Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

占領  

小説「人間革命」1-2巻 (池田大作全集第144巻)

前後
7  戸田城聖の心に、梵天として映ったマッカーサーは、極めて仕事熱心な人物であったようだ。
 彼は、職務に関係ない日本人とは会わなかったし、アメリカ人であっても、重要な訪問者か、側近にいる特定の人物以外とは、あまり会おうとしなかった。
 彼は、自分の任務遂行に必要のない場所には、出かけることもなかった。
 マッカーサーは、一九四五年(昭和二十年)八月の厚木到着から、五一年(同二十六年)四月に、朝鮮戦争(韓国戦争)をめぐるホワイトハウスとの対立で、トルーマン大統領から最高司令官を解任されるまでの五年八カ月の間、その任にあった。
 五〇年(同二十五年)六月に、朝鮮戦争が勃発する以前、彼が日本を離れたのは二回しかない。
 一回目は、四六年(同二十一年)七月、フィリピン独記念日の祝典に参加するためマニラを訪れたが、式典が終わると、すぐに日本に戻っている。二回目は、四八年(同二十三年)八月、大韓民国の建国宣言の式典に向かったが、彼は、その日のうちに帰ってきた。
 日本を離れないというより、彼は東京から離れることすらなく、各地で占領政策を実行している占領軍の駐屯地を視察することも、一度としてなかった。
 要するに、彼は、最高司令官としての彼の執務室以外には、どこへも出かけようとはしなかった。マッカーサーは、一日も休むことなく、公邸であるアメリカ大使館とGHQのある第一生命ビルとの間を往復していた。
 彼は、連合国軍最高司令官という、占領国・日本における、すべての権限を与えられた者として、日本を自分の理想とする国家に仕立て上げることを夢見て、そこにすべてを捧げようとしていたといえるだろう。
 もとより、戸田城聖がマッカーサーと会見する機会などは、全くなかった。また、マッカーサーも、当時、戸田城聖の名前など知る由もなかった。
 けれども戸田は、自身の心に影を落としたダグラス・マッカーサーに、不思議な親近感を覚えていた。それは、仏法の法理に照らして、戸田が、マッカーサーの歴史的な役割を、正確に見ていたからであろう。だが、むろん戸田を除いて、そのことは誰一人として気づくべくもなかった。
 戸田は、そのような不思議な人物に占領された、日本の運命に思いをいたした。
 ″ともあれ日本は、占領されてしまった。確かに、民族としてみれば、これ以上の悲劇はない。だが、人間の心も、修羅や畜生の生命に、占領されきっている場合がある。社会や国家が、悪魔の思想に占拠されている場合もある。その方が、より悲劇的なことだ。
 しかし、御書には、「大悪をこれば大善きたる」と仰せである。一国謗法の大悪は、日本に正法が興隆する前兆なのだ。この法理からすれば、やがて日本が、仏界に覆われていく日も、遠くはないだろう……″
 戸田は、一国の変毒為薬を心深く期していたのである。

1
7