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日蓮大聖人・池田大作

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小説「人間革命」1-2巻 (池田大作全集第144巻)

前後
10  一九四七年(昭和二十二年)の暮れ、日本列島を吹き抜ける風は、一段と寒さを増していた。そして、来る日も来る日も、厳しい生活の連続であった。
 戦後二年を経過したが、再建の曙光は、いまだ、その兆しさえも見えなかった。経済の危機は慢性化している。一億の国民は、生活難にあえいでいた。
 さらに不幸のうえに、不幸が重なった。
 九月十四日から十五日にかけて、本土を襲ったキャスリーン台風は、関東地方に未曾有の大水害をもたらした。だが、その応急策も立たず、寸断された山間の道路は放置されたままだった。政府はあっても、危機管理能力は、皆無に等しかったのである。
 激動する世界は、アメリカとソ連を軸とする両陣営の苛酷な対立、つまり冷戦という見えざる戦争に翻弄され始めていた。それは、まさしく暗闇へ世界を動かし始めた軸であった。明るい世界に導いていく軸は、どこにもなかった。
 そのなかで、この年八月十五日に、インドがイギリスの植民地支配から脱し、独立したことが、アジアの人びとにとっては、ほのかな希望となった。
 中国大陸では、日本の敗戦と同時に、国民党軍と共産党軍との内戦が始まっていた。そして、アメリカは、大量の兵器と軍事顧問団と、二十億ドルに上る軍事援助を、蒋介石(チアン・チエシー)の国民党軍に与えた。
 前年六月ごろから、国民党軍は共産党軍に対する総攻撃を展開し、年末までには掃蕩できる計画であった。当時、共産党軍兵力は百二十万、国民党軍は四百三十万といわれていた。しかも国民党軍はアメリカの多大な援助を受け、格段に優勢のはずであった。ところが、大衆は、長い戦乱にうんざりしていた。
 彼らは、内戦に反対し、国民党の腐敗と独裁とを非難したのである。結局、民意は自然と共産党に移っていった。
 戦いは、軍事力や財力、あるいは権威や伝統で決まるものではない。最後は、民衆の心をつかんだ勢力が勝利を収めるのである。
 四七年(同二十二年)九月十二日には、遂に共産党軍は、国民党軍に対して総反撃を宣言するにいたった。この時から満二年の後、四九年(同二十四年)十月一目、中華人民共和国が正式に発足するまで、六億の民は、なおも戦乱に巻き込まれていったのである。
 このころから、アメリカを主力とする自由陣営、ソ連を主力とする共産陣営の相克は、世界の各地で激突を始めていた。
 アメリカは、世界唯一の核兵器保有国として、共産陣営に威圧を与え、ソ連にとっては、アメリカの原子爆弾が、無言の脅威となって、のしかかっていた。押されぎみのソ連は、苦慮していたにちがいない。
 ところが、四七年(同二十二年)十一月六日、ソ連外相V・M・モロトフは、「原子爆弾は、もはや秘密兵器ではなくなった」と声明し、ソ連もまた、遠からず核兵器の保有国になることを、全世界に暗示したのである。その余波は、いやがうえにも人びとの心を、不安に駆り立てていった。
 生活は暗く、日本も、世界も暗かった。太陽は、いつも明るく昇っているのに、人びとの心は、悪魔の芸術のように、暗黒に塗りつぶされていた。
 戸田城聖は、油断も隙もない時勢を、ひしひしと感じていた。いつ足をさらわれるかわからない奔流のなかで、一人、仁王立ちになって、広宣流布の旗をかざして、踏ん張っていた。そして、世界を平和へと導く、新しい軸としての学会の前進に、これからまだ、苛烈な辛い戦いが待ち構えていることを、いやでも知らねばならなかったのである。
 (第二巻終了)

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