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日蓮大聖人・池田大作

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翼の下  

小説「人間革命」7-8巻 (池田大作全集第147巻)

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31  当時、国内は、一九五二年(昭和二十七年)四月二十八日の講和条約の発効から一年を経過していた。独立国とはなったものの、米軍基地は、全国に散在していた。五三年(同二十八年)六月二十五日には、東京で軍事基地反対の大会が開催され、その他の地でも、激しい基地反対闘争が起こっていた。
 玄界灘を越えた韓・朝鮮半島では、南北の対立で戦闘が繰り返されていたが、四月二十六日には休戦会談が再開され、六月八日になって捕虜交換協定が調印されている。そして、七月二十七日に至って、初めて朝鮮休戦協定の調印をみた。
 朝鮮戦争(韓国戦争)の勃発したのは、五〇年(同二十五年)六月二十五日である。それから一年後の五一年(同二十六年)七月十日から休戦会談が始まったものの、その後も戦闘はやまず、さらに二年を経過して、やっと休戦協定締結となったのである。
 朝鮮戦争は、約三年の長きにわたり、狭い半島で近代戦の殺戮が続いたわけである。しかも、それは、南北統一の悲願を無視した国際戦争であった。朝鮮戦争は、二重の意味において、半島の民衆を苦しめていたのである。
 戸田城聖は、これらの国内、国外の情勢を思うたびに、広宣流布の急務を痛感していた。しかし、彼は、確固たる民衆救済の軌道を、一喜一憂することなく、世間の気づかぬ深い淵底で着実に切り開いていたのだ。そして、精いっぱい広げた翼の下で、多くの弟子たちの育成に余念がなかった。

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