Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二節 開かれた家庭と教育  

随筆「私の人間学」(池田大作全集第119巻)

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25  親の生き方こそ子どもの財産――母と子の中秋の名月
 母から子への《語り》――それを考えるとき、語るべき物語は伝統的な昔話にかぎらないと思う。日常の振る舞いそのものが、暗黙のうちに子どもに貴重な教訓を語りかける場合も当然あるにちがいない。
 仏典には、「よき人にむつぶもの・なにとなけれども心も・ふるまひも・言も・なをしくなるなり」という言葉がある。
 これは、「善良な人とむつまじくすれば、自然に心も、振る舞いも、言葉も正しくなっていく」という人生の道理を示したものである。
 まことに人の心ほど微妙に変化していくものはない。とりわけ、雪のように純白な子どもの心は、その人生の揺籃期に出会った環境によって、よくも悪くも、どのようにでも染め上がってしまうものなのである。
 子どもへ何を伝えるか。子どもにとっては、お母さんの日々の行動のすべてが、《語部》ともいえるであろう。その自らの全身で伝える何ものかが、子どもの心にかけがえのない人生の財産として残り、生きていく力となっていくものなのである。
 ある中秋の名月の夕べのことである。私は、心に残る母と子の美しい話をうかがった。東京の団地に住むその親子は、秋の一夜を月を眺めて過ごそうと思い立ったそうである。五歳と三歳になる二人の男の子とともに、母親は月見の準備にとりかかった。
 さっそく、おだんごをこしらえ、近所からススキの穂をもらいうけ、花瓶に生けた。子どもたちは瞳を輝かせて月の出を、今か今かと待ちうけた。
 ところが、久しく続いた長雨のせいで、夜空はいつまでも厚い雲に覆われたままである。晴れる気配はいっこうにない。子どもたちも、心なしか落胆したようすであった。そのとき母親は、子どもたちにこう呼びかけた。「さあ、お母さんと一緒にお月さまを作りましょう!」
 母と子は、紙の上に、大きなまんまるの月を描き、それを壁に掛けた。母親は月にまつわる物語を子どもたちに語り聞かせながら、中秋の名月の一夜を楽しく過ごしたという。
 ささやかなエピソードである。しかし、私には、一幅の名画を見るように、その光景が偲ばれたのである。それは、母親の即興のアイデアに感心したからだけではない。多忙な都会人がほとんど忘れかけている、中秋の名月をめでるという昔ながらのロマンと、母親の子どもへの深い愛情とが、見事に調和して、私の胸に響いてきたからである。
 時代や環境がいかに変わろうとも、母親の豊かな心と知恵によって、子どもに大いなる夢を与えていけることに変わりはない、と私は思う。反対に、いくら子どもには理想を求めても、夫婦げんかが絶えなかったり、何かあると愚痴をこぼしたり、人の悪口を言う母親であっては、子どもは厳しくすべてを感じとってしまうものである。
 仏典には「父母必ず四の護を以て子を護る」と説かれている。
 この四つの護とは「生み」「養い」「成ぜしめ」「栄えさせる」ということである。これは、すべての親の本然的な姿と願いを端的に示したものといってよい。
 ここにいう「成」とは、人生における理想を成就することにも通じよう。では何を「成」じていくのか、また何をもって人生の「栄」とするのか。その基準となる視座が、あまりにも現代は見えなくなっているのではなかろうか。
 物質的にもますます豊かになり、価値観もさらに多様化している社会にあって、ともすれば、表面的な人生の眩惑に親も子も振り回されてしまうことを危惧するのは、私一人ではあるまい。親は子にとって、最も身近な人生の先輩といえる。平凡であってよい。地味であってもよい。失敗もあってよい。しかし、人間としての確かなる「完成」、また虚栄ではない、真実の「栄光」を見つめた自らの生き方の軌跡を、子どもに示していける存在でありたいものである。
 そこにこそ、「ああ、うちのオヤジ、オフクロはやっぱり偉かったな……」と子どもたちがいつか振り返ることのできる、「心」の故郷があるのかもしれないと考える昨今なのである。

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