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日蓮大聖人・池田大作
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小説「人間革命」3-4巻 (池田大作全集第145巻)
前後
2
戸田城聖は、この選挙の結果を見て、民意の向かうところを、極めて身近に知った思いであった。
指導者は、常に民衆の心の波が、何を願望し、どこに行こうとしているかを、知っていかなければならない。大衆の心をつかむことができるのは、一片の指示でもなければ、命令でもない。機構や組織を動かしたところで、人心をつかむことはできない。その時の条件が調わなければ、民衆の心は動かない。
大衆は賢である、大衆をいつまでも愚と思っている指導者は、必ず大衆に翻弄されていくことになろう。
至難と思われる広宣流布も、時と条件とが問題であって、それをいかにして創るかに、一切の困難と辛労が、かかっている。
遥かなる千里の道は、それがいかに困難であろうと辛労をいとわず、一歩一歩進める以外に、克服する道はない。すなわち、指導者の億劫の労苦によってのみ、時を促し、条件を調えることができるのである。
戸田は、いかなる辛労をも、断じて、厭うまいと、一人、心に誓って念じていた。
二月下旬の、ある寒い日、戸田は昼休みに、三島由造に夜の座談会のことを尋ねた。
「鶴見は、今夜か。よし、ぼくが行こう」
進んで引き受ける戸田に、三島は、予定表を見ながら言った。
「先生、今夜は、杉並にいらっしゃる予定になっていますよ。鶴見は、原山君、関君たちが行くことになっています」
「君は、どこへ行く?」
「鵜ノ木の小西君のところです」
「そうか。鵜ノ木は、小西君で大丈夫だろう。君は、ぼくの代わりに、杉並へ行ってくれ。ぼくは鶴見に行く」
戸田は、鶴見のことが、このところ気にかかっていた。それは、鶴見の最古参の森川幸二の家族を案じたからである。
前年の秋、森川は、突然、職を失ってしまった。戸田の指導により、信心の動揺はないように見えたが、今年に入ってからは、ほとんど顔を見せていない。つい先日、彼は、森川が食堂を始めたということを耳にした。一家の生活と、信心とが、どんな状態になっているか、戸田は、気にかかって仕方がなかったのである。
そればかりではない。鶴見の入会間もない会員たちは、実直で、あれほど熱心に信心していた森川が、なぜ、突然、職場を解雇されたのかと、動揺しているにちがいない。戸田には、彼らのそうした姿が手に取るように映っていた。
不幸な人に手を差し伸べることを避け、人気の波に乗ろうとして、狡猾に泳いでいるだけの指導者がいる。世間では、その実態を見抜けずに、それを偉い人だと思い込んでいることが多い。戸田は、そのような、はかない虚像を求めはしなかった。彼は、最も悩み、苦しんでいる人のところに飛び込んでいって、戦う指導者であった。
鶴見行きが決まって、戸田が一服していると、蒲田の一青年が、ひょっこり、ある用件の連絡にやって来た。
外は、寒風が吹いている。青年は、マスクをかけて、帰りかけていた。その時、戸田は呼び止めた。
「君、今日は、まだ仕事があるのか?」
青年は、腕時計を見ながら答えた。
「いいえ、もう半端な時間になってしまったから、家に帰るだけです」
「そうか、これから鶴見に行こうと思っているんだ。一緒に森川君のところの座談会に行かないか」
「座談会ですか。お伴します。先生、森川さんはともかく、鶴見は大変ですよ」
蒲田の青年も、鶴見の青年たちの動静を、敏感に察知していた。やはり、同志として気にかかっていたのであろう。
「よし、今から行こう」
戸田は、青年の話を聞き終わると、すぐさま立ち上がった。社員たちは、戸田の珍しい早退に、怪訝な面持ちで顔を見合わせた。
彼は、コートを着て、鳥打ち帽を被り、青年と共に会社を出た。
二人の姿は、親子のようにも、師弟のようにも見えた。また、友人のように気軽な雰囲気も、漂っていた。
国電で水道橋から品川まで行き、京浜急行に乗り換え、鶴見市場駅で下車した。
駅前の商店街を、すたすたと足早に通り抜け、森川の家に着いた時、まだ街は明るかった。
この地は、当時は、まだ海岸に近く、田園の名残があった。ところどころに空き地があり、畑になっていた。家の裏側には、一面に田んぼが広がっている。近くを流れる鶴見川は、しばしば氾濫することがあった。
戸田の思いがけない訪問に、森川幸二は慌ててしまった。嬉しさと驚きが、半々に入り交じったような表情をしている。
「先生だよ。戸田先生だよ」
森川は、食堂にいる妻に呼びかけながら、「どうぞ、どうぞ」と、狭い階段を先に立って上っていった。
いつも座談会を開く二階である。長身の戸田は、身をかがめて、窮屈そうに上りながら、後ろの青年に言った。
「面白い二階だ。狭き門だよ。頭に気をつけろ」
細長い二階の座敷は、ピサの斜塔のように、いくらか傾いている。座ると、自分の重力に、いささか抵抗していなければならなかった。時間が早いため、誰も来ていない。
森川は、あいさつをすますと、懐かしそうに戸田を見た。
「先生、今日はまた、ずいぶん早いじゃないですか」
戸田は、それに答えず、頷きながら言った。
「どうだい、みんな元気か」
森川には、戸田の声が、耳に入らなかったらしい。彼は、そわそわしているのか、のんきなのか、それでいて真面目くさった顔で、小窓から外をのぞきながらつぶやいた。
「先生、今年は麦が当たりですよ」
なるほど、窓の外には麦畑があった。冬を越す麦の芽が、若々しく伸び始めていた。青年は、このやりとりに面食らい、プッと噴き出してしまった。
戸田は、相好を崩して笑った。
「そうか、そうか。麦が当たりか」
麦の、たくましい成育を喜んでいる森川は、職を失っていたとはいえ、いつもの森川である。″春風駘蕩たるものではないか。よかろう、まず心配はない″と、戸田は心で思った。
3
森川幸二は、一九四一年(昭和十六年)の入会であった。翌年十月、男の子の一人が亡くなった時、初代会長・牧口常三郎が、わざわざ葬儀に来てくれた。そこで初めて牧口を知った。彼の弟も入会し、早くから、その成長が期待されていた。四三年(十八年)七月、創価教育学会弾圧の折、弟は神奈川で検挙された。彼は、家庭の信心の破綻から、たちまち退転して出所した。以来、神奈川方面は、終戦になっても、学会との絆は、しばらく途絶していた。
幸二の長男である一正は、激変する社会の荒波に、目標を失ってしまった戦後の青年である。彼は、少年の日、一、二度会った牧口常三郎を思い出していた。
牧口が、父たちに向かって、「教育勅語、あれは道徳の最低基準です」と言うのを聞いた時の驚きを、少年の頭脳は覚えていたのである。なんの話題につながる話か、それはきれいに忘れたが、牧口の、この一言は消えなかった。
戦後、敗戦の辛酸のなかで、教育勅語が道徳の最低基準という意味を現実に知った時、一正は、最高の教えの根本である御本尊が家にはある、と気がつき始めたのである。不思議なことに、折も折、そのころ、戸田理事長が、神田で学会再建に奔走し始めたとの噂が、一正の耳に入ってきた。彼は、単身、戸田に会うために、日本正学館を探し当てた。
来意を告げ、二階に行くと、戸田は、藤イスに腰をかけ、パンツ一枚で、扇子を使っていた。四六年(同二十一年)の初秋、まだ残暑の厳しい真昼時のことである。
「鶴見の森川の息子さんか。今日は、やけに蒸すじゃないか。君も暑かろう。裸になりたまえ」
一正も、確かに暑かった。汗にまみれたシャツを脱いだ。まだ少年らしい体形を残した上半身が現れた。初対面は、裸と裸であったわけである。
一正は、昼間は占領軍のタイヤ修理工場で働きながら、夜間の大学に通っていた。この初々しい若い大学生に、戸田は、温かな眼差しを注いだ。そして、いきなり生命論を、諄々と説き始めたのである。
ワラ半紙の上に、十界を書き、懇切丁寧に説明を加えながら、御本尊の偉大さを納得させようとした。
一正には、耳慣れない仏法用語は、理解しがたかったが、戸田の熱情は、冷静な彼の身を、まるごとつつんでしまった。
森川青年は感動した。彼が求めていた新しい視野が、見る見る開け始めてきたように思えた。
「これからは、いつでも来なさい。君の友だちも大勢いるよ。おーい、山平君!」
山平忠平を呼び、一正に紹介した。人間を育てるには、まず、よい友だち、よい先輩につかせることが大事だと、戸田は思っていたからである。
「山平君、手がすいているようだったら、森川君に、君から価値論の話を、わかりやすく話してあげなさい」
「はい」
学究肌の山平は、ちょっと笑顔になって、机に戻っていった。一正は、その後ろについていき、山平と対座した。
「人間は、何を求めて生きているのか、君、考えたことがありますか」と始まった。一正は、しばらく思いあぐねていた。山平は、黙ったまま一正を見ている。二人の青年は、どちらも、はなはだ無愛想で、ぎごちない対面であった。
そのうちに、一正は首をかしげながら言った。
「そりゃ、幸福ですよ、幸福な生活じゃないですか」
「そう、その通りだけれど、では、幸福であるためには、人間、何を求めているかです。具体的に、何を求めていると思いますか」
「………………」
「それは価値です。価値を求めている……人生の目的は、価値の創造と言っていいんです」
味気のない話が進んでいった。そして二人の話は、ただ抽象的になった。それでも一正は、価値・反価値、「真・善・美」「美・利・善」などという言葉のあらましを知ることができた。また、この「美・利・善」という価値論を説いたのが、あの牧口会長だったことを初めて知り、なんとなく懐かしく思ったのであった。
小一時間、語ったあと、一正は、戸田にあいさつをして帰ろうとした。それを見て、戸田は言った。
「おお、帰るか。友だちに、信心の話をしたことはあるかね」
「いいえ、まだありません」
「気の毒な友だちに、話してあげることだ。話すことがわからなかったら、山平君でも、誰でも、引っ張って行きなさい」
「はい、先生には来ていただけませんか」
彼は、こう言って、ぶしつけすぎたかと後悔した。が、率直な青年の要望である戸田は、それが大好きであった。
「わしか! よし、行ってあげよう。友だちや近所の人が、大勢来るようだったら、至急、知らせなさい。お父さんにもよく話して、ひとつ大々的に座談会をやろうじゃないか」
戸田は、青年の率直な願いを拒んだことがなかった。時には、無茶と思える願いも、簡単に引き受け、あとで苦心惨憺しなければならぬこともあった。「えらい目にあった」と笑いながら、また同じことを繰り返すのである。
青年たちは、最後まで、戸田に甘え通したが、甘えさせた戸田の偉大さは、いつの間にか、多くの人材を育成していたのである。
「よろしく、お願いします。ありがとうございました」
森川一正は、明るい顔で日本正学館を出ていつた。ポケットには、十界論を書いたワラ半紙が、大事に入っている。家に着くなり、その紙を広げて、戸田との会見を父に報告した。父の幸二は、「そりや大変だ」と言った。
「座談会となると、人を、たくさん集めなけりゃならんからなあ」
「いいよ、お父さん。ぼく、友だちを大勢連れてくるから」
「昔も座談会を聞いたが、信心の会合には、そう簡単に人は来るものじゃないよ。芝居見物とは違うからな。お前も、とんだ約束をしてきたものだ」
「いいよ、いいよ。お父さん」
「わしは知らんぞ」
――後年、たちまち数万世帯の大支部となった、その発端は、こうして始まったのである。
4
父と子は、それぞれの縁をたどり、やっとこ十数人の人たちに話をつけた。潮時よしと見込みがついた時は、はや翌年の一月になっていた。
本部へ連絡すると、戸田は、数人の幹部を連れてやって来た。いざ、定刻になっても、約束の友人、知人は一人も来なかった。一正は外へ飛び出していって、やっと二人の友人を連れてきた。
折伏が始まった。
戦後の殺気立った時代のことである。戸田に同行してきた幹部に、ズケズケと問い詰められた友人の一人は、怒りだした。
「俺は、恥をかきに来たのではない。森川、いったい、どうしてくれるんだ!」
一正は困った。友人は立ち上がり、大変な剣幕で帰ってしまった。
大々的な座談会のはずが、見事、予想を裏切ってしまったのである。
戸田は、この様子を見ていた。そして、しょんぼりしている一正を激励した。
「一正君、折伏というものは、今は、こういうものなんだ。心配することは、決してない。逆縁とも、毒鼓の縁ともいって、強く反対する人ほど、早く救われるんだよ。実際、末法だよ。また、来てあげよう」
一正は、ほっとした。戸田の一行を駅へ見送る道々、彼は考えた。
″あんなにズケズケと物を言わなければ、あの友人は、席を蹴るようなことはなかったにちがいない。やっと連れてきたのに、あんな調子でやられたら、誰だって腹を立ててしまう。俺は、友人に恥をかかしてしまった。これからは、よほど慎重に考えなくてはなるまい″
一正は、考えると腹が立ってきた。そして、並んで側を歩いている、幹部の一人に話しかけた。
「座談会は雰囲気が大事ですね。初めて来た人たちを、追い詰めるようなことを言ったら、マイナスじゃないですか」
その幹部は振り返り、ニコッと笑った。
「批判もいいが、まあ、今にわかるよ」
先輩は、一正に、一言、そう言っただけである。
一正は、ますます面白くなかった。
その夜、布団に潜り込んだが、なかなか寝つかれない。うとうとと眠ったかと思うと、すぐに目を覚ましたりしていた。
そのうち、部屋一面に煙が漂っているのに気づいた。
炬燵の布団が、炎を上げて燃え始めていた。彼は跳ね起き、家族を叩き起こし、水をぶつかけて火を消した。
彼は、焼け焦げの布団を見ながら、はっと気がついた。
″火事にはならなかったが、布団を焼いてしまった。少なくとも功徳ではない。損だ。してみれば、罰ということになるのか″
彼は、焦げくさい部屋で、一人、腕を組んだ。
″あの先輩は、「批判」と言った。では、意見と批判とは、どう違うのか。
どちらにせよ、俺は、確かにあの時、あの幹部に腹を立てた。なんで友人を怒らせるようなことを言うのかと、憎みもした。これが、「怨嫉」というやつかもしれない……″
森川一正は、自分の言動に用心深くなった。
御書には、「
法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり
」とある。御本尊を持って広宣流布に励む同志は、皆、地涌の菩薩であり、仏であるから、互いに誹るようなことがあつてはならないとの仰せである。同志を誹る行為は、和合僧を破ることに通じ、その罪は、重いといわなければならない。
息子・一正が体験した現証を見て、父の幸二は、牧口の指導を思い起こした。
「妙法の生活とは、″変毒為薬″である。社会で生活している以上、時には事故や災難、そして事業の失敗などに遭う場合がある。これは苦悩、不幸という毒であり、罰である。だが、どんな場合でも、妙法根本、信心根本で、御本尊を疑わず、信心に励めば、毒を変じて薬となしていけるのである」
″罰にしろ、現証の出ることは、大したことだ。すると、真っすぐ信心さえすれば、功徳の出ることも、決まった道理だ!″
幸二は、勇み立った。
月に一回の座談会は、続いていった。入会者も、だんだん増えてきた。幸二は、東京の講義に通いだした。彼は、週三回の講義の日には、夕刻近くになると、横浜の勤め先の信用組合の仕事を片付け、いそいそと神田に向かった。
彼は、自身の不思議な成長を実感していた。講義を聴くたびに、心の底から、感激が込み上げてくるのだった。だから、講義には精勤した。いつしか、職場の同僚との付き合いは、疎遠になってしまった。
5
こうして、一年余りたった秋のある日、森川幸二は、妙なことが気になってきた。
″おれの信心は、いったい、どの程度、強盛になったのかな。やるだけ、やってはきたが、さつぱりわからん。信心といっても、影も形もないものだ。なんとか知る方法はないものだろうか″
彼は、こんなことは誰にも言えず、一人、しきりと思いあぐねていた時、ある夜、講義が終わると、戸田に呼び止められた。
「森川君、今日は話がある。まあ、座りたまえ」
何事だろうと思いながら、幸二は、戸田の前で、かなりの時間、待たされた。数人の面接指導を終えた戸田は、「すまん、すまん」と言いながら、彼に話しかけた。
「ほかでもない。君にも、ぼつぼつ、理事になってもらおうかと考えているのだが、どうかね」
幸二は、自分の耳を疑った。
「私が、ですか?」
「そうだ」
「先生、そりゃ、だめです」
「どうして?」
幸二は、ぐっと詰まってしまった。
「いやか?」
「いいえ、とんでもない。実際のところ、私は、教学はなし、発心してやりだしたものの、日は浅いことですし、だいいち、それだけの信心ではありません」
戸田は、笑いながら言った。
「君は、自分の信心がわかるか。大したもんだよ」
「いいえ、さっぱりわかりません」
幸二も笑いだした。
「森川君、心配するなよ。ぼくがいるから大丈夫だよ」
幸二は、言うべき言葉がなくなっていた。謙遜したのでもない。躊躇していたのでもない。降って湧いたような突然の話に、頭の回転が止まったようになったのである。
「今、すぐでなくてもいい。いずれは、そうなることも、考えておいてもらいたい」
戸田は、戸惑っている幸二を、いたわるように言うのであった。
幸二は、帰途、電車の中で、ようやく気持ちが落ち着くと、初めて感動を覚えた。
″戸田先生は、俺を認めてくださっているのだ。俺が理事なんて、本当だろうか。俺の信心もやっと、とこまで来たわけだな……″
彼は、自分の信心を知りたいという、ひそかな願望が、このような姿で叶えられたことに、感謝したい気持ちであった。
彼は、揺れ動く電車の中で、歓喜に浸っていた。電車を降り、深夜の家路をたどる時、彼は、ふと考えた。
″こういう時が大切なんだ。魔は天界に住むとはよくいうが、とんでもない魔が出て来たら困るな。いや、もうどんな魔が出たって、必ずやっつけてやるぞ!″
一瞬、こんな思いと確信が頭をかすめた。そして、次の瞬間には消え去っていた。
彼は、意気揚々として、わが家の敷居をまたいだ。家族は寝静まっている。彼は、時計を見て、いつもと変わった真剣さで勤行をして、床に就いた。
6
翌朝のことである。
いつもの時間に、信用組合の席に着くと、理事長から呼ばれた。幸二が、理事長室に入って行くと、理事長は、「おはよう」と言いながら、彼にイスを勧めた。
「実は、君に今日限り、ここを辞めてもらいたいのだ。突然だが、組合として、よくよく考えた末の結論だと思ってもらいたい」
まさに青天の霹靂である。幸二は、唖然とした。そして、平然と言い放った理事長の顔を見つめて、問いただした。
「いったい、どうしたというんです。私が辞めなければならぬ理由はなんですか」
「もちろん、理由がないわけではないが、それは、お互いに言わないことにしようじゃないか。ここまで来てしまっては、何を言っても無駄であるし、気まずい思いをするだけだ。きれいさっぱりと、お別れしよう。退職金その他は、ぼくとして、精いっぱい考慮するつもりだ」
理事長は、老獪な口調で、頭から畳みかけてきた。無茶な話である。勤続十七年の古参職員が、なんの咎もないのに、ある朝、突然、解雇されるとは、あまりにも奇怪な仕打ちではないか。温厚な森川幸二も激怒した。そして、捨て身の構えになって、語気鋭く詰め寄った。
「何を言っているんですか。私は、道楽で今日まで、この組合の仕事をしてきたわけではない。あなたは、『さあ、これで、おしまいにしよう。お前は今日限り辞めろ』と言ったって、碁や将棋をやっているのとは、わけが違うじゃないか。私に、何か失態でもあったというんですか!」
理事長は、慌てた表情になった。
「いや、そういうわけではない。今後の組合の大局から見て、どうしても、そうしてもらいたいのだ。そう興奮されては困る」
「興奮などしてませんよ。では、その組合の大局とかいう話を伺いましょう」
荒い息づかいで、森川幸二が言った。彼の顔は、やや青ざめていた。その思いつめた目に、理事長は顔をそらした。
「ぼくとしては、長年、勤続してきた君に、言いたくないんだが、君は、言いだしたらきかぬ男だから、その理由を言うことにしよう。
まず第一に、君はこのところ、いやに信心に熱をあげているようだが、組合としては、信心より、あくまでも仕事に熱を入れてもらわなければ困る。第二に……」
森川は、とっさに言葉をはさんだ。
「信心に熱心だからといって、組合の仕事をおろそかにしたとでも言うんですか!」
「まぁ、最後まで聞いてくれたまえ。第二に、君とは長年の付き合いだが、どうしても意見が合わん。知っての通り、組合は、今、断崖の上にあるようなものだ。意見の相違は、この苦境を乗り切るのに、致命的なマイナスとなっていく……」
理事長は、くどくどと運転資金の枯渇を訴えた。
森川としても、知らないわけではない。
――組合に、嫌われ者の一人の役員がいた。近郊の大地主で、組合の大口出資者の一人であったが、度量が狭く、横暴で、人びとは手を焼いていた。ただ一人、曲がったことの嫌いな森川幸二が、この矢面に立ち、しばしば激突したのである。戦後の貨幣価値の下落から、資金は、いくら集めても足りなかった。しかも、資金が豊富でありさえすれば、組合の利潤は、すばらしい上昇をすることは誰にもわかっている。
理事長と大地主との利害は、いつか一致した。大地主の多額の出資が見込まれたのである。そこで、計算高い大地主は、当然、数々の条件をつけてきたのであろう。その条件の一つに、常日ごろ、面白くない森川幸二を解雇する一項目があったにちがいない。ずるい理事長は、資金欲しさに妥協したと思われる。その役員と森川との意見の対立は、ここで急に、理事長と森川との意見の相違へと変わって、森川が攻撃にさらされたのである。事態は、はっきりしてきた。
森川幸二は、理事長の回りくどい話をさえぎって言った。
「そうすると、私が組合の経営上、悪影響でも与えているというんですか」
「それはない。誤解しないでもらいたい。森川君は、これまで決して悪い影響など与えていませんよ。ただ、組合の指導権の一部が、この際、変わるのだ」
理事長の言葉に、彼は信心に全く関係ないと直観した。だが、何ゆえ、すぐに信心にかこつけてくるのであろうか。
「つまり、今後の組合の発展に、面白からざる影響があるというのです。君が納得できないというのなら、組合の資本運営のために、すまんが、目をつぶって一時だけでも退職してくれないか。復職の機会は、いずれつくることもできるかと思う。ここは、苦労している私に免じて、ぜひとも承知してもらいたい……」
理事長は、泣き落としにかかってきた。
だが、森川は席を立った。
「わかりました。私には、相談するところがありますから、そのうえでご返事します」
理事長は、何か大声で叫んでいる。しかし、部屋を出ていく彼は、それには耳を貸さなかった。彼は、自分の席へ戻らず、表通りに出てしまった。職員たちは、慌ただしい森川の姿に、びっくりしていた。
いじめられた子どもが、母親の胸に飛び込むように、五十近い森川は、戸田城聖の懐へと急いだ。
彼は、道々、冷静になると、家族たちが驚いて、それから嘆くであろうことを、まず考えた。
″俺には、たくさんの子どもがいる。それを育てるには、まだまだ自分が働かねばならない。社会に出ているのは長男一人であり、それも、まだ自分のことしかできない。他の子どもたちを社会に出すためには、これから、どうすればよいのだろうか。
しかし、理事長に泣きついて、あの役員に頭を下げ、許しを請うことは、とてもできない。たとえ隠忍自重して、職にしがみついたとしても、早晩、また激突することになるだろう。卑屈になるわけにはいかない。こうなれば、遅かれ早かれ、組合を辞めなければならない。よし、辞めてやる!″
森川幸二は、こう決意したが、辞めたあとの生活の当てがあるはずもない。怒りと不安のなかで、彼は、わが身をもてあました。
彼は、これが三障四魔だと、一人、力んでいた。戸田の会社に近づいた。
この時、真面目に実践してきた彼の一年半の信心は、「
大悪
をこ
起
れば大善きたる
」という大聖人の御聖訓を、頭のなかに浮かび上がらせていた。
″確かに、今日までの俺にとって、これこそ大悪であるにちがいない。それなら大善きたる、ということも間違いないはずである。″
実に素直な、合理的な彼の思考であり、信心であった。
森川幸二は、日本正学館に勢いよく入った。
7
「やぁ、森川君か、どうした? 今日はまた、やけに早いじゃないか。神田へ仕事にでも来たのかね」
戸田は、微笑みながら声をかけた。
幸二は、「実は、先生」と、組合での今朝の経緯を、気負い込んで話し始めた。
戸田の頬から徴笑みが消えていった。彼は、幸二の話を注意深く聞きながら、真剣な表情になった。彼は無言で、しばらく考えていたが、やがて口を開いた。
「よし、そうか、わかった……」
そして、「クビか」と短く言って、幸二に顔を向けて尋ねた。
「家族は何人だ?」
「八人です」
「八人? 子どもは大勢だし、困るだろう」
戸田の声には、なんともいえない優しい響きがあった。幸二は嬉しかった。そして、戸田の顔を見た時、彼は、思いもかけず、勇気と確信が湧くのを覚え、こんな言葉が口から出た。
「先生、そりゃ、困ることは困ります。しかし私は、たとえ水を飲んで暮らさなければならなくなったとしても、信心だけは絶対に貫きたいと思っています」
「そうか」
戸田は、その答えを待っていたかのように、強い口調で言った。
「信心で勝負だ。やってみろ! 未来にどういう結果が出てくるか、裸になって信心をやり抜いてごらん」
前夜から、わずか十数時間のうちに、森川幸二の運命は、くるくると回転した。戸田の言う通り、彼は、どう回転しようとも、振り回されることなく、信心という主軸だけは、しっかりとつかんでいく決意を固めていた。後は退職手続きを取るだけであった。
幸二は、職場に戻った。そして、極めて平静に、理事長に対応することができた。理事長が、彼にこう尋ねたほど、落ち着いていた。
「どこか、いい就職口でも決まったのかね」
家路に向かう彼の足は、さすがに重かった。家族を、なんと納得させたらいいのか、彼は、一家の柱として思案にあまったのである。
夕食の時には、子どもたちが、いつもと変わらず元気に集まってきた。彼は、突然、やっとの思いで言いだした。
「今日は、えらい功徳を受けたよ」
家族の浮き浮きとした期待の眼が、幸二に集まった。だが、黙っている父に、側の小さい女の子は、せがむように聞いた。
「お父さん、なんの功徳?……なんだってば……」
彼は、瞬間、言いそびれた。しかし、一家の好奇心の高まるのに促されて、やっと口を開いた。
「実はなぁ、今日、職場を辞めさせられたんだ」
一同は、「あっ」と驚いた。「どうしたのか」と聞きさえしない。一瞬、暗い空気が辺りに漂った。
妻は、目を大きく見開いて、幸二を見つめたままである。老母は、何か聞き違えたかと、耳を疑っているようだ。大きい男の子たちは、ご飯をかっ込み始めたのである。
やがて幸二は、昨夜の戸田の話から、今朝の組合理事長の話へと、すべてを隠さずそのまま語りだしたのである。
長年にわたって、経済的に安定していた大家族にとって、一大事件の突発であったことには、ちがいない。幸二は、自分を励まし、家族を見ながら言った。
「みんな、どうか心配しないでくれ。戸田先生にも、真っ先に指導を受けてきた。先生も、組合を辞めることを賛成なさり、『信心で勝負だ。やってみろ!』と、おっしゃったんだ。わが家には、すごい御本尊がある。『
大悪
をこ
起
れば大善きたる
』だよ。いよいよ森川家も、根本的な宿命転換をする時が来たわけだ。今は、少々、辛いかもしれないが、なに、きっと変毒為薬してみせる。みんなで頑張ろうよ」
幸二のどこにこんな勇気があったのかと、家族は驚きもし、安心もした。誰一人、不服そうな顔をする者はいなかった。
やがて、長男の一正が夜間の大学から帰ってきた。幸二は、一正に、一部始終を繰り返した。
一正は、ショックを受けたようである。しかし、最後に父の決意を聞くと、きっぱりと言った。
「お父さんの信心も、大したもんだなあ。よし、ぼくもやるぞ。……そうだ、今夜は、みんなで失業したお父さんを祝ってあげよう」
驚いたのは幸二である。
″なんという健気なわが子たちであろう。いつの間に、こんなに育ったのか、ああ、実にありがたいことだ″
8
食糧難の時代である。とっておきの菓子や、感想バナナで、お祝いが始まった。このような感激の団欒は、かつて味わったことがなかった。森川父子の本当の信心が始まったのは、結局、この夜からであった。
仕事に就いていたとしても、生活困難な時代である。そんななかで職を失ったのだ。一家八人の生計は、容易なことではない。大人たちは、額を寄せて考えた。しばらく日がたつた時、老母が提案した。
――今の時代は、みんな腹を空かしている。質より量である。ともかく腹いっぱい食べさせる外食券食堂を、やってみてはどうだろう。
一同は賛成した。家族八人の毎日の炊事の規模を、数倍に拡大すればいいのだ。これは商売になる。幸二は、喜んで、家屋の一部分を改造した。そして、素人くさい食堂が始まったのである。
戸田城聖が、蒲田の青年を連れて森川家の座談会に出向いたのは、このころのことだった。戸田は、意外に元気な森川一家の空気を感じると、いかにも嬉しそうに、さまざまな話題をとらえて幸二たちを励ました。
いつか冬の日も暮れて、いつもの座談会の時刻となった。まず、蒲田の原山と関がやって来た。二人は、戸田が来ているとは全く知らなかった。鶴見の人たちも、十人近く集まってきた。
戸田は鶴見の人たちを一目見るなり、森川一家は心配ないとしても、他の人たちはそろいもそろって、よどんだ暗い影があることを見抜いた。彼は、どっしり真ん中に座って、いつになく真剣な態度で語り始めたのである。
「ほかでもないが、知つての通り、森川君は解雇され、仕事を失った。一生懸命信心したのに、おかしなことだと思いませんか。みんなよりも熱心にしたんですよ。どうしたんだろうと、不思議に思いませんか」
町工場を細々とやっている佐川久作が言いだした。
「先生、実は、そのことで困っているんです。森川さんが座談会で、俺は仕事を辞めさせられたが、変毒為薬してみせるなどと言うものですから、みんな信心を疑いだしているんです」
「みんなじゃない。まず、君がだろう」
戸田は、大声で叱るように言った。
「いいえ、私はわかっております。『
行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る
……』」
「理屈でわかることはできる。しかし、信心でわかるというのは、全然違う。佐川君は、今、森川君のことで困っていると言ったではないか。君が、本当にわかっていたら、困るなどと愚痴を言うはずもなかろう。本当にわかつては、いないんだよ」
佐川は不服そうである。戸田は、病重し、と見たのか、さらに言葉を続けた。
「私が心配しているのは、森川君のことではない。鶴見のあなた方のことです。信心していて、会社を解雇された。おかしなことだと思いながら、諸君のなかで誰一人、戸田のところへやってきて、面と向かって、どうしてか、と率直に詰問する人がいなかったことだ。
そのくせ、集まれば、困ったもんだと、互いに批判し、疑っている。これは仏法からみて恐ろしいことだ。森川君の問題は、既に解決している。少し長い目で見ていなさい。ちゃんとわかるから。
信心といっても、長い長い道程です。過去遠々劫といって、人間、過去に何をやってきたか、わかったものではない。少し信心をしっかりやると、いろんな、いやなことも起きよう。
大聖人は、『
過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし
』ともおっしゃっている。つまり、十年、二十年先に苦しまねばならぬことも、熱心な正しい信心のゆえに、その業を今に招き、早いうちに軽くすまして、後の安穏を保証してくださっているんだ。信心さえ、あれば、ことごとく功徳なんだよ。信心なくして疑えば、すべて罰だよ。
森川君一家は、功徳だと喜んでいる。関係のない諸君が、それを疑って罰を受ける。こんな割に合わない話は、戸田は大嫌いだ。御本尊が根本であるのに、自分のことならともかく、他人の身に起きたことで疑って退転していく。これほどつまらないことはない。
今夜は来てよかった。戸田は、断じて、諸君を誤らせたくない。悠々と、立派な信心を続けていきなさい。そして幸せになることだ。諸君の信心のためなら、戸田は、どんなことでもしてあげる。少しは、わかってくれたかね」
座談会には、一正の友人で、釣りばかりしている野田満という青年もいた。平松という、姑にいじめられて泣いていた夫婦の姿も見える。最近、蒲田から引っ越してきて、家中の信心反対のなかで、びくびくしている若い娘の高田ヒデ代もいた。半年前、小岩から鶴見の生麦へ移転してきた山川夫妻も、今夜は、仲良く並んでいる。佐川久作夫妻は、顔を上げることもできず、神妙に固くなっていた。
戸田の言う通り、森川幸二は、一年たたぬうちに、招きに応じて川崎のある信用組合に就職した。さらに数年たった時、彼は横浜市(鶴見区選挙区)の市議会議員に最高点で当選したのである。
ともかく、この夜から、鶴見の人びとは、森川父子と共に、決然と立ち上がった。やがて鶴見支部は、華々しい折伏の火の手を上げることになるが、それは後日の物語とする。
戸田城聖は、この夜、鶴見の地に、見事な信心の布石をしたのである。広宣流布は長い
道程
みちのり
である。だが、戸田の歩む索漠たる瓦礫の道には、新しい生気に満ちた緑の草が、その足跡に、必ず、はつらつと萌えたのである。
(第三巻終了)
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