Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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小説「人間革命」3-4巻 (池田大作全集第145巻)

前後
11  戸田城聖は、人間の、平和を願う心と、また他を制覇したいと思う心が、一人の人間において共存する実態を知悉していた。つまり、十界の生命の認識である。この本質の認識なくしては、その折々の利害によって動いていく世界は、六道輪廻を脱することができない。それが、文明の発達した二十世紀においても、少しも改革されていないことを、戸田は痛感していた。
 「この世界の真の実態というものが、実は、どういうものであるか、それに気づいている人は、誰一人いないようだ。現代の人間社会の不幸は、ここにあるんだよ。わかってしまえば、簡単なことなんだがね。だが、人びとは嘲笑って、わかろうとしないだけだ。そのくせ、自分にも完全にわかっていない、つまらぬ理屈は、いやになるほど言っている」
 時折、戸田は、世界情勢の分析が話題に上ると、独り言のように、つぶやいたりしていた。
 「理想は理想、現実は現実などといって、その場その場を、ごまかしているのが現代ではないだろうか。この二つを、まるで別物のように扱って、あきらめているのは、現代の精神の薄弱さを意味している。理想を現実化する力、その力がなんであるかを、人びとは深く、強く探究もせず、求めもしない。人間の精神が、これほど衰弱した時代もないだろう。そして、衰弱した精神が、偉そうに利口げなことを言っている。愚かな話じゃないか」
 戸田は、誰に言うとなく、孤独にして強靭な心を、静かに弟子たちにもらすのであった。その表情は、遠く思いを馳せるように、半ば目を閉じていた。
 「現代は、何か重大なものが欠けている。誰も、それがなんであるか気づいていない。いや、気づいているようなことを論じてはいるが、あまりにも皮相的な論議だけだ。それを知っているのは、どうやら、われわれだけのようだ。
 理想を現実化し、現実を理想に近づけていく力、この力こそ日蓮大聖人の大生命哲学です。それを、ただ、人は既成の宗教観で見て、批判しているにすぎない。とんでもないことです。もし、仮にマルクスほどの達人であったら、この大聖人の生命哲学を知ったとすると、必ず、ひざまずいて教えを請うにちがいない。まったく、利口ぶった人間には、いやになるよ」
 幹部たちは、耳を澄ましてはいる。しかし、戸田が何を言おうとしているのか、さっぱり理解できなかった。彼らが、戸田の思想を、いくらかでも現実のものとして理解するにいたるまでには、なお多くの年月をかけた成熟が必要だったのである。

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