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日蓮大聖人・池田大作

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前哨戦  

小説「人間革命」1-2巻 (池田大作全集第144巻)

前後
1  一九四七年(昭和二十二年)三月――。
 東京都心の、とある都電の停留所に、三人の青年たちが集まって、何か小さな声で話し合っていた。
 時折、路面電車の通りを、目を凝らして見たりしている。左右のいずれかの方向に、電車が現れないかと、気を配っている様子であった。
 電車は、なかなか来ない。戦災によって交通機関が被った痛手は、一年半たった今も、まだ回復していなかった。十五分もたつたころ、やっと一台、電車が見えた。古い、ガタガタの電車である。
 日曜日の正午ごろで、車内は、それほど混んではいなかった。十人ほどの乗客を降ろすと、車内はガラガラになった。車掌が紐を引っ張って、チンチンと発車のカネを鳴らすと、電車は、また動きだしていった。
 降りた人びとのなかに、三人の若い男女がいた。笑顔を浮かべ、生き生きとしている。彼らは、素早く、停留所に立っている三人の青年たちの方に走り寄った。
 「こんにちは!」
 「やぁ、こんにちは!」
 待っていた青年たちは、軽く手をあげた。
 集まった六人の青年男女は、あまり口もきかず、そのまま人待ち顔に立っていた。
 やがて、一人の女性が、不安そうに話しかけた。
 「岩田さん、どうしたんでしょ。ずいぶん遅いわね」
 「いや、来るよ。あれだけ念を押してあるんだから、今日は、必ず来るさ。どっかで、電車が故障でもしているんだろう」
 別の青年が答えた。
 「でも、滝本さん。もう十三時四十分よ」
 「三川さんは、相変わらずせっかちだな」
 滝本欣也は、メガネをかけた、痩せた背の高い青年である。彼は、小柄な三川英子という女性を、見下ろすようにして言うのであった。
 彼らは、次の電車を待った。だが、なかなか来そうにもなかった。
 冬は過ぎ、急に春めいてきた三月下旬の真っ昼間である。春の光が、全身を温めてくれる。寒かったこの冬、オーバーもないままに過ごした厳寒の記憶など、若い彼らの頭からは、とっくに消え去っていた。
 彼らの心は、なんとなく弾んでいた。しかし、どの目も、いささか鋭い光を放っていた。彼らには、秘められた、ある計画があったからである。
 電車が遠くに見えた。彼らの目は期待を込めて、一斉にそれを見つめた。停留所に電車が止まり、どやどやと大勢の乗客が降りてきた。ほとんど空になった電車は、のろのろと過ぎていった。
 降りた乗客のなかに、岩田重一の姿はなかった。
 待っていた青年たちに、失望の色が浮かんだ。彼らは、顔を見合わせた。
 「岩田さん、どうしたのかな」
 まだ少年の面影が残る、いちばん年少者の吉川雄助が言った。滝本が時計を見た。もう一時を過ぎている。彼らは、また互いに顔を見合わせた。滝本が首をかしげながら言った。
 「こりゃいかん。おかしいな……しかし、絶対来るよ。同志を裏切るなんて考えられん」
 「滝本さんの確信、私、当てにしないわ」
 三川は、ちょっと口をとがらせて、ジリジリしながら、不平顔である。
 六人は、輪になって、相談を始めた。
 もう一台だけ電車を待つという意見、いや先に行ってしまおうと言う者、岩田が来ないと、今日の作戦は変更しなければならない――と、案じ顔に言う者もあった。しかし、誰一人、解散しようと言う者はなかった。
 「では、ぼくだけ、ここで岩田を待って、後から行くから、みんな先に行っていたらいいじゃないか」
 おとなしそうな酒田義一の、穏当な提案である。
 「そうしようか……」
 滝本が言って、衆議落着しようとした時、高い声をあげた。
 「あっ、岩田さんだ!」
 岩田は、忽然として、思いがけない方向から現れた。電車ではなかった。彼はのっし、のっしと歩いて、六人に近寄ってきた。太りぎみの岩田は、坂道を上ってきたので、息を弾ませていた。
 「よう、みんな来ていたのか!」
 「来ていたのかじゃないわよ。ずいぶん待たせるのね。岩田さん、何時だと思っているの?」
 三川は、一度に憤懣を爆発させて、岩田を責めた。
 「もう何時だい? ええっ、一時過ぎている? 俺は時計を持っていないんだ。こういう時には困るよ」
 彼は、太い首を縮めて言った。若者たちは、どっと笑い声をあげた。
 「心配するな。今、ちゃんと先に、偵察をしてきたところだ。今日は、大勢、来ているぞ。下足箱の履物の数を見ると、まず百五十人から、二百人というところだ」
 岩田の太い声は、いかにも力強く響いた。彼が中心者なのである。六人は緊張し、さっと硬い表情になった。
 彼らは、めざす方向へ動きだした。岩田は、ふと立ち止まって、もう一度、念を押した。
 「今日は、いよいよ彼らの息の根を止めてやる日だ。しっかりやろうぜ。昨夜打ち合わせた通りだ。わかっているな。
 ……そろって行つてはまずい。ここから、一人ひとり別々に行くんだ。知らん顔して入るんだよ。
 じゃ、俺が先に行くから。みんなバラバラになって来るんだよ」
 「わかっている。わかっている」
 皆は、口々に言いながら頷いた。
 七人は、春の日光をいっぱいに浴びながら、適当な間隔をおいて、通行人に紛れて足を運んだ。極端な衣料不足のため、彼らの服装はまちまちで、くたびれていたが、男性は、皆、髭をさっぱり剃っていた。血色のいい顔を輝かせている。女性たちは、髪をきれいにセットして、すがすがしかった。
 人びとが、三々五々に吸い込まれていく、その建物の前に来ると、岩田は、すばしこい動作で、中に入った。
 そこは、多くの信者を集めていた、新宗教の教団本部であった。
2  この教団の教祖は、仏教であろうと、キリスト教であろうと、神道であろうと、その教えのなかから、人びとに好まれそうな言葉を引用し、継ぎ合わせ、もっともらしい教義を説いていた。
 ――世間には、さまざまな宗派があるが、その説く真理は同じである。釈迦も、キリストも、その教えは、究極では一つの真理に帰する。わが教団は、その究極の真理を説いている。わが教団の信仰をすれば、各派の真髄もよくわかってくるし、また、生命の真理を知ることもでき、すべての人は必ず幸福になる。すべては心の問題である。だから、生命の真理を知るためには、教祖の著書を読めばいい。たとえ読まなくても、ポケットに入れておくだけで、不幸から脱出した人もいる……。
 およそ子どもだましの言い分である。
 だが、宗教の高低浅深を判断する基準をもたない多くの人びとは、ただ釈尊や、キリストの言葉が出てくるだけで、感心してしまうのである。
 教祖の著書や、雑誌を読めば、幸福生活は実現し、肉体も健康になるというスローガンは、人びとにとって、実に簡便で入りやすい印象を与えた。
 軽い関心から、迷える人びとは、耳を傾けていった。そして、信者になり、出版物の確実な購買者となった。教団の活動目的は、出版物購読者の拡大にあったといえよう。それが、この教団の実態であった。
 したがって、その目的遂行のためには、時流に乗る必要があった。戦時中、軍部の天下となると、軍閥から人を呼んで、教団の理事長にすえたりした。
 そして中国大陸にも、彼らを利用して、教勢拡大とともに、販売網を広げるチャンスをつかんだ。つまり、極端な国家主義思想を掲げて、戦争に協力したのである。
 この教団の教義は、まことに都合よくできていた。仏教も、キリスト教も、神道も、ゴチャ混ぜであるから、時に応じて、必要な神道の文句を引き出し、軍人たちのご機嫌を取った。多くの教団のなかで、これほど徹底して戦争に協力したところもなかった。
 終戦後は、その反動として、非難が集中したのも当然である。しばらく教勢は衰えていたが、同時に、険悪な世相は、一億の不幸な民衆を生んでいた。それらの苦悩に迷い抜いている人びとに、今度は、釈尊やキリストの、もっともらしい言葉を聞かせ始めたのである。
 人びとにとって、読書という単純で手っ取り早い修行は、確かに好都合であった。いや、むしろ、それが魅力でもあった。
 こうして一九四六年(昭和二十一年)ごろから、教団は、またも活発に活動し始めていたのである。
 戦争協力への反省はまったくなかった。
 確かに、民衆の心の機微を一応は突いたかに見える。だが、その教義は、あまりにも無責任な放言の累積といっても、過言ではなかった。あえて言えば、キリスト教に帰依させる指導なら、まだ純粋さがある。釈尊を本尊として、すべての宗教を帰一させようというのなら、まだ幾分の道理がある。しかし、それらの金言を部分的に取り入れ、我流仕立ての教義をつくり、それを本にして販売するというのは、聖賢の心を踏みにじる行為ではないか。
 また、真実の生命の法則を歪めた、継ぎはぎだらけの教義は、信じた人びとを不幸に陥れる働きをするものである。
 創価学会の座談会にも、この教団の信者が、ちらほら参加し始めていた。彼らを折伏しているうちに、教団の本部では、かなり活発な会合が開かれていることがわかった。
 学会の青年たちは、二人三人と連れ立って、教団の本部の会合に参加し、その教義が、あまりにもでたらめであることを知った。青年たちの正義感は、それを許せなかった。
 彼らは、教団の本部に行き、鋭い質問を浴びせたりした。だが、質問をはぐらかされ、さっぱり手応えらしいものはなかった。学会の青年たちは、いつか、いきり立っていた。
 岩田たち七人は、今日こそ、決着をつけてやろうと作戦を立て、意気軒昂として、教団本部の会合に臨んだのである。
 青年たちは、かなりの確信をもち始めていた。日蓮大聖人の厳正な教義を、全身の熱情を込めて説き教える戸田城聖の講義が、若い彼らにとって、宗教の真実を見極めるための、貴い光明となっていたのである。
 当時は、交通も不便であった。電車は殺人的な混雑であった。そのなかを、青年たちは、遠隔地からも、せっせと夜ごとに講義の会場に通って来た。
 皆、苦しい生活である。だが、食事を抜いても、交通費だけは、なんとか握ってきた人が多かった。戸田は、定期券を買ってあげたいと言ったくらいである。
 青年たちにとっては、それほどまでに真剣に、思い詰めて参加した講義であった。したがって、戸田の一言一言は、栄養のように、青年たちの頭脳に吸収されていった
 しかし、彼らは、初めのうちは、それを自覚していなかった。たまたま知人や友人を折伏した時、彼らの言説に、その友人や知人たちが驚き、感嘆する顔を見て、初めて自分たちの急速な生長を感ずるのであった。
 そして、その深く強い確信に満ちた理論は、実は、前夜、戸田から聞いた話で、それをそっくりそのまま話していたことに、ふと気づくのであった。
 ある友人は言った。
 「君の勉強している先生に、一度、会わせてくれたまえ。その先生から、もっと聞きたい。私は知りたいことがある。……どうだろう」
 ある知人も言った。
 「言わんとすることはわかる。話に筋が通つてはいる。だが、もう少し、穏やかに話してもいいじゃないか。あんたの先生に会ってみたいと思う……」
3  学会の青年たちは、宗教の高低浅深、学会の使命、日本の将来を救済しようとする戸田の理念を、情熱込めて語り合い、夜半に及ぶことも、しばしばであった。
 青年たちが、もっと驚いたことがある。それは、既成宗教の僧侶や幹部に、個人的に会って折伏すると、宗教に関して専門家であるべき彼らが、宗教や、その教義、哲学については、まったく理解していないということであった。
 まだ、信心してから日の浅い青年たちの一言に、ぐうの音も出なくなって、沈黙してしまう姿、あるいは、急に血相を変えて食ってかかり、居丈高な態度に一変することであった。
 既成仏教は、まさしく形骸を残すのみとなっていた。それに対し、新宗教のなかには、金儲けに狂奔する教団も少なくなかった。このような姿を、大聖人の御聖訓に照らしていくなかで、青年たちは、ますます自信を深めていった。
 釈尊も予言している。
 ″末法に入れば、世も乱れ、僧侶は、猟師が獲物を狙う如く、また猫がそっと餌を狙う如くに、信者のご機嫌を取ることのみを考え、人びとを利用し、ただ自分の生活に貪欲になっていくであろう″(御書二二五ページ、趣意)と。
 ″その通りだ″
 青年たちは、折伏をしてみて、教団指導者の実態が仏説通りであると、つくづくわかってきたのである。
 青年たちの語ったことは、戸田の講義のなかの、ほんの一端にすぎない。しかし、そこには、末法の仏法の真髄が凝縮されていた。彼らは、いつか、いかなる宗教と論じ合っても、絶対に敗れるものではないという、強い自信をもった。
 既成宗教であれ、新宗教であれ、宗教といえば、すぐに迷信同様のものとみなす人がいる。確かに、迷信じみた教えを説く教団が、数多く存在することは事実である。しかし、宗教のすべてが、不合理で迷信的な教義を説いていると考えるのは、あまりにも無認識な評価といわなければならない。世界宗教といわれるものは、普遍的な理念をもち、人類の未来を照らそうとする崇高な理想を説き、そして、それを実現するための使命感を訴えている。
 十把一絡げに、″宗教は迷信である″と人びとに思わせた責任は、もつぱら迷信的な″ご利益信心″″崇り信仰″などを宣伝した、新宗教の教祖などの宗教屋にある。さらに、戦後、社会に大きな影響を与えていった社会主義的思想のリーダーたちが、宗教を非科学的なものとして否定したことも、人びとに誤った宗教観を植え付けていく結果になった。
 また、あえて言えば、数多くの教団が説く教義の高低浅深を、厳正に判別する基準をもたず、まやかしの教えに、安易に飛びついていった民衆の側にも、問題があったといえよう。
 日本には、約十八万の宗教法人があるという。宗教法人として、届けられていない宗教団体の数を加えれば、幾十万になるであろうか。宗教の戦国時代ともいえる。ある外国人の記者は、あきれたように言った。
 「全く驚いた国だ。日本は、宗教のデパートだ」
4  この日の教団本部の会合は、二百人を超える集まりであった。
 会場では、体験談であろうか、一人の婦人が、早口で喋っていた。
 「……教祖先生のお話を持聴したのは、つい二十日ほど前のことです。二十日前の私と、今日の私と、どんなに変わってしまったか、ご覧の通りでございます。二十日前の私は、カリエスの重病人で、やっと、ここへ連れられて来たのですが、先生のお話のなかで、病気は、心のもちょうが悪いからなるのだ。その心が変われば、病気も治ると伺いました」
 婦人の顔色は悪かった。彼女は、ここで、ちょっと声を細めた。
 「初め、私は信じられませんでしたが、家に帰って、苦しい状態のなかで考えました。心のもちょうが悪いから、病気になったのだとすると、私の心の、どこが悪かったのだろうか。私は、自分の心を責めました。すると、はっと思い当たったのでございます。
 半年前のことです。あんまり生活が苦しく、家中で私だけが苦労していたものですから、家族の者がうらめしく、いっそ病気になった方が、私は、ずっと楽だ、などと考え始めました。病気になれば動けなくなる。そうすれば、楽だろう……。しばらくすると、本当に病気になって、医者は脊惟カリエスという診断をしました。
 そこで、教祖先生のお話を伺い、自分の不心得だった心を思い出したのです。これが病気になった原因だったのか。なんと私は罰当たりだったのであろう。
 そして、その夜は枕を濡らしました。私は心で、家族の者に謝り、自分の愚かさを責めて夜を明かました。すると、どうでしょう。翌日から、気分はカラリと晴れて、春の野原で、草でも摘んでいるような気持ちになりました。日一日と、めっきり回復して、今では病気だったことが、嘘のように思えてなりません……」
 婦人の話は、二十分ほどであった。
 七人の青年男女は、分散して、素知らぬ顔で、会員のなかに座っていた。
 さも熱心そうに、演壇に顔を向けている者もいる。うつむいて、耳を研ぎ澄ましている者もいる。耽々として、一隅で目を光らせている者もいた。
 前方近くに座を占めた三川英子は、体験を語る婦人の顔を、しげしげと眺めていた。青白い、血の気のない、蝋のような、明らかに病人の顔色である。
 次に、人生に疲れたような中年の男性が立った。その複雑な生い立ちから、過去の経歴を、長々と話し始めた。体験というより、告白に近かった。
 人びとは、他人の秘密の告白を好む性癖がある。それが不幸であればあるほど、興味を感じるものだ。長ったらしい話に、場内の人びとは、おとなしく聞き入っていた。多分、それは彼らの好奇心の仕業であったろう。
 その中年の男性は、最後に付け足しのように、信仰体験を短く語った。
 「……こうして、二度までも刑務所の門をくぐった私が、ジヤン・バルジヤンのように、今日、蘇生の道を、どうして闊歩していけるかと申しますと、それは教団の一冊の雑誌に、出合ったからであります。
 教祖先生の言葉は、私に、いまわしい過去を忘れさせました。私もまた、神の子であるとの自覚によみがえったのであります……」
 七人の青年男女は、うんざりしてきた。
 短気な岩田は、酒田の方に、しきりと目をやっている。だが酒田は、それに気づかない様子であった。
 滝本欣也は、後ろの方で、もじもじしながら、メガネを外したり、かけたりして、ハンカチで磨いていた。それは、周囲の人たちには、感動の涙を拭いているように見えた。年少の吉川は、ニヤッと笑ている。
 さらに体験談は、復員姿の青年の番になった。既に時間は、一時間余りも経過している。
 彼ら七人は、最後に教祖が登壇するまで、我慢強く待つことを腹に決めていた。それは、今日の作戦である。途中の信者を相手にしても、埒が明かない。
 やがて、激しい拍手が湧いた。すると、教祖が、演壇に立った。
 彼は、場内をぐるっと見渡しながら、おもむろに口を聞いた。青年たちには、一種の妖気のようなものが、その身辺には漂っているように感じられた。彼は、長々と体験談を褒めあげ、それから巧みな話術で続けた。
 「……毎日、一時間ずつ真理の光で、自分の心を照らす――それには、どうしたらよいかというと、生命の真理について書いた、私の著書を読むのが、いちばんよいのであります」
 彼は、自分の著書を、まず褒めた。販売拡張策である。そして、学会の青年が参加しているのも知らず、のんきそうに話を続けた。
 「本当のことを申しますと、この本が病気を治すのではありません。神の子たる人間に、病気は本来ないのですから、治すも治さぬもない。実は、本来、治っているのであります。
 ところが、病気という現象が現れるのは、その人の″心″つまり信念に間違ったところがある――その間違った信念が、肉体に影として現れ、病的状態となるのです。
 今、仮に喀血したとする。肉体という物質に穴が開いたわけです。咳や、痰が出たり、発熱して苦しいと言いますが、肉体が物質であれば、肉体が苦痛を感ずるはずはないじゃありませんか。
 物質には、苦痛を感ずる性能がない。それなのに、肉体が苦しいと感ずる。それこそ、肉体が単なる物質ではなくて、″心の影″つまり観念的存在である証拠であります。心が苦しいと感じていればこそ、その心の現れる肉体が、苦しいと感ずるのである。したがって、苦しみは心にあって、物質にあるわけはないのであります」
5  ″ふざけるな。冗談も休み休み言え!″と、岩田重一は憤然としてつぶやいた。
 教祖は、最後に大般若経の一節を引き、大乗仏教の説くところと、教団の説くところも、古今の真理は同じであると言って、聴衆を煙にまいた。
 岩田は、この時、辺りを見回した。すがりつくような、幾つもの顔があった。岩田には、それが実に哀れに思えた。
 彼は、″よし″と心に叫ぶと、手をあげて、大きな声で言った。
 「質問があるのですが」
 壇上に並んだ幹部は、一斉に岩田の方を向いた。そして、一人の幹部が、慌てて前へ進んで来て言った。
 「まぁ、待ってください。教祖先生のご都合もありますから……」
 その小柄な幹部は、教祖の傍らに寄り、腰をかがめながら、何かささやいていたが、大きく頷くと、また演壇の前に出て、揉み手をしながら言った。
 「今日は、先生は、特別に、皆さんの質問に、答えてくださることになりました。ありがたいことでございます。皆さんの真剣な心が、先生に通じたのでありましょう。ただし、先生もお忙しい体ですので、三十分だけ、お許しをいただきました。さぁ、どなたでも……」
 四、五人の手があがった。司会者は、岩田を無視している。いちばん後ろの方で、「はいっ」と甲高い声をたてた者を指名した。
 「私は、神について、伺いたいと思います」
 歯切れのいい口調は、まさしく滝本の声である。手をあげていた岩田は、それを耳にして、ニヤリと笑った。
 ″やれやれ、滝本に先を越されたか。滝本のやつ、なかなか、すばしっこいな″
 岩田は、耳を澄ました。
 「先ほど、神のことを言われましたが、それがさっぱりわからんのです。どんな神ですか。具体的に説明してください」
 質問は、いきなり問題の中心点を突いた。
 教祖は、軽く頷いて、さも余裕のあるような態度を示しながら、口を開いた。
 「これは信仰の根本問題です。われわれが神の子であるというのは、われわれの中に、一つの絶対の神を宿しているからですが、日本には『八百万の神』などと、たくさんの神があります。そこで、神は一神か、多神かという問題になりますが、元は一つで、ただその現れ方が違うだけであります。
 われわれが『神』と言っている言葉の意味を分けると、三種類になります。
 第一は『創造神』のことで、事物を生み出す愛の働きで、実に霊妙なる『創造の原理神』が第一義の神であります。
 第二の神は、一つの発光身をいうのであって、キリスト教では『創世記』に『神、光あれといい給いければ、すなわち光あり』とあるのがこれであります。仏教の観世音菩薩なども、機に応じて、いろいろの姿に顕現する如来であります。唯一根元神から投げかけられた『救いの霊波』が、形体化して顕現したものです。私どもが言うところの神も、この霊波が形体化して顕現したものであります。
 第三の神は、肉眼では見えないが、本体がないのではなく、幽かに身を備えている種類の千差万別の神々で、低いものは、まだ悟りも開かない人間の亡霊とか、動物霊なども含まれるのであって……」
 彼は、得意然として、しゃべりまくっていた。まったく、わかるようでわからない我流の話である。
6  その時、突然、滝本はそれをさえぎった。
 「わかりました。私は、神だけわかればいいのです。先ほどからの、先生のお話の通りだとすると、先生が書かれた本のなかに、教団の神があるということになりますが、そう理解してよいのですか?」
 「そうとっても結構です。要するに、私の本は、霊波を運ぶ役目をしているわけです。われわれの『生命』が、神の子であるという真理を知れば、それで苦しみを救う力が、必ず出るのです」
 彼は、もっともらしい口調で言った。
 滝本は、それにかぶせるように早口になった。
 「それでは、仮にですよ、その本のなかに、間違ったことが書いであったら、その神は間違った神ということになりますね」
 「そりゃそうだよ……」
 彼は反射的に、こう答えてしまったのである。だが、一瞬、ドキリとした表情を隠すことができなかった。そして、怪訝な顔つきで、滝本の方をじっと見た。
 「天照大神というのは、どういう神ですか! さっきのお話ですと、『宇宙』の神のようですが、日本の神ではありませんか! つまり、アメリカの神でも、中国の神でもない。日本民族の神と思っているのですが、この点を説明してください」
 滝本は、論点を変えて冷静に迫った。それにひきかえ、教祖の話は、全く支離滅裂になった。
 「そりゃ、日本の神ではありますが、日本から宇宙へと遍照し、一切のものを育てる神ですよ」
 「では、まず第一に、日本民族を守る神ですね」
 「そうですよ」
 「ところが、今度の戦争では、天照大神は、日本の民族を守ることができなかった。この事実は、どういうことですか」
 滝本の追及は、ようやく激しくなってきた。さらに彼は、一問ごとに演壇の方へ、前へ前へと進み出ていった。これを見て、岩田も、酒田も、それぞれの位置から、何げない様子で、前へ出て行ったのである。
 聴衆のある人は、教祖の口が開くのを真剣に待っている。ある人は、滝本の方を振り返りながら見ていた。
 無言の時間が続いていった。教祖は、思いをめぐらしているらしい。
 滝本は、ことぞとばかり、舌鋒鋭く迫った。
 「どうなんです。日本民族を守る義務のある天照大神が、どうして、守ることができなかったんでしょう? 真の天照大神が、いなかった証拠ではありませんか」
 「義務? 私は、神に義務がある、などと思いませんよ」
 「では、役目でもいい。あなたの話では、宇宙をくまなく育てる神が、どうして、その役目を果たさなかったんです」
 質問というより、詰問になってきていた。滝本が義務と言ったのは、戸田城聖の法華経の講義で、聞いたばかりであったからだ。
 諸天善神は、法華経の会座で、正法を護持する者を必ず守りますという誓いを立てている。だから、諸天善神は、正法を護持する者を絶対に守る義務がある。
 彼は、知らず知らずに、それを思い出していたのである。
 「それは、つまり……」
 教祖は、こう言ったきり、言葉を続けることができなかった。会場には、一種の動揺が感じられた。
 滝本は、畳み込んで言った。
 「役目の果たせない神なんて、失業した神ですね。だいたい、勝ったアメリカ人のキリスト教の神と、負けた日本の天照大神と、この教団の神とは、兵隊の位でいうと、どういうことになるのでしょうか?」
 どっと、笑い声があがった。兵隊の位という文句が、気に入ったらしい。軍配は明らかに、滝本に上がったと思われた。
 教祖一人だけは、笑えなかった。彼は、青ざめた顔色をしていた。そして、演壇の机の角に手をつき、視線を滝本に向けながら言った。
 「あなたの質問の要旨は、教団の神が、どういうものか、それを知りたいということだったのですね」
 「その通りです」
 「それなら、いちばん直接的な、確実な方法がある。説明でわかるものではない。私どもが行っている修行をすることです。ご存じですか」
 「知りません」
 教祖は老獪であった。巧みに滝本の追及をかわした。
 「そうでしょう。これをやってごらんなさい。あとで幹部の者に、よく教わってください。今日は、お帰りください。あなたは面白い人だ。また、お目にかかりましょう。……次に、質問のある方は?」
7  質問を打ち切られた滝本は、″しまった″と思った。そして、抗議しようとしたが、司会者は、既に次の人を指名していた。それは、手をあげている数人のなかの岩田であった。前の方に座っている太つた彼を、自然に指名してしまったようだつた。滝本は、バトンタッチができたと、ほっと息をついた。
 「さっきのお話のなかで、病気は、心が間違っているから起こるということですが、私のように、健康でピンピンしている者は、心が真っすぐで、非常に神に近い状態にあると思っていいわけですか?」
 「その通りです。肉体は、あくまでも心の影にすぎませんからね」
 彼は、やや、そり身になって答えた。
 岩田は、鋭く彼を見すえていた。その目には、怒気が含まれていた。
 「では、お尋ねしますが、肉体は至極健康でも、貧乏のことや、家庭のことで、非常に悩み苦しんで、自殺さえ考えている人が大勢います。
 これは、どういうわけですか。心の影だという肉体は、ピンピンしているのに、心という本体の方は、めちゃくちゃに苦しんでいる。影は、なんでもないのに、本体の心は苦しんでいる。あなたは、おかしいと思いませんか」
 相手は、「あなたは」と言われて、むっとした顔つきになった。「別に、おかしいと思いませんね。貧之というのは、自分が神の子であり、われわれも絶対の神を宿しているのだということに、気づかないから苦しんでいるのです。これを悟れば、無限の神の泉に触れて、無尽蔵の供給を受けることができる。元来、人間は貧之であるはずがない。ただ、心の器が小さくて、ケチケチ考えているから、なかなか、この真理が悟れないのです」
 「ちょっと待ってください」
 岩田は、話の焦点がそれるのを警戒して言った。
 「私が聞きたいのは――あなたが主張する、影との問題です。物質は、すべて影であり、非存在の世界であって、心が本体で、これが真実に存在する世界であるということが、どう考えても、おかしいと思うのです。それで、一例として、肉体と心の問題を出したわけですが、話は貧之にいってしまった、いったい、あなたは科学というものを、どう考えているのですか」
 岩田は、自分の心に、基準となる一つの強い信念をもっていた。それに基づいて、明確な論理の展開を、悠々としていくことができる。論点のすり替えには乗らなかった。
 教祖の話は、岩田が指摘したことに引き戻された。
 「科学、サイエンスといったところで、物質の世界の学問でしょう。物質が心の影である以上、どんなに実在の世界に見えようとも、本質的には、心の世界ですよ。心の世界から見るならば、本当は非存在の世界です。
 現代の人たちは、これがわからない。科学万能でいこうとするから、ますます迷いが深くなってしまう。心の世界、神の世界から、ますます遠く離れていくから、救いようがない。現代の不幸の根本は、ここにあるといってもよい。あなたなども用心した方がよいですな」
 教祖は、にわかに挑戦的になってきた。冷笑さえ浮かべている。
 岩田は、時の来たことを感じ取った。彼は、さらに前に進み、演台の真正面、一メートルのところまで、にじり寄った。
 「まさかあなたは、科学的真理、つまり物質の世界の法則を否定するわけではないでしょうね」
 「否定する、しないではない。私は、科学をあんまり買いかぶるなと忠告しているだけです」
 「たとえば、万有引力という、誰でも知っている科学的真理がある。これは影の世界の真理なんですか? それとも、実在する真理なんですか? どっちです?」
 「君もしつこいな。物質世界は、心の影の世界だから、本来、無いのです。無いものはない。物質の世界を、存在している世界だと思っている君などには、物質の世界を去った時、初めて心の世界というものに入ることができると、説明するより道はない。釈迦の弟子の優秀な人たちも、この物質の世界にとらわれていた……」
 岩田は、彼の話をさえぎった。そして、太い声を張り上げて言った。
 「人間が、物質の世界を去れますか! 私が、この肉体から去れますか。あなただって、そんな芸当ができるわけがない。あなたの言っていることは、デタラメの観念にすぎない。こんな非科学的な低級な話を、誰が信用できますか!」
 岩田は、そう言いながら、くるっと後ろ向きになった。そして、静かにポケットからマッチを取り出すと、それを聴衆に見せて言った。
 「この私の体が、心の影でしょうか。皆さん、このマッチという物体が、いったい影で、非存在のものでしょうか?」
 彼は、道理は近くにあるものだということを、はっきりと示したのであった。八万法蔵といわれる釈尊の教えも、その究極は、現実の生命の因果、道理を説き明かしたものだ。岩田は、もっともらしい教祖の話も、身近な道理に照らしてみれば、現実から遊離した、たわいない観念論にすぎないことを、見事に証明してみせたのである。
 聴衆は、ただ、呆気にとられていた。二、三人の幹部らしい男たちが、岩田の背後に迫ってきた。彼らは、額に青筋を立て、息が荒くなっている。
 場内は、険悪な空気をはらんできた。
8  その時、聴衆のなかから発言した者がいた。
 「教祖先生、こういうわからずやを、どうか納得させ、導いてやってください。こんこんと教えてやってください。お願いします。私たちも聞いていて、大変、勉強になります」
 酒田義一であった。岩田は、″しめた″と思った。作戦通りであったからである。この一言が、聴衆を味方にした。それは、教祖に止めを刺す一撃でもあった。
 岩田は、無言で立っていた。その目は、鋭く、教祖を見ている。
 教祖は、その岩田をじっと見返していたが、意外に穏やかな口調で話しだした。
 「君は唯物論者ですね」
 「違います。心の存在も否定しないし、物質の存在も否定しません」
 「わが教団は、唯心史観に立っているのです」
 岩田は、とぼけてみせた。
 「ユイシンって、なんですか?」
 「唯物の反対、唯心史観です。物質はない。ただ、『ある』という観念の波が、そこにあるだけで、その観念の波を知覚する五官が、それを物質という姿に翻訳してくれているだけです。
 本体は心なのです。物質はその影です。これが生命の真理です。実相なのです。こうわかれば、すべての存在が、はっきりとしてくる。すべてを知りたもう神の知恵が、自分に宿って、人間は何をしても、自由自在の境涯に出られるのです」
 幼稚極まりない話だと岩田は思った。彼は、戸田城聖の指導を思い出していた。
 「科学は、二十世紀に入って、驚異的な進歩を遂げている。誰人も予想しなかったほどの、急展開をみせた。これに反し、命の問題、心の問題、すなわち思想や宗教の解明と深化は、なんとはかなく、幼稚なことか……」
 教祖は、腕時計をチラチラ見ながら話している。岩田は、時間切れが口実になることを恐れ、再び彼の話をさえぎった。
 「あなたの話は、ますますおかしい。私の質問に、答えてください。
 今、『実相』と言われたが、実相が、はっきりわかるというのは、あるがままに、現実を如実に知見することではないですか。
 私も、あなたも、この建物も、現実に存在しているじゃないですか。心がどうであろうと、事実、存在しているじゃないですか。それが、心の影の世界だなんて、どう考えても、おかしい。
 あなたは、夢でも見ているんではありませんか。夢の戯言に、人を救う力などあるはずがない。かえって、人を迷わすだけだ。あなたは宗教上からいって、極悪人だ。
 私の最後の質問です。あなたは、こんな道理に合わないことを、人に説くのをやめますか。それともやめませんか?」
 気迫に満ちた岩田の追及である。場内は、しんと静まり返っていた。すべての視線が、岩田と教祖に集まっていた。
 教祖は、時計をチラッと見た。幹部の一人が、進み出て言った。
 「先生、時間が過ぎました」
 教祖は、軽く頷くと、語気荒く、岩田に言った。
 「君になど、指図される私ではない。説く、説かぬは、私の自在の心だ。
 皆さん、今日はこれで閉会します。ほかに、ぜひとも行かねばならないところがあって、そこに大勢の信者さんが待っているのです。ご免ください」
 彼は一札すると、演壇の背後の出口へ向かっていった。岩田は、それを追うように、大声で怒鳴った。
 「待て、待ちなさい。心が自在なら、心だけ行って、影の体はここに残していったらどうだ。……なんだ、影も一緒に行っちゃうのか! インチキだぞ!」
 だが、その声を背に、教祖は逃げるように消えた。
 三人の幹部が、岩田のところに飛んできた。そして、腕を押さえようとした。
 「暴言は許さんぞ」
 三人の男は、興奮に駆られている。彼らは、岩田につかみかかろうとした。
 しかし、その外側を、滝本や、酒田や、吉川などが、さっと取り囲んだ。素早い動作である。三人の男は、手出しもできずに、岩田と対峠していた。
9  「暴力はいかん。言論の自由じゃないか」
 吉川雄助の叫びである。すると、聴衆のなかからも声があがった。
 「そうだ。言論の自由だ」
 「話し合え。ゆっくり話し合うことだ」
 「喧嘩などしたら、教団の名誉にかかわるぞ」
 数人の人たちが、立ち上がって寄ってきた。
 「しゃべらせろ。話を聞くべきだよ」
 人びとは、野次馬的興味をもったらしい。岩田の話に、何か魅力を感じ取ったのだろうか。聴衆のなかから、再び強く叫ぶ人があった。
 「言い分があるのだろう。しゃべらせたらいいじゃないか」
 「言論の世界だ。お互いに、言い分は聞くべきだ」
 会場の世論というものがある。敗戦後、「言論の自由」という言葉は、久しい言論弾圧への反動から、当時、最も神聖視され、かなりの威力をもつ言葉の一つであった。三人の幹部が立ちすくんだのも、このためである。
 岩田たちは、しばらくの問、場内の世論が形成されるのを待っていればよかった。
 司会をした小柄な幹部は、遂に昂然と言った。
 「君の発言を許そう。言い分があるのだったら、言いたまえ。ただし発言時間は、十分間としよう」
 岩田は、怒ったような顔つきで、無言のまま、演壇にのしのしと上がった。彼は、軽く一礼すると、太い声で言った。
 「私たちは、日蓮大聖人の教えを信奉する創価学会の青年部の者です!」
 場内には、なんの動揺らしいものもなかった。
 創価学会という名を、会場の誰も、耳にしたことがなかったためである。今日では、想像もできないことであるが、一九四七年(昭和二十二年)のこのころは、創価学会の名が、世人の関心を引くには、まだ程遠かった。
 「なんだ、日蓮宗の一派らしいぞ」
 こんなささやきが、人びとの聞に起きた程度であった。
 教団の幹部は、創価学会という名前は、知っていたようである。だが、詳しいことは、何も知らなかった。自分たちの教団より、弱小な宗教団体くらいに思い、高をくくっていたのである。創価学会の名が、彼らの心胆を寒からしめたのは、実に、この時が最初であった。
 教団の幹部は、狼狽した。″論戦″の推移を見た学会の青年たちは、岩田を中心にして、その両脇に一列に並んだ。
 計七人の青年男女の姿を見て、人びとは固唾をのんで、耳をそばだてた。場内は一瞬、しんと静まり返った。
 岩田は、自分でも不思議なほど落ち着いていた。彼は、真面目な表情で話し始めた。
 「私どもが信ずる教えは、日蓮大聖人以来、七百年間、微塵も変わらない、最も清浄にして正しい仏法であります。
 釈尊が法華経において予言した通り、日蓮大聖人は、七百年前に、わが日本に御出現になりました。そして、末法という全く大変な時代に入り、不幸な民衆のために、仏教の真髄を、お説きになったのです。
 われわれ創価学会は、この大聖人のお教えを寸分たがわず実践して、今日の、どん底にある不幸な日本の民衆を救い、広くは、全人類を幸福にしていこうという決意に燃えて、宗教活動、哲学思想の普及活動を始めた団体であります」
 聴衆は、静かに聞いている。反撃もなかった。彼は、安心して続けていった。
 「歴史上の詳しい説明は略しますが、既成の日蓮宗、あるいは新興の日蓮宗系教団と、一緒にされては困ります。皆さんは、宗教に高低浅深があるという厳しい現実を、おそらくご存じないでしょう」
 彼は、ここまで一気にしゃべった。彼は話しながら、思ったより上手に話せたことに驚いた。驚きは自信に変わった。場内は、水を打ったように静かである。
 ″ここにいる人たちは、皆、何かを求め、幸福になろうとしているのだ。利害得失で動く教団の幹部は別にして、聴衆は、皆、あまりにも純真である。だます連中の罪は重いが、それにしても、なぜ人びとは、こんな宗教に走っていくのだろうか……″
 岩田は、一瞬、そんな思いに沈んだが、さらに一段と力を込めて語った。
 「先ほど教祖の方と、教団の教義について議論しましたが、われわれは開いた口がふさがりません。釈尊やキリストの教えの一端を借りてきて、教義らしきものを仕立て、しかもそれを、究極の真理だなどと説く。教祖自ら、仏であり、神であるとでも、うぬぼれているのでありましょうか。
 仏説に従わず根拠のないことを説く者は、『是れ魔の眷属なり』と、涅槃経という経典で断じられております。
 してみれば、皆さんは、恐ろしいことに、知らないうちに、魔の弟子となっているのであります。仏の反対を魔といいます。魔とは、うまいことを言って、人びとをたぶらかす者のことです」
 岩田は、さらに明確に語り続けていった。
 「厳しい因果の理法に立脚した、無始無終の三世にわたる永遠の生命の法理を、ことごとく無視して、貧乏も病気も、心にそう思うからなるとか、心に健康を描けば治るとか、神の無限無尽を心に思えば、貧乏は解決するとか――こんなことを説くなんて、いいかげん極まりない教団ではありませんか!」
 教団の幹部たちは、慌てだしてきた。それまで無言でいたが、今、気がついたように、互いにささやき始めたのである。
 幹部の一人が、司会者の方に走っていった。
 司会者はすかさず、かすれた声で叫んだ。
 「時間です。もう十分たちました」
10  その時、滝本は刺すように言った。
 「まだ八分だ。嘘言うな!」
 時計を丹念に見ていたのである。一喝にあって、司会者は引っ込んだ。
 滝本は、すかさず聴衆に向かって言った。
 「ただ今、せっかくの話の途中、邪魔が入りました。水を差されてはかないません。時間延長も、やむを得ないと思いますので、皆さんのご了承を、あらかじめお願いしておきたいと思うのであります」
 彼の言葉に、あちこちで拍手さえ起きてきた。会場の主導権は、いつか彼ら青年たちに移っていた。岩田は、再び語り始めた。
 「教祖は、物質は心の影だ。心だけが本体で、存在するものであり、物質は、実は存在しない――これが生命の真理だという。さも深遠な宗教であるかのごとく装い、多くの人びとを惑わしている。言語道断の限りであります。
 誤った教えを信じて生きていけば、人びとは不幸になります。何千、何万、何十万という人たちを、不幸な地獄の境涯に落としていくことを、断じて見す過ごすわけにはいきません。
 日蓮大聖人は、一切の不幸の根源が、誤った宗教にあるということを、繰り返し、お教えくださっております。そして、あらゆる文献上の証拠によって、また理論的に考究された証拠によって、さらに現実の実際の証拠によって、動かすことのできない大哲理を、私たちに、お残しになりました。
 心と物質のことも、大聖人は、『色心不二なるを一極と云う』と、はっきりとお教えになっております。心と物とは、決して二つの別々のものではない。極まるところ一つである、との大生命哲学を、既に七百年前に立派に樹立されております。
 唯物思想にせよ、唯心思想にせよ、真に人類を救済できる思想でないことは、もはや、今日、心ある者の常識となっております。しかし、それに代わる哲学を知らない。今、いかなる思想が、この乱世を救済する力がありましょうか。確信に燃えて、あると言い切れるものは、どこにもありません。
 ただ一つ、日蓮大聖人の大生命哲学こそ、あらゆる思想をリードし、世界幾十億の民衆を、根底から幸福にしきっていく力のある思想であり、生きた宗教なのであります」
 なかなかの熱弁である。彼自身、とどまるところを知らなかった。会場の人びとは、魅せられたように耳を澄ましていたが、″ちょっと話が大きいな″という顔をしていた。
 岩田は、町工場に働く工員である。尋常小学校を出ただけである。それが、堂々と、長時間にわたって雄弁を振るっている。壇上の仲間の青年も、ほとほと感心していた。彼らは、″岩田さんも大したものだ″と思いながら、汗びっしょりになって輝いている岩田の顔を、チラチラと見ていた。会場の主導権は、完全に岩田の掌中にあった。
 岩田は、太い声を一段と響かせた。
 「私たちは、皆さんが正しい宗教を知らず、誤つた教えに迷い、生命力を失い、不幸になっていくのを、黙って見ているわけにはいきません。
 皆さんのなかで、本当に救われたと、心の底から思っている方、また将来、この教団の教えによっで、必ず救われると確信をもっている方がおりましたら、恐縮ですが、ちょっと手をあげていただきたいと思います」
 大胆な言動である。緊迫した空気が流れた。
 場内のあちこちで、数人が手をあげかけたが、周囲のほとんどの人があげていないことを見てとると、すぐ手を引っ込めてしまった。だいいち教団幹部は誰一人として、手をあげなかったのである。
 「はい、わかりました。ありがとう。この姿が、何よりの証明と言い切れます。
 日蓮大聖人は、一切の不幸の根本原因は、誤った宗教にあると言い切り、同時に、今度は逆に、どんな不幸な人たちにも、絶対に幸せになる唯一の正しい宗教を残されたのであります。
 そして、その信仰の根本として、『日蓮がたましひすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ』と仰せになって、私たち、末法の民衆のために、御本尊をお残しくださいました。
 『この本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として減せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり』と言われているように、正しい信心によっで、間違いなく、真実の幸福の人生を驀進することが、できるのであります。
 私たちは、人びとの幸福の源泉たる、そして世界平和の光明ともいうべき、この御本尊が実在することを、皆さんに心からお知らせしたかったのです。
 なお日蓮大聖人は、既に七百年前、末法万年の警世の書である『立正安国論』に、結論として、こうおっしゃっております。
 『汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ』と。
 この御金言によるならば、皆さんは、一日も早く、誤れる宗教、信仰をやめ、『実乗の一善』すなわち大聖人の仏法に帰依すべきであります。大事な一生を後悔して送ることのないように、私は訴えているのであります」
 岩田は、ここで西神田の本部の住所を教えて、話を結んだのであった。
 「以上をもって、私の話を終わります。ご清聴を深く感謝します」
11  彼は、丁寧に一札した。あとの六人の青年たちも、そろって礼をした。
 聴衆は、このあと、教団の幹部の反撃があるものと期待して、演壇の一隅にいる幹部連に、視線を注いでいた。息詰まるような静けさが場内を圧した。
 青年たちは、そのなかを平然と歩んで、戸口へ向かった。
 場内は、にわかに騒然となっていた。甲高い遠吠えのような声を聞きながら、彼らは本部を出たのである。
 太陽は、かなり西に回っていた。金色の輝きが目を射た。まぶしいほどである。
 みんな無言であったが、意気軒昂としていた。申し合わせたように、彼らは坂の斜面の大木の枝を振り仰いだ。どの顔も、歓びに輝いている。崇高な使命を帯びて、勇ましく戦ったという思いにあふれた、自負の歓びであった。
 吉川雄助が、口を切った。
 「痛快だった。痛快だった!」
 みんな、どっと笑った。
 勝鬨にも似た爽快な笑い声が、春の空に響くかのようだつた。
 今、彼らは、勝ち誇った親しい戦友のようでもあった。彼らは、陶酔したように、口々に、この予想以上の戦果を振り返り、興奮して語り合った。だが、それも、実は戸田城聖から厳しく訓育された、教学の力によるものであることには、気づいていなかった。
 戸田の、これら青年に対する短期間の訓育が、こうまで威力を発揮するものとは、誰にも考えられないことであった。
 戸田城聖の秘められた指導力が、どれほど優れて偉大であったか、その一端を知ることができる。
 この日の青年たちの行動は、誰人の強制によるものでもなかった。誰に示唆されて行ったのでもない。
 ただ、戸田のもとで、宗教について学ぶなかで、その力は、見る見る急速に進歩していったのである。そして、自らの力を発揮する場を、彼らは求めていたのだ。
 彼らは、破邪顕正の思いから、道場破りの他流試合にも似た行動に、自らを駆り立てていったのである。
 青年たちは協議し、自主的に計画を立て、作戦を練り、急速に勢力を拡大していた教団に矛先を向けたのである。彼らは、極めて平凡な青年であったが、戸田城聖の訓育によって、いつしか宗教批判の鋭い眼と情熱をもつ青年に育っていたのである。
 岩田重一は、今は腕のいい旋盤工だが、もとは手のつけられない不良青年であった。酒田義一は、町工場の息子であり、戸田と共に那須方面へ地方指導に行った、酒田たけの長男である。滝本欣也も、最近入会したばかりの工員であり、吉川雄助は、郵便局員であった。松村鉄之は、下町の製麺店の息子であった。三川英子も、今松京子も、出版社の事務員であり、明るい平凡な女性にすぎなかった。
 戸田は、人間の力に大差がないことを知っていた。非凡であれ、平凡であれ、能力の多少の違いはあっても、その差は本質的なものではない。指導と訓練によっては、誰もがもつ才能と力を、十分に発揮できると考えていたのである。事実、戸田のもとに集まる青年は、短期間に見違えるばかりの成長を遂げていった。
12  彼ら青年は、翌日夜、法華経講義にそろって出席した。昨日の法論の模様は、既に人びとに伝わっていた。講義の前から、彼らを見る人びとの視線は温かく、羨望さえ交じっていた。彼らを、あたかも英雄のように見ていたのである。
 講義終了後、一同は皆の前で、昨日の報告をした。まず、岩田が前に出た。共に戦った青年たちも、前の方に行き、皆に顔を見せていた。そして、彼は作戦の立案から、それがどのように実践され、多数の集会のなかで、戦いをどのように展開したかを、詳細に語った。身ぶり手ぶりも、鮮やかである。時には爆笑が湧き、そして、皆は賞讃の拍手を送った。
 ″やったな。よくやった!″
 彼らにとって、幾つもの先輩の顔が、そう笑いかけているように思われた。岩田は、いい調子になって、昂然として言った。
 「私たち青年部は、折伏戦の最前線で、今後も戦うことを誓います。正法の前には、三類の強敵といえども、なんの障りとなりましょうか。ただ今の報告を聞いてくだされば、よくわかると思います。まさに″向かうところ敵なし″であります。なにとぞ、さらにご鞭達を、お願いするものであります」
 沸き返るような拍手となった。彼は、それを浴びながら、英雄、豪傑のような姿で座った。事実、一座の人びとは、青年たちを褒めあげる気持ちをもち、その表情であった。
 ただ一人、戸田城聖だけは、険しい表情になっていた。最初は、にこやかに聞いていた彼も、しばらくすると、にわかに顔を曇らせた。最後には眉をひそめて、悲しげな表情になっていった。それを誰一人、気づかなかった。
 戸田は、急に厳しい顔を上げた。そして、すかさず激怒した口調で叫んだ。
 「昨日、一緒に参加した者は、立ちたまえ!」
 何事か、と彼らは、怪訝な顔つきで立ち上がった。
 「一方的に押しかけて行って議論をふっかけ、教祖が太万打ちできなくなったぐらいで、いい気になるような者を、私は育てた覚えはない。慢心もはなはだしい。それが私は悲しいのだ。
 君たちの根性は、本当の私の指導とは違う。いったい、誰の弟子なのか。岩田、言ってみたまえ」
 岩田は面食らった。無言である。居並ぶ多数の幹部たちも、何が戸田の怒りを招いたのか、不可解な表情であった。
 「誰の弟子だか、言えないのか。……君たちは、戸田の弟子ではない」
 一喝にあった彼らは、理解できずに戸惑っていた。身震いするような思いであった。
13  「日蓮大聖人の仏教の真髄を、ひとかけらでも身につければ、いかなる教団の教義も、問題ではないのだ。勝負は、初めから決まっている。それを、いかにも自分たちの力でやったように、手柄顔をする者がどこにいる。
 道場破りの根性はいかん。英雄気取りはよせ。暴言を慎み、相手からも、心から立派だと言われる人になれ」
 戸田は、理事たちの方を見渡して言った。
 「……原山君、小西君、清原君、どうだろう? 私の気持ちが、わかるだろう」
 理事たちは、少々頷き、あとは黙っているしかなかった。彼らも、一応、青年たちのいい調子に合わせていたからです。
 戸田は激昂を静めて、また話を続けた。
 「いいか、もう一度、言っておく。一教団の首脳を、少しばかりやり込めたからといって、こうものぼせ上がり、たちまち騒慢になる君たちの性根を思うと、私は悲しいのだ。……いいか、広宣流布とは、崇高なる仏の使いの戦いなんだ。
 君たちが、どうしても行きたいというなら、もよかろう。教えの誤りがあれば、正すことは必要だからだ。しかし、他教団の本部だから、特別の折伏行だなどと勘違いしては困る。一婦人が、相手の幸せを思い、真心込めて対話し、隣家の人を救う方が、よっぽど立派な実践です。
 こんなことを、幾度も繰り返して、それで広宣流布ができると思ったら、とんでもない間違いだ。今は、将来、真実に人びとを救い、指導していけるだけの力を養っている訓練段階だと思わねばならない。将来の本格的な広宣流布のための実践を、そんな、遊び半分のようなものと思っていては大変だ。三類の強敵との壮絶な戦いなのだ。
 その時に、退転するなよ。今、いい気になっている連中は、大事な時になって退転してしまうものだ。
 私は、君たちを、本格的な広宣流布の舞台で活躍すべき時に、退転させたくないから、今、叱っておく。よく覚えておきなさい」
 戸田は、諄々とした言葉で語った。青年たちの目は、次第に赤らんできていた。
 同じ折伏の行動であっても、その一念は、人によってさまざまである。広宣流布を願つての真心の折伏もあれば、英雄気取りの言説もある。戸田は、それを見抜いていた。事実、戸田の注意が的中し、後年、この青年たちのうちから、退転者が出ることになるのである。
 戸田は、最後に、青年たちを見渡して言った。
 「自己の名誉のみを考え、人に良く思われようとして、活動する人物であれば、所詮は行き詰まってしまう。詐欺師に共通してしまうよ」
 そして、うなだれて涙ぐむ青年たちに言った。
 「戦さに勝ったと帰ってきて、泣く男があるか。……おや女性もいたな」
 彼は、三川や、今松の方を見て、カラカラと笑った。座には、師弟の厳しい指導のなかにも、情愛こもる温かい空気が流れていた。

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