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日蓮大聖人・池田大作

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上げ潮  

小説「人間革命」9-10巻 (池田大作全集第148巻)

前後
13  彼の励ましは、疲れた派遣員や地元学会員に、尽きぬ活力を与えた。
 二十四日、札幌に舞い戻ると、市の商工会議所で開催された講演会で、彼は、約二十分間にわたる講演を行った。この時も、「観心本尊抄」の「此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」を基本テーマとして、御本尊がいかなるものかを徹底して説いた。
 この夏、北海道の八拠点の法戦は、十日間で合計千三百九十四世帯という本尊流布の成果を得たのである。
 八月三十日夜、八月度本部幹部会が豊島公会堂で開かれた。会員は場外にもあふれた。夜とはいえ、残暑の余熱に、場内は蒸すように暑かった。集った人びとは、流れる汗をぬぐいながら、この夏の意気揚々たる活動報告に耳をそばだてていた。言い知れぬ上げ潮の歓喜が場内に渦巻いていた。
 まず、折伏成果の発表である。蒲田、大阪の両支部が、それぞれ四千世帯を超えていた。十六支部の合計が、二万二千八百九十二世帯と発表されると、聴衆のなかに、「おぉーっ」という驚きの声が漏れた。
 さらに、地方派遣員の四十五カ所の成果が読み上げられ、合計五千五百五十八世帯と聞くと、人びとは拍手のなかに歓声をあげた。そして、最後に、八月度の成果総数二万八千四百五十という発表を聞いた時、皆、わが耳を疑った。そして、左右の同志を顧みて、″やった!″という誇りに輝きながら、団結の歓喜に酔ったように、はつらつたる笑顔が、会場いっぱいに花咲いたのである。
 数カ月前、せいぜい一万世帯そこそこで低迷していたのが月々の成果であった。五月三日の総会の折、月々一万五千世帯の成果を続行しなければ、一九五五年(昭和三十年)度の三十万世帯の目標達成は不可能と発表され、容易ならぬことと決意した一同の胸中の蕾は、三カ月にして、早くも大きく開いたのである。
 一万五千どころではない。二万を超えた。いや、それをはるかに超えているではないか。あと四カ月、これで本年度の目標達成は、確実となった。集まった数千の会員の拍手の嵐は、咲き誇った数千の笑顔の花々を輝かせた。
 この夜また、男子青年部の組織の改革が発表された。上げ潮の波頭の最先端にいた男子部は、部員の急激な増加に備えて、組織の新たなる整備に着手した。これまで十六の部隊の組織は、部隊長―班長―分隊長という三段階の編成であったものを、部隊長―隊長―班長―分隊長と変革したのである。
 当時の各部隊の人員は、平均千人から千五百人の部員を数えるまでに拡大してきたのだったが、なかには四千人に近い部隊もあった。秩序ある団結の前進というものが、将来、いつまで続くかという心配もあった。指導と、団結と、実践力との円滑な連動が要求されてきたのである。
 新組織は、これに対応するものであり、同時に、これまでの部隊ごとの幹部室を解消して、新たに各部隊に企画部門を設置した。あわせて庶務と教学に主任制を設け、それぞれの責任分野を明確にし、今後の限りなき発展に、早くも備えたのである。
 小西理事長のあいさつのあと、戸田城聖の指導となった。堂内を揺るがす拍手のなかで、戸田の姿に、みずみずしい光彩が、一瞬、走ったように思われた。その姿そのままが上げ潮の光であった。
 「このたびの夏季指導によって、五千五百余世帯の不幸な人びとを救えたのは、皆さんの厚い好意によるものです。必ずしも、現地で活動に励んだ人たちの努力ばかりではありません。皆さん方の資金の応援があったからこそ、できたのであります。このことを厚く感謝いたします」
 戸田は、成果の数字よりも、救われた不幸な五千五百余世帯の人びとの身の上を思って喜んだ。派遣員や地元の活動メンバーの労苦に謝するよりも、その活動を十分に可能にした応援者たちに感謝したのである。
 「五千有余世帯の人は、少ないようだが非常に大きい。そこで、他宗は大変に慌てだした。例をあげると、学会をまねて″折伏″を始めた教団があった。辻説法を始めた教団もある。また、ある地域では、『創価学会が来たから、皆、戸を閉めて裏から逃げてしまえ』と防御戦術をやったそうだ。さらに面白いのは、日蓮系のある宗派では、『創価学会問答十二か条早わかり』という問答集を出した。読んでみみると、実に滑稽で、教学があるのかないのか、思わず噴き出してしまった」
 ここで、笑いをこらえていた聴衆は、どっと爆笑した。
 「こんなことが書いてある。――この宗派では、『黒仏』といって大聖人の像を墨で黒く塗っている。『観心本尊抄』に『無始の古仏なり』とあるのを勘違いして、大聖人様は古仏だから黒いはずだと言うんです。なんたる滑稽な早わかりでしよう。
 彼らは、どうしたらよいか四苦八苦している。しかし、彼らがなんのかんのと理屈をつけても、御本尊の法力の点では、絶対に勝てません。これだけは、はっきり言っておく。
 たとえ、いかに信心が浅くとも、どんな悩みも、最後に引き受けてくれるのは、御本尊様です。世界唯一の法力のこもった本尊を、私たちは受持しているんです。皆さんは、心から安心して、今後の信心をしっかりやっていってください」
 一九五五年(昭和三十年)八月の、目覚ましい全国的な活動は、社会に大きな宗教改革のうねりを起こしていった。そして、この時に始まった上げ潮は、戸田がこの世を去るまで続き、このあと、二年数カ月で七十五万世帯達成の高潮をみるのである。
 その契機が、この夏の八月の戦いであった。

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