方となることであった。
 春木征一郎は、公示の日から遊説車に乗って、大阪府内を駆け巡った。プロ野球選手をしていた春木は、白の野球帽を被り、政界の浄化と、大衆の生活を守る政治の実現を訴えていった。
 一風変わった候補者の姿は、道行く人の目を引いた。遊説車は、小型トラックの荷台に材木で枠組を作り、そこに候補者の氏名を書いた、粗末なガタピシした車である。会員の好意によって借りた車であったが、数日すると、また別の車に替えなければならなかった。老朽化した車も多く、故障して、街のなかで立ち往生することも、しばしばであった。
 伸一の祈りに呼応したかのように、春木の遊説車は、日に日に、市民の注目を浴びて、人気は上昇していった。
 遊説車が街頭を進むと、赤子をおぶった婦人や、子どもの手を引いた婦人が、車上の春木に手を振ったり、側に走り寄ったりした。街頭演説のさなかに、会員とおぼしき青年や壮年が、盛んに声援を送った。これらの人びとが、日を追って増大する気配が、遊説車の上からもよくわかった。
 まことに歓喜の躍動といってよかった。会員たちは、日に日に、わが使命を果たしつつあるという充実感に、身は軽く、目は輝き、労苦も、愚痴も、生活の不如意さえも、すっかり忘れ去ったような思いで、喜々として活動した。活動すること、それ自体が楽しいのである。
 山本伸一の、人知れぬ一念に尽くした億劫の辛労は、選挙の支援活動でも花咲き始め、一日一日と花弁は大きく開いて、美事な満開へと進んでいったのである。
 皆、もう家にじっとしていられなくなった。街頭へ街頭へと、会員は誰に言われたのでもなく、自らの使命を自覚して飛び回った。あちこちで警察の干渉が頻発していたが、その影に怯えるよりも、使命の重さの自覚の方が、はるかに勝っていたのである。
 大阪支部のなかに、身体障がい者のメンバーがいた。彼らは、会員たちが、はつらつとして飛び回る姿を目にして、″自分たちも、何かできることがあるはずだ″と相談を始めた。そして、終盤戦のさなかのある日、彼らは不自由な体で、繁華街の、とある街角のガソリンスタンドの前に、ずらりと整列した。首に春木征一郎のポスターを下げて立ち、道ゆく人びとに呼びかけた。
 真心は、遂にここまできたが、残念ながら、これは明らかな違反行為である。
 彼らの突飛な行動を知った関西の首脳陣は、慌てて幹部を現地に急行させた。幹部は、グループの真心の情熱に脱帽しながらも、遺憾ながら違法行為であることを、やっと説得したのである。せっかくの発意による活動は、短時間で終わったが、その烈々たる闘魂は、多くの会員の士気を鼓舞し、聞く人の涙を誘うまでの感動を与えずにはおかなかった。
 毎日が戦いである以上、思いもかけぬ事件が突発することもあった。これらに山本伸一は、一つ一つ、適切な指導を与えたり、関係者を、急速、派遣して、その処置にあたらなければならなかった。現実は、まことに厳しく、複雑といってよい。この厳しくも複雑な事態を乗り越えてこそ、勝利への前進があるのだ。
 ある日、一人の壮年幹部から電話があった。
 「こちらの戦いは、なかなか大変になってきましたので、これから地区の人たちと、毎朝、勤行をしたいのですが、いいでしょうか」
 伸一は、すかさず言った。
 「選挙は、まず近隣の人びとを味方にしなければなりません。朝早くから、大きい声を出して、近所迷惑になった場合は、むしろ奇異な感を与えてしまいます。それでは、人の心は離れてしまうではありませんか。ともかく、良識ある行動でなければ、人の心はつかめません」
 会員は、人それぞれ、職業も人柄も、さまざまである。それらの人たちが、それぞれの持ち味を、すべて発揮していったのである。
 演説会は、個人演説会一本で終始したが、いざ応援弁士となると、心細いことであった。座談会とは勝手が違う、一般大衆を前にしての政談演説である。弁舌さわやかとは、いきかねた。それでも、速成の応援弁士には事欠かなかった。
 街の電器店を営む会員は、○○電器会社社長の肩書で演壇に立ち、ガソリンスタンドの主人は、△△石油販売会社社長として応援演説を行った。肩書だけは大会社の社長を思わせたが、話はうまくない。しかし、彼らは春木征一郎を知ることにおいて、何人にも負けなかったし、入会以来、春木に寄せる信頼と尊敬には、心からのものがあった。当選を願う真心からほとばしる、訥々した語り口は、むしろ聞く人の耳に切々と迫ったのである。
 いよいよ終盤に入った七月初めの朝、山本伸一は、首脳幹部を前にして御書を聞き、「新池御書」の一節を読み始めた。
 「『皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が・中程は信心もよはく僧をも恭敬せず供養をもなさず・自慢して悪見をなす、これ恐るべし恐るべし、始より終りまでいよいよ信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん、たとえば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき……』
 この御書の通りであります。みんな力を合わせて、一丸となって今日まで来たのに、さて最後の段階で崩れるようなことがあっては、すべて水泡に帰し、いくら後悔しても追いつきません。これからが、いちばん大切な時になってきました。都の月を詠めるのには、もうひと息のところまで来ました。
 『月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』です。魔も今が、いちばん強い時だと知らなければなりません。もうこれからは油断はなりません。潔い心構えでいこうではありませんか」
 伸一は、また御書を手にして、読み上げた。
 「構へて構へて所領を惜み妻子を顧りみ又人を憑みて・あやぶむ事無かれ但ひとえに思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり
 「弥三郎殿御書」の一節である。
 「七百年前も今も、いざという時が大切なんです。このような大事な時に、この事にあわんがために、私たちは、なすべき使命をもって生まれてきたんです。最後まで使命達成のために、大いに頑張ろうではありませんか。皆さんに、くれぐれもよろしく伝えてください」
 一同は、いつか襟を正して聞いていた。東京からの派遣員のある人は、これまでの戦いの種々を思い出して、感傷的になったのか、拳でそっと目をこすっていた。それが伸一の目にとまった。彼は、温かい眼差しを注いだ。
 「もう今からは、あなたたちを叱りません。毎日、毎日、私に叱られながら、よくやってくれました。ありがとう。今日からは、思う存分、思い切りやってください。
 このたびの戦いに、もし負けるようなことがあったら、それこそ、大阪の人が、かわいそうです。お互いに頑張ろう!」
 これを聞いて、大阪の首脳幹部は、目をしばたたいた。
 歓喜と、緊張と、自重のうちに、一日一日を踏みしめて、なすべきことは、すべて行った。そうして、投票日の七月八日が来た。山本伸一は、寝苦しい夜を送り、未明に目が覚めてしまった。五時近く起き出した彼は、廊下に出て、一階の洗面所に、ひっそりと下りた。すると、この時、玄関の方に人の気配がした。見るともなく見ると、龍岡巌が、玄関のドアを、そっと開けて、今、外に出ようとしている。
 伸一は、声をかけようとしたが、ひそやかな物腰から、差し控えた。はやる心の龍岡が、拠点へと急いでいることが、よくわかった。
 この時、伸一は、″これでよし、勝てる!″と思った。各拠点の責任ある幹部が、最後の最後の瞬間まで、緊迫感を持続していることを、龍岡の姿に見て取ったのである。
 伸一が部屋に戻ると、電話のベルが鳴っていた。受話器を取り上げると、東京からである。伸一は、端座して身を正した。受話器の向こうで、懐かしい戸田の声が響いた。
 「伸ちゃん、ご苦労。関西はどうだい?」
 「こちらは勝ちます!」
 「そうか。……東京は負け戦になりそうだ。私が東京に帰るのが、三日遅かった」
 伸一は、戸田の言葉に、なんと言うべきか、窮して黙してしまった。
 「伸ちゃん」
 「はい」
 「そちらは頼むよ。終わったら、早く帰って来なさい」
 電話は、それで切れた。
 伸一は、なお受話器を耳に当てたまま、しばらく茫然としていた。辺りの早朝の静寂が、ひとしお身に染みた。
 戸田城聖は、七月五日の夜遅く、全国一巡の旅を終え、東京に戻ってから本部を動かなかった。全国各地からの情勢報告を集めて、情勢分析をしていたが、彼の顔は次第に曇って、冴えなかった。どの報告も楽観的で、一応、景気はよかったが、彼の心の壁に感じるものは、数字的な報告とは反対なものであった。楽観の裏には、油断が潜んでいた。東京をはじめとする関東方面は、度重なる選挙妨害をめぐっての警察との折衝で、多くの会員は浮き足立って見えた。
 時は刻々と過ぎ、投票日の七月八日は終わった。戸田も一票を行使して、また本部に陣取った。夜に入ると、即日開票の三十七道府県の地方区の開票を、ラジオが報道し始めた。東京も、大阪も、翌日開票である。
 戸田は、会長室で横になったが、寝つかれなかった。春以来、この日の勝利をめざしてきた全国の会員を思い、各地で生じた、警察の干渉によるさまざまの事件を思い浮かべていた。
 全国的な支援活動が、何ゆえに、あれほど妨げられなければならなかったのかと思い返した。
 ″今の世の中は、宗教などというものを、いささかも信頼していない。宗教は死んで、衛生無害なものと思い込んでいる。ところが、信頼すべき唯一の宗教が、世間の風に初めて身をさらすと、たちまちこの騒ぎだ。
 創価学会の活動によって、真実の宗教が生きていたことを、世間は初めて知るに及んで、ただ、むやみに反発して嫌い、それが、干渉、迫害の動機になったのではなかろうか……″
 戸田は、何度も寝返りを打ちながら、深い想いに沈んだ。彼は、わが胸を手のひらでなで、会長に就任して以来の五年間を、遡行して考えた。
 彼の立てた作戦や展開は、たとえどんな困難に遭っても乗り越えて、ことごとく的を射て、完璧なまでに成功してきた。このたびの世間の風のなかでの作戦も、首脳幹部たちは、いろいろの障害はあったものの、同じように成功するものと楽観しているにちがいない。
 九日の正午ごろに大勢は判明するだろうが、おそらく彼らは、初めての挫折を知って驚愕するにちがいない。
 広宣流布も、いよいよ険しい道にさしかかったのだと、ひしひしと、彼は身にこたえた。哀感に沈んだのでも、まして絶望に襲われたのでもない。険しい山の絶壁が、彼の眼前にそびえ立っているのを直視したのである。
 彼は、己心に、その山をまざまざと見た瞬間、一首の和歌に、わが心を託し、愛すべき全会員の一人ひとりに呼びかけた。
  いやまして
    険しき山に
      かかりけり
    広布の旅に
      心してゆけ
 戸田城聖は、遠い未来の幾山河に、いつまでも思いを馳せていた。
 時計は、深夜の丑の刻、二時を指していた。一九五六年(昭和三十一年)七月九日の午前二時である。

1
13