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日蓮大聖人・池田大作

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小説『人間革命』収録にあたって 「池田大作全集」刊行委員会

小説「人間革命」1-2巻 (池田大作全集第144巻)

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1  小説『人間革命』は、創価学会の精神の正史である。
 池田名誉会長(当時・会長)が、『人間革命』の執筆を発表したのは、一九六四年(昭和三十九年)四月、思師・戸田城聖第二代会長の七回忌法要の席であった。
 その八カ月後の十二月二日、この恒久平和誓願の書ともいうべき大長編小説が書き起こされたのだ。起稿の場所は、凄惨極まりない地上戦が展開され、戦争の悲惨と辛酸をなめた沖縄の地であった。名誉会長三十六歳の時である。
 小説は、翌六五年(同四十年)の元日から、「聖教新聞」誌上に連載された。
 ――物語は、終戦間近の四五年(同二十年)七月三日、軍部政府の弾圧によって、二年間の獄中生活を送った主人公・戸田城聖の出獄から始まっている。そして、師である初代会長・牧口常三郎の遺志を胸に、戦火の焼け野原に一人立った戸田が、民衆の幸福と世界の平和を願い、広宣流布に生きる激闘の半生が綴られていく。
 名誉会長の執筆は、激務に次ぐ激務のなかで続けられた。呼吸器疾患に苦しみながら、テープレコーダーに原稿を吹き込んだことや、疲労で腕が痛み、香峯子夫人が代わりに原稿の清書を続けたこともあった。また、担当記者が、口述を筆記しての連載もあった。
 途中、海外訪問等で多忙を極め、約十年半にわたる長期の休載もあった。
 しかし、その後もぺンを執り続け、戸田会長が生涯の願業とした会員七十五万世帯を達成して逝去し、愛弟子の山本伸一が第三代会長に就任するまでを描き、全十二巻で終了としている。
 名誉会長が、『人間革命』の原稿を書き終えたのは、一九九二年(平成四年)十一月二十四日であり、新聞連載の完結は、戸田会長の生誕九十三周年にあたる翌年の二月十一日である。執筆開始から、実に二十八年余を費やし、連載回数は千五百九回を数えた。
 単行本も、六五年(昭和四十年)十月二日に第一巻が発刊されて以来、巻を重ねてきた。そして、連載終了から約二カ月後の九三年(平成五年)四月二日に、第十二巻の単行本が発刊されている。
 この年の八月六日、名誉会長は、早くも続編となる『新・人間革命』の執筆に着手し、十一月十八日から「聖教新聞」紙上で連載が始まっている。主人公は、戸田城聖の弟子・山本伸一である。
 いわば、『新・人間革命』は、名誉会長自身の激闘の軌跡といってよい。
 この連載は、二〇一一年(同二十三年)十一月三目、連載四千七百二十六回をもって新聞小説史上、連載回数日本一となり、日々、その記録を更新し続けていることを付記しておきたい。
2  思えば、『人間革命』の執筆開始から、既に四十七年余の歳月が流れ、時代も、世界も、目覚ましい変化を遂げた。その間、創価学会も、激しい試練の嵐に遭遇し、大きな転機を迎えた。とりわけ特筆すべきは、いわゆる「宗門事件」である。なかでも、宗開両祖に違背し、腐敗・堕落した日蓮正宗の六十七世法主の日顕らによって引き起こされた「第二次宗門事件」は、広宣流布を破壊しようとする前代未聞の大暴挙であった。
 宗門は、一九九〇年(平成二年)、学会がベートーベン作曲・交響曲第九番の「歓喜の歌」を歌うことは「外道礼讃」であり、「謗法」であると断じて不当な攻撃を開始した。そして、同年末、突然、宗規の改正を口実にして、池田名誉会長の法華講総講頭を罷免したのである。それは、後に明らかになるが、周到に計画された、「創価学会分離作戦(C作戦)」の実行にほかならなかった。
 つまり、名誉会長と会員との師弟の絆を分断、離間させ、学会組織の徹底壊滅を図って、宗門に会員を隷属させようとする謀略である。
 翌九一年(同三年)の十一月二十八日、宗門は、さらに学会に対して、「破門通告書」なるものを送付してきた。それは、学会にとっては、邪宗門と成り果てた宗門からの、「魂の独立」となったのである。
 学会は、日蓮大聖人の仰せのままに、死身弘法の決意で広宣流布に邁進してきた。戦時中、宗門が軍部政府に迎合するなか、牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長(当時・理事長)は、日蓮大聖人の正法正義を守り抜いた。軍部政府の弾圧と敢然と戦い、逮捕、投獄されたのだ。しかも、牧口会長は獄中で逝去され、殉教されたのである。
 弟子の戸田第二代会長は、生きて牢獄を出た。そして、学会の再建に立ち上がるとともに、衰退の極みにあった宗門を外護し、その興隆に努めてきた。
 この両会長の精神を受け継ぎ、第三代会長に就任した池田名誉会長は、未曾有の大弘教を推進する一方、発願主となって正本堂の建立寄進を推進したのをはじめ、総本山の整備、末寺の建立など、外護の赤誠を尽くし抜いた。終戦直後、危殆に瀕していた日蓮正宗は、学会によって大隆盛を遂げたのである。
 また、名誉会長は、大聖人の御遺命のままに、「一閻浮提広宣流布」に挺身し、世界の各地に、妙法の旗が翻るに至ったのである。
 だが、″日顕宗″と化した宗門は、嫉妬心から、その大功労者である池田名誉会長と、懸命に広宣流布に生き抜いてきた仏子の集いである創価学会を″破門″にしたのだ。しかも、陰で日顕は恐喝事件を起こして懲役三年となった反逆者らと結託していたのである。
 大聖人の御精神を踏みにじる、常軌を逸した悪逆非道な所行という以外にない。
 日顕宗では、法主は「大御本尊と不二の尊体」などと言いだし、法主本仏論ともいうべき邪義を唱え始めた。また、正本堂を破壊し、聖職者の権威を振りかざし、信徒蔑視の極みを見せるに至った。宗門に、日蓮大聖人の御精神は完全に死に絶え、恐るべき邪義の魔の山となったのだ。
3  牧口初代会長も、戸田第二代会長も、池田名誉会長も、宗門の歴史に紆余曲折があり、時に過ちはあっても、日蓮大聖人の仏法の正法正義に立ち返り、仏法広宣の精神が継承されているとの認識に立っていた。いや、そう期待して行動したのである。
 したがって、宗門に過ちがあれば、諌めつつも、外護の赤誠を貫き、僧俗和合して広宣流布に邁進することを念願としてきた。
 その発露として、名誉会長は、小説『人間革命』においても、宗門を讃え、最大の敬意を払って記述し、さまざまな伝承に至るまで尊重してきた。
 しかし、「宗門が、広宣流布を推進してきた仏意仏勅の団体である創価学会の崩壊を企て、″破門″し、仏法破壊の元凶と成り果てた今、『人間革命』をそのまま、全集に収録してよいのか」――という問題提起が、当然のことながら、刊行委員会でなされたのである。
 全集は、名誉会長の思想、哲学を後世に誤りなく伝え残すことを、大きな使命としている。それは翻訳され、世界の人々の目にも触れることになる。もし、これまでの『人間革命』がそのまま収められれば、宗門事件の真実を知らない人々は、宗門が正法正義を守り、大聖人の御精神を受け継いでいるかのように思い込んでしまうおそれがなきにしもあらずである。そうなれば、宗門が邪宗門と成り果てた現実が広く知られていたとしても、混乱をもたらし、人々の信仰自体を誤らせてしまいかねないと危惧したのである。
 そこで、刊行委員会では、そうした混乱を生じさせないために、宗門関係の記述については、名誉会長に再考していただくよう、お願いすることにした。甚だ、ぶしつけな要請であることは承知のうえで、率直にご相談申し上げた。名誉会長は、熟慮され、最終的に、「皆の要請ならば」と、刊行委員会の意見を尊重し、ご了解いただいた。
 また、名誉会長からは、歴史の記述についても、原稿執筆後に新たな資料が発見、公開されていることなどから、再度、精察したいとのお話もいただいた。
 さらに、「五十年後の、若い読者が読んでもよくわかるように、表現や表記等も、一部改めたい」とのご意向も伺った。
 小説『人間革命』は、全十二巻の長編小説である。『新・人間革命』や随筆等々の執筆の傍ら新資料も精査しながら、推敲していただいた。
 そして、ここに小説『人間革命』第二版として、全集に収録・発刊の運びとなったのである。刊行委員会として、心より深謝申し上げたい。
4  小説『人間革命』には、牧口常三郎、戸田城聖、山本伸一という師弟の、不惜身命の実践によって、日蓮仏法が広く民衆に根差し、人間蘇生の哲理として、現代社会に開花していった歴史が綴られている。
 また、そこには、「人間革命の道」が、「幸福境涯確立の道」が、「広宣流布の道」が、「世界平和の道」が示されている。それは、会員の皆様方にとっては「信心の教科書」となり、社会にあっては、混迷の時代を聞く「人間主義の灯台」となっていくにちがいない。
 法華経には「令法久住」(法をして久しく住せしめん)とある。未来永遠にわたって、正法を伝えていくことの大切さを示している。
 『人間革命』の全集への収録にあたって名誉会長が、あえて推敲の労作業をお引き受けくださったのも、日蓮大聖人の御精神は、その信心の正義の血脈は、広宣流布に生き抜く創価学会にこそ脈打っていることを、未来永遠に伝え残そうとされたからにほかなるまい。
 本全集では単行本二冊ずつを一冊にまとめ、本巻・第百四十四巻から第百四十九巻まで六巻にわたって収録させていただく予定である。
 この『人間革命』が、多くの皆様に愛読され、未来を、世界を照らす、人類の幸福と平和の「光源」となることを念願してやまない次第である。
                    二〇一二年七月三日

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