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日蓮大聖人・池田大作

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小説「人間革命」3-4巻 (池田大作全集第145巻)

前後
1  アメリカ軍の占領統治も、既に三年を過ぎていた。
 日本という軍国主義国家を根こそぎにし、平和的な民主主義国家につくり直そうという、当初の理想主義的な占領政策は、一九四九年(昭和二十四年)に入ると、いつの間にか影をひそめていた。それも当然のことであったかもしれない。内外の急激な事態の変化が、当初の対日政策の方向転換を余儀なくさせてきたからである。
 軍事施設や、軍需生産機構の徹底的破壊は、見事に成功はした。そして、確かに一人の現役軍人もいない、兵器も生産しない日本になっていた。
 しかし、アメリカの希望する、手ごろな民主国家・日本の国づくりには、さんざん手こずっていたようである。いや、そればかりではない。戦勝国アメリカ自身の悩みは、ようやく色濃くなってきたのである。それは、戦争末期に兆し始めていた、連合国間の冷戦の気配が、戦後三年も過ぎてみると、厳しい東西両陣営の対立となって表面化し、一触即発の危機を、世界の各所に、はらんでいたからである。
 ヨーロッパでは、ドイツを東西に二分割し、東側をソ連の占領地域、西側を米、英、仏の三カ国の占領地域としたことから、紛糾が続いていた。ソ連占領地区にあった首都ベルリンも、東西に分割され統治されていた。
 四八年(同二十三年)六月、ソ連は、航空路を除き、西ベルリンへのすべての交通路を遮断した。ベルリン封鎖である。欧米陣営は、孤立した西ベルリン地区への食糧や物資の大空輸作戦で、これに対抗した。
 翌年五月になって、米、英、仏、ソの四カ国の協定によって封鎖解除が決定し、同月十二日、ようやくベルリン封鎖は解除になった。この間も米、英、仏のドイツ西側占領地区では、着々と統合への動きが進んでおり、五月二十三日には、ドイツ連邦共和国基本法が公布された。この基本法のもとで、九月に連邦政府が成立した。事実上、西ドイツが誕生したのである。ドイツ東側のソ連占領地区でも、既に憲法草案ができており、十月七日に、ドイツ民主共和国憲法を公布した。東ドイツの誕生である。
 これによって、ドイツ統一国家の実現は、遠い未来への夢となってしまった。
 人びとの意志は踏みにじられ、ドイツは二分された。そして、米ソの対立を背景として、西ドイツと東ドイツは対抗することになるのである。
 ソ連は、東欧諸国を共産圏に組み入れ、勢力を拡大、誇示していた。それに対し、アメリカは、四月四日に、イギリス、フランスなど十一カ国とともに、ワシントンでNATO(北大西洋条約機構)を結成した。ソ連、東欧諸国を仮想敵国とする軍事同盟を結んで対抗していったのである。
 アジアでは、韓・朝鮮半島が、北緯三十八度線で南と北に分割占領されていたが、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)として、それぞれ独立を宣した。ソ連は、四八年(同二十三年)十二月に、北朝鮮から撤兵を完了した。アメリカも、翌四九年(同二十四年)六月に、約五百人の軍事顧問団だけを残して、韓国から撤兵していった。
 しかし、韓・朝鮮半島の統一の夢は無残にも破られ、深刻な対立が、癒やしがたい傷跡となって、そのまま残ったのである。
 中国大陸では、全土を覆った動乱の最終章を迎えようとしていた。
 四九年(同二十四年)四月二十一日には、毛沢東(マオ・ツォートン)が率いる人民解放軍(共産党軍)は、全軍が進撃を開始して長江(チャンチアン)を渡り、二十三日には南京(ナンチン)に入城、さらに華南一帯に進撃を続け、全土の掌握も時間の問題となっていた。
 蒋介石(チアン・チェシー)の率いる国民党軍は、広東(コワントン)へと退却していった。多年にわたる、アメリカの近代兵器と軍事顧問団による膨大な軍事援助も、水泡に帰したというほかはなかった。
 勝敗の帰趨を決したのは、兵力や作戦ではなかった。人民解放軍への民衆の支持が、勝敗を決したといってよい。人心の動向を知り、時代の潮流に乗らなければ、どんなに優れた近代兵器を持ち、卓絶した知謀を発揮したとしても、最後には敗れ去っていくという教訓を示したようなものであった。
 国際情勢は、新たな段階を迎えていた。第二次大戦後、ヨーロッパは疲弊し、イギリスやフランスも、もはや大国としての経済基盤を失っていた。不安定な政情のヨーロッパの東には、強力な陸軍を擁したソ連があった。軍事力を背景にしたソ連の勢力は、東欧を影響下に置き、勢力圏をさらに拡大しようとしていた。
 当時、こうしたヨーロッパの状況を打開できる経済力、軍事力を持っていたのは、アメリカだけであった。そして実際に、アメリカは経済援助に踏み切った。そのきっかけとなったのは、イギリスの窮状だった。
 ナチスを駆逐したギリシャを支援していたイギリスは、ギリシャ駐留の軍隊を引き揚げざるを得ないほどの、経済危機に陥っていたのである。駐留している英軍が引き揚げれば、共産主義勢力が浸透することが危慎された。隣国のトルコも、同じような状況にあった。
 アメリカのトルーマン大統領は、援助を決意した。四七年(同二十二年)三月、彼は、「私は、武装せる少数者や国外からの圧迫に反抗しつつある自由な国民を支援することこそ米の政策でなければならぬと確信する」と宣言したのである。いわゆる「トルーマン・ドクトリン」である。アメリカは、共産主義勢力の拡大を阻止する姿勢を明確にした。これは、それまでの中立的外交政策からの大きな転換であった。対決は決定的になり、この後、東西冷戦構造が世界を支配することになった。
 共産主義の浸透を阻止するという政策は、アジアにおいても緊急の課題になりつつあった。中国大陸における共産主義国家の誕生が、目前に迫っていたからだ。
 それにともない、GHQ(連合国軍総司令部)日本占領政策も大きく転換していった。マッカーサーは、四九年(同二十四年)七月四日の声明で、日本国民は「共産主義運動の始まらんとする脅威を十分に理解」しており、日本は、「共産主義の東進を食い止め、躍進を阻止する有力な防壁」であると述べた。日本を反共の防壁とする方針を、あらためて明確にしたのである。
 占領政策の転換は、既に前年から始まっていた。韓・朝鮮半島は、三十八度線を境界に南北の対立が確定していた。日本を反共の防波堤とする方針は進行していた。アメリカは日本の経済再建を急ぎ、経済的目立を図るための施策を具体的に指示してきていた。四九年(同二十四年)二月に、GHQ経済顧問として来日した、アメリカ金融界の実力者ジョセフ・ドッジは、その方針にしたがって、インフレ収束への施策を強行した。「ドッジ・ライン」と呼ばれる「経済安定九原則」の実施である。
 これによってインフレは急速に収束したが、デフレによる不況が始まった。企業倒産、解雇が相次ぎ、敗戦国の国民には、新たな重圧がのしかかったのである。
2  このような内外の状況のなかにあって、戸田城聖の活動は、一喜一憂することなく、沈着に、着実に続けられていった。
 東京都区内はもちろんのこと、三多摩方面、隣接する神奈川、千葉、埼玉など各県の小都市へも出かけていった。土曜、日曜にかけての地方指導も、活発に始まった。戸田が中心者にならなければ、学会の会合は開催できないといった状態から、ようやく脱皮し始めたのである。
 一九四九年(昭和二十四年)当時、戸田の育てた幹部が中心者となって、どしどし座談会に臨むようになったのは、かつてない飛躍であった。座談会を担当した幹部たちは、いかにも楽しそうに、新時代の開拓者としての自負と希望にあふれでいた。
 戦前、牧口時代にあっても、ほとんどの座談会は、牧口が中心者であった。敗戦後、戸田城聖もまた、廃墟と化した広野で、学会再建のための会合という会合は、すべて彼が中心者として第一線に立つところから始めたのである。しかし、戦前と戦後の様相は、がらりと変わっていた。
 戦後、教義もでたらめな多数の新宗教が、苦もなく教勢を拡大した事実は、藁にもすがろうとする不幸な民衆が、いかに多かったかを物語るものである。
 戸田は、こうした社会情勢の激変と、広宣流布の機が熟しつつあることを十分に知つてはいた。だが、戦時中の弾圧による創価教育学会の壊滅は、瞬時も彼の頭から離れなかったのである。
 ″今度は、絶対に失敗はせぬぞ″と、彼は腹の底で深く決意しながら、活動していた。
 彼は、他教団の急速な拡大には目もくれなかった。遠大な未来の展望を胸に秘めつつ、まず一騎当千の有能な人材の育成に、すべてをかけていたのである。
 戸田は、座談会で、不幸に沈んだ多くの庶民を折伏していった。彼の傍らには、いつも大勢の幹部が、手に汗を握って控えていた。彼は、この座談会場を、幹部に対する実践訓練の場としたのであろう。そして、法華経講義をはじめとする教学の厳しい研鎖に加え、一人ひとりを磨き上げるような個人指導を重ねた。彼は、信・行・学にわたって、厳しく、また温かく彼らを育て、盤石の基礎を、辛抱強く築くことに心魂を傾けたのである。
 このころになると、座談会場は、にわかに増設されるにいたった。戸田に育まれた幹部たちは、次第に会合の中心者に指名され始めた。
 毎日、夕方になると、戸田の事務所には、派遣の担当幹部がやって来た。小学校の教員もいる。大学の英語の教師もいる。会社員も、商店主も、学生もいた。
 戸田は、一人ひとりに、その夜の座談会の運営について、細かい指示を与えるのだった。
 「調子に乗って、威張るんじゃないぞ。この前のように、一人でべらべらしゃべって、独演会になってはいかんな」
 「はい、気をつけます!」
 彼の机の前には、戦前からの青年部の幹部が、直立の姿勢で硬くなっていた。
 「そんな、怖い顔をするなよ。みんな、怖くなって逃げ出してしまうぞ。座談会は、青年だけの会合じゃないんだ。学会の会合が初めての人も、若い娘さんも来るんだ。大聖人様の仏法の座談会だもの、慈愛に満ちあふれた、この世でいちばん楽しい会合であるべきだ。
 社会が、いくら暗く、殺伐としていても、ぼくらの会合だけは、本来、絶対に明るい、自信と勇気に満ち満ちた会合でなければならないんだよ。
 座談会といっても、信心があれば、信心が確かなら、仏界を、菩薩界を、現ずるはずだ。そんな鬼のような顔で話しに行ったら、仏界を、わざわざぶち壊しに行くようなものじゃないか」
 青年は、微笑んだ。
 「はい、よくわかりました」
 青年らしい率直さと、澄んだ瞳を見て、戸田は、心で嬉しく感じたのであろう。
 「しっかり頼むよ。真心込めてやっていらっしゃい」
 青年は一礼すると、引き下がっていった。
 そのあとに、壮年の幹部が、戸田の前へ出た。見るからに頑強な体格をしている。
 「君にも困ったものだな」と言いかけて、戸田は微笑した。
 「座談会で酔っぱらいと喧嘩する者がいるか!」
 「申し訳ありません」
 彼は、頭をかき、うつむきながら言った。
 「初めは相手にしなかったんです。そのうち、あんまり無法なことを、わめきちらすものですから、こりゃ、法を下げてはいかんと思って……つい、喧嘩になってしまいました」
 「あきれた男だ。君こそ、法を下げているよ。悪いといえば、座談会に酔っぱらって来て、暴れるやつは悪いに決まっている。だからといって、こちらも取っ組み合いの喧嘩まで付き合わなくてもいいじゃないか。君も飲んでいたのか」
 「いいえ、絶対に飲んでいません。ただ、あんまり、しゃくに障って……」
 親指に巻いた、包帯に目をつけた戸田は、笑いながら聞いた。
 「その名誉の負傷は大丈夫かい」
 壮年は、その親指に片手をやりながら答えた。
 「もう、なんともありません。ガラス戸を壊した時、ちょっとガラスの破片が、刺さっただけです」
 「君、まず座談会に酔っぱらいなど、決して入れないことだ。まあ、君の場合でも、まだ方法はあったはずだよ。酔っぱらいなんていうものは、喉が渇いてぶつぶつ言っているだけだ。水でも飲ませて、『しばらくお休みに、なったらどうです』と言って、片隅にでも寝かせておけばいいんだよ。そのうち起き上がって、きょろきょろしたら、そこで、こちらは悠然として、諄々と折伏をすればいいじゃないか。君は、余計なことばかりして、困った男だなあ」
 「すみません……。気をつけます」
 「今度また、そんなことをしたら、二度と会合の派遣者とはしないから、よく覚えておきたまえ」
 戸田は、厳しい口調に戻っていた。そして、座談会場になった家へ詫びに行くよう、指示することを忘れなかった。
 「はい、よくわかりました。二度とは、いたしません」
 「そうだ、同じ失敗を二度する人間を愚か者というんだ。君も、やっとここまで立派になってきたところではないか。勇敢と乱暴とは、全然、違うんだよ」
 壮年は、恐縮して、打ちしおれてしまった。
 「今度はまた、やけに不景気な格好になってしまったな。お通夜に行くんじゃない。責任者として座談会に行くんだ。胸を張って、勇気凛々として行きたまえ」
 壮年は、頭を上げ、にっこりと笑った。そして子どものように、急に胸を張ってみせた。どっと笑いが弾けた。戸田も、笑いだしてしまった。
 庶民とは、最も人間らしいものの代名調であろうか。幹部たちは、戸田に何を言われでも、ただ喜々として集まっては、四方に散っていった。
 彼らは、実に楽しそうであった。一つの座談会を運営するという、重い使命の一端を果たす実践に、それまで、どんな境遇でも感じることのなかった誇りと責任感をもち、生きがいに燃えて勇み立っていた。
 こうして、地涌の闘将たちは、動きに動いた。その姿は、まことに尊く、真剣そのものであった。
3  それは、一九四九年(昭和二十四年)七月十二日の、小岩方面の、ある座談会でのことであった。
 ――その直前の六月三十日には、福島県平市で、共産党員など数百人が、岡市の警察署を占拠した事件が起きていた。
 また七月六日午前零時二十五分ごろ、国鉄の下山定則総裁が、常磐線の綾瀬駅付近で死体となって発見された。
 七月十五日夜には、三鷹駅で入庫中の無人電車が暴走し、駅前の交番などを全壊させ民家に突入。二十数人の死傷者を出すという、悲惨で不可解な事故が突発している。
 これら一連の、騒然たる、不気味な事件は、暴力横行の時勢を思わせるものであった。人心は、不可解な暴力の暗雲に怯えていたのである。闇市や盛り場での刃傷沙汰は、日常茶飯事で、時に警察力の無力化を思わせるほどであった。
 民衆は、敗戦後の混乱のなかで、いつ、何が起こるかわからないという恐怖を味わわなければならなかった。暗い地獄のような季節であった。
 十二日の小岩の会合も、このような社会不安のさなかに開かれたのである。会員たちは、それでも元気に集まった。ある人は、大樹の陰を求めるようにして座り、またある人は、不安の克服を願ってやって来た。なかには、政治の貧困に悲憤懐慨の面持ちで、肩を怒らせている人もいた。
 この夜の座談会の担当者は、泉田弘であった。彼は、定刻に少し遅れて着いた。戸田の事務所で手間取ったためである。
 戸田の指導は、幹部になればなるほど厳しかった。
 「泉田君、小岩方面も、このところ非常に伸びてはきたが、人材がなかなか出ないな。そりゃ、御本尊様の御力は無量無辺に偉大だから、いくらでも伸びることは間違いない。だが、それを君の力だと思っていると、数は増えても、人材は出そうで絶対に出てこない。ここが、今の小岩の問題なんだ」
 泉田弘は、全く戸田の言う通りだと思った。
 ″出そうで出ない人材、いったいどうしたらよいのか。先生は、「君は自分の力だと思い込んでいるからだ」と叱った。してみると、俺は、いつの間にか調子に乗って、いい気でいたということになるのか。心外にも思えるし、ことによると、先生の言う通りかもしれない″
 ともかく泉田は、戸田の一言が、胸にグサリと刺さった思いだった。彼は、道々、思い悩みつつ、小岩へと急いだのである。
 座談会場になっている、青年部の松村鉄之の家の玄関の前に来ると、風体のよくない二人の男が立っていた。ちょっと気にはなったが、彼は、玄関の戸を開けた。
 その途端――″ほう、今夜はすごいな、盛会だな″と思わず喜んだ。玄関の土聞には、革靴や、ズック靴や、下駄が、ぎっしり並んでいた。
 道々、思い詰めた人材不足の悩みは、瞬間、消し飛んでしまったようである。
 開襟シャツを着た、大柄の彼は、唱題してから、小机を前に向き直った。
 「みんな元気ですか。今日は暑かったね」
 彼は、目をぱちぱちさせながら、広い額の汗をハンカチでくるりと拭き、それから首筋を拭った。だが、彼は、その時、何か硬い空気を感じ取った。いつもの小岩とは違っていた。
 泉田弘の前には、初めて見る三人の男が並んでいた。
 彼は、″新しい参加者が三人もいる。よし、見事な、立派な座談会をやってみせるぞ″と、決意を新たにした。
 そして、意気込んだ調子で話し始めようとした時、千谷ハツという五十年配の女性が、彼に声をかけたのである。
 「この方は、金木さんのご主人です」
 金木といわれた男は、目礼しただけで、泉田を睨んで黙っていた。金木の後ろには、先月、入会した妻の金木ユリ子が、青ざめてうつむいていた。
 泉田は、ユリ子に尋ねた。
 「奥さん、どうかなさったんですか」
 ユリ子は、千谷の紹介で入会していた。その千谷ユリ子の家庭のことは、泉田も、あらましは聞いていた。
 彼女は、在日朝鮮人と結婚し、二人の聞には病気の子どもがいるという。
 彼女は、子どもの病気に悩み、早くから、ある新宗教の信者になっていた。
 ユリ子は、この宗教の講習会などにも熱心に通った。隣家の千谷にも、たびたび勧誘に来たりした。
 その千谷が、一年半ほど前、山川芳人の紹介で創価学会に入会した。今度は、千谷がユリ子を折伏して入会させたのである。ユリ子は、千谷の親切な指導で、不幸の根本原因が、何に由来するかを知った。
 そして、わが宿命を自覚し、千谷と共に信心に励んだ。折伏にも邁進するようになった。
 ユリ子の夫は、懸命に学会活動に励む妻を見て、猛烈に信心に反対し始めたのである。しかも、激しき暴力を振るうのであった。
 ユリ子は、信心をやめなければならないぐらいなら、いっそのこと離婚をしようと真剣に考えた。小児まひの子どももいる。彼女は迷ったが、その子を一生、抱き締めて苦労したとしても、夫と別れた方が、はるかに幸せだと思い詰めた。そして、ある夜、彼女は、夫に離婚を迫ったのである。彼女の固い決心を知って、金木は、初めて愕然とした。
 これまで、従順すぎるぐらいであった妻が、一変してしまったのである。金木には、妻が、このように強く反抗するにいたった理由がわからなかった。激怒して殴りつけようとした時、仏壇にある御本尊が目に入ったのである。彼は、やにわに仏壇に向かった。ユリ子は、その気配を察し、素早く御本尊を懐にしまった。
 金木は、ユリ子が離婚を迫った理由がわかった、と思った。
 ″今度の信心が、ユリ子を別人のような女にしてしまったらしい。隣の千谷のばあさんが、そそのかしたのかもしれぬ″
 彼は、腹を立てた。夜半であったが、千谷の家へ怒鳴り込んだ。
 人のよい千谷は、慌ててしまった。金木をなだめることは困難であった。離婚を勧めたなどとは、とんでもない言いがかりだと、いくら主張してもわかつてもらえない。彼女は、悔しくなって、隣近所として、これほどお宅の奥さんと親しくしてきているではないかと、涙をこらえて言うのであった。
 それでも金木は、「けしからん宗教だ。責任者に会わせろ!」と言ってきかない。千谷は、とうとう、近く幹部が来る会合があるから、その人に話したらよかろうと、突っぱねてしまった。
4  金木は、同じ在日の仲間を連れ、この夜、座談会に乗り込んで来ていたのである。″日蓮を拝む日本の宗教団体が、自分たちを夫婦別れさせようとしている。けしからん宗教″だと、仲間に語ったようだ。
 新しい参加者といえば、確かにそうではあった。しかし、とんでもない参加者が三人、泉田の前に座っていたのである。
 泉田が、「奥さん、どうかなさったんですか」とユリ子に言葉をかけた時、彼女は、チラッと顔を上げ、すぐまた、うつむいてしまった。その瞬間の、もの悲しい目に、彼はただならぬものを感じ取った。そして、金木に目を移し、その横に並んでいる二人の男を見た。一人は、首筋に刀傷のような、傷跡さえ深く残している。もう一人も、鋭い目をしていた。金木は、泉田から視線を離さなかった。
 元帝国陸軍准尉・泉田は、事ここにいたって、チラッと殺気さえ感じたのである。だが、さすがに動じなかった。
 「ちょっと聞きたいんだが、あんたたちの信心は、いったい、どういう信心だか、言ってくれませんかね」
 金木は、意外におとなしい口調で言いだした。
 「どういう信心? 特別に、変わった信心でもありませんよ。奥さんが、立派になさっているでしょう」
 泉田も、平静に答えた。
 「いや、そういう意味じゃない。仏教は朝鮮にもある。仏は釈迦だ。日蓮の仏教など聞いたこともない。私は、それが認められないんだ」
 金木は、ユリ子を顧みて、話を続けた。
 数十人の出席者たちは、固唾をのんで、ただ、その成り行きを見守るばかりであった。そして、中心者の道理正しい説得と、自信にあふれた悠然たる態度に期待して、ともかく、この場が穏やかに収まることを、念じていたのである。
 金木の顔は、真剣な表情になっていた。
 「私の妻は、信心して、大変、悪い妻になった。日蓮が悪いんだ! 日蓮が間違いなんだ!」
 彼は、ジロリと振り向き、人びとを見回した。あとの二人の男も、体を急にねじって、一座に立ち向かうように身構えた。そして、一人はポケットに手を突っ込んで、何か凶器らしいものを握ったように見えた。
 「いったい、どういうことが聞きたいんですか。問題は、何なんですか」
 泉田は、冷静に問いただした。
 「どうもこうもないよ。けしからん信心だ。妻が、信心を始めた。そうしたら、私と別れるという。そんな信仰が、どこにある!」
 「まあ、待ちなさい。いいですか、あなた方夫婦が、別れる別れないは、お二人の家庭の問題ですよ。この信心が、けしからんと言うが、それは信仰の問題で、この二つの別々の問題を、ごちゃごちゃにして、あなたは怒っている。問題を一つずつ、お話ししようではありませんか
 たとえば、私は結婚して十数年になりますよ。この信心も、九年も熱心にやってきた。しかし、別に夫婦別れなどしていません。ほれ、ここにいるのが妻です」
 右手の部屋の隅にいる、泉田ためを指さした。
 「そりゃ、ちょいちょい喧嘩はしますよ。夫婦ですからね。だが、別れるなどということまではいきません。また、この信心をしようとしまいと、世間では、いくらでも夫婦別れをする人たちはありますよ。いちいちの理由はわかりませんが、どうして、この信心と、あなた方の夫婦別れと、一緒に考えなければならないんです。信心したから、別れるというのではない。夫婦の間が、うまくいかないから別れるというのではないですか」
 「いや、違う、違う」と、金木は声を荒らげた。
 「あんたたちが、別れろと教えたから、妻は、どうしても別れると言いだしたんだ。間違いない」
 彼の言葉に、おっかぶせるように、傍らの男が叫んだ。
 「まったく、余計な、お世話だ。ひどい信心だ。いかげんなことを言うな!」
 「まあ、待ちなさい」
 泉田は、大きく手を振り、いきり立った二人を制しながら、毅然として言った。
 「つまり、あなた方は、奥さんが信心をやめたら、別れないだろうと思っているんですね。
 では、奥さんに聞きますが、私は、奥さんが信心をするも、やめるも、自由と思っております。いったい、誰が別れろと言ったんですか」
 ユリ子は、首を横に大きく振った。
 「いいえ、誰も言いません」
 「嘘つくな! こいつめ!」
 金木が怒鳴った。
 泉田は、早口になりながら言った。
 「まあ、まあ、待ちなさい。奥さん、信心は、するのも、やめるのも自由にしてくださいよ。もし、信心をやめたら、別れないですむと思っているのであれば、それで結構です」
 「信心は、私、やめません」
 ユリ子が、こう言った時、金木は、彼女を見すえて、大声を張り上げた。
 「やめろ!」
 「やめません」
 「なにっ!」
 そう叫ぶなり、金木は、ユリ子を張り倒してしまった。彼女の体勢は崩れて、横に突っ伏した。金木は、立ち上がった。仲間の二人も、立ち上がり、興奮した金木の腕を押さえて言った。
 「よせ、よせ、金木。女房を殴りに来たんじゃないよ。悪い信心を勧めるやつらを、懲らしめに来たんじゃないか。さあ、話をつけようじゃないか」
5  終戦の時点で、日本国内には、二百十万人に及ぶ韓・朝鮮半島の人たちがいた。そのなかには、戦争政策遂行のための労働力として、日本に連れて来られた人びとも少なくなかった。また、一九一〇年(明治四十三年)以来、三十六年に及んだ、″日帝三十六年″といわれる日本の韓・朝鮮半島への植民地化政策が進められるなかで、土地を追われ、財産を失い、職を求めて日本に来た人びともいた。
 終戦後の約半年の間に、二百十万人のうち百四十万人は、占領下の大混乱のなか、必死の思いで帰国していった。しかし、祖国での生活の場を失っていた人びとは、生きるために、帰国をあきらめて日本にとどまった。また、祖国の混乱状態を知って、帰国を見合わせた人びともいた。
 そうした在日の韓国・朝鮮人は、敗戦後の日本国内で、GHQにより、とりあえず「解放国民」と位置づけられ、外国人の扱いとなった。そのため、戦後の混乱のなかで、日本政府の保護も受けられず、いわれなき差別にさらされて、厳しい生活を強いられていた。しかも、終戦翌年には、GHQの方針でで、今度は、外国籍でありながら日本政府の統制下で管理されるという、不当な立場を強いられていったのである。
 そのなかで、誰もが必死に生きていた。自分の力で生きるしかなかった。
 今、小岩の座談会に押しかけて来た男たちが、学会への反感を募らせたのも、その影に、そうした不本意な境遇を強いる、日本社会への複雑な思いもあったであろう。
 険悪な空気のなかで、泉田弘は考えた。
 ″とんだ座談会になってしまった。これ以上、彼らの思うがままにさせておくことはできない。ともかく宗教上の教義については、一歩も退くことはできない″
 彼は、一時は警察を呼ぼうとも思った。だが、警官と三人の男との乱闘にもなりかねないと考えた。
 ″まず、ここにいる数十人を、無事に守ることだ。今、警察への通報はやめよう。たとえ、どんな事態が起こっても、私が受け止めよう″
 泉田は、一人立つ覚悟が決まると、驚くほど平静になった自分を感じた。
 「あなた方の言う通り、話をつけましょう。しかし、あなたの家庭の問題については、ここにいる学会員は、なんの関係もない。今夜は、座談会をしているのです。信仰上の、さまざまな問題を話し合う場所です。あなた方と話をつけるのは、ほかの場所で、いくらでもできる。今は、座談会をしなければならない。それがすんだら、いつ、どこでも結構です。日と場所を言いなさい」
 平静な口調である。だが、その瞬間、男の一人が、怒鳴りだした。
 「逃げる気だな!」
 「何を言うか!」
 泉田は膝で立って、初めて大声を発した。
 「逃げも隠れもしない。この会場は、あなた方だけのものではないんだ。みんな座談会へ来たんだ。後で、ゆっくり話し合おうというだけだ」
 金木は、さっと身構えた。ユリ子は、真っ青になって、その前に両手を広げた。傷跡の男も中腰の構えである。
 もう一人の、無言の男も立ち上がって、冷笑を浮かべ、ズボンのポケットに手を入れた。集まった学会員は、そのしぐさから、小型のピストルかもしれないと思った。
 会場は、瞬間、水を打ったように静まり返ってしまった。女性たちは身を引いて、二人、三人と固まっていった。意外に平然と、その成り行きを見守っている壮年もいる。今にも彼ら三人に襲いかかろうとして、鋭い目つきになっている青年もいた。
 この場から逃げ出そうかと、ためらっている人もいる。
 すると部屋の片隅から、静かに唱題する一人の声が響いてきた。その唱題の声は、二人となり、三人となり、五人、十人となっていった。
 座談会に参加していた学会員たちが、驚愕したことは事実であった。蒼白になった人もいた。体を小刻みに震わせている人もいた。しかし、周章狼狽して、騒ぎをさらに大きくする人は、一人もいなかったのである。
 突然、白髪頭の堀田という、五十年配の職人風の男が立ち上がった。
 「あかん、あかん。物騒なことしたらあかん。やめときなはれ。ここは、座談会をやってますねん」
 堀田の関西弁は、どこか剽軽に響いた。
 「わては、元気のいい、お客はんや思うたのに。さぁ、さぁ、こっちへおいでなはれ。ここは、女の人や子どももいるさかい、座談会のすむまで、ちょっと縁側の方で、庭でも見て、待つといてくれまへんか」
 人を食った言葉に響いたが、堀田の顔は大真面目であり、必死でもあった。関東で聞く関西弁は、おのずとユーモラスに聞こえる。これを標準語で言つたとしたら、三人の男はいきり立ち、形相を変えたにちがいない。
 「松村のぼんぼん、早う、お客はん案内せんかい。座布団持って来なはれ」
 堀田は、玄関近くに立っていた青年部の松村鉄之を促し、縁側の方へ進んでいった。座っていた人びとは、さっと道を開けた。しかし、男たちは動こうとはしなかった。
 縁側に出た堀田と松村は、暗い庭先の向こうにも、二人の男が無言のまま立っているのに気づいた。先ほど、玄関先にいた二人であろう。
 二人の庭先の見張りは、警察への通報を防ぐためであったろう。彼らの計画は、かなり周到に仕組まれていたことを、堀田は直感した。
 泉田元准尉は、責任者として、″なんとしても、この会合を無事に解散させねばならぬ″と、その機をうかがっていたが、今は、絶対に動じてはならぬと、わが心に言い聞かせた。
 「さあ、話をつけてもらおうじゃないか!」
 金木は、勝ち誇ったように、身をそらして言った。
 「話をつけろというが、どうつけろというんだね?」
 激した感情を抑え、静かに泉田は答えた。すると、傷跡のある男が口をはさんだ。
 「わかっているじゃないか。金木の奥さんの信心を、まず、やめさせることだ。第二に、夫婦別れなど絶対にさせぬと、証文を書いてもらおう」
 泉田は、うんざりした。話の観点が、まるで違っている。だが、彼は「忍辱の鎧」を着ようと考えた。
 彼は、先入観念というものの恐ろしさを、あらためて知った。また、無認識の評価が、いかに恐ろしいものかを、まざまざと見る思いがした。
 「信心する、しないは、あくまでも奥さんの自由です。強制されて信心などできるものではない。それでは、反発こそすれ、深い信心には入れないでしょう。このなかに、そんな人は一人もいませんよ。夫婦別れの問題だって、はたでいくら気をもんでも、結局は、その夫婦が決める問題でしょう。他人が介入して、解決できるものではない。そうじゃないですか。
 私どもは、日蓮大聖人の正しい信心というものを、自ら責任をもって、皆さんに教えているだけです。ここは家庭裁判所でもなければ、弁護士の事務所でもない。まして親族会議でもない。どうも複雑な誤解があるようだね。面倒なことだから、さっきも言った通り、日を改め、場所を決めてお話ししましょうよ」
 泉田は、あくまでも静かに、理路整然と語った。
 三人の男たちは、互いに顔を見合わせている。彼らの興奮は、いつか激昂から、面子をどう立てるかという問題に変わりつつあった。
 傷跡のある男は、ニヤリと笑いながら言った。
 「うまいことを言っている! その手には乗らんよ。今、ここで早いとこ話をつけてもらおう」
 「いや、ほかに場所を決めなさい。ちゃんと話をつけますから。この家に迷惑をかけるのはよくない」
 元准尉の言葉には、暴力でもなんでも相手になってやるぞ、といった気迫があった。しかし三人の男は、見えを切った手前、素直に聞けなくなっていた。
 傷跡のある男が、畳み込むように言った。
 「ここで話がつけられないものが、どこで話がつくものか。じゃ、面倒くさい、GHQに行くか。どうだ、行くか!」
 強がりの言葉であった。GHQは、敗戦国日本の人びとにとって近寄りがたい存在であった。
 泉田は、脅しの言葉に悠然と応じた。
 「ああ、GHQだろうと、どこだろうと行くよ」
 泉田は、ともかく早く、この場のケリをつけたかったのである。はや、一時間以上の時間が過ぎ去っていた。
 「面白い。さぁ、行こうじゃないか」
 男が、泉田に手をかけようとした時、今まで黙っていたユリ子が、突然、甲高い声をたてた。
 「待ってください。皆さんには、なんの責任もありません。すべて、この私にあります。私を連れて行きなさい! 私を殺してすむなら、私を殺しなさい!」
 「なにっ、こいつ!」
 ユリ子は、金木に押し倒されながら、瞬間、彼の腕をかんでいた。夫婦の憎悪の荒い息づかいだけが、激しく流れている。
 「これでは話にもならない。千谷さん、奥さんを連れて帰りなさい。お前も、ついて行きなさい!」
 泉田は、千谷と、彼の妻に、厳然と言い渡した。
 三人の男たちも、虚を突かれたように黙っている。一言の抗議もはさまなかった。
6  千谷ハツと泉田ためは、金木ユリ子の身を抱えるようにして部屋を出ていった。
 道々、千谷は考えた。
 ″私が入会させたユリ子さんのことから、楽しいはずの座談会が、こんなことになってしまった。でも、私たちは、最も不幸な人びとの味方になって、一人ひとりを救っていく使命があるのだから、皆さんも許してくださるだろう″
 このあと泉田は、すかさず人びとに向かって、徴笑さえ交えながら言った。
 「今夜は、とんだ座談会になってしまった。せっかくおいでになったのに、残念です。私からお詫びします。今夜は、これでひとまず、散会ということにして、また近いうちに、座談会を開こうではないですか。あらためて地区の方から、お知らせいたします。その時には、また元気な顔を見せてください」
 一同は、この瞬間を待っていたように、ほっとした。口々に、あいさつを交わしながら、次々に玄関口に向かった。
 部屋に残ったのは、泉田と三人の男である。縁側には、松村と堀田と、庭先の二人の男が残っていた。
 全員、無事に退場完了である。これで泉田の責任の大半は、なくなった思いであった。今や、主導権は彼の手にあった。
 「それでは、GHQへ行きますか」
 泉田は、まるでGHQへ陳情にでも行くような調子であった。五人の脅迫は威力を失っていった。殺気は、いつの間にか潰えてしまったのである。
 当時、日本のなかで、GHQほど権威をもっ場所は、なかった。日本人に対してばかりではない。五人の男たちにとっても、同様であったと考えられる。不条理な言いがかりが是認される場所とは、思えなかったのであろう。
 彼らも、GHQの権威には恐れをもっていたようだ。座談会に乗り込んで来たものの、本当にGHQへ行とうと言われてみると、夫婦別れの問題を、GHQに持ち込む滑稽さが、男たちを躊躇させた。
 部屋は、がらんとして気が抜けていた。彼らには、ただ、いまいましさだけが残り、面子のみにだわっているようであった。
 傷跡のある男が、威張りくさって言った。
 「日時は、こちらで指定する。必ず来るか!」
 「行くとも、どこへでも行く!」
 三人の男は、小声でささやいている。
 「協会がいい。協会にしよう」
 頷いた男は、泉田に正面きって言った。
 「必ず実行するな。俺たちの協会へ来てもらおう。時間は、一週間後の七月十九日、午後の二時だ。いいな」
 「承知した。来週の今日だな」
 彼らは、自分たちの所属する協会なるものの所在を教えて、幾たびも念を押した。
 そこは、戸田の事務所から、さほどの距離ではなかった。
 鋭い目をした無口の男が、立ち上がりながら泉田に言った。
 「男と男の約束だ。破れば命をもらう!」
 彼らも帰っていった。
 元准尉は、また、頭から首筋にかけて、流れる汗をぬぐった。そして、小机の上にあったコップの水を、うまそうに一気に飲んだ。
7  この座談会の事件は、その夜遅く戸田の耳に入った。彼は、自宅の電話口で、その報告を聞くと、即座に、最高幹部と関係幹部を、翌朝早く招集するよう指示した。その対応の機敏さと、責任感にあふれる態度は、真剣そのものであった。
 戸田は、傍らに心配顔でいる妻の幾枝に、その出来事を簡単に話しながら、豪快に笑いだした。
 「泉田君も、さぞ驚いたことだろう。戦争に行ってニューギニアから平穏無事に帰って来たと思ったら、今度は座談会で、ひどく脅かされたか。罪障消滅かな。ハ、ハ、ハッ」
 翌朝――戸田の事務所に、関係者を交え、十数人の幹部が詰めかけた。堀田も松村も、他の青年もいる。興奮が、誰の顔にも見られた。
 戸田は、彼らがこもごも語る前夜の様子を、じっと聞いていた。
 前夜の座談会に出席できなかった一人の青年は、さも残念そうにつぶやいた。
 「ぼくも昨夜、行けばよかったな。まさに三類の強敵ですね」
 教学に熱心な一幹部は、感慨深そうに言った。
 「こりゃ、俗衆増上慢でも、道門増上慢でもない。GHQを笠に着た脅迫だ。これこそ第三の僣聖増上慢ですね。この事件には、権力の背景がある。泉田さんも大したものだなぁ。
 泉田は照れていた。
 戸田は、さまざまな報告やら、会話のなかから、どうやら事件の本質をつかんだ。彼は、一同を見回しながら、おもむろに言った。
 「わかった。だが、法難にしては少々早すぎるよ」
 一同は拍子抜けしたように、戸田の顔を一斉に見つめた。
 「感情だな。単なる感情のもつれだよ。そのもつれが解ければ、なんでもない。ともかく、普段の地道な指導が大切だな」
 戸田は、現時点における、創価学会の力を十分に知っていた。また、未来にわたる壮大な力をも知っていた。その間の道程に起きた昨夜の事件が、どのような性質のものかを分析したのであろう。彼の脳裏には、はるかなる広宣流布への道程が、いつでも、まざまざと焼き付いていた。
 ″法難とするには、こちらの今の力は、微弱すぎる。僣聖増上慢などとは、もったいないことを言うもんだ″
 彼は、苦笑しながら、目をすえ、耳を澄まし、緊張している人びとに言った。
 「これが僣聖増上慢だったら、本当にありがたいことだよ。広宣流布なんて、実にわけないことになる。残念ながら、そう簡単にはいかないのだ」
 彼は、咳払いして、あらたまった様子で言葉に力を入れた。
 「広宣流布の実現というのは、未聞の大事業です。しかも、三類の敵人は、必ず現れることになっている。それは覚悟しなくてはなるまい。
 今、われわれの広宣流布は、いよいよ社会建設の時代に入ったわけだ。つまり、社会のあらゆる面にわたっての悪との戦いです。全社会が、こぞって敵に回ることも、あるいは考えなければならないだろう。政治、経済、文化、教育といった、さまざまな分野での立体的な戦いになってくるわけだ。どんな強敵が現れても、微動だにするわけにはいかぬ。こういう時が早く来れば、ぼくは嬉しいね。その時こそ、広宣流布の序幕だもの。
 どんなことがあっても、根本に強盛な信心だけは忘れてはなりませんぞ。信心で、いかなるものにも必ず勝てるからだ。その時には、みんな結束して壮烈に戦おうではないか」
 戸田は、幹部たちを見回し、ながら、続けて言った。
 「しかし、まだまだ先のことだ。今は、せいぜい俗衆増上慢が少々あるぐらいのもので、他宗が少しは騒ぎだしたが、これも道門増上慢のはしりといってよい。僣聖増上慢にいたっては、まだ、影も形も現れないというのが現状だよ。残念なぐらいだ。われわれの力の、いたらなさにあるのだから、仕方なかろう。だが、未来には、当然、なるほどこれが僣聖増上慢かと、いやというほど納得するのが現れてくるよ。その時に、腰を抜かしたり、慌てふためいたりして、笑われないようにしたまえ。
 その日のために、今の一日一日の修行が大切だ。今、ここにいる諸君は、絶対に退転してはなりませんぞ。わかったね」
 彼は、こう言うと、優しい眼差しになり、泉田に視線を向けた。
 「ところで泉田君、十九日の会見はどうする?」
 「まいります。私一人、殴られるぐらいのことですむならと思っております。覚悟はできております」
 真剣な顔になっている。
 戸田は、目を細めて笑いだした。
 「殴られに行くのか。ご苦労なことだな。彼らも、泉田君を殴りつけて満足したところで、いったい、なんになるというのだ。それでは、お互いに、あんまり頭がよくないな。まあ、約束したからには仕方がない。しかし、ぼくは、いやだな」
 彼を囲んでいる人びとは、くすくすと笑いだしてしまった。
8  戸田は、それをとがめるように、真顔になって言った。
 「この勝負は、ついている。仏界と修羅界との戦いではないか。負けるわけがない。大聖人の竜の口の頸の座だって、要するに、このことを、お示しになっているんです。われわれも大聖人の子ではないか。絶対にお守りくださるはずだ。ただし、信心に油断があってはなりませんぞ」
 勝負は、ついている――この戸田の言葉は、強く響いて、みんなの胸に収まった。泉田に対する危険と不安が、あっさりと消えていくようであった。だが、戸田は、また厳しい口調に戻って、語り始めたのである。
 「泉田君が出かけていって、殴られてくればそれでいい、などと思ったら、大間違いだ。相手は、何人いるかわからない。ピストルを持っているかもしれない。こっちには信心があるからといって、いい気になっていると、そとに油断が起きるのだ。戦いには、必ず相手があるのだから、慎重に万全の対策を立でなければならない。それが信心というものなんだよ。
 ただ題目さえ唱えていれば、それだけでよいというものでは決してない。四条金吾が、敵に狙われて危険な時、大聖人は微に入り細をうがってのご注意を、こまごまとお認めになっているではないか。こういう時こそ、まさに『各各用心有る可し』の御金言を、かみしめるべきだ。よく考えた方がいい」
 対策について、みんなは思い思いの提案をし始めた。
 「警察に訴えて、その処置を任せ、行かない方がいい」と言う人もいた。「いや、警察は無力だから、アメリカ軍のMP(陸軍憲兵)の立ち会いのもとに、話をつけるのが名案だ」とする人もいた。「青年部の腕っぷしの強い者が五、六人、泉田を囲んで乗り込もう」という案を、細かに立てる人もいた。
 話は、だんだん殺伐としたものになり、対策は大げさになっていった。だが、さて実行となると、どれもこれも適切な対策とはいえなかったのである。
 話が飛躍し、大げさになっていくのをみて、泉田は、同志愛に感謝しながらも、意を決するように言った。
 「これは、泉田一人の責任です。約束した以上、行かないわけにはまいりません。一人で行かせてください。何が起きようと、同志の皆さんに迷惑はかけたくない」
 戸田は、泉田という一人の愛すべき弟子の安危について、真剣に思い悩んでいた。めったなことはないと確信するものの、万が一ということもある。さまざまな提案に、戸田は、一言も口をはさまなかった。泉田の決意を聞くと、戸田は、初めて口を開いた。
 「よかろう。ただし、松村君、君が泉田君に付き添って行きなさい」
 「はい、もしもピストルを出しできたら、私が、泉田さんをかばって撃たれます」
 血の気の多い松村鉄之は、ちょっと悲壮な面持ちである。
 「そうじゃない。こちらは喧嘩をしに行くのではない。不穏な形勢と見て取ったら、さっと部屋を抜け出して、すぐ知らせるのだ。どこか近くの電話を、今からお願いしておくことだ。こちらは、それを待っている」
 戸田は、その場所や、方法について指示を与えていった。
 「ともかく、私のところへ、即座に連絡できるようにしてくれればよい。……それから、もう一つ、十九日のことを、一応、警察へ詳しく伝えておいてくれ。これは、三島君と原山君に頼もうか」
 基本対策は決まった。それぞれの責任者は、その夜、再び集まって、手はずを整えた。そして、一九日を待つことになったのである。
 松村青年は、その日のために、夏服を一着注文して、仕立てをせかせた。朝晩、猛烈に題目を唱え始めた。彼は、生きがいを感じたのである。
 泉田は、戸田が、「勝負は、ついている」と言った言葉が、耳の底から離れなかった。もしも無残なことになったとしたら、それは彼自身の宿業であると思った。戦前からの会員であった彼は、牧口時代から歌われてきた歌の一節を思い出し、思わず口ずさんでいた。
  
  胸にピストル 向けらりょと
  退いてなろうか 一足も
  男とる道 ただ一つ
  仰げ東の茜空
 泉田は、思った。
 ″歌の通りになった。してみれば、一歩も退くことはできぬ。仏法のうえで、自分の前に横たわった現実の事件である。これを避けては、信心ではない。……自ら立派に、魔の山を乗り越えていく信心であらねばならぬ″
 彼は、ひたすらに念ずるのであった。
9  千谷ハツは、その夜、金木ユリ子を送ってから、″なんということになったのか″と、まず自責の念に駆られていた。翌日、彼女は泉田の勤めている女性新聞社を訪れて、詫びたのである。
 彼女は、十九日の対決の話を、そこで初めて聞いて驚いた。詳しく尋ねると、泉田は、事もなげに言った。
 「心配しなくてもいいよ」
 「どこで話をつけるのですか」
 彼女は、執拗に場所を尋ねたが、泉田は、教えてはくれなかった。
 「心配するなというに――。あなたが行ったところで、どうなるものでもない。ちゃんと話をつけてくるから、待っていなさい」
 千谷は、そのまま寂しそうに引き下がった。だが、一日一日と、胸騒ぎが激しくなるのを、どうしょうもなかった。
 彼女は、不安に駆られると、懸命に唱題した。時には、隣家のユリ子を連れて来て、二人で唱題することもあった。″どうか、十九日が無事であるように″と祈るのみであった。
 だが、あの恐ろしい事件を思い出すと、ユリ子が恨めしくさえ思えてならなかった。そして、ひとり嘆き悲しんだのである。彼女は、はなはだ悲観的になっていった。
 ″もしも、お世話になった泉田さんの身に、危害でも加えられたらどうしよう。いったい、自分は、どうしたらよいのだろうか。ユリ子さんを折伏したのは私だ。この事件の種を蒔いたのも私だ。だから、その種を蒔いた私が、それを刈り取らなければならない。誰の責任でもない。私の責任なのだ。いったい、どうしたらいいのか
 千谷は、小さい胸のなかで悶々としていた。
 ″多くの人たちに迷惑をかけ、心配をかけ、そのうえ取り返しのつかない事態になったら、どうお詫びしようか″
 彼女の胸は、暗く、心痛は激しくなった。
 千谷は、あの男たちと、自分一人で話をつけようと思ったのである。彼らの居所を、ユリ子を通して聞いてもらったが、皆目、見当がつかない。金木は、たまに千谷を見かけても、口もきかなかった。彼女は、心当たりを訪ねては聞いて歩いたが、堀田も松村青年も教えてくれなかった。
 彼女は、気が気でなかった。あと二日という十七日の深夜、長い唱題のあと、ある決心をしたのである。
 ″自分で蒔いた種は、自分で刈り取ろう。そのために、自分の身がどうなろうと、仕方のないことだ″
 千谷ハツは、まず遺書を書いた。それから、翌朝着る新しい下着を調えた。彼女の心は、今、初めて動揺しなくなったのである。すべての人びとが、急に懐かしくなった。金木たちの乱暴さえ、同情をもって思い返すこともできた。
10  夏の夜は、明けやすかった。千谷は、早朝に勤行を始めた。戦時中に死んだ夫のことが思い出された。残された女の子六人を、さまざまな行商をしながら、無事に育ててこられたことを感謝した。長女は結婚し、その婿も無事、復員してきた。孫も二人になって、ハツと同じ家に住んでいた。次女も三女も一人前になって、社会に出て働いている。下の三人の子は、まだ就学児童であった。そして、この幼い三人の寝顔を見た時、熱い涙が流れるのを、どうしょうもなかった。
 午前八時になった。千谷は家を出て、泉田の勤め先である新聞社の、受付に立って泉田の出勤を待った。やがて、泉田の大きな姿が、街路に見えてきた。千谷は、いきなり表に飛び出し、泉田をつかまえた。
 千谷のただならぬ様子に、泉田は、ともかく応接室に通した。
 「どうしたの?」
 「泉田さん、明日の会見の場所を、どうか教えてください」
 「どうするというの?」
 「あの人たちと会って、ちゃんと話をつけたいのです」
 「約束したのは、ぼくだ。あなたの出る幕ではなくなっている。何も心配しなくていいんだよ」
 思い詰めた千谷の決心は固かった。泉田の説得は続いたが、彼女は、切に願い続けたのである。
 「種を蒔いた私が、それを刈り取りたいのです。決して迷惑はかけません。泉田さんの約束は約束で、私に関係のないことです。私が女だから、いけないというのですか。ですが、私にも信心はあるつもりです。こんな私ですが、私としての責任を果たさなければ、御本尊様に申し訳ありません」
 千谷の切々とした訴えに、泉田は目をしばたたいた。
 「それほどまでに言うのだったら、教えてあげよう。ただし、ぼくの約束は約束だ。実行するよ。邪魔はしないでくれ。いいね。
 このうえ、先方に変な誤解はされたくない。あなたが行きたいなら、あなたの考えでやりなさい。ほくは知らないよ。頑固な人だなあ」
 「わかりました。決して、皆さんに、ご迷惑はおかけいたしません」
 千谷ハツは、金木たちが指定した協会の所在地を聞くと、すぐそこに向かった。
 体当たりともいうべき行動である。彼女は、暑い日差しのなかで汗にまみれたが、汗を拭くことも忘れていた。
 探し当てた建物の入り口の階段を数段上ると、大きな扉が開け放たれていた。部屋には机が並び、何人かの人たちが語り合っている。十二日夜の座談会に乗り込んで来た人たちはいないかと、しばらくのぞいたが見当たらなかった。彼女は、まごまごしてしまった。
 千谷の姿を見た一人の女性事務員が、近づいてきた。千谷は、とっさに尋ねた。
 「協会長さんは、おいでですか」
 「協会長? あなたは、どなたですか」
 親切そうな事務員に、千谷は、ほっとしながら答えた。
 「千谷といいますが、協会長さんは、ご存じないと思います。ちょっと、お国の方のことで、至急、お目にかかって、ぜひお話ししなければならないことがあるのです」
 事務員は、「はい。しばらくお待ちください」と言って、そのまま左手の部屋に入っていった。千谷は、心で唱題し始めた。事務員は、なかなか出てこない。
 面会を断られたら、どうしようかと考えた。それならそれで、あの三人のうち誰かが来るまで、何時間でも待とうと心を決めていたのである。
 十分ほどたって、事務員が現れた。
 「どうぞ、こちらへ。三階ですのよ」
 事務員の姿は可憐で、微笑さえ浮かべていた。ハツは、ふと、同じ年ごろの自分の娘を思い出していた。
 事務員は、再び口を開いた。
 「どうぞ、遠慮しないで、一緒にいらしてください」
 千谷は、後について、三階までの薄暗い階段を、一段一段、上っていったが、足は、いささか震えがちである。二度ばかり踏み外しそうになったりもした。
11  事務員が扉を開けると、明るい部屋であった。窓近くに、大きな机が置かれ、そこで四十前後の男が受話器を耳に当て、歯切れのよい口調で何事か話している。
 千谷は一礼して、立ったまま電話の終わるのを待っていた。色白の男は、頭髪をきれいに分け、ワイシャツに、細い蝶ネクタイを結んでいる。肩幅の広い体格だったが、少しも威圧は感じなかった。チラリと千谷を見る目の鋭さを除けば、むしろ優しい紳士の印象である。
 彼女の予想は、外れた。先夜の五人の男とは、ずいぶん違っていた。
 紳士は、受話器を置くと、扇風機の風向きを直しながら、千谷を部屋の隅のソファに案内した。
 「お話を伺いましょう。どういうご用件ですか」
 千谷は、どぎまぎして、いきなり座談会場での経緯から話し始めた。雑然とした話になってしまった。協会長は、さっぱりのみ込めなかったらしい。ただ、彼女が異様に興奮していることだけはわかった。
 千谷の断片的な話が一段落すると、紳士は、それを解きほぐすように質問してきた。
 「奥さん、ちょっと待ってください。その金木という男は、私も一、二度、会った記憶がありますが、あまりよく知りません」
 千谷は、ただ、もどかしかった。話の順序がつかないのである。その困惑の表情を見てとった協会長は、誘導するように聞いた。
 「その金木と、奥さんとの関係は?」
 「隣に住んでいますので、いろいろお付き合いしてきました。それで、金木さんの奥さんを折伏したのです」
 「折伏というと?」
 会話は、こんなふうに整理されながら、事件の全貌が浮かんできた。
 千谷の話を聞きながら、次第に協会長は、事態を理解していった。
 ″どうやら、信仰と信仰との対決の問題ではない。
 彼らは、金木夫妻の家庭上の問題の処理のために、信仰の問題とすり替え、脅迫のような行為で、それを解決しようとしたらしい″
 政治問題でもなければ、外交問題にもならない性質の一事件である。紳士は、ほっとした様子で、千谷に言った。
 「要するに、奥さんは、その男たちと和解ができさえすれば、それでよいのですか」
 そこへ、先ほどの女性事務員が、茶を運んできた。
 協会長は、その事務員に、ある男の名を告げ、至急、三階へ来るよう伝言を頼んだ。
 千谷が急き込んで言った。
 「誤解を解きたいのです。もとは、私に責任があるのです。学会の方々に、これ以上迷惑をかけることは、私には、どうあってもできません。私が原因です。ですから、金木さんたちが承知できないというなら、この私を、いくら責めてもいいし、私の命でよかったら、どうなりと勝手にしてくださればいいのです」
 協会長は、千谷をしきりになだめた。
 「まあ、まあ、奥さん、事情をよく調べてみますから……」
12  そこに、一人の男が、のっそり入ってきた。千谷は、「あっ」と驚いた。首筋に傷跡のある、先夜の男ではないか。男は、ジロリと千谷を脱んだ。協会長は、その男を傍らに座らせ、自国語で何か話し始めた。
 協会長は、二、三の質問をした。男は、激しい口調で経緯を説明しているらしい。協会長は頷きながら、短い質問をはさんだ。男は、まくしたてるように答えていたが、そのうちに興奮して、わめくような調子になった。紳士も詰問するように、鋭い口調になっていった。男は、頑強に反駁しているらしい。協会長は、とうとう顔を赤くして怒鳴った。
 男は、急にうなだれて、無言のまま、かしこまってしまったのである。そして、協会長は、説諭するように、諄々と男に話していた。むろん千谷には、二人の会話は、さっぱりわからなかったが、ただ話のなかで、「金木」という言葉は、何度も耳にしたのである。
 協会長は、男を叱りつけるようにして退室させると、千谷に向かって、初めて微笑んだ。
 「奥さん、来てくださって、ありがとうございました。このままにしておいたら、とんでもないことになったかもしれない」
 紳士は、千谷に軽く頭を下げてから、茶をすすった。
 「一切の責任は、私が負います。もう、ご安心くださって結構です。私も、まったく、時々やりきれなくなりますよ」
 「本当に、ありがとうございました」
 千谷は、ほっとしてか、目に涙を浮かべている。
 ″思い切って来てよかった、思い切って話をしてよかった。人間、やるべきことは、勇気と誠実で、やりきることだ。そうでなければ、ずいぶん人生にあって、損をしているかもしれないと彼女は、つくづく思ったりした。彼女は、なんとなく新しい人生への、希望が湧いてくる思いがしてならなかった。
 千谷ハツは、協会長に重ねて念を押した。
 「金木さんたちのことは、もう、心配しなくっていいのでしょうか。その点だけ、はっきりと伺っておきたいのですが……」
 「あ、それはご心配いりません。今日にも、みんなを呼んで厳命しておきます。明日のことも、私の責任で処置をつけますから、ご安心ください。まったく、ご迷惑をかけました。私からお詫びします。勘弁してやってください。私の、かわいい同胞なんです。弱い男というものは、必ず何かの力を頼らなければ生きていけないのですね。
 金木は、夫として、自分の妻に手こずってしまった。それで、自分の力では及ばないものだから、宗教に事寄せて、仲間の力を借り、自分の意思を通そうとした。とんでもない事件になるところでした。
 昨今は、いろいろ事件が多くて、本当に困っております。信仰は、あくまで自由です。宗教団体と私どもの協会とは、なんの関係もあるはずはありません」
 わかりすぎるほど、よくわかる話である。千谷は、礼を述べて帰ろうとした。その時、みんなは、自分の報告を信用しないかもしれぬ、と思った。そこで、何か証拠になるものが欲しくなった。
 「お願いですが、一筆書いていただけないでしょうか。この事件は、もう終わったという意味のことを……」
 紳士は、ちょっと緊張したが、すぐまた平静に返り、「念のためですね、簡単でいいですか」と言いながら机に戻り、筆をとった。
 ――今度の事件は遺憾に思う。学会と当協会とは、絶対に干渉し合うものではない、という旨を認めて、署名した。そして、その紙片を千谷に渡したのである。
 千谷は、それを読み、さらに協会長の顔を見ながら言った。
 「お名前のところに判子を、押していただけませんか」
 「いいですよ。なかなかお堅いのですね」
 紳士は、苦笑しながら、千谷の言うままに印を押してくれた。
 千谷は、″この協会長は、なんという、ものわかりのいい人であろう。こんな立派な人は、めったにいるものではない″とさえ思ったのである。その途端、彼女の頭にチラッとひらめくものがあった。
 ″こんな立派な人こそ、ここで折伏しなければ……″と。
 しかし、それは、今日の目的ではないことも、自覚していたのである。念書を手に握った千谷は、満面に笑みをたたえた。一刻も早く泉田に見せたくなったのである。
 彼女は、協会長に丁寧なあいさつを繰り返すと、部屋を出た。そこには、さっきの事務員が、温かく微笑んでいた。
 千谷は、女性新聞社めざして急いだ。最大の″戦利品″が、懐にはある。それを固く抱きながら、心を躍らせて、街を急いで走った。一時間前に、この道を歩いた心境と、今、この道を帰る彼女の心境とは、百八十度も変わったわけである。
 女性新聞社に着くと、千谷は、泉田を呼び出した。
 「泉田さん。ほれ、この通りケリがつきました」
 千谷は、泣きたいような感動を込めて、念書を泉田に渡した。
 彼は、念書を読むと、しばらく茫然としていた。
 「なんだ、こんなことで、すんじゃったのか。張り合いのないことだ。せっかく覚悟を決め、命もかけていたのに……。まぁ、でも、よかったな。さっそく、戸田先生にお知らせしなくては」
 彼は、受話器を手に取った。
13  その日の夜は、戸田の御書講義である。日本正学館の二階には、ぎっしりと人びとが詰めかけ、階段にまであふれでいた。熱気が、夏の夜の蒸し暑さに輪をかけていたが、誰一人、身じろぎもせず聞き入っている。戸田が、講義のなかにはさむ天衣無縫のユーモアが、時折、爆笑を誘い、息苦しさを救つていた。
 そして戸田は、先夜の小岩の座談会での事件が、急転直下、平穏に終わった経緯を話しながら、事件の成り行きに気をもんでいた人びとを安心させた。
 「広宣流布の長い旅路には、そりゃ、いろんなこが起きるさ。だが、結局は心配ないもんだよ。
 今回のことも、考えようによれば、いよいよ、大聖人の仏法が日本から朝鮮半島へ、また東洋へと流布していく、一つの瑞相ではないかと、私は思っているんです。既に七百年前に、大聖人様は、明確にそのことをおっしゃっている。『諌暁八幡抄』の最後のところを、誰か読んでごらん」
 一人の若い女性が立って、澄んだ声で読み始めた。
14  「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり
 月の輝く天空の位置は、日に日に西から東に移っていく。それは月氏(インド)の仏法である釈尊の教えが、東の方へ流布していく姿である。太陽は東から出る。日本の日蓮大聖人の仏法が、月氏国へと西還していく瑞相である。
 「ちゃんと、今日のことを、御予言になっている。ゆえに、時来るの思いを深くするんです」
 戸田城聖は、この事件の報告を聞いた時、勝負は既についていると言ったが、事件の、このような結末から逆に考えてみると、確かに勝負は不思議にもついていたといえよう。
 戸田は、言葉をついだ。
 「今、アジアで、同じ民族が分断し、争い合うとしたら、これ以上の不幸はない。それを救うことができるのは、日蓮大聖人の仏法しかありません。一日も早く、東洋に、仏法を伝えねばならない」
 彼は、憂いを吹き払うように語った。

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