Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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2 教育交流は世界平和の基盤  

「人間と文化の虹の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

前後
2  小学校の校長として学説を発表
  そのとおりです。済州大学の場合、半島から距離があるので、必然的に、同じ済州道内にある済州教育大学との統合が計画されました。
 しかし、済州教育大学では、統合絶対反対の声があがり、教育部に対しても反対運動を展開し、統合は実現しなかったのです。
 反対の理由は「経済的論理によってのみ統合を進めるのは間違っている。教育には教育の目的がある」というものでした。
 済州教育大学は、小学校の教員を養成することを目的としています。
 それに対し、済州大学の教育学部では、主に中学校や高校の教員を養成します。済州教育大学の主張はまさに、「小学校の教員養成と中学校・高校の教員養成の目的はちがう」というものだったのです。
 私も、教育大学の主張は、理論的には正しいと思います。
 池田 分かります。教育は、子どもの成長の度合いに応じてちがってくるものです。
 とくに小学校教育は、一番の基盤となるものです。その土台の上に、中学校教育、高校教育がある。牧口初代会長も戸田第二代会長も、小学校の教壇に立つことを誉れとしておられました。
 あの牧口先生の大著『創価教育学体系』を貫く理論も、その現場での実践のなかで磨きぬかれたものでした。
 牧口先生は、その思いを、こう述べられています。
 「小学校の校長として、教育学説を発表した人は、これまで一人もいなかった。私は、創価教育学を、未来の校長先生たちのために残していきたい」と。
  すばらしいことですね。牧口会長の崇高な精神が偲ばれます。
 独立法人化の話に一民りますが、これに関しては、韓国側が日本の動向を見守っている状況でしょう。日本で成功すれば、韓国にも導入の動きが生じるかもしれません
 しかし、現在のところでは、韓国の国立大学の多くは独立法人化に反対しています。教授たちの多くが、独立法人化は結局、国が大学教育を放棄することにつながるのではないかと懸念しているのです。
3  厳しい受験戦争の背景は
 池田 よく事情は分かりました。
 では、大学改革に関連して、貴国は、日本以上に受験戦争が厳しいと聞いていますが、実際はどうなのでしょうか。
  これについては、じつは興味深い現象が生まれています。
 大手企業の採用試験で、学歴を書かせず、面接の際に口頭で応用問題を出題し、問題解決の方法を問い、創造的な考え方をもっ者を採用するという事例が増えてきたのです。
 池田 学歴優先の風潮に対する見直しですね。日本も、同じような動きがあります。
  そもそもなぜ、韓国で受験戦争が激しくなってしまったかというと、それは、社会のあらゆるところに「学閥」が存在し、一流大学に進学すれば、一流企業をはじめとする、あらゆる職業に採用されやすくなっているからなのです。
 採用後も、情報交換や対外交渉、業務処理を円滑にするための人間関係が、学閥によるよ”学縁関係”に依存する傾向が強く見られます。このように学縁関係の重視が通念となった韓国社会は、企業組織の内外を問わず、一流大学出身者がまず認められるという先入観を持つ社会であるとも言えます。
 具体的には、ソウル大学や高麗大学、延世大学などの出身者は同窓の間で情報交換します。ソウル大学はちょっと事情が違いますが、高麗、延世などは出身者の団結が大変強いことで有名です。
 他の大学の出身者は、社会における重要な情報の外に置かれがちになってしまいます。
 池田 それでは、激しい受験戦争のプラス面とマイナス面は、どう、お考えですか。
  プラス面をあげると、高校時代に非常に熱心に勉強できるということでしょうか。
 ただし、親は大変です。毎日五時に起きて、六時までに子どもを学校に送り出し、夜は塾や図書館で遅くまで勉強している子どもを、十一時過ぎに迎えに行くとか。まさに親子一体の激しい戦いとなっています。
 マイナス面は何といっても、人間性が欠如しやすくなることです。
 受験勉強が大学に受かるためだけの「手段」になってしまって、本当に必要な倫理を学ぶとか小説を読むとか、そういうことが欠けてしまう。受験の仕方だけ学んで、人間は学んでいない。
 高校でそれだけ勉強している割に、大学に入るとその反動で急にロマンばかり追い求め、勉強に身が入らない。朝早く散歩すると、高校生ばかりが足早に学校に向かい、まるでこの国の愛国者は高校生だけではないかと思うほどです。(笑い)
 また、勉強についていけない子どもが、みずからの人間的価値を低く評価して、悲観して自殺したり、自暴自棄となって落ちとぼれる現象を見ても、結果的にあまりよくない点が多いかもしれません。
4  何のために大学はあるのか
 池田 大学は、単に知識を伝授したり、才能を開発するためだけのものではありません。
 私は常々、学生や教員に訴えてきました。
 「大学は、大学に行けなかった人たちのためにある」と。
 つまり、大学教育の門をたたく人は、そうした人々のために働ことを忘れてはならないということです。その思いを込めて、私は創価大学を民の大学と呼んできました。衆立尊き民衆に奉仕していくために学びぬき、カをつけていくのだと。
 近代中国の大教育者・陶行知とうこうちも、「大衆の学府」こそ「大学」であると訴えました。
 そして、大学が目指すべき大目的は、「平和」の二字にあると思うのです。
  マックス・ウェバーも、大衆が困窮、飢餓、病気、苦難や死等から救われるためには、知識層の知識によるしかない、と言っていますが、まさに知識人の存在価値は大衆を救うためにあると言えるでしょう。
 済州島では現在、「平和の島」を築こうという取り組みが進んでいます。こうした市民の取り組みは、そのまま済州大学の取り組みでもあります。
 これまでも済州島は、多くの国の首脳が対談する舞台となってきました。
 かつては、わが国の盧泰愚大統領とともに、ゴルバチョフ元ソ連大統領、その後、中国の江沢民主席、アメリカの大統領も、この島にやっで来ました。日本からも橋本元首相や小淵元首相が訪問しています。
 この事実も、平和を目指す一つの現象として、それなりの価値はあるでしょう。しかし、それよりももっと大切なととは、民衆の心の中に「平和とは何か」ということをしっかりと身につけさせることではないかと思うのです。
 自分たちの利益だけでなく、活発なコミュニケーションと、お互いの立場への深い配慮によって、相手が望んでいることをしてあげられるような、民間交流による相互理解の推進が大切です。今後、済州島がそうした役割を果たし、世界平和へ寄与していくべきでしょう。
 池田 すばらしいことです。
 民衆と民衆が、情報交換といったレベルではなく、お互いの文化を尊重し、学び合いながら、ともに平和と幸福を求めていくことが重要です。相手を知ることは同時に、自分自身を深く知る作業にもなっていくはずです。
 プラトンは対話の意義を、「飛び火」にたとえました。真摯な対話が、互いを照らす新しき知恵の光となり、そこから新しい価値が創造されていくことも、間違いないでしょう。
 博士が、おっしゃるように、心と心の融合によって結ばれた絆こそ、いかなる時代の変化にも揺るがない、強固な人間と人間の連帯になります。
5  「平和への共感」を呼び起こせ
  たとえば日本と韓国の学生が、それぞれ自国の利益だけのために交流するというのであれば、結局は利己主義に陥り、平和交流にはならないでしょう。とくに国家の利己主義を前面に出していれば、世界平和が進むことはありません。
 世界平和への民間交流の中心に大学があります。では、大学の総長や教員たちは、世界平和のために何をしたらよいのか。
 一つには、「平和への共感」が大事だと思います。人類社会のための大局的観点から自分を顧みるとともに、まず相手への理解と思いやりを優先すべきでしょう。
 韓国の大学も財政的に苦労していますし、学生の教育にしても、卒業後の就職のためにあるという考え方が根強い。また、キャンパスの景観ばかりをよくしようと考えている。実際の大学の「現場」は、世界平和のために貢献するという考えからは、ほど遠いというのが実感ですだからこそ、人類社会のためには、大局的な観点から、世界平和への「共感」を呼び起こすしかないと思うのです。
 池田 そのとおりです。その世界平和への「共感」を呼び起とすためにも、「平和教育」という理念と実践が、何よりも大切です。
 ゆえに私は、アメリカ創価大学の指針の一つにも「『平和主義』の世界の指導者育成」を掲げました。
 教育とは、一つの次元で見れば、「心を広げる作業」でもあります。その最重要の教育機関こそ、大学です。
 大学教育の勝利こそ、人間の勝利であり、平和の勝利であり、未来の勝利であり、永遠の勝利でありましょう。
  全面的に賛成です。
 私が総長であった時に始めることができた創価大学との交流ーーその交流の根本の大目的は「世界平和」にあり、もう一つの目的は、韓日両国の友好交流です。
 済州大学から創価大学に学生を送り出すときには、自分の立場で人類社会のために、創価大学や大学院で何を学ぶのか、何を研究するのか、それを明確にするように指導してきました。
6  世界に広がる創価大学のネットワーク
 池田 貴大学の学生は、趙博士のような偉大な教育者がおられて幸せです。
 創価大学の交流は、今や四十一カ国・地域の八十八大学にまで広がりました(二〇〇三年末現在。以下同じ)。
 通信教育部の在籍者も二万一千人以上となりました。日本一の規模です。
 教員採用試験の合格者は三千七百人を突破。そして、いよいよ本年(二〇〇四年)四月、「法科大学院」もオープンします。
 創価大学は、私の生命そのものです。そして、今が、創価大学の「第二の草創期」であると思っています。
 キャンパスに行くたびに、私は、若い学生たちとの出会いや語らいのひとときを、”宝の時間”として大切にしてきました。
  池田先生の心は、よく存じ上げているつもりです。
 創価大学の学生に会えば、すべて分かります。創価大学のキャンパスを歩けば、自然に伝わってきます。
 池田 ありがとうございます。
 済州大学もまた、中国、アメリカ、ロシア、ドイツ、オーストラリアといった世界の大学と教育交流を広げ、日本においては、東北大学、長崎大学、琉球大学、佐賀大学、鹿児島大学など、大変多くの大学と交流されてきました。
 博士が、教育交流にあたって、留意されてきたととは何でしょうか。
  私が総長になってからも、多くの大学と姉妹関係を結びました。
 しかし重要なのは、具体的にどのような交流が進んでいるかだと思います。
 日本のある大学と、二年ごとに教授たちが訪問し合って、研究会をもっという企画がありました。その研究会の内容について、担当の教授に、「新しい研究ですか」と尋ねたら、そうではないと言うのです。
 「それでは、研究会で発表した内容を、両大学の論文集などに載せるのですか」と重ねて確認したのですが、それもないと言う。つまり、形骸化した研究会だったのです。「それでは困る」と率直に申し上げました。
 実質的な交流を進めようと思ったら、やはり具体的な交流計画に則った、短期間の教授交流、学生交流から始めるべきだと思います。
 そうしたなかで、創価大学との交流は、非常に大きな価値を生み出しています。
 毎年、わが大学に学びに来てくれる創価大学や創価女子短期大学の学生の皆さんは、だれもが創立者の教育理念を自分自身の使命に重ね合わせながら、吸収できるものはすべて吸収しようとの熱意にあふれているのを感じるのです。
7  人類の幸福と平和のために
 私も、済州大学を訪問させていただいた時(一九九九年五月)のことが、昨日のことのように思い起こされます。繰り返し申し上げますが、趙博士は、次のように、おっしゃいました。
 「大学というのは、人類共同体を実現するための精神を養う重要な場です。『哲学の英知』も『最先端技術の開発』も、結局は『人類の幸福と平和のための手段』にすぎません。しかし、大学には、このような人類の志向する幸福と平和をつねに追求しなければならない使命がある」と。
 深い感動を覚えました。
 また、貴大学が「学生第ごの大学運営を心がけ、大学の図書館は、試験期間ともなれば二十四時間開放されていることなどもうかがいました。当時総長であられた趙博士みずから、学生の輪に飛び込んで直に学生と接しておられる姿も、目の当たりにしました。
 日本の大学にはない、独自の「学びの環境」が整っていると実感しました。
  日本の学生が韓国留学を志望するとき、多くの場合がソウルの有名大学を目指すでしょう。
 しかし、彼らがどういう目的で韓国に留学するかを尋ねたら、残念ながら高い目的意識をもっている学生は、おそらくごくわずかではないかと思うのです。
 これが、済州・釜山・木浦にはどういう海洋文化があって、それらを比較するために済州大学に学ぶとか、そのような具体的な目的があれば、留学生活はまったくちがったものになると期待できます。
8  明確な目的観をもって留学を
 池田 実りある留学のために、見つめ直すべき点ですね。
 留学生を受け入れる際に、苦労された点はありますか。
  中国の東北地方に住む朝鮮族の学生が、済州大学に留学したいと言ってきたことがあります。
 奨学金制度や学費免除の制度で、学費については最大限配慮することができます。しかし、生活費も出してほしいと言われ、それは困ると率直に申し上げました。
 済州に限らず、韓国に留学している外国人学生で、生活費までもらって生活しているケースはほとんどないからです。
 生活費を稼ぐために学業が疎かになり、さらにはお金儲けに走ってしまう留学生が多いのも悲しい現実です。これも、目的観の欠落から来る結果ではないかと思います。
 池田 むずかしい問題ですね。
 創価大学は、戦後に新中国が誕生して以来初となる留学生を、日本の他の大学に先駆けて受け入れました。今から約三十年前のことでした。
 初めてのことでしたので、私は寮生活から教育内容まで、彼らとよく語り合い、環境を整えられるよう心を配りました。その留学生たちは、今や中国の各界を担う存在となり、中日友好のために活躍されています。
 また、一九八四年、創価大学は貴国より初の留学生を迎えました。その留学生のご家族の方が、韓日の万代の友好を願い、五百本ものムクゲの苗木を贈ってくださいました。今、そのムクゲは校内で、毎年、美しい花を咲かせています。本当にうれしいかぎりです。
9  済州島に「南北センター」を
  尊いご献身に、心より敬意を申し上げます。
 ここで、済州大学の特徴を少し詳しく申し上げさせていただければ、済州島が北方大陸文化と南方海洋文化の交差点に位置するため、これら二つの文化を調和させるという、人類にとって非常に重要なテーマを身近に感じやすいという点があげられます。
 ハワイには、戦前から「東西センター」がありました。ここが、東西文化の交流と、人類の相互理解のために役立ってきた歴史は有名です。
 それと同様に、済州島では、「南北センター」を設置できる可能性があると考えています。
 ここでいう「北」とは、資本主義のノウハウと倫理で成り立ち、発展してきた国、たとえばドイツ、フランス、イギリス、そして日本が含まれます。それに対し「南」とは、資本主義のノウハウと倫理が必ずしも成り立たない国、たとえば南半球の大部分の国家と、中国やロシア、東南アジア、南アジア、中東などの諸国が含まれます。
 これからの人類は、経済関係の活動と倫理関係の活動の両方を、解決しゆくことを考えなければならないでしょう。
 池田 ハワイの「東西センター」は、私も以前(一九九五年一月)講演をしたことがあります。東と西が出会うハワイという歴史と文化の地にふさわしい研究機関でした。
 平和と共生の地球社会を築くためにも、「南北センター」の構想は、とても重要だと思います。
 本年(二〇〇四年)から、済州大学と創価大学が期間一年の交換留学生を相互に派遣する予定になっています。
 創立者として、ますますの活発な交流を、心から期待しています。
  そうですね。私も大変に期待しています。
 留学生たちの道のりは、決して平坦ではないでしょう。しかし彼らの交流は、まず言葉の問題、次に、お互いが理解しようとしている文化の問題、そして習慣の問題を解決するのに役立つはずです。
 自分が決めた分野の研究のために、文字どおり日本と済州島を行き来し、さらに次の研究ステップへと情熱を燃やし続けることができれば、これほどすばらしいととはありません。
 ともかく、自分の経験から言っても、留学には明確な目的をもつことが大切だと思います。
10  中国を含む三カ国交流への展望
 池田 済州島では現在、ビジネスの面でも、観光の面でも、中国との交流が拡大していると聞いています。
 これは文化交流、教育交流にもつながる動きではないでしょうか。
 済州島をはじめとする韓国と中国、そして日本を含めた三カ国の教育交流について、何かお考えはありますか。
  朴正煕大統領の時代、韓国は経済的に大きな発展を遂げました。それを見た中国は、発展の原因が韓国の教育にあると考え、韓国の教育事情を調査しました。
 しかし、これは両国の教育交流という観点から見ると、逆効果でした。
 当時、韓国は軍事政権で、その教育は中国から見て「あまりに自分勝手な人材育成であり、社会主義的立場を維持する中国の発展のためには、参考にならない」と映ってしまったのです。
 その印象は、数十年経った今も、影響を及ぼしているように思えます。
 現在、韓国の学生たちが相当数、中国に留学していますが、彼らは韓国で暮らしているのと同様、自分勝手に振る舞っていると中国側に見られる傾向にあるようです。
 一方、日本との関係で問題になるのはむしろ、日本人学生が韓国にどれくらい興味をもち、学びに来るか、ということでしょう。韓国に留学することの意義を見出せるかどうかということです。
 池田 示唆深い大切なお話です。学生世代の韓日交流は、世代別に見て最も活発に行われ、教育交流もまた、韓日二カ国間では大きく前進していると言えます。
 北東アジアの平和と安定を考えたとき、この両国と中国との教育交流も、否が応でも重要になってくると思われます。
 先ほども触れましたが、創価大学は、日中の若い世代の交流がアジアの平和の大きな礎になるとの思いで、新中国からの留学生を迎えてきました。
 今では、日本全体で、中国からの留学生は、五万八千人を超える(二〇〇二年五月時点)までに大きく広がっており、うれしく思っています。
  池田先生が早くから日中の教育交流に尽くされてきたととは、よく知っています。
 韓国の場合ですが、改革案としては、たとえば中国の大学の分校のようなものを済州島などに作り、そこで中国の教育システムを一、二年教えて、それから中国本土へ留学させるという方法が考えられると思います。
 中国との経済交流が進めば、当然、文化交流も、教育交流・人材交流も進むことでしょう。逆に、政策によって教育交流から始めて、文化交流や経済交流が活発になる可能性もありますね。
 池田 二〇〇二年は日中韓の国民交流年でしたが、四年後の二〇〇八年には、北京オリンピックもあります。こうした機会をとおして、三カ国の交流が大きく進むよう願っていますし、私たちも力を尽くしていきたいと決意しています。
 その意味でも、平和のために、戦争のない世界を築くために、教育交流が、ますます必要です。
 アジアの国々が、一つ一つの課題を見極め、ともに知恵を出し合って、教育が平和に与える「可能性」を、どこまでも深く追求していくべきです。
 とくに中園、韓半島、日本という、北東アジア地域の交流がきわめて大切です。この地域の相互理解が、平和と安定への大いなる土壌になると確信します。

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