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日蓮大聖人・池田大作

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道程  

小説「人間革命」3-4巻 (池田大作全集第145巻)

前後
1  一九四九年(昭和二十四年)の正月は、戦後三回目の衆議院議員選挙の真っ最中であった。
 暮れの十二月二十三日解散、二十七日公示、明けた一月二十三日が投票日となっている。選挙に正月休みなどはなかった。民自党、社会党、国民協同党、共産党などの各党、および諸派、無所属、合計千三百六十五人の候補者が、四百六十六の議席を狙つての戦いである。
 この総選挙では、腐敗政治への国民の怒りが、爆発したといってよい。
 新憲法の公布以来、議会制による民主主義政治は、すぐにでも理想的な社会を実現してくれるかのように思われていた。長年にわたる軍国主義の悪夢から解放された日本国民である。アメリカ軍の占領下にあったとはいえ、人びとの耳には、「民主政治」という言葉が、新しい時代の到来を告げる暁鐘のように響いたのも無理はない。
 戦後、女性にも参政権が与えられた。そして、数十人の女性議員も誕生した。
 敗戦によって、民衆は、かつてない政治的自由の空気を吸うことができるようになっていた。彼らは、これからは、よい政治が行われるものと期待していた。
 それによって、敗戦の苦難を乗り越え、やがては平和な近代国家として、生まれ変わることもできるだろうと思っていた。つまり、人びとは、一切の希望を、新しい民主政治にかけていたのである。
 ところが、新選挙法による初の総選挙で登場した社会党委員長を首班とする片山哲内閣は、社会党内部の内紛が続いて八ヵ月余で倒れ、これに続く民主党総裁を首班とする芦田均内閣は、昭電疑獄など、相次いで汚職事件が発覚し、わずか七ヵ月で瓦解してしまった。
 政治は、またしても民衆を裏切ったのである。国民の希望は、たちまち絶望に変わった。国民は、深い政治不信をいだき、怒りを秘めながら、総選挙を待っていたのである。
 二十三日の投票の結果、芦田内閣を支えていた社会、民主、国協の三党は惨敗し、吉田茂が率いる民自党が圧勝した。民自党は、解散時より百十二議席を増やして二百六十四議席を獲得し、過半数の二百三十四議席を大きく上回ったのである。
 これに対し、社会党が六十二議席減らして四十九議席になり、民主党は二十二議席減らして六十八議席に、国協党は十五議席減らして十四議席と半減し、それぞれ惨憺たる結果に終わった。その他、労農党、社会革新党なども議席を減らした。民自党以外で議席を伸ばしたのは共産党で、二十一議席増を果たして三十五議席となった。
 民自党の優勢は予想されていたものの、これほどまでの逆転劇になるとは、誰も夢想さえしていなかった。新聞各紙の事前予想も大きく外れたのである。この時、当選した民自党の新人議員には、多くの官僚出身者がいた。結果からみると、このことが、やがて国民不在の官僚政治の流れをつくる発端ともなっていくのである。
 ともあれ、国民は三党連立内閣に愛想を尽かしていたのだ。その批判票が、一方は民自党に、一方は共産党に流れた結果だと考えられよう。
 マッカーサーは、民自党が圧勝した、この選挙の結果を喜んで、さっそく声明を発表した。
 「自由な世界の民衆たちは、いずこにおいても、今回の熱心な、また秩序ある日本の選挙に満足することができる。今回の選挙は、アジアの歴史上の一危機において、政治の保守的な考え方に対し、明確な、しかも決定的な委任を与えたものである」
 この声明から三日後に、ニューヨークで行われたある行事に送ったメッセージのなかでも、彼は、「日本はいまや民主主義的自由の前進基地である」と表明し、日本が共産主義に屈服することはないという彼の確信を述べている。
 吉田保守政権が、盤石の基盤を固めたことに、マッカーサーは満足した。中国の内戦は最終局面を迎えており、一月十四日には、中国共産党が、現行憲法の廃止など和平八条件を提示して、蒋介石(チァン・チェシー)の国民党政府に全面降伏を要求していた。マッカーサーは、中国大陸の共産化の余波が、やがて日本にも及んでくるかもしれないと、ひそかに憂慮していたにちがいない。共産化の進む世界情勢に、アメリカは強い危機感をいだいていたのであろう。
 それだけに、日本が、反共戦線の前線基地として、安定した国家体制を確立する見通しができたことに、マッカーサー心から安堵したと思われる。
2  戸田城聖は、この選挙の結果を見て、民意の向かうところを、極めて身近に知った思いであった。
 指導者は、常に民衆の心の波が、何を願望し、どこに行こうとしているかを、知っていかなければならない。大衆の心をつかむことができるのは、一片の指示でもなければ、命令でもない。機構や組織を動かしたところで、人心をつかむことはできない。その時の条件が調わなければ、民衆の心は動かない。
 大衆は賢である、大衆をいつまでも愚と思っている指導者は、必ず大衆に翻弄されていくことになろう。
 至難と思われる広宣流布も、時と条件とが問題であって、それをいかにして創るかに、一切の困難と辛労が、かかっている。
 遥かなる千里の道は、それがいかに困難であろうと辛労をいとわず、一歩一歩進める以外に、克服する道はない。すなわち、指導者の億劫の労苦によってのみ、時を促し、条件を調えることができるのである。
 戸田は、いかなる辛労をも、断じて、厭うまいと、一人、心に誓って念じていた。
 二月下旬の、ある寒い日、戸田は昼休みに、三島由造に夜の座談会のことを尋ねた。
 「鶴見は、今夜か。よし、ぼくが行こう」
 進んで引き受ける戸田に、三島は、予定表を見ながら言った。
 「先生、今夜は、杉並にいらっしゃる予定になっていますよ。鶴見は、原山君、関君たちが行くことになっています」
 「君は、どこへ行く?」
 「鵜ノ木の小西君のところです」
 「そうか。鵜ノ木は、小西君で大丈夫だろう。君は、ぼくの代わりに、杉並へ行ってくれ。ぼくは鶴見に行く」
 戸田は、鶴見のことが、このところ気にかかっていた。それは、鶴見の最古参の森川幸二の家族を案じたからである。
 前年の秋、森川は、突然、職を失ってしまった。戸田の指導により、信心の動揺はないように見えたが、今年に入ってからは、ほとんど顔を見せていない。つい先日、彼は、森川が食堂を始めたということを耳にした。一家の生活と、信心とが、どんな状態になっているか、戸田は、気にかかって仕方がなかったのである。
 そればかりではない。鶴見の入会間もない会員たちは、実直で、あれほど熱心に信心していた森川が、なぜ、突然、職場を解雇されたのかと、動揺しているにちがいない。戸田には、彼らのそうした姿が手に取るように映っていた。
 不幸な人に手を差し伸べることを避け、人気の波に乗ろうとして、狡猾に泳いでいるだけの指導者がいる。世間では、その実態を見抜けずに、それを偉い人だと思い込んでいることが多い。戸田は、そのような、はかない虚像を求めはしなかった。彼は、最も悩み、苦しんでいる人のところに飛び込んでいって、戦う指導者であった。
 鶴見行きが決まって、戸田が一服していると、蒲田の一青年が、ひょっこり、ある用件の連絡にやって来た。
 外は、寒風が吹いている。青年は、マスクをかけて、帰りかけていた。その時、戸田は呼び止めた。
 「君、今日は、まだ仕事があるのか?」
 青年は、腕時計を見ながら答えた。
 「いいえ、もう半端な時間になってしまったから、家に帰るだけです」
 「そうか、これから鶴見に行こうと思っているんだ。一緒に森川君のところの座談会に行かないか」
 「座談会ですか。お伴します。先生、森川さんはともかく、鶴見は大変ですよ」
 蒲田の青年も、鶴見の青年たちの動静を、敏感に察知していた。やはり、同志として気にかかっていたのであろう。
 「よし、今から行こう」
 戸田は、青年の話を聞き終わると、すぐさま立ち上がった。社員たちは、戸田の珍しい早退に、怪訝な面持ちで顔を見合わせた。
 彼は、コートを着て、鳥打ち帽を被り、青年と共に会社を出た。
 二人の姿は、親子のようにも、師弟のようにも見えた。また、友人のように気軽な雰囲気も、漂っていた。
 国電で水道橋から品川まで行き、京浜急行に乗り換え、鶴見市場駅で下車した。
 駅前の商店街を、すたすたと足早に通り抜け、森川の家に着いた時、まだ街は明るかった。
 この地は、当時は、まだ海岸に近く、田園の名残があった。ところどころに空き地があり、畑になっていた。家の裏側には、一面に田んぼが広がっている。近くを流れる鶴見川は、しばしば氾濫することがあった。
 戸田の思いがけない訪問に、森川幸二は慌ててしまった。嬉しさと驚きが、半々に入り交じったような表情をしている。
 「先生だよ。戸田先生だよ」
 森川は、食堂にいる妻に呼びかけながら、「どうぞ、どうぞ」と、狭い階段を先に立って上っていった。
 いつも座談会を開く二階である。長身の戸田は、身をかがめて、窮屈そうに上りながら、後ろの青年に言った。
 「面白い二階だ。狭き門だよ。頭に気をつけろ」
 細長い二階の座敷は、ピサの斜塔のように、いくらか傾いている。座ると、自分の重力に、いささか抵抗していなければならなかった。時間が早いため、誰も来ていない。
 森川は、あいさつをすますと、懐かしそうに戸田を見た。
 「先生、今日はまた、ずいぶん早いじゃないですか」
 戸田は、それに答えず、頷きながら言った。
 「どうだい、みんな元気か」
 森川には、戸田の声が、耳に入らなかったらしい。彼は、そわそわしているのか、のんきなのか、それでいて真面目くさった顔で、小窓から外をのぞきながらつぶやいた。
 「先生、今年は麦が当たりですよ」
 なるほど、窓の外には麦畑があった。冬を越す麦の芽が、若々しく伸び始めていた。青年は、このやりとりに面食らい、プッと噴き出してしまった。
 戸田は、相好を崩して笑った。
 「そうか、そうか。麦が当たりか」
 麦の、たくましい成育を喜んでいる森川は、職を失っていたとはいえ、いつもの森川である。″春風駘蕩たるものではないか。よかろう、まず心配はない″と、戸田は心で思った。
3  森川幸二は、一九四一年(昭和十六年)の入会であった。翌年十月、男の子の一人が亡くなった時、初代会長・牧口常三郎が、わざわざ葬儀に来てくれた。そこで初めて牧口を知った。彼の弟も入会し、早くから、その成長が期待されていた。四三年(十八年)七月、創価教育学会弾圧の折、弟は神奈川で検挙された。彼は、家庭の信心の破綻から、たちまち退転して出所した。以来、神奈川方面は、終戦になっても、学会との絆は、しばらく途絶していた。
 幸二の長男である一正は、激変する社会の荒波に、目標を失ってしまった戦後の青年である。彼は、少年の日、一、二度会った牧口常三郎を思い出していた。
 牧口が、父たちに向かって、「教育勅語、あれは道徳の最低基準です」と言うのを聞いた時の驚きを、少年の頭脳は覚えていたのである。なんの話題につながる話か、それはきれいに忘れたが、牧口の、この一言は消えなかった。
 戦後、敗戦の辛酸のなかで、教育勅語が道徳の最低基準という意味を現実に知った時、一正は、最高の教えの根本である御本尊が家にはある、と気がつき始めたのである。不思議なことに、折も折、そのころ、戸田理事長が、神田で学会再建に奔走し始めたとの噂が、一正の耳に入ってきた。彼は、単身、戸田に会うために、日本正学館を探し当てた。
 来意を告げ、二階に行くと、戸田は、藤イスに腰をかけ、パンツ一枚で、扇子を使っていた。四六年(同二十一年)の初秋、まだ残暑の厳しい真昼時のことである。
 「鶴見の森川の息子さんか。今日は、やけに蒸すじゃないか。君も暑かろう。裸になりたまえ」
 一正も、確かに暑かった。汗にまみれたシャツを脱いだ。まだ少年らしい体形を残した上半身が現れた。初対面は、裸と裸であったわけである。
 一正は、昼間は占領軍のタイヤ修理工場で働きながら、夜間の大学に通っていた。この初々しい若い大学生に、戸田は、温かな眼差しを注いだ。そして、いきなり生命論を、諄々と説き始めたのである。
 ワラ半紙の上に、十界を書き、懇切丁寧に説明を加えながら、御本尊の偉大さを納得させようとした。
 一正には、耳慣れない仏法用語は、理解しがたかったが、戸田の熱情は、冷静な彼の身を、まるごとつつんでしまった。
 森川青年は感動した。彼が求めていた新しい視野が、見る見る開け始めてきたように思えた。
 「これからは、いつでも来なさい。君の友だちも大勢いるよ。おーい、山平君!」
 山平忠平を呼び、一正に紹介した。人間を育てるには、まず、よい友だち、よい先輩につかせることが大事だと、戸田は思っていたからである。
 「山平君、手がすいているようだったら、森川君に、君から価値論の話を、わかりやすく話してあげなさい」
 「はい」
 学究肌の山平は、ちょっと笑顔になって、机に戻っていった。一正は、その後ろについていき、山平と対座した。
 「人間は、何を求めて生きているのか、君、考えたことがありますか」と始まった。一正は、しばらく思いあぐねていた。山平は、黙ったまま一正を見ている。二人の青年は、どちらも、はなはだ無愛想で、ぎごちない対面であった。
 そのうちに、一正は首をかしげながら言った。
 「そりゃ、幸福ですよ、幸福な生活じゃないですか」
 「そう、その通りだけれど、では、幸福であるためには、人間、何を求めているかです。具体的に、何を求めていると思いますか」
 「………………」
 「それは価値です。価値を求めている……人生の目的は、価値の創造と言っていいんです」
 味気のない話が進んでいった。そして二人の話は、ただ抽象的になった。それでも一正は、価値・反価値、「真・善・美」「美・利・善」などという言葉のあらましを知ることができた。また、この「美・利・善」という価値論を説いたのが、あの牧口会長だったことを初めて知り、なんとなく懐かしく思ったのであった。
 小一時間、語ったあと、一正は、戸田にあいさつをして帰ろうとした。それを見て、戸田は言った。
 「おお、帰るか。友だちに、信心の話をしたことはあるかね」
 「いいえ、まだありません」
 「気の毒な友だちに、話してあげることだ。話すことがわからなかったら、山平君でも、誰でも、引っ張って行きなさい」
 「はい、先生には来ていただけませんか」
 彼は、こう言って、ぶしつけすぎたかと後悔した。が、率直な青年の要望である戸田は、それが大好きであった。
 「わしか! よし、行ってあげよう。友だちや近所の人が、大勢来るようだったら、至急、知らせなさい。お父さんにもよく話して、ひとつ大々的に座談会をやろうじゃないか」
 戸田は、青年の率直な願いを拒んだことがなかった。時には、無茶と思える願いも、簡単に引き受け、あとで苦心惨憺しなければならぬこともあった。「えらい目にあった」と笑いながら、また同じことを繰り返すのである。
 青年たちは、最後まで、戸田に甘え通したが、甘えさせた戸田の偉大さは、いつの間にか、多くの人材を育成していたのである。
 「よろしく、お願いします。ありがとうございました」
 森川一正は、明るい顔で日本正学館を出ていつた。ポケットには、十界論を書いたワラ半紙が、大事に入っている。家に着くなり、その紙を広げて、戸田との会見を父に報告した。父の幸二は、「そりや大変だ」と言った。
 「座談会となると、人を、たくさん集めなけりゃならんからなあ」
 「いいよ、お父さん。ぼく、友だちを大勢連れてくるから」
 「昔も座談会を聞いたが、信心の会合には、そう簡単に人は来るものじゃないよ。芝居見物とは違うからな。お前も、とんだ約束をしてきたものだ」
 「いいよ、いいよ。お父さん」
 「わしは知らんぞ」
 ――後年、たちまち数万世帯の大支部となった、その発端は、こうして始まったのである。
4  父と子は、それぞれの縁をたどり、やっとこ十数人の人たちに話をつけた。潮時よしと見込みがついた時は、はや翌年の一月になっていた。
 本部へ連絡すると、戸田は、数人の幹部を連れてやって来た。いざ、定刻になっても、約束の友人、知人は一人も来なかった。一正は外へ飛び出していって、やっと二人の友人を連れてきた。
 折伏が始まった。
 戦後の殺気立った時代のことである。戸田に同行してきた幹部に、ズケズケと問い詰められた友人の一人は、怒りだした。
 「俺は、恥をかきに来たのではない。森川、いったい、どうしてくれるんだ!」
 一正は困った。友人は立ち上がり、大変な剣幕で帰ってしまった。
 大々的な座談会のはずが、見事、予想を裏切ってしまったのである。
 戸田は、この様子を見ていた。そして、しょんぼりしている一正を激励した。
 「一正君、折伏というものは、今は、こういうものなんだ。心配することは、決してない。逆縁とも、毒鼓の縁ともいって、強く反対する人ほど、早く救われるんだよ。実際、末法だよ。また、来てあげよう」
 一正は、ほっとした。戸田の一行を駅へ見送る道々、彼は考えた。
 ″あんなにズケズケと物を言わなければ、あの友人は、席を蹴るようなことはなかったにちがいない。やっと連れてきたのに、あんな調子でやられたら、誰だって腹を立ててしまう。俺は、友人に恥をかかしてしまった。これからは、よほど慎重に考えなくてはなるまい″
 一正は、考えると腹が立ってきた。そして、並んで側を歩いている、幹部の一人に話しかけた。
 「座談会は雰囲気が大事ですね。初めて来た人たちを、追い詰めるようなことを言ったら、マイナスじゃないですか」
 その幹部は振り返り、ニコッと笑った。
 「批判もいいが、まあ、今にわかるよ」
 先輩は、一正に、一言、そう言っただけである。
 一正は、ますます面白くなかった。
 その夜、布団に潜り込んだが、なかなか寝つかれない。うとうとと眠ったかと思うと、すぐに目を覚ましたりしていた。
 そのうち、部屋一面に煙が漂っているのに気づいた。
 矩健の布団が、炎を上げて燃え始めていた。彼は跳ね起き、家族を叩き起こし、水をぶつかけて火を消した。
 彼は、焼け焦げの布団を見ながら、はっと気がついた。
 ″火事にはならなかったが、布団を焼いてしまった。少なくとも功徳ではない。損だ。してみれば、罰ということになるのか″
 彼は、焦げくさい部屋で、一人、腕を組んだ。
 ″あの先輩は、「批判」と言った。では、意見と批判とは、どう違うのか。
 どちらにせよ、俺は、確かにあの時、あの幹部に腹を立てた。なんで友人を怒らせるようなことを言うのかと、憎みもした。これが、「怨嫉」というやつかもしれない……″
 森川一正は、自分の言動に用心深くなった。
 御書には、「法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり」とある。御本尊を持って広宣流布に励む同志は、皆、地涌の菩薩であり、仏であるから、互いに誹るようなことがあつてはならないとの仰せである。同志を誹る行為は、和合僧を破ることに通じ、その罪は、重いといわなければならない。
 息子・一正が体験した現証を見て、父の幸二は、牧口の指導を思い起こした。
 「妙法の生活とは、″変毒為薬″である。社会で生活している以上、時には事故や災難、そして事業の失敗などに遭う場合がある。これは苦悩、不幸という毒であり、罰である。だが、どんな場合でも、妙法根本、信心根本で、御本尊を疑わず、信心に励めば、毒を変じて薬となしていけるのである」
 ″罰にしろ、現証の出ることは、大したことだ。すると、真っすぐ信心さえすれば、功徳の出ることも、決まった道理だ!″
 幸二は、勇み立った。
 月に一回の座談会は、続いていった。入会者も、だんだん増えてきた。幸二は、東京の講義に通いだした。彼は、週三回の講義の日には、夕刻近くになると、横浜の勤め先の信用組合の仕事を片付け、いそいそと神田に向かった。
 彼は、自身の不思議な成長を実感していた。講義を聴くたびに、心の底から、感激が込み上げてくるのだった。だから、講義には精勤した。いつしか、職場の同僚との付き合いは、疎遠になってしまった。
5  こうして、一年余りたった秋のある日、森川幸二は、妙なことが気になってきた。
 ″おれの信心は、いったい、どの程度、強盛になったのかな。やるだけ、やってはきたが、さつぱりわからん。信心といっても、影も形もないものだ。なんとか知る方法はないものだろうか″
 彼は、こんなことは誰にも言えず、一人、しきりと思いあぐねていた時、ある夜、講義が終わると、戸田に呼び止められた。
 「森川君、今日は話がある。まあ、座りたまえ」
 何事だろうと思いながら、幸二は、戸田の前で、かなりの時間、待たされた。数人の面接指導を終えた戸田は、「すまん、すまん」と言いながら、彼に話しかけた。
 「ほかでもない。君にも、ぼつぼつ、理事になってもらおうかと考えているのだが、どうかね」
 幸二は、自分の耳を疑った。
 「私が、ですか?」
 「そうだ」
 「先生、そりゃ、だめです」
 「どうして?」
 幸二は、ぐっと詰まってしまった。
 「いやか?」
 「いいえ、とんでもない。実際のところ、私は、教学はなし、発心してやりだしたものの、日は浅いことですし、だいいち、それだけの信心ではありません」
 戸田は、笑いながら言った。
 「君は、自分の信心がわかるか。大したもんだよ」
 「いいえ、さっぱりわかりません」
 幸二も笑いだした。
 「森川君、心配するなよ。ぼくがいるから大丈夫だよ」
 幸二は、言うべき言葉がなくなっていた。謙遜したのでもない。躊躇していたのでもない。降って湧いたような突然の話に、頭の回転が止まったようになったのである。
 「今、すぐでなくてもいい。いずれは、そうなることも、考えておいてもらいたい」
 戸田は、戸惑っている幸二を、いたわるように言うのであった。
 幸二は、帰途、電車の中で、ようやく気持ちが落ち着くと、初めて感動を覚えた。
 ″戸田先生は、俺を認めてくださっているのだ。俺が理事なんて、本当だろうか。俺の信心もやっと、とこまで来たわけだな……″
 彼は、自分の信心を知りたいという、ひそかな願望が、このような姿で叶えられたことに、感謝したい気持ちであった。
 彼は、揺れ動く電車の中で、歓喜に浸っていた。電車を降り、深夜の家路をたどる時、彼は、ふと考えた。
 ″こういう時が大切なんだ。魔は天界に住むとはよくいうが、とんでもない魔が出て来たら困るな。いや、もうどんな魔が出たって、必ずやっつけてやるぞ!″
 一瞬、こんな思いと確信が頭をかすめた。そして、次の瞬間には消え去っていた。
 彼は、意気揚々として、わが家の敷居をまたいだ。家族は寝静まっている。彼は、時計を見て、いつもと変わった真剣さで勤行をして、床に就いた。
6  翌朝のことである。
 いつもの時間に、信用組合の席に着くと、理事長から呼ばれた。幸二が、理事長室に入って行くと、理事長は、「おはよう」と言いながら、彼にイスを勧めた。
 「実は、君に今日限り、ここを辞めてもらいたいのだ。突然だが、組合として、よくよく考えた末の結論だと思ってもらいたい」
 まさに青天の霹靂である。幸二は、唖然とした。そして、平然と言い放った理事長の顔を見つめて、問いただした。
 「いったい、どうしたというんです。私が辞めなければならぬ理由はなんですか」
 「もちろん、理由がないわけではないが、それは、お互いに言わないことにしようじゃないか。ここまで来てしまっては、何を言っても無駄であるし、気まずい思いをするだけだ。きれいさっぱりと、お別れしよう。退職金その他は、ぼくとして、精いっぱい考慮するつもりだ」
 理事長は、老獪な口調で、頭から畳みかけてきた。無茶な話である。勤続十七年の古参職員が、なんの咎もないのに、ある朝、突然、解雇されるとは、あまりにも奇怪な仕打ちではないか。温厚な森川幸二も激怒した。そして、捨て身の構えになって、語気鋭く詰め寄った。
 「何を言っているんですか。私は、道楽で今日まで、この組合の仕事をしてきたわけではない。あなたは、『さあ、これで、おしまいにしよう。お前は今日限り辞めろ』と言ったって、碁や将棋をやっているのとは、わけが違うじゃないか。私に、何か失態でもあったというんですか!」
 理事長は、慌てた表情になった。
 「いや、そういうわけではない。今後の組合の大局から見て、どうしても、そうしてもらいたいのだ。そう興奮されては困る」
 「興奮などしてませんよ。では、その組合の大局とかいう話を伺いましょう」
 荒い息づかいで、森川幸二が言った。彼の顔は、やや青ざめていた。その思いつめた目に、理事長は顔をそらした。
 「ぼくとしては、長年、勤続してきた君に、言いたくないんだが、君は、言いだしたらきかぬ男だから、その理由を言うことにしよう。
 まず第一に、君はこのところ、いやに信心に熱をあげているようだが、組合としては、信心より、あくまでも仕事に熱を入れてもらわなければ困る。第二に……」
 森川は、とっさに言葉をはさんだ。
 「信心に熱心だからといって、組合の仕事をおろそかにしたとでも言うんですか!」
 「まぁ、最後まで聞いてくれたまえ。第二に、君とは長年の付き合いだが、どうしても意見が合わん。知っての通り、組合は、今、断崖の上にあるようなものだ。意見の相違は、この苦境を乗り切るのに、致命的なマイナスとなっていく……」
 理事長は、くどくどと運転資金の枯渇を訴えた。
 森川としても、知らないわけではない。
 ――組合に、嫌われ者の一人の役員がいた。近郊の大地主で、組合の大口出資者の一人であったが、度量が狭く、横暴で、人びとは手を焼いていた。ただ一人、曲がったことの嫌いな森川幸二が、この矢面に立ち、しばしば激突したのである。戦後の貨幣価値の下落から、資金は、いくら集めても足りなかった。しかも、資金が豊富でありさえすれば、組合の利潤は、すばらしい上昇をすることは誰にもわかっている。
 理事長と大地主との利害は、いつか一致した。大地主の多額の出資が見込まれたのである。そこで、計算高い大地主は、当然、数々の条件をつけてきたのであろう。その条件の一つに、常日ごろ、面白くない森川幸二を解雇する一項目があったにちがいない。ずるい理事長は、資金欲しさに妥協したと思われる。その役員と森川との意見の対立は、ここで急に、理事長と森川との意見の相違へと変わって、森川が攻撃にさらされたのである。事態は、はっきりしてきた。
 森川幸二は、理事長の回りくどい話をさえぎって言った。
 「そうすると、私が組合の経営上、悪影響でも与えているというんですか」
 「それはない。誤解しないでもらいたい。森川君は、これまで決して悪い影響など与えていませんよ。ただ、組合の指導権の一部が、この際、変わるのだ」
 理事長の言葉に、彼は信心に全く関係ないと直観した。だが、何ゆえ、すぐに信心にかこつけてくるのであろうか。
 「つまり、今後の組合の発展に、面白からざる影響があるというのです。君が納得できないというのなら、組合の資本運営のために、すまんが、目をつぶって一時だけでも退職してくれないか。復職の機会は、いずれつくることもできるかと思う。ここは、苦労している私に免じて、ぜひとも承知してもらいたい……」
 理事長は、泣き落としにかかってきた。
 だが、森川は席を立った。
 「わかりました。私には、相談するところがありますから、そのうえでご返事します」
 理事長は、何か大声で叫んでいる。しかし、部屋を出ていく彼は、それには耳を貸さなかった。彼は、自分の席へ戻らず、表通りに出てしまった。職員たちは、慌ただしい森川の姿に、びっくりしていた。
 いじめられた子どもが、母親の胸に飛び込むように、五十近い森川は、戸田城聖の懐へと急いだ。
 彼は、道々、冷静になると、家族たちが驚いて、それから嘆くであろうことを、まず考えた。
 ″俺には、たくさんの子どもがいる。それを育てるには、まだまだ自分が働かねばならない。社会に出ているのは長男一人であり、それも、まだ自分のことしかできない。他の子どもたちを社会に出すためには、これから、どうすればよいのだろうか。
 しかし、理事長に泣きついて、あの役員に頭を下げ、許しを請うことは、とてもできない。たとえ隠忍自重して、職にしがみついたとしても、早晩、また激突することになるだろう。卑屈になるわけにはいかない。こうなれば、遅かれ早かれ、組合を辞めなければならない。よし、辞めてやる!″
 森川幸二は、こう決意したが、辞めたあとの生活の当てがあるはずもない。怒りと不安のなかで、彼は、わが身をもてあました。
 彼は、これが三障四魔だと、一人、力んでいた。戸田の会社に近づいた。
 この時、真面目に実践してきた彼の一年半の信心は、「大悪をこれば大善きたる」という大聖人の御聖訓を、頭のなかに浮かび上がらせていた。
 ″確かに、今日までの俺にとって、これこそ大悪であるにちがいない。それなら大善きたる、ということも間違いないはずである。″
 実に素直な、合理的な彼の思考であり、信心であった。
 森川幸二は、日本正学館に勢いよく入った。
7  「やぁ、森川君か、どうした? 今日はまた、やけに早いじゃないか。神田へ仕事にでも来たのかね」
 戸田は、微笑みながら声をかけた。
 幸二は、「実は、先生」と、組合での今朝の経緯を、気負い込んで話し始めた。
 戸田の頬から徴笑みが消えていった。彼は、幸二の話を注意深く聞きながら、真剣な表情になった。彼は無言で、しばらく考えていたが、やがて口を開いた。
 「よし、そうか、わかった……」
 そして、「クビか」と短く言って、幸二に顔を向けて尋ねた。
 「家族は何人だ?」
 「八人です」
 「八人? 子どもは大勢だし、困るだろう」
 戸田の声には、なんともいえない優しい響きがあった。幸二は嬉しかった。そして、戸田の顔を見た時、彼は、思いもかけず、勇気と確信が湧くのを覚え、こんな言葉が口から出た。
 「先生、そりゃ、困ることは困ります。しかし私は、たとえ水を飲んで暮らさなければならなくなったとしても、信心だけは絶対に貫きたいと思っています」
 「そうか」
 戸田は、その答えを待っていたかのように、強い口調で言った。
 「信心で勝負だ。やってみろ! 未来にどういう結果が出てくるか、裸になって信心をやり抜いてごらん」
 前夜から、わずか十数時間のうちに、森川幸二の運命は、くるくると回転した。戸田の言う通り、彼は、どう回転しようとも、振り回されることなく、信心という主軸だけは、しっかりとつかんでいく決意を固めていた。後は退職手続きを取るだけであった。
 幸二は、職場に戻った。そして、極めて平静に、理事長に対応することができた。理事長が、彼にこう尋ねたほど、落ち着いていた。
 「どこか、いい就職口でも決まったのかね」
 家路に向かう彼の足は、さすがに重かった。家族を、なんと納得させたらいいのか、彼は、一家の柱として思案にあまったのである。
 夕食の時には、子どもたちが、いつもと変わらず元気に集まってきた。彼は、突然、やっとの思いで言いだした。
 「今日は、えらい功徳を受けたよ」
 家族の浮き浮きとした期待の眼が、幸二に集まった。だが、黙っている父に、側の小さい女の子は、せがむように聞いた。
 「お父さん、なんの功徳?……なんだってば……」
 彼は、瞬間、言いそびれた。しかし、一家の好奇心の高まるのに促されて、やっと口を開いた。
 「実はなぁ、今日、職場を辞めさせられたんだ」
 一同は、「あっ」と驚いた。「どうしたのか」と聞きさえしない。一瞬、暗い空気が辺りに漂った。
 妻は、目を大きく見開いて、幸二を見つめたままである。老母は、何か聞き違えたかと、耳を疑っているようだ。大きい男の子たちは、ご飯をかっ込み始めたのである。
 やがて幸二は、昨夜の戸田の話から、今朝の組合理事長の話へと、すべてを隠さずそのまま語りだしたのである。
 長年にわたって、経済的に安定していた大家族にとって、一大事件の突発であったことには、ちがいない。幸二は、自分を励まし、家族を見ながら言った。
 「みんな、どうか心配しないでくれ。戸田先生にも、真っ先に指導を受けてきた。先生も、組合を辞めることを賛成なさり、『信心で勝負だ。やってみろ!』と、おっしゃったんだ。わが家には、すごい御本尊がある。『大悪をこれば大善きたる』だよ。いよいよ森川家も、根本的な宿命転換をする時が来たわけだ。今は、少々、辛いかもしれないが、なに、きっと変毒為薬してみせる。みんなで頑張ろうよ」
 幸二のどこにこんな勇気があったのかと、家族は驚きもし、安心もした。誰一人、不服そうな顔をする者はいなかった。
 やがて、長男の一正が夜間の大学から帰ってきた。幸二は、一正に、一部始終を繰り返した。
 一正は、ショックを受けたようである。しかし、最後に父の決意を聞くと、きっぱりと言った。
 「お父さんの信心も、大したもんだなあ。よし、ぼくもやるぞ。……そうだ、今夜は、みんなで失業したお父さんを祝ってあげよう」
 驚いたのは幸二である。
 ″なんという健気なわが子たちであろう。いつの間に、こんなに育ったのか、ああ、実にありがたいことだ″
8  食糧難の時代である。とっておきの菓子や、感想バナナで、お祝いが始まった。このような感激の団欒は、かつて味わったことがなかった。森川父子の本当の信心が始まったのは、結局、この夜からであった。
 仕事に就いていたとしても、生活困難な時代である。そんななかで職を失ったのだ。一家八人の生計は、容易なことではない。大人たちは、額を寄せて考えた。しばらく日がたつた時、老母が提案した。
 ――今の時代は、みんな腹を空かしている。質より量である。ともかく腹いっぱい食べさせる外食券食堂を、やってみてはどうだろう。
 一同は賛成した。家族八人の毎日の炊事の規模を、数倍に拡大すればいいのだ。これは商売になる。幸二は、喜んで、家屋の一部分を改造した。そして、素人くさい食堂が始まったのである。
 戸田城聖が、蒲田の青年を連れて森川家の座談会に出向いたのは、このころのことだった。戸田は、意外に元気な森川一家の空気を感じると、いかにも嬉しそうに、さまざまな話題をとらえて幸二たちを励ました。
 いつか冬の日も暮れて、いつもの座談会の時刻となった。まず、蒲田の原山と関がやって来た。二人は、戸田が来ているとは全く知らなかった。鶴見の人たちも、十人近く集まってきた。
 戸田は鶴見の人たちを一目見るなり、森川一家は心配ないとしても、他の人たちはそろいもそろって、よどんだ暗い影があることを見抜いた。彼は、どっしり真ん中に座って、いつになく真剣な態度で語り始めたのである。
 「ほかでもないが、知つての通り、森川君は解雇され、仕事を失った。一生懸命信心したのに、おかしなことだと思いませんか。みんなよりも熱心にしたんですよ。どうしたんだろうと、不思議に思いませんか」
 町工場を細々とやっている佐川久作が言いだした。
 「先生、実は、そのことで困っているんです。森川さんが座談会で、俺は仕事を辞めさせられたが、変毒為薬してみせるなどと言うものですから、みんな信心を疑いだしているんです」
 「みんなじゃない。まず、君がだろう」
 戸田は、大声で叱るように言った。
 「いいえ、私はわかっております。『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る……』」
 「理屈でわかることはできる。しかし、信心でわかるというのは、全然違う。佐川君は、今、森川君のことで困っていると言ったではないか。君が、本当にわかっていたら、困るなどと愚痴を言うはずもなかろう。本当にわかつては、いないんだよ」
 佐川は不服そうである。戸田は、病重し、と見たのか、さらに言葉を続けた。
 「私が心配しているのは、森川君のことではない。鶴見のあなた方のことです。信心していて、会社を解雇された。おかしなことだと思いながら、諸君のなかで誰一人、戸田のところへやってきて、面と向かって、どうしてか、と率直に詰問する人がいなかったことだ。
 そのくせ、集まれば、困ったもんだと、互いに批判し、疑っている。これは仏法からみて恐ろしいことだ。森川君の問題は、既に解決している。少し長い目で見ていなさい。ちゃんとわかるから。
 信心といっても、長い長い道程です。過去遠々劫といって、人間、過去に何をやってきたか、わかったものではない。少し信心をしっかりやると、いろんな、いやなことも起きよう。
 大聖人は、『過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし』ともおっしゃっている。つまり、十年、二十年先に苦しまねばならぬことも、熱心な正しい信心のゆえに、その業を今に招き、早いうちに軽くすまして、後の安穏を保証してくださっているんだ。信心さえ、あれば、ことごとく功徳なんだよ。信心なくして疑えば、すべて罰だよ。
 森川君一家は、功徳だと喜んでいる。関係のない諸君が、それを疑って罰を受ける。こんな割に合わない話は、戸田は大嫌いだ。御本尊が根本であるのに、自分のことならともかく、他人の身に起きたことで疑って退転していく。これほどつまらないことはない。
 今夜は来てよかった。戸田は、断じて、諸君を誤らせたくない。悠々と、立派な信心を続けていきなさい。そして幸せになることだ。諸君の信心のためなら、戸田は、どんなことでもしてあげる。少しは、わかってくれたかね」
 座談会には、一正の友人で、釣りばかりしている野田満という青年もいた。平松という、姑にいじめられて泣いていた夫婦の姿も見える。最近、蒲田から引っ越してきて、家中の信心反対のなかで、びくびくしている若い娘の高田ヒデ代もいた。半年前、小岩から鶴見の生麦へ移転してきた山川夫妻も、今夜は、仲良く並んでいる。佐川久作夫妻は、顔を上げることもできず、神妙に固くなっていた。
 戸田の言う通り、森川幸二は、一年たたぬうちに、招きに応じて川崎のある信用組合に就職した。さらに数年たった時、彼は横浜市(鶴見区選挙区)の市議会議員に最高点で当選したのである。
 ともかく、この夜から、鶴見の人びとは、森川父子と共に、決然と立ち上がった。やがて鶴見支部は、華々しい折伏の火の手を上げることになるが、それは後日の物語とする。
 戸田城聖は、この夜、鶴見の地に、見事な信心の布石をしたのである。広宣流布は長い道程みちのりである。だが、戸田の歩む索漠たる瓦礫の道には、新しい生気に満ちた緑の草が、その足跡に、必ず、はつらつと萌えたのである。
 (第三巻終了)

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