Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

後記 「池田大作全集」刊行委員会

「人間と文化の虹の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

前後
1  『池田大作全集』第百十二巻「対談」編に収めたのは、韓国国立済州大学の総長を務めた趙文富博士との二つの対談集『希望の世紀へ 宝の架け橋』と『人間と文化の虹の架け橋』(いずれも徳問書店刊)である。
 二〇〇二年から五年にかけて発刊されたこれらの対談集は、池田名誉会長にとって韓国の碩学と初めて編んだものとなった。
 さらに特筆すべきは、これらが、日本と韓国の交流が過去に例を見ないほどに活発化した「時」を逃さず発刊された点である。〇二は年サッカー・ワールドカップの日韓共催と「日韓国民交流年」、〇四年は日本における空前の「韓流ブーム」、日韓国交正常化四十周年にあたる〇五年は「日韓友情年」と銘打たれ、「韓流」という言葉が完全に市民権を得た年でもある。
 しかし、対談集に実際に収録されているのは、二〇〇一年から〇四年にかけて第三文明社の月刊教育誌「灯台」に連載された二人の対談がベースになっており、一九九八年に始まる二人の語らいも加えると、世間のいわゆる「韓流ブーム」よりも少し前の時期が主軸となっていることが分かる。そのため、今日ではあまり語られなくなった「日本文化の開放」なども話題に上る。
 逆に言えば二人の語らいは、まさに友好交流の時代を先取りしたものであり、来るべき時代の到来を予見しつつ、そこに現れるであろう両国のわだかまりや葛藤までにも、解決への方途を示唆する画期的なものとなった。その意味で今日までの日韓交流の推進を、二人が一翼を担い、牽引してきたといっても過言ではあるまい。
2  対談相手となった趙文富博士は、日本が健備国家である「満州国」を発足させた一九三二年、韓国・済州島に生まれた。ソウル大学法科大学(法学部)を卒業後、東京大学や米国エル大学の客員研究員、国立済州大学の教授などを経て、一九九七年から二一年まで同大学の総長を務めている。
 この全集に収められた『希望の世紀へ宝の架け橋』の第一章にも詳細に記されているが、幼少から生家の経済状況は厳しく、給仕をしながら夜間中学に通うなど、大変な努力を重ねて道を開いてきた。中学を卒業する前に父親が他界。その悲しみを前進へのエネルギーに変え、高校でも苦学を貫き、ついに名門ソウル大学に入学する。
 中学の時のエピソードが興味深い。検察庁で給仕の仕事についていた博士は、次長検事の弱者に対する横暴な振る舞いに「公」のあり方について強い疑問を抱き、翌日には辞表を出してしまうのである。
 以後、博士の行動は一貫して「ヒューマニズム」に裏打ちされている。総長となってもいささかも権威ぶることはなく、奉仕活動などを重視。学生とも時には一緒に涙を流して語り合うなど、自身のすべてを教育に捧げた「熱血先生」ぶりが生き生きと語られている。それらは日本人にも、共感をもって受け入れられるに違いない。
3  本巻では、そのようなヒューマニストの趙博士と池田名誉会長の友情のドラマが随所に光り輝いている。
 たとえば、済州大学から池田名誉会長に名誉文学博士号が贈られ、初めて済州島を訪問した折(一九九九年五月)のこと。帰国の日の朝、漢拏山を背景に大きな虹がかかり、名誉会長は写真に収めた。趙博士はこの日、空港まで名誉会長を見送り、「今朝、虹が出ましたね」と満面の笑みで声をかけている。
 名誉会長は後日、その時の虹の写真を趙博士に贈り、博士は写真を、総長室に大きく飾った。
 「長年、済州島に暮らしているのに、あのように、漢拏山にかかる虹を見事にとらえた写真は、見たことがありません」とーー。
 日本で三度の研究生活を過ごした越博士も、このような心の底から信頼を置く日本人との交流は初めてのことであったろう。その二年後、短期語学研修で済州大学を訪れた創価大学・創価女子短期大学の学生たちを前に、博士はこの虹のことを嬉しそうに語っている。
4  二冊目の対談集発刊直後の二〇〇五年四月、創価学会広島青年部が企画・運営する「広島学講座」で講演するため、趙博士は来日した。
 ここで博士は、「池田先生、そして創価学会の皆さんは、つねに『相手のために何ができるか』、すなわち自分自身より他者の幸福に力を注いでおられる」「『復讐』の心を「恩返し』の心に変えていく。報復のために命を費やすのではなく平和の未来を開くことに命を燃焼させる。この、被爆者の思いを代弁し、全世界に平和の波動を広げてきたのが池田先生です」と評した。さらに、「悪への無関心」、シニシズム(冷笑主義)が、場合によっては悪そのものよりも恐ろしいということを、聴衆を前に鋭く指摘した。
 その通りであろう。「無関心」という現代社会が生んだ病理が、どれほど人間の心をむしばみ、無意味な対立や、冷ややかな傍観をあおり立ててきたことか。民族、国籍、肌の色……それらで人間同士の連帯を細切れにし、分断に拍車をかけて、いったい何の価値が生まれるというのか。誰が幸福になれるというのか。
 これは二人の対談の大きなテーマの一つでもあった。だからこそ対談は、人間生命のもつ魔性への新たな挑戦へと昇華し、後継の若き友に託す切実な願いとなった。
5  韓国には、「シジャギ・バニダ」ーー「始めることが半分だ」という諺がある。「始めるだけで半分までは、すでに成就している」という意味だ。
 教育への情熱にあふれた韓国の碩学と池田名誉会長との語らいが、二つの世紀をまたいで行われ、結実した。縁深き隣人同士のつ平和への語らい」は、時を経るごとにその大きな意義が認められていくことであろう。日本人も韓国人も、いつでも、どこからでも「始め」られるーー二人の対談は、それを指し示して余りある。
   二〇〇一年一月二日

1
1