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日蓮大聖人・池田大作

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4 「生涯教育」と「成人教育」  

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

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2  日本一を誇る創価大学の通信教育過程
 池田 創価大学では、通信教育の充実にも力を注いできました。
 創価教育の父であり、創価教育学の提唱者である牧口常三郎初代会長は、1932年に著した『創価教育学体系(第三巻)』において、「半日学校制度」という画期的な教育論に光をあて、教育改革を訴えました。
 その趣旨は、生活をしながら学習する、すなわち、実際生活の中で学び、一生を通じて修養に努めるように方向づけていくということです。とともに、牧口会長は、人間教育を志向する上で、働きながら学ぶことが最も重要な環境的条件であるとの結論に達しました。
 私どもの創価大学では、こうした牧口学説を基盤にして、1976年に、通信教育課程を開設しました。これまで通信教育課程から、9600人を超える卒業生を社会に送り出しております。
 サドーヴニチィ 創価大学の通信教育課程は、現在では、在籍数、卒業率で日本一を誇るまでの実績を積み上げてこられたということでしたね。
 池田 ここ数年の間には、通信教育の卒業生の中から、他大学へと進学する方が増えてきました。1998年6月には、家庭での主婦業と勉学を両立した女性が、アメリカのトップレベルの大学院へと進学しました。こうした現状や社会の要請を考えるとき、今後は、そうした需要に応えていく意味でも、通信制の大学院の設置も検討していかなければならない時期にさしかかっています。これからの大学は、大学に対する社会的要請について、もっと鋭敏に対応すべきであると考えます。「成人教育」において、大学が指導力を発揮する時代になったといっても過言ではありません。
 すでに、アメリカにおいても、450もの通信教育機関があります。貴国においても、モスクワ大学やサンクトペテルブルク大学等の総合大学における通信制コースが社会に果たしている役割はきわめて大きいとお聞きしています。
 貴国の大学における歴史と伝統の上から、生涯教育、成人教育における通信教育の果たすべき役割について、コメントをいただければと思います。
3  理論一辺倒から脱却するロシアの通信教育
 サドーヴニチィ 私の方からは、主に通信教育についてわが国の事情を中心にお話ししたいと思います。
 モスクワ大学をはじめロシアの諸大学にとって、通信教育制度は大学の重要な要素となっています。わが国は、働きながら学び続けることを前提として通信教育の充実を図ってきましたので、豊かな経験を蓄えてきております。もちろん、わが国の実状にそって発展した制度ですから、そのまま、たとえば日本にあてはめるというわけにはいかないでしょう。
 わが国で通信教育制度が広く構築された背景には、生産現場を離れることなく学べる機会を作るという考え方が存在していました。したがって、通信教育がそもそも対象としたのは職業人ですから、通教生は、自分の仕事の専門分野に近い学問を選択して受講するのが一般的です。たとえば、職工として働いている人がエンジニアの資格を取るために通信教育を受ける、という具合です。
 モスクワ大学の通信教育も基本的にはこれに準じていますが、主に教師の養成、再教育を中心としたカリキュラムを提供しています。
 池田 なるほど。通信教育のカリキュラムでは、どういう点に力を入れてこられたのでしょうか。
 サドーヴニチィ 通信教育の意義は、成人教育にとって重要な価値を持っていると考えます。
 理論を中心に展開される大学の授業は、学生に基礎的教養を与えつつ、基礎研究を通して学問の仕方と教え方を教授する仕組みになっています。
 それに対して、通信教育においては、対象が職場で実際に職業的経験を積んでいる人たちなので、教授法をはじめ教育内容、教材、課題等、かなり柔軟に工夫を凝らすことが必要になります。その意味で、大学教育が、理論一辺倒を抜け出し、現実社会の要請に可能な限り近づくことを要求されます。大学にとっても貴重な空間になっていると思っています。
 池田 そこに重要な意義があることがわかります。
4  二つの世界大戦と内戦が及ぼした影響
 サドーヴニチィ それから、わが国の高齢者、年金生活者の方々に生涯教育、成人教育の機会を提供するといった課題については、正直申し上げて、これまでほとんど直面したことがありません。少なくとも、個々人の特別なケースを除けば、社会的現象としてそのような必要性が差し迫ったものとなったことがなかったからでしょう。
 ご存じのように、20世紀のロシアは、二つの世界大戦で辛酸をなめ、それと並行して1918年から1922年までの内戦を経験し、多くの人命を失いました。そのため、白髪のころまで人生を永らえることが出来た人はさほど多くはないのです。
 池田 痛ましい歴史です。そうした20世紀の歴史の教訓は、絶対に忘れてはなりません。
 サドーヴニチィ また、別の側面から見ると、20世紀のロシアは、工業化の道を驀進し、社会制度を整備し、科学技術の躍進を遂げた、建設に次ぐ建設の時代でもありました。ですから、私たちの両親、祖父母の世代は、高齢になっても仕事をしつづけていました。ひとつには、給料が唯一の収入源だったからということもありますが、それ以上に、国の労働力が常に不足していたために、年をとっても働けるうちは働きつづけたのです。そんなわけで、生涯働くことがあたりまえだったこれまでの世代にとっては、定年してから再び大学で勉強をということは考えられなかったと思うのです。
 さらに、ここ20年から50年ぐらい先までの人口予測を見る限り、ロシアにとっては今後もしばらくの間は、高齢者のために大学の役割を考えるという時代はまだ訪れないと推測されます。
 池田 成人教育についても、お国の事情が、よくわかりました。

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