Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

歯車  

小説「人間革命」1-2巻 (池田大作全集第144巻)

前後
12  宗門の碩学といわれた五十九世法主・堀日亨は、その著『富士日興上人詳伝』に、「ましら叫ぶ甲峡こうきょうの身延のみ、かならずしも霊山浄土ならんや」と述べている。そして「人清ければ法清し、法清ければ所また清かるべし」と断言している。
 まさしく、その通りである。常寂光土とは、その住する人の一念によって決まるのである。
 日蓮大聖人も、『法華文句』の「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」との文を引いて指導されている。つまり、最高の法を持ち、実践しているからこそ、その人が貴いのであり、人が貴いから、その人が活躍する場所も尊い――ということである。
 戸田城聖は、御本尊に向かい、唱題しながら思った。
 ″総本山である大石寺には、大聖人、日興上人の清浄な御精神が、常に脈打っていなければならない。戦前の轍を、二度と再び踏んではならない″
 彼の心中には、広宣流布の未来への深き決意が秘められていた。
 戸田は、この夏の講習会の期間中、和服姿で通した。そして、和やかに家族と話すように、参加者と語り合った。生活の問題や家庭の事情について、親身になって、ある時は優しく、ある人には厳しく、指導した。
 この第一回の夏季講習会では、御書講義、質問会、座談会をはじめ、白糸の滝への遠足まで行われた。
 なかでも最大の行事は、唱題であった。戸田を導師として、正座で痺れた足を、もじもじさせながら、朝、晩と繰り返された。戸田城聖の祈りは、ただひたすらに広宣流布を願っていた。真剣勝負の唱題の姿である。
 講習会が終わり、帰路に就く時には、皆の顔は、太陽のように明るくなっていた。どの顔も、清純で元気に輝いていた。それは、異体を同心とする人びとの顔でもあった。
 インフレーションと思想的混乱との、すさまじい末世の様相を呈した社会にあって、この一団の活躍は、いよいよ秋へ向かって、展開されていくのである。それはまた、広漠たる荒れ野に放たれた一点の火であった。その火が、一草また一草と燃え移り、広がっていくことは、自然の勢いでもあったのである。
 この年の七月一日、米国は、太平洋に浮かぶマーシャル諸島のビキニ環礁で原爆公開実験を行った。
 八月十日、中国大陸では、国民党軍と共産党軍との停戦が不可能であると、両勢力の和平、斡旋にあたっていた米・トルーマン大統領特使のマーシャルと、中国に駐在していた米大使のスチュアートが、共同声明を発している。
 (第一巻終了)

1
12