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日蓮大聖人・池田大作

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原点  

小説「人間革命」7-8巻 (池田大作全集第147巻)

前後
17  四月二十八日、二十九日の両日、三千五百人の学会員が、総本山大石寺に登山した。五重塔修復記念大法要に参列するためである。
 ちょうど一年前の、あの七百年祭のことを考えない人はなかった。半年にもわたった笠原慈行事件が、日昇の誠告文によって決着した時、戸田城聖は、時を移さず、老朽し、破損のままに放置されていた五重塔の修理を自ら願い出た。そして、心からなる浄財を募り、修復の資金にあてたのである。以来、半年、ようやく修理は完成し、今、朱と青の鮮やかな五重塔は、青葉の森に映えてそびえていた。
 戸田の広宣流布への一念は、ここに一つの結実を見たのである。
 二十八日夜には、一年前の、その日を偲ぶかのように、男子青年部員八百人は、妙蓮寺に宿泊し、戸田城聖を迎えて、「戸田先生を囲む会」を盛大に開催した。
 午後七時半、「星落秋風五丈原」の大合唱のなかに、戸田は、姿を現した。
 部隊長の森川一正の司会で、会は明るく進められていった。数々の質問が、次から次へと活発に続いた。戸田は、それらの質問に、甘えるわが子に答えるかのように、時に厳しく、時に冗談を飛ばしながら、政治、経済など、百般について、根本的な見解を披瀝するのであった。
 一時間の会合は、一瞬のうちに過ぎてしまった。
 青年たちは、戸田を即製の輿に乗せ、十六人の選抜者がそれを担いだ。
 大石寺まで、約一・五キロの夜道を、多くの青年は輿の前後に整列し、″五丈原″を合唱しながら行進した。淡い月夜であった。富士は夜空に威容を浮かべ、四辺の森は春宵に煙っていた。
 女子青年部員六百人は、この行進を三門で迎えた。ここでまた、″五丈原″の大合唱が始まった。戸田は輿から降りたが、再び輿に乗り、青年たちに担がれて参道を宝蔵に向かった。いつしか戸田の身体が弱り始めていたのを、誰人が知っていたことであろうか。戸田は、宝蔵の前で、しばし唱題した。そして、宝蔵前をぎっしり埋めた男女青年に向かって言った。
 「本日は、青年部諸君の好意により、私は、妙蓮寺から大石寺まで送ってもらいました。この真心のこもった行為が、私は実に嬉しいのです。
 今さら言うまでもないことだが、戸田の生命は、御本尊に捧げてあります。私は、必ず正法を日本に広宣流布し、さらに世界を救うために闘争いたします。このことを、今、諸君にお誓いするものです。諸君も、しっかり頼みます」
 戸田の言葉が終わった途端、一斉に、「はいっ、やります!」という力強い返事が返ってきた。その声は、夜の巨大な杉木立のなかに響いていった。
 この日、戸田は、山本伸一の長子が誕生したという報告を受けていた。男の子だという。
 彼は、心から祝いたかったのであろう。理境坊に戻ると、直ちに筆を用意させた。そして自ら持っていた扇子に、
 「子生まれて 嬉し 春の月」
 と認めて、伸一に贈った。
 翌二十九日の午後一時、五重塔前の広場で、修復記念の儀式が挙行された。参列者は、戸田をはじめとする三千五百人の創価学会員であった。
 晴天のもと、式典は読経・唱題のあと、日昇の慶讃文と続き、さらに戸田に感謝状が贈られた。
 この五重塔は、仏法西還の意義を込め、西向きに建てられている。
 未来を指さす塔は、今、飛期する創価学会の姿を祝すかのように、中天の太陽のもとに悠然とそびえていた。
 幾人かのあいさつに続いて、最後に戸田は、演壇に立った。
 「創価学会の目的とするところは、ただ広宣流布にあります。なんのためか。
 ――今、日本の民衆は悲惨な状態にあります。東洋の民衆も、どん底にあります。これを回復し、救わねばならないからです。このために、日夜、心を痛め、身を尽くしているのであります。
 今、五重塔を修復し、少しばかりの金銭の奉仕をしたからといって、これほどの感謝を受けるのは、私にとって汗顔のいたりであります。今後は、これに千倍、万倍する広宣流布へのご奉公をいたす決意であります。
 学会員諸君は、よろしく会長の旨を体して、大法弘通のために、戦われんことを願う次第であります」
 風の強い日であった。スピーカーを通して流れる戸田の至誠の言葉は、風に乗って総本山中に運ばれた。
 この時、戸田城聖の胸に去来したものは、丸一年前の七百年祭を発端とする創価学会の、ここ一年の戦いの経過であったろう。今、宗門の復興と、学会の大きな未来を望んだ確実な躍進とが、現実の姿となって眼前にあった
 戸田は、この一年の経過を、走馬灯のように胸に浮かべながら、彼の体得した、あの不動の原点に、いささかの狂いもなかったことを現実として知ったのである。

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