Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一節 民衆こそ真実の力  

随筆「私の人間学」(池田大作全集第119巻)

前後
34  サンガ(仏教教団)を形成する比丘たちは、本来、求道の「修行者」であり、同時に「弘教者」であり、民衆のよき「導師」のはずであった。しかし仏教が僧院中心主義となり、僧院が僧たちの専有物と化した結果、峻厳な「修行」も、慈愛の「弘教」も、民衆の幸福に尽くしていく「指導者」としての使命も見失われていった。
 このようにインド仏教の「民衆からの遊離」は、あらゆる面で顕著であった。
 強い「信仰」に基づく仏教の本来の生命力を失い、観念化していった。こうなっては弱体化するほかないのは、個人においても、組織においても同様である。
 この意味からすれば、イスラム教徒の侵略によって、もろくも滅びてしまったことも十分に理由のあることである。このほか、インド仏教滅亡の因としてヒンドゥー教の興隆によって、押されぎみになった仏教が、自らインド土着の民間信仰を取り入れて密教化し、本来の精神を失った、いわば“死に体”同然で余命を辛うじて延ばしていたこと等が挙げられている。このようにみるとイスラム教による打撃は、内部から朽ちてしまったインド仏教の大木を倒す、最後の決定打にすぎなかった。
 これに対し、事実として、インドの民衆に根づいたのはヒンドゥー教である。教えの高低浅深は別にして、現在、仏教発祥の地インドにおいて、仏教徒がわずか一パーセント足らずにすぎず、ヒンドゥー教徒が八十数パーセントを数えるという現実は直視しなければならない。
 ある研究によれば、インド仏教史の全体を通じて、仏教は一度も、ヒンドゥー教ほど民衆に支持されたことはなかった。仏教の隆盛期とされるアショーカ王、カニシカ王の治世においてさえ、一般民衆の間に根強い勢力を持っていたのはヒンドゥー教であったという。その後、仏教は時代の推移とともにヒンドゥー教と妥協した。それは、ある意味で民衆への接近ではあった。しかし、最も大切な釈尊の原点と独自性を失って吸収され、姿を消していった。
 結論するに、最も重要なことは、本来の精神を堅持しつつ、いかに「民衆」とともに生き、「民衆」を覚醒させていくかである。一切の基盤である「民衆」を離れた結果、インドの仏教は衰亡した。この過ちを繰り返すのは余りにも愚かである。

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