Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二節 『ファウスト』  

随筆「私の人間学」(池田大作全集第119巻)

前後
28  民衆の海の中へ、果敢に身を投ぜずして、偉業の成就も、真実の幸福もありえない。法華経に「三界は安きことなし 猶火宅の如し」(開結二三三㌻)という法理がある。すでに、米ソ両大国の核兵器の保有量は、あの惨劇をもたらした広島型原爆の百五十万倍であるという。まさに「火宅の如し」である。人類の平和と幸福という夢を実現するには、ファウストが雄々しくもそうであったように、この火宅のごとき「娑婆世界」の現実から逃げたり、避けたりしては絶対にならない。
 最後の独白を終えると、ファウストは、後ろに倒れ、死ぬ。理想の国土を作っているつもりであった彼は、その国土が、その実、悪魔メフィストフェレスの企みによる、ファウスト自身の墓であることも知らずに……。
 悪魔は、墓からファウストの魂を盗みとろうとしたが、奪うことができず、天から天使が降りてきて、その魂を守りぬいて、昇天していく。“救い”の手がさしのべられる。
 詩劇『ファウスト』は、たしかに悲劇といえるかもしれない。しかし、あらゆる優れた悲劇がそうであるように、そこには、魂のカタルシス(浄化)をもたらす強力な力がある。ファウストの、波瀾万丈の魂の遍歴は、人間いかに生くべきかという、近代人の“自律”の問題をめぐって、汲めども尽きぬ泉のように、多くの示唆をはらんでいる。

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